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秘密の箱が壊れる音 3

 それきり、アビーは舞踏会への誘いをすべて無視した。体調が悪いといういいわけをつけて。


 ジュードにすげなくされたことで、アビーは自分がどれほど彼を特別に思っていたのか、思い知らされた。

 ユホスの街を出るときは、希望に満ちあふれていたというのに、あっさり躓いてたやすくくじけてしまう自分が嫌でしかたない。

 もう帰ろうという思いと、もう少しだけ待っていたいという思いが交錯し、アビーをそこから動けなくする。

 

 バウロズ邸であたえられている部屋に引きこもっていると、見舞いの花束が贈られてくるようになった。

 アビーは自分の欠点を補うために、知り合った人の顔や名前を、必死に覚えるようにしている。お見舞いの花をくれた人達の中には、アビーのことを陰で『お飾りの妻にちょうどいい』と言っていた人までいた。

 なぜ、彼らはアビーに花を贈るのだろう。彼らだけではない。ルイスもそうだ。なぜ、彼はアビーにかまうのだろう。

 花に罪はない。でも、その強すぎる香りに目眩がする。

 もともと具合が悪いわけではないが、考えすぎて疲れてしまった。

 アビーがソファーで横になっていると、遠慮がちに扉が叩かれた。


「アビー。ルイスさんがお見舞いに来てくださったわよ。入っていいのかしら?」


 イザドラの声だ。

 ルイスの名を聞き、はっと飛び起きる。

 伯母の中でルイスは、アビーの結婚相手の候補の筆頭になってしまっている。アビーの秘密を知っていても近付いてくるのだから、伯母が気に入るのも無理はない。だから、ルイスを私室に通すかもしれない。

 アビーはさすがに朝の段階で、寝間着から簡素なデイドレスに着替えていた。急いで扉に向かい、自分からドアを開ける。

 その先にはイザドラと、やはりルイスも一緒にいた。


「……ごきげんよう。ルイス様」

「元気そうでよかったです。アビー」

「少し前にようやく頭痛がおさまりました。でも、きっとまたすぐ悪くなるわ」


 イザドラもルイスも、アビーの仮病に気付いている。しかし、アビーが体調不良といつわっているのは、強引に舞踏会に出席させようとする、ルイスのせいでもある。

 自分が不機嫌であることを相手に伝えるために、ツンと顔を背けた。

 

「動けるのなら、庭を少し散歩しませんか?」


 ルイスはまったく気にした様子もなく、アビーを連れ出そうとする。

 イザドラも、すかさず庭の散歩をすすめてくる。アビーは私室に押しかけられるよりはよいと判断し、しかたなく外へ出た。

 そうして、特に楽しいとは思えないルイスとの散歩がはじまる。


「ルイス様は、何か私に用事があったのでしょうか」


 ないなら、はやく切り上げたい。そんなつもりで問いかけた。

 しかし彼は質問には答えず、別のことを口にする。


「たくさんの贈り物が届いているようですね。少しドアを開けただけで、花の香りがしていました。それでこそ、アビーです」

「……? お見舞いの花も、あれほどたくさんでは困っています」

「素直に受け取ったらいい。ローメリナの貴族達が貴女の価値を認めたということなのだから。そんな女性なら、僕の妻にふさわしいと言えるでしょう」

「……妻?」


 たくさんの花束を男性から贈られることで、女性の価値が決められるように聞こえる。

 アビーはたった一人のひとから、一輪の花をもらいたい。ルイスとはまるで考えが違う。


「出会ったときから、貴女と結婚すると決めていました」

「……出会ったときからって、どういうことですか?」


 今、アビーはおそらくルイスから求婚されているのだろう。

 しかし、ときめきは生まれなかった。困惑ですらない。増幅していくのは、ルイスに対する不信感。

 二人がはじめて会ったのは、レイモンドとパトリシアの婚約話が持ち上がり、バーネット家がローメリナにやってきた二年前だ。

 その時から、仮に好意を持ってくれていたのなら、なぜ彼は黙って、両家の関係が悪化していく様子を眺めていたのだろう。

 あの時のルイスは家を継いだばかりで、母や姉に意見ができなかったのだと思っていた。でも、今の彼はすべてが自分の思うままにできると思っている。二年で人は変わらない。二年前から、彼はこういう人間だったのではないだろうか。


「ひとつ、聞いてもよいでしょうか? ルイス様のお母様……ブライトウェル夫人は、なぜ今、ローメリナにいらっしゃらないのですか?」

「母にとって最良の居場所を用意したからです。姉と共に、姉の嫁ぎ先で快適に暮らしているでしょう。条件に合う結婚相手を探すのは、なかなか苦労しました」


 今彼は、パトリシアの結婚相手の話をしているはずだ。でも、結婚相手の条件というのは、パトリシアではなくルイスにとっての都合で決められたようにしか思えなかった。

 

「僕の手をとってくださいと言ったでしょう」

「ルイス様には……ブライトウェル家には、私はふさわしくありません」


 目の前の黒髪の男性に秘められた、底知れぬ恐ろしさを感じ、アビーは後退り、距離を置いた。しかし、彼の長い手がどこまでも伸びてくる。

 

「心配する必要はないのですよ。貴女の名誉は守ってさしあげます。貴女が隠していることは、決して外に漏れないようにしましょう。完璧な貴婦人に見えるように、足りないものを補ってあげましょう。……これは他の誰にもできないことです」


