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秘密の箱が壊れる音 2

 ルイスを見送ってからアビーが屋敷に戻ると、イザドラはご機嫌な様子だった。

 ドレスはどれにしようか、髪飾りは……と、屋敷の使用人やホリー達と忙しそうにしている。

 そんな伯母とじっくり話をすることができたのは、夕食のあとのことだ。

 気になっていたのは、ルイスの家族……彼の姉と母親の現在についてだった。アビーはブライトウェル家の女性に嫌われている。

 いくらルイスが大丈夫だといっても、不安が拭えなかった。

 

「パトリシアさんは、あれからご結婚なさって、夫人を連れて今はローメリナを離れているわ。弟のルイスさんしかいないのは本当よ。母娘はお高くとまった人達だったけれど、もう関わりのない家に対して今更どうこうするとは思えないわ」

「……それならよいのですが」

「アビーとルイスさんは、仲がよかったわよね?」

「そうでしょうか? ……よくわからないんです」



 長兄レイモンドには、かつて縁談があった。

 相手はパトリシア・ブライトウェル。ルイスの姉にあたる人だ。弟と同じ漆黒の、豊かな髪を持つ美しい令嬢だった。

 ブライトウェル家は、建国までその歴史を遡ることができる名家で、バーネット家はそれより随分格下となる。先代の当主とマニギスが友人同士だったことから、望まれた婚約だった。


 ブライトウェル家の先代当主は、病で余命幾ばくもないことを悟り、残された家族のことを憂いていた。特に次の当主は十代と若く、あくどい者に食い物にされはしないかという不安があったようだ。

 そこで、堅実な生活を送る親友のマニギスに、子供同士の婚姻を申し込み、残された家族を見守ってくれるように頼んだのだという。

 正式な婚約をする前に、ブライトウェル家の前当主は息をひきとった。それでも遺言にしたがう形で、バーネット家とブライトウェル家の交流がはじまった。


 前当主の喪が明けて、婚約の話をすすめようとしていた時期に、バーネット家は皆でローメリナにやってきた。それが二年前の話である。


 パトリシアはとても頭が良く、なんでもできる完璧な女性だった。

 イザドラは「お高くとまった人」と評したが、アビーが最初に持った印象は違う。

 はっきりとものをいう女性だったが、義妹になる予定のアビーに対して、とても優しかったのだ。

 実の姉のように、甘やかされて育ったアビーの至らないところを叱ってくれた。

 それを変えてしまったのは、アビーだ。きっかけは、ピアノの演奏だった。


「アビーさん、あなたはとても上手いけれど、随分くせの強い弾き方をするのね。もったいないわ。淑女の音楽に独創性はいらないのよ。楽譜をよく見てごらんなさい」


 できることなら、彼女の助言に応えたかった。でもアビーには難しかった。だからごまかそうとしたが、頭のいいパトリシアには、すぐにそのごまかしを見抜かれてしまった。

 

 アビーの秘密が露呈したとき、彼女はアビーとバーネット家の人間を嫌悪するようになった。


「こんなことが世間に知られたら、アビーさんは……いえ、バーネット家は笑いものだわ」

 

 もう、面倒見のよい姉はどこにもいなくなった。そして彼女の母親も同じ考えだった。


「それはもしパトリシアがこのままバーネット家に嫁いだら、同じく笑いものになるということだわ。信じられない」


 そんな彼女達の態度に、マニギスとレイモンドは激怒した。そうして、結婚は白紙になった。 


「正式に婚約を交わす前でよかったわ。よろしいですか、もしこの件で逆恨みをして、当家の評判を貶めるような行為をしたら、事実を公表させていただきますからね。二度と私たちに近付かないで」


