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今隣にいるあなたに伝えたい 1

 花の絵のカードが届いてから、ジュードはその意図がわからずに頭を悩ませることになった。

 深い意味などない……きっとアビーの気まぐれだ。そう言い聞かせても、暇さえあればまた彼女のことばかり考えてしまう。柄にもなく図書館に通い、青い花の絵が何なのか、図鑑から必死に探した。

 アビーの描いた絵は、図鑑にそのまま載せられるくらい写実的に描かれていた。だからその青い花が、わすれな草という名を持っていることはすぐに判明する。

 花に意味が隠されているのだろうか。それがせめて、愛を囁く言葉であればいいのにと、つい花言葉まで調べてしまった。


「忘れないで――ってどういう意味なんだ?」


 花言葉の意味を知っても、謎は深まるばかりだ。

 いつだって忘れられるのは自分のほう。子供の頃も、そして今もだ。それは悲しく、ジュードにとっては簡単に整理できるものではなかった。

 アビーは無自覚に人の心を占領して、いつだってジュードを振り回す。忘れようとしているのに、こんなカードなんて送られたら忘れられないではないか。


 彼女の噂を耳にするたびに、不愉快な気持ちになり苛立ってしまう。あの舞踏会で見せた姿が脳裏にこびりついて離れない。なぜ彼女の隣に自分はいないのか、自分こそふさわしいはずなのに。

 きれいなドレスを汚さないようにおとなしく座っている人が、本当のアビーだと思ったら大間違いだ。

 あの窮屈な人の輪の中から連れ出して、彼女を解放してやりたい。しかし、おそらく彼女はそれを望んでいない。ジュードのひとりよがりなのだろうと思うと、虚しくもなる。

 考えても答えは出ない。もう、振り回されるのは終わりにしたいのに、気付けば彼女がローメリナでどう過ごしているのか、情報を仕入れてしまう。

 

 だから、アビーがパタリと社交界に姿を見せなくなったことは知っていた。

 しかも、彼女の兄であるスティーヴからは、最近になって咎めるような視線を送られる。

 バーネット家の兄と妹に振り回され、肝心なことは何も教えられず怒っていたのは自分だった。それなのに、いつの間にか立場が逆転していた。


 どうやらスティーヴは、あの日、アビーに声をかけずさっさと帰ったことに不満を持っているらしい。


(……私が折れなければならないのか? いや、悪いのは私ではない)


 そうしてジュードとスティーヴの、どちらが先に自分から話しかけるかという無言の戦いは、膠着状態のまま過ぎていった。


 転機は思わぬ形で訪れる。

 それはジュードが非番の日のことだった。何もすることがないジュードは、部屋に籠もってベッドに寝そべって本を読んでいた。

 夕方、急に廊下が騒がしくなったかと思うと、勝手に自室の扉がガチャリと開けられた。入ってきたのは、スティーヴだ。

 

「スティーヴ……どうしたんだ?」


 腹でも壊したのだろうか。スティーヴはなぜかあまり元気がなかった。彼は部屋に一歩入ったところで立ち止まり、口を開いた。


「ジュード、今夜アビーの所にいってやってくれないか? カーター邸の舞踏会だ」

「なんなんだ、突然……なぜ私が? 意味がわからない」

「君にしか頼めない。どうしても今夜一緒に舞踏会に出て欲しいと頼まれていたんだが、約束を守れそうにない。伯母が言うには、最近ますます様子がおかしかったみたいなんだけど、それがどうしてなのか僕はまだ理由を確認できていないんだ。……頼む、ジュード。時間がない」

「時間がないって?」


 そこで、扉のすぐ外に別の者がいることに気付き、ジュードは目を見張った。

扉の外にいたのは、自分たちの先輩格にあたる騎士だ。ジュードと目が合うと、男は低い声で二人の会話を遮ってくる。

 

「何をしている、バーネット。急げ」

 

 一体なぜ急かされているのか、ジュードにはわからない。ただ猶予が与えられていないことだけは伝わった。

 スティーヴの肩に男の手がかかり、終わりだとはっきり態度で示される。部屋から出るように促され、素直に従ったスティーヴが閉まっていく扉の向こうに消えようとしている。それでも最後まで彼は必死だった。

 

「妹は……アビーは、君に会いたくてここまでやってきたんだ」

「……嘘だろう?」


 にわかには信じられなかった。それは、ジュードを都合よく動かすための方便ではないのか。スティーヴの本音を探るが、彼はどこまでもまっすぐにジュードを見つめている。


「とにかく、頼んだよ。妹をよろしく」


 そうしてスティーヴは、先輩騎士と共に去って行った。

 ジュードは思わず部屋から飛び出て、彼らの向かう先を確認した。二人は、上官の執務室の方向に向かっているようだ。スティーヴは自分の足と意思で歩いている。引きずられたり、縄を掛けられて強制的に連れていかれてはいないことにほっとする。

