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こじれた想いの向かう先 2

 ジュードはしばらくの間、祭壇の前で祈りを捧げていた。

 そして、そこから立ち去る間際にあることに気付き、幼い日のアビーが使っていたピアノのところまで歩いていった。


「この絵は……?」


 ピアノのすぐ横の壁に、一枚の絵が飾られていたのだ。

 花の咲いた野原で子供が遊んでいる場面だが、背景にこの教会らしき青いとんがり屋根の建物が描かれている。


 ジュードには絵についての知識はないが、目の前の絵が、とても素晴らしいものだということはわかる。

 だがそれが素人の手習い程度なのか、高名な画家のものなのかの判断はできない。

 ただひとつ気になったのは、その絵にもサインがなかったことだ。


 なぜ、彼女に縁のある場所に、そういう絵が飾られているのか。その意味を知りたいような、知ってはいけないような複雑な思いで、しばらくの間じっと絵をただ見つめていた。


「――おや、なつかしい人がいらっしゃった」


 背後から静かに、ジュードに声をかける者がいた。

 はっとして振り向くと、白い司祭服を着た初老の男性が、目を細めている。

 

「……司祭殿、お久しぶりです」


 その人は、教会の司祭だ。十年前は黒かった髪に、だいぶ白いものが混じっているが、それ以外はあまり変わらない印象だった。

 妹の墓参りに何度もここを訪れているはずなのに、この司祭に会ったのは十年ぶりだ。なぜ今まで会えなかったのだろう。ジュードが素直に疑問を口にすると、司祭が理由を教えてくれる。

 

「一度別の街の教会に行っておりましたが、一年前にまたこちらに戻ってきたのです」

「そうだったのですか。あの頃は、お世話になりました」


 深々と頭を下げる。

 当時、なにも言葉を発せずに、暗い顔でそこにいたジュードを黙って受け入れ、見守ってくれた人だ。

 

「立派になられましたな」

  

 司祭からしみじみと言われたことへの気恥ずかしさを隠しながら、ジュードは再び絵のほうに視線を動かした。

  

「……この絵は、アビー・バーネット。彼女が描いたものですね」


 根拠もないのに言い切ったのは、はったりの部分が大きい。知っていることを装えば、隠されることがないと考えたからだ。

 実際司祭は、すぐに頷いた。

  

「ええ、そうです。あの時の小さなご令嬢のことを覚えておいでか」

「はい、実は先日偶然再会したのです。……この絵は彼女が直接ここに届けたのですか?」

「いえ、お父上のマニギス・バーネット殿とはずっと親交がありまして、私がこちらに戻ってきた時に、彼からいただいたのです」


 そうして司祭は、その絵について楽しそうに語りはじめた。


「これはアビー嬢の漠然とした記憶と想像で作り上げられた絵だと、マニギス殿はおっしゃっていました。ほら、見てください。丘で遊ぶ子供達のなかに、あなたたち二人の姿がある」


 指摘され、絵の中で戯れる子供達の中のある一カ所を、ジュードは注視した。

 他の場所で遊ぶ子供達は鮮明なのに、木陰にいる子供二人だけ、表情がはっきりしない。

 一人は金髪の男児で、本を読んでいる。もう一人、その近くで寝そべっている小さな子は、髪の色すら判別できないが、スカートをはいているので女児だとわかる。

 地面に平気で寝転んでる女の子は、確かにアビーみたいだと、ジュードは口元をほころばせた。

 

「アビー嬢とはあれから一度も、会ってはいませんが、随分印象に残るお子さんだったので、ピアノを見るたびに当時のことを思い出します。それで、その場所に絵を飾ったわけです」

 

 この地で、二人が外に出て遊んだ事実はない。これはアビーのただの空想の世界だ。

 それでも、あの頃のことを覚えていなかった彼女の心のどこかに、共有した何かが残っていたとしたのなら、少年の頃のジュードは救われる。

 しかし、大人になった今のジュードには新たな懸念が生まれてしまう。


(やはり、ローメリナにあるサインのない絵を描いたのも、アビーなのだろうか?)




 司祭と別れ、帰りの馬車に乗り込むと、ジュードは義姉に気になることを問いかけた。

  

「義姉上、お聞きしたいのですが……もし、上流階級の未婚の令嬢が、本格的に絵を描くことを趣味にしていたら、世間からどう思われるのでしょう?」


 仮に、本当にアビーが絵の作者だとして、そこまでして隠したい理由はなんなのだろうか。一人で考えていても答えが出ないから、社交に明るい義姉の意見が知りたくなった。


 義姉は、少し考えてから返事をくれる。

  

「変わっているお嬢さんだと思われるでしょうね」

「結婚に影響が出ますか?」

「悪く言う人もいるかもしれないわ。でも、そんなことを気にする人とは、そもそも結婚しないほうがよくってよ。……ねえ旦那様、あなたもそう思うでしょう?」

「あ……ああ、もちろんだとも! 少なくとも我が家は誰も気にしない。……一体どうした? 深刻な顔をして」


 義姉からの目配せを受けて、兄もあわてて賛同していた。

 どうやら二人は、ジュードの意中の相手のことだと判断したようだ。

 確かに思い人に関することで間違いないのだが、絵を描く女性について、ジュードやノリス家がどう思うかという単純な話ではないのだ。

 