 おさまりのつかない怒りを見せながら、パトリシアと夫人は去って行った。



 二年後の今になって、改めてその時のルイスのことを思い出す。彼はあのとき、どうしていたか。


「泣いているのですか?」


 両家の争いがはじまって、それを見せたくない父や兄の指示で部屋の外に出されたアビーは、庭の隅で一人泣いていた。

 そのとき、ハンカチを差し出してくれたことは覚えている。


「レイモンド殿と、姉は……もともと合わなかったと思います。アビーが気にすることではありません」


 でも、パトリシアも泣いていたのだ。気の強い彼女も、涙をみせていた。


「僕を頼ってください。そうしたら、すべてを本来あるべき場所に納めてみせましょう」

「……? レイモンドお兄様とパトリシアさんは仲直りできるの?」

「いいえ、二人の結婚はもとから間違った選択でした。だから破談になるのです。誤りは正す。そして、今からなら正しい選択ができる」

「ごめんなさい。私、ルイス様が言ってることがよくわからない」

「貴女は理解しなくてもいいんです。ただ僕の手をとれば」


 アビーは、差し出されたルイスの手を取らなかった。

 悪いのは全部アビーで、これ以上ブライトウェル家に迷惑をかけてはいけないと思ったからだ。

 それからすぐに、アビーはローメリナから離れることになり、ルイスとはもう会うことはないと思っていた。



   §



 社交界は、アビーが思っていたほど恐ろしい場所ではなかった。少なくとも最初のうちは。

 招待をうけたブライトウェル家の舞踏会では、アビーはずっと、壁際の椅子に座っていただけだったが、誰も咎めたりしない。

 同行してくれた兄のスティーヴから紹介され、騎士団にいる男性たちと少し話をしたが、皆礼儀正しく楽しい人たちばかりだった。

 イザドラからは、アビーと同世代の令嬢を紹介してもらった。無理に取り繕わなくていいと教えられていたので、自然な会話を心がけた。アビーの性格をよく知るイザドラからの紹介だけあって、どの令嬢も親切で、流行に疎い世間知らずのアビーを笑う人などいなかった。

 

 ルイスは舞踏会の主催者で、ずっと人の輪の中心で忙しそうにしていた。だから、その日はほとんど会話をしていない。


 ブライトウェル家から帰る時、兄のスティーヴは言った。


「悪くないかもしれない」

「何がですか? お兄様」

「作戦だよ。ジュードをおびき出す作戦だ。まあ、アビーは無理しない程度に、これからも素直に楽しむといい」


 舞踏会はどうしても行きたくないほど嫌な場所ではない。それに、こういう場所に出ることがイザドラの願いでもある。この時は、またそのうち参加できたらいいと、軽い気持ちで考えていた。


 ところが翌日から、バウロズ家に次々に舞踏会の招待状が届くようになる。

 イザドラの話によると、ルイスが手を回し、送られてきたものらしい。

 ルイスからの……ブライトウェル家の当主からの誘いは、断れない。イザドラも嫌がるし、アビーも秘密を知られている後ろめたさから、断ってはいけないような気がしていた。

 

 二度目の舞踏会から、アビーは男性に囲まれるようになってしまった。

 スティーヴは近衛騎士の任務があるから、必ず一緒にいてくれるとは限らない。そして伯母夫婦は、この状況を喜んでいた。

 アビーの意思で、誰かの手をとってダンスをしてもいいのだと言う。でも、アビーが手をとりたい男性は、その場にはいない。


「あなたは本当に美しい人だ」

 

 ローメリナの紳士は、そうやってアビーの容姿を称える。

 ユホスの街でも、家族や街の人は皆アビーのことを「かわいい」と気軽に褒めてくれていた。それは素直に受け取っていたのに、今は喜ぶことができない。


『あのストロベリーブロンドの髪は、とても素晴らしい。それだけで価値がある。家に持って帰って飾っておきたい』

『会話は面白いが、あまり賢くはなさそうだ。確かにお飾りの妻にはちょうどいいかもしれない』


 人に酔い夜風を感じたくて、バルコニーに出たときに、偶然男性たちのそんな会話を聞いてしまった。

 すべての男性が、アビーを物のように思っているわけではないのはわかっている。でも、ストロベリーブロンドの扱いやすそうな女性と、アビーをそう評価している人たちも確かにいる。そしてたぶんそれは、大きく間違っていない。アビーが賢くないのは事実だった。

 