 アビーは、怯えながら小さく首を横に振った。すると、ルイスはその瞳にはっきりと怒りの感情を宿す。

 

「拒否は許しません。仮病もです。……週末は、かならず舞踏会に出席して、僕とダンスを踊りましょう。練習が足りないのなら、今から付き合います。周囲に納得させるには、これくらいの演出が必要なんです。たいした家柄ではなくとも、男達がこぞって求婚するような女性なら、僕が結婚相手に選んでも不思議はない」

「私、……お人形ではないのですよ」

「そんなことは、わかっています。人形ではないのなら、何が最良か考えて、賢い行動をとってください。逆らったら……どうなるかはわかりますね?」


 彼はもう、アビーの意思を確認しようともしない。

 顔を青くしたアビーを見て、散歩も会話も一方的に切り上げた。


「どうやらまだ本調子ではなかったようです。少し無理をさせてしまいました。部屋でゆっくり休ませてあげてください」

 

 イザドラの前で何事もなかったふうを装い、ルイスはアビーを解放した。



   §



 それからアビーは悩みに悩んで、ひとつの覚悟を決めた。

 自分の選択が正しいのかはっきりさせるために、スティーヴには相談したかったが、間に合わなかった。

 伯母のイザドラに頼んで手紙を送ってもらい、週末の舞踏会に一緒に出席する約束だけは、取り付けることができた。


 きっとルイスは、舞踏会では最初から話しかけてはこない。彼は大勢の男性に囲まれる女性に価値を見いだしている。そして、そこからアビーを連れ出すことで、自分の優位性を確認したいのだ。

 その前に、スティーヴと話をする猶予があるはずだった。



 しかし当日、スティーヴはいくら待っても姿を見せない。


(どうして、スティーヴお兄様はいらっしゃらないの?)


 ルイスは同じ広間にいて、少し離れた場所から、アビーのことを見ている。残された時間は、きっと少ない。

 スティーヴはアビーとの約束を、理由なく破る人ではなかった。

 何かあったのだろうか? 情報を知りたくて周囲を見回すと、近衛騎士の制服を着た男性を発見した。スティーヴの同僚の一人だ。

 急いでその騎士に近寄り、アビーは自分から話しかける。


「兄の姿をみませんでしたか? 約束をしていたのです」

「スティーヴですか? 昼間に顔を合わせた時に、今夜ここで会おうと話をしていました。それきり会っていませんが、緊急の招集もかかっていないので、そのうちやってくると思いますよ」

「そうですか……だったらよいのですが」

「スティーヴがやってくるまで、私がお相手いたします。なに、噛みついたりしません。ですから、一緒にダンスはいかがですか?」


 騎士は、白い歯をニッと見せて、おおげさな身振りでアビーを誘った。兄の不在に不安な顔を見せたから、楽しませようとしてくれているのだ。

 

「もし私と踊っていただけたら、回転木馬より楽しいことになりますよ」


 身体の大きな騎士が、力こぶを作ってアビーに自分の強さをみせてくる。ダンスを踊るのではなく、持ち上げて、くるくると振り回すつもりなのではないか。

 そうして騎士が「冗談です」と笑い出したので、アビーもおもわず笑った。――そのなごんだ雰囲気を壊したのは、いつの間にか近付いてきていたルイスだ。

 

「アビーとダンスをするのは、僕です。……そうでしょう? こんばんは、アビー。今夜はとてもすばらしい夜だ」

「……こんばんは、ルイス様」


 こうやって、ルイスはアビーを監視している。

 自信に満ちたルイスは、とても美しくて、恐ろしい。今夜こそ、アビーが自分の手を取ると信じて疑わない。


 でも、アビーはそれに逆らうと決めていた。


「私……踊りません。私は、あなたの手を取らない、この先もずっと」


 スティーヴに相談できなかったことは悔やまれるが、もう、家族を信じるしかない。

 脅しに屈したとあとから知ったら、きっと父や兄たちは悲しむはずだ。

 

「……それが、君の答え?」

「そうです」

「理由を聞いても?」

「あなたの心が、まるでわからないから」 

「僕は君が好きですよ、アビー。それは紛れもない真実だ」

 

 ルイスはせつないため息をついた。悲しみに満ちた顔だ。どうして伝わらないんだと、本気で嘆いているように見える。これは、彼の演技なのだろうか、アビーがじっと見据えると、はじめてルイスの方から視線をそらした。

 そうして、何事もなかったように、去っていく。


(うそ……)


 この場でどんなことを言われるか、どんな罵りを受けるかと覚悟していたアビーにとっては拍子抜けだ。


「やるな、お嬢さん。あのルイス・ブライトウェルを袖にしたのか。さすが、スティーヴの妹だ」


 その場にいた騎士は、アビーの行動を称えた。

 それからはいつも通り、おしゃべりだけをして時をすごす。スティーヴはまだ姿を見せない。

 

 ルイスはずっと同じ広間にいる。いろいろな人とにこやかに談笑していた。

 彼は自分のことを完璧な人間だと思っている。きっととても自尊心が高い。この場で怒りを爆発させて、アビーの秘密を暴露するようなことは、自分の評判を落としかねないからできなかったのだと推測し、少しだけ心が軽くなった。

 


 しかし、アビーの予想に反して、ルイスの報復は、その夜のうちに実行された。

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