第6話 別れの時
西の空が徐々に夕焼けに染まり始めた頃、健太郎と奈緒は美根海岸を出発した。
弟の幸次郎から借りたスカイラインで、爆音を立て駐車場を出発すると、周りの海水浴客は、どんな怖い人達が乗っているんだろうという表情で、車を見つめていた。
「幸次郎・・ちょっと、車の趣味悪すぎだな。」
健太郎は、アクセルをふかしながら、思わず不満を口にしてしまった。
「幸次郎?誰?」
助手席の奈緒は、健太郎がつい口に出した、聞いたことのない名前に反応した。
「ああ、ごめん。俺の弟なんだ。」
「ええ?じゃあ、これって、健太郎さんの弟さんの車?」
しまった・・!ついうっかり、弟の名前を。
健太郎は、手で口を押えながら、しかめ面で頷いた。
「じゃあ、健太郎さんって、自分の車は無いの?」
「だって俺、東京に住んでるし、あっちじゃ車に乗る機会も無いし、駐車場代もバカ高いし・・。」
健太郎は下を向きながらつぶやき、ワンクッション置いて、
「ごめんよ。本当は自分の車があれば、良かったんだけど。でも、自分で買うなら、こんな爆音が出るようなヤンキーっぽい車、選ばないけどね。」
健太郎は申し訳なさそうな顔で、ハンドルを握りつつ、奈緒に向かって頭を下げた。
すると、奈緒はリスのように口を押えてクスクス笑い始めた。
「あははは・・何だか健太郎さんらしくない車だなあって思ってた。正直、車の趣味、悪いなあって思ってたけど・・違うんだね。それ聞いて、ホッとしたわ。」
奈緒は大声で笑い出した。
「俺は、スズキのジムニーみたいなのが好きなんだ。小さいけど、見た目ワイルドだし、4WDなら悪路とか砂浜も行けるし、いつかお金が貯まったら、欲しいって思ってね。」
「そうなんだね。私も、ジムニーなら乗ってみたいかな。」
奈緒とは、車の趣味も合いそうだ。
気が付けば、窓の外は徐々に夜の闇がせまっていた。
しかし、この日は遅い時間になっても海岸通りは混雑し、車の流れも悪かった。
「何だろう?こんな遅い時間まで海水浴って混雑するのかな?」
「ううん、海水浴じゃないと思う。ほら、あれじゃない?」
奈緒は、窓の外を指さした。
道路沿いに、立て看板が等距離に立てられていた。その脇を、大勢の通行人が横切っていた。
「『美根浜納涼花火大会・・会場入り口』?」
どうやら、海水浴場の近くの港で、花火大会が行われるようだ。
しかし、美根浜は駐車場が少なく、駐車場を探す車が海岸通りに集中し、渋滞を引き起こしている様子だった。
健太郎は幼い頃からこの町に何度も海水浴に来ており、抜け道は良く分かっていた。しかし、奈緒とこのまま思い出も作らず別れてしまうのが、すごく惜しく感じていた。
「どうする?抜け道は知ってるんだけど、花火・・見て行こうか?」
健太郎は、奈緒に問いかけた。
「うん。見に行きたい!」
奈緒は、目を輝かせて頷いた。
「けどさ・・駐車場がどこも無くてさ。どうしよう?」
「大丈夫!そんなの関係ねえ!ハイ、オッパッピー!」
奈緒は、拳を握って何度も振り下ろし、腕を横に開き、ニコッと笑いかけた。
「ハ・・ハハハ。」
まさか、この場面でこのギャグを言うか?と苦笑いしつつも、健太郎は目を凝らし、通り沿いの駐車場の空き具合を見計らった。
その時、1台の車が、すぐ近くの駐車場から出車し、通りに出てきた。
そして、その車が駐車していたスペースに空きが生じていた。
あまりにもラッキーな出来事に驚きつつ、健太郎は急いでハンドルを切り、駐車場の空いたスペースに車を入れた。
「うわあ。やったあ!無事駐車できたよ。これって、奈緒のオッパッピーのおまじないのおかげかな?」
「あははは・・たぶん、そうかもよ。」
奈緒はおどけながら笑い、車から降りた。
花火大会の会場である埠頭は、駐車場から歩いて2、3分の場所にあった。
健太郎と奈緒のすぐ真上には、次々と大輪の花火が打ちあがり、夏の夜空を彩っていた。
「すごい!きれ~い・・・。まさか、最後に花火を見れるなんて、思いもしなかった。」
奈緒は瞳を潤ませながら、次々と上がる花火に目を凝らした。