 イザベラは、ルイスがアビーに求婚するつもりなのではないかと考えているらしい。

 でも、アビーは彼から、自分に対しての純粋な好意というものを感じられずにいる。嫌われてはいないとわかるけれど、恋い焦がれている人の情熱はないだろう。

 

 ルイスは男性に囲まれて困っているアビーを、いつもしばらく嬉しそうに眺めている。そして、急に近付いてきて、アビーの名を呼ぶ。自分達が以前からの知り合いであることを、周囲に知らしめる。


「アビー。ダンスを踊りましょう」

「ごめんなさい。ルイス様……私はまだダンスが上手く踊れないの」


 アビーが断ると、ルイスが内緒話をするように、耳元で囁いた。

 

「わかりました。でも次までに必ず練習しておいてください。いいですね?」

 

 すぐに離れ、ルイスは苦笑しながら消えていくが、整った眉の形を一瞬ゆがませていたのを、確かに見た。

 不愉快に思うのなら、近付かなければいいのに。ルイスによって手回しされた招待状は、まだバウロズ家に届く。

 ルイスの視線。命令とも受け取れる要求。届き続ける招待状。アビーはそれを無言の圧力のように感じていた。

 彼の手をとらないと、彼に従わないと、ダンスを踊らないと……なにか怖いことが起きるのではないかと。



 その夜も、いつもと同じだった。ローメリナにやってきてから、もう三週間近くたつ。

 アビーは舞踏会で男性に取り囲まれ、疲弊を隠しながら笑顔を必死に作っていた。

 そこに、またいつものようにルイスがやってきた。一瞬怯えたアビーだが、それより距離を置いた所に、忘れもしない金髪の髪の男性の姿を見つけた。


(ジュード様……)


 見間違えるはずがない、確かにジュードだった。偶然なのか、それとも会いに来てくれたのか。どちらでもかまわないが、今すぐ、ジュードのところに行きたい。どうやって、ここから抜けだそう。いきなり話しかけるのは、マナー違反なのだろうか。

 

「――アビー。今日こそダンスを一緒にいかがですか?」


 ルイスがいつものようにダンスに誘ってきた。さっきまでは、ルイスがもし望んだら、今日こそは彼の手をとらないといけないと考えて憂鬱だった。しかし、アビーはもうそんなことは、どうでもよくなっていた。

   

「お誘いありがとうございます。でも、私まだ練習ができていないのです。一緒に踊ってくれたかたに恥をかかせるわけにはいかないので、辞退させてください」


 はっきりと断ってしまった。ルイスの機嫌をそこねたとしても、とにかくはやくジュードのもとに行きたい。

 ジュードは今、スティーヴと一緒にいる。何か会話をしている。きっと兄が引き留めておいてくれる。アビーがいることを伝えてくれるはずだ。

 ジュードに会えて誤解が解けたら、もう無理に舞踏会に出てくる必要はない。考えの足りないアビーは、自分の甘さに無自覚だった。

 ルイスは、ダンスを断っても怒ったりはしなかった。いつも通りの掴めない人だったが、大丈夫だったのだとほっとした。


 そうして、兄のもとへ行くと理由を付けて立ち上がろうとしたそのとき、ジュードがこちらを冷たく一瞥し、背を向けて去っていくのを見た。


 ジュードはアビーを無視したのだ。完全に拒絶された。アビーの姿を見ただけで、不愉快さを露わにするほど、嫌われていた。……以前のように、あのユホスの街で出会った時のように、もう気軽に話しかけてはくれないのだ。



   §



 アビーは一晩泣き明かした。

 それから冷静に考えて、最後の悪あがきをした。花の絵を描いて、ジュードの実家に届けた。

 どこの誰かもわからない者からの手紙は、門番に預けることが精一杯だった。彼の手には届かないかもしれない。

 騎士団の官舎に直接出向けなかったのは、妹のおかしな行動に、スティーヴが咎められることを恐れたからだ。


 いつか、上手に絵を描けたら彼に絵を見せる約束だった。

 立派な絵ではなく、小さな水彩画になってしまったが、心をこめて丁寧に描いた。


 選んだ花は、わすれな草。――花言葉は、私を忘れないで。

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