「すいません。これは仕事の話でした。参考になりました。それに……私も、二人と同じ考えです」



   §



 数日後。ジュードは、ローメリナにあるサインのない絵の、今の持ち主の屋敷を一人で訪問していた。

 騎士団の任務の一環として許可をもらい、実際に絵を見せてもらったのだ。

 絵は王妃の依頼で、一度王立美術館に調査のために預けられていたが、その後持ち主に戻されている。

 調査の時にジュードは実物を見ていたが、その時はまったく興味がなかったのであまり真剣に見てはいなかった。


 持ち主は、オークションで、無名の画家の作品としての妥当な金額で競り落としている。

 あとからこれほどまでに評判になった理由は、その芸術的価値だけではなく、誰が描いたかわからないというミステリアスな背景も含まれているのではないかと、ジュードは考えていた。


「さあ、こちらです。さあさあ」


 掘り出し物の芸術品収集が以前からの趣味だという持ち主は、四十代の貴族の男性だ。

 貴族のあいだでは、以前までは「ガラクタの収集家」として有名だったが、この件で「すばらしい審美眼を持つ男」という評判に変わっている。


「この絵ですね」


 ここにあるサインのない絵も、風景画だ。森と湖、そして水のほとりには白馬が描かれている。

 改めてみても美しい絵だと思ったが、クルバーツでみたアビーの絵と一緒で、それが唯一無二の特別な絵であるかはわからない。

 ただ、似ているとは思った。空の色、木の描き方。はっきりと理論で語ることはできなくとも、二つの絵は純粋に似ていると思った。

 

 専門家を同行させて、教会の絵と両方を調べさせないのは、ジュードがほぼたどり着いている真実を、これ以上勝手に暴くことに抵抗があったからだ。


 もし、サインのない絵の作者がアビーなのだとしたら、なぜそれを隠すのか。

 その答えはまだ出ていない。しかし、ジュードの近くには、おそらく答えを知っている者がいる。


 はっきりとさせるため、官舎に帰ったジュードは、隣の部屋の扉を叩く。

 

「――スティーヴ。尋ねたいことがある」

「大真面目な顔をして、どうしたの?」


 この日、非番のスティーヴは、いつものように部屋のソファに寝そべったまま、陽気にジュードを出迎えた。

 ジュードはきっちりと扉を閉めて、小声でも通じるようにスティーヴとの距離を縮めた。


「私はまだ、サインのない絵の画家の捜索の任を解かれていない。そのことはわかっているな?」

「もちろんだよ」


 そこでスティーヴはようやく身体を起こす。

 ジュードは嘘は許さないという強い念をこめて、単刀直入に彼に疑問を投げかけた。


「あの絵の作者は、君の妹なのか?」

「…………黙秘」

「スティーヴ!」

「大声を出さないでほしい」


 迷惑そうに苦情を言われ、つい怒りがこみ上げる。

 違うなら、違うと言えばいい。違うといえないのは、もうほとんど肯定しているようなものだった。


「スティーヴ、ふざけるな」

「ふざけてはいないよ」


 なぜ、スティーヴが黙秘するのか、その理由はだいたい察しがついていた。

 彼もジュードも、国王直属の近衛騎士であり、任務であるならば、それに忠実でなければならないからだ。

 当初ジュードは、スティーヴがユホスの街に仮病で同行しなかったのは、偏屈な老画家メイナードを避けたのだと解釈していた。しかし、違うのだ。それならば、ユホスの街まで行ってから、腹痛を起こせばよかったのだ。それなら、スティーヴは家族と再会し、自宅で楽しく過ごしながら、老画家への対応をジュード一人に押しつけることができた。

 出発直後、仕切り直しもできない時期を狙ったのは、この任務からどうしても外れたかったからなのだろう。任務を忠実にこなすことができないから。


「私は、君や、君たちの家族の考えていることが理解できない」


 もし、アビーに才能があるのなら、王妃の後見が得られるはずだ。それはとても素晴らしいことだ。世間がよしとする淑女のお手本から多少はみ出ていたとしても、彼女の女性としての立場に問題が発生するとは思えなかった。

 この任務の背景には王妃の意思があることを、ユホスの街でマニギスにも伝えていた。それでも彼は、知らぬふりを決め込んだのだ。

 

「……そうだろうね。わからなくていいよ」


 突き放されるように言われ、がっかりする自分がいた。他に何か事情があるのかもしれないが、秘密を打ち明ける相手ではないと、スティーヴからそう判断されたのだ。

 


 この時のジュードは、アビーとスティーヴ、そしてバーネット家に対しての不信感をどうしても拭うことができなかった。


 

 それからというもの、スティーヴとの関係はぎくしゃくしていた。

 ときおり、彼はジュードに何かを話しかけたそうにしていたが、ジュードはそれに気付かないふりをした。

 何もなかったように気軽に会話などしない。もし、話をするとしたら、スティーヴが打ち明ける気になった時だ。ジュードはそう考え、はっきり態度に示した。



 騎士団の同僚達から「スティーブの妹、アビー・バーネット」についての噂を聞くことになったのは、それからしばらくしてのことだ。

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