 だとすると、おそらく何かいたずらでもやらかして、上官に見つかったのだろう。

 ジュードの心は「スティーヴのことだから」と軽く流したい気持ちと、それにしては深刻そうな顔だったと不安になる気持ちで揺れていた。

 必死の頼まれごとを無視するほど、スティーヴのことを嫌っているわけではない。妹との約束を破りたくない彼の気持ちもわかるが、だからといってジュードが代理で行く必要はないとも思え、二の足を踏む。

 

 一度は部屋に戻りベッドの上で天井を見上げていたが、とどまっていられたのはごく短い時間だけだった。


「くそ!」


 スティーヴの思惑通りの行動をする自分のことが気に入らなくて、悪態をつきながらも、気付けば彼女に会いにいくための支度をはじめてしまう。

 

 それでも急なことだったから、カーター邸に到着したのは舞踏会のはじまりから随分遅れた時間だった。

 もし、この前のように他の男性達に囲まれて楽しそうにしているアビーを見たら、やはり声を掛けることなんてできないかもしれない。誰かと楽しそうにダンスを踊っていたら、すぐに退散することになるだろう。

 どうか自分が想像するような光景が待ち受けていないようにと祈りながら、ジュードは広間を目指していた。


 目的の場所の扉の前で、ジュードは違和感を持って立ち止まる。

 舞踏会だというのに、やけに静かだ。

 そうして聞こえてきたのは、ピアノの旋律。


(アビーが弾いているのか?)


 彼女のピアノの演奏を聴いた回数は多くない。大人になってからはたった一回だけだ。それでも、確信に近いものがあった。

 力強くジュードの心にはっきりと刻み込まれる、アビーの音色。惹きつけられずにはいられない。扉を開けたら、そこに輝かしい世界が広がっているのだと想像をかきたてる。

 導かれるように、音のする部屋の扉に手をかける。しかし聞きたかった旋律は、ジュードが扉を開けた瞬間に誰かの怒声と共に消えてしまう。


「やめろ! 演奏を止めてくれ」

 

 何がどうなっているのかわからず、ジュードはアビーの姿を探した。

 彼女のことはすぐに見つけることができた。人々が注目しているその中心に彼女がいたからだ。

 大きな声を出して怒っているのは白髪の老人で、アビーは泣き出しそうな声で必死に謝罪をしていた。そして、ジュードを一番不快にさせたのは、耳障りな人々の嘲笑だ。


(なんなんだ? 一体?)


 彼女のようなか弱い女性が、そして誰よりも才能豊かで素晴らしい女性が、なぜたった一人でこれほどまでに大勢の前で笑い者にされるのか。

 沸き起こってきたのは、強い怒りだ。

 アビーを助け出したい、その一心でジュードは歩き出す。

 薄く笑いながら佇んでいたルイス・ブライトウェルの横を通り過ぎたが、彼のことを気にしている余裕はなかった。

 

 そうしてジュードは思いがけない形で「文字が読めない」という、彼女の告白を聞くことになる。

 それを知った時、ジュードははじめてアビー・バーネットという女性の真の姿を見ることができた。


(そうだ、彼女は確かに嘘は言っていなかった)

 

 ユホスの街で、手紙を書くと言ったジュードに対してのアビーの返事を思い出す。

   

『私……ちゃんとしたお返事が書けないかもしれません』


 秘密を守るため、故意にぼやかした部分もあるだろう。急におどおどと不安そうになった彼女は、あの時どんな思いでそう言ったのだろう。

 絵にサインがない理由も、それがアビーにとって当たり前のことだったからなのだ。


 アビーは、はらはらと泣き出してしまっていた。ジュードも泣きたくて仕方なかった。彼女の心の傷を思うと、苦しくて胸が詰まる。

 ごめんなさいと、アビーはジュードにも繰り返し謝罪の言葉を口にする。どれほど気に病んでいたのだろう。どれほど悩ませてしまっていたのだろう。

 忍耐が足りず、疑り、諦めが早かったのはジュードのほうだった。せめてもう一度会って話をしていれば、彼女を泣かせる状況になんてさせなかったのに。


 アビーの秘密を知った人々は、彼女への嘲笑をやめなかった。

 これが、彼女が……そして彼女の家族がずっと恐れていた事態なのだろう。

 きっと、この社交界ではそれが普通の反応だ。そして、自分が普通とは違う感性を持っていたことをこんなにも誇らしく思ったことはない。


 ジュードは人前で話すのは得意ではない。子供の頃の失語症の名残なのか、演説は苦手だ。

 しかし気付けばアビーを抱きしめながら、あふれ出る自分の気持ちをまくし立てていた。


(笑いたければ、笑えばいい)


 開き直り、言いたいことを言い切った。そのあとの大広間はしんとした静寂を取り戻す。

 

「アビー、行こう。ここでは君は、自由に息をすることもできないだろう」 


 呆然としていた聴衆が、我に返ってまた面白おかしく騒ぎ出す前に、ジュードはアビーを連れ出した。

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