「そうだね・・・俺、何年ぶりに見たかな?昔はよく両親と見に行ったんだけどね。最近はここまで来るのがおっくうだし。」
やがて、会場内では軽快なBGMがかかり、曲調に合わせて大小の花火がポンポンと上がり続けた。
「あ、この曲、知ってる!『happiness』でしょ?嵐の。」
「あ・・知ってるんだ。今も時々歌番組とかで歌ってるよ、この曲。」
やがて、曲が変わり、お盆ということで、先祖の霊を弔うべく、秋川雅史の『千の風になって』が流れ始めた。奈緒は目を瞑り、曲に合わせて歌詞を口ずさんでいた。
『千の風になって』が終わり、ピアノの伴奏のイントロが流れると、奈緒は歓声を上げた。
「わあ!『手紙~拝啓・15の君に』だあ!まさか、ここで聴けるなんて。」
以前、奈緒が好きだと言っていた曲である。
この日の花火大会のBGMは、まるでここに奈緒が来ているのを知っているかのように、10年ほど前のヒット曲が次々と流れていた。
大好きな曲たちに乗って、次々と夜空を焦がすカラフルな花火を見上げ、奈緒はう満足げな表情であった。そして、いつの間にか健太郎の肩に顔を載せ、健太郎の顔に頬寄せしていた。
今すぐキスしようと思ったら、できそうな位間近な所に、奈緒の顔があった。
「この瞬間が、ずっと、ずっと続くと良いのにな・・。」
奈緒は、目を潤ませながらつぶやいた。
「俺も・・続いてほしいな。このまま、奈緒さんと離れたくないよ。」
「私も・・離れたくない。」
奈緒は、健太郎の手を取ると、強く握り、そのまま離そうとしなかった。
最後に、夜空全体を覆うかのように大輪のスターマインが夜空に上がると、場内からは割れんばかりの歓声が上がった。
『これを持ちまして、美根浜納涼花火大会を終わります。お気をつけてお帰り下さい。』
花火大会の終わりを告げるアナウンスが流れると、来場者は続々と立ち上がり、道路沿いの駐車場へと向かって歩き始めた。
「終わっちゃったね。何だか、寂しいよな。」
「うん・・でも、帰らなくちゃね。」
健太郎は奈緒の手を取ると、奈緒は手を離し、白い腕をそっと健太郎の腕に絡ませた。
「奈緒・・さん!?」
「大好き。」
「え?・・今・・何て・・言った?」
「大好き。健太郎さん。大好きだよ。」
そう言うと、奈緒は、健太郎の頬に、そっと唇を押し当てた。
大勢の帰宅客が目の前を横切っていく中、奈緒は、腕を絡め、健太郎の頬から唇を離さなかった。
「奈緒さん・・嬉しいよ、すごく嬉しいよ。でも・・こんなに人がいるところでやらなくても、良いんじゃない?」
その言葉を聞いて、奈緒は慌てて唇を離した。
「やだ、私・・何やってるんだろ?」
奈緒は、両手で口を覆い、慌てふためいた。
しかし、辺りはある程度灯りがあるとはいえ、すっかり日が暮れ真っ暗だし、帰りの道路が混み始め、渋滞に巻き込まれないように皆急ぎ足で帰宅しているので、奈緒が健太郎にキスしている所を終始見ていた人は、1人いるかいないか?位であると思われる。
健太郎は、奈緒の手を取ると、急ぎ足で駐車場へと戻った。
「だいぶ遅くなっちゃったね。早く帰らなくちゃね。」
「そうね・・あ、いけない、あと、3時間で今日が終わっちゃうじゃん!ごめん、急いで!急いで・・運転してくれる?」
奈緒は、携帯電話の時計を見て、慌てふためき、煽り口調で健太郎に急いで帰るよう伝えた。
「う、うん。ここから2時間くらいかかるけど、何とか着くと思う。」
しかし、海岸通りは案の定、花火大会から帰る車が詰めかけて渋滞し、いつもの半分程度の速度しか出せない。
「うわあ・・どうしよう?無事・・たどり着けるかな?」
ふと助手席の奈緒に語り掛けた時、奈緒の顔が、心なしか青白くなっているように感じた。
目も、朝方より覇気が無く、窓を見つめたまま、何も語ろうとしなかった。
「だ、大丈夫か?熱でもあるのか?」
「ううん・・大丈夫よ・・それより・・早く・・走って!」
健太郎は、悩んだ挙句、一か八かの思いでハンドルを回し、細い横道へと入り込んだ。記憶をたどると、海岸通りから中川町へつながる県道への抜け道が何本かあったことを思い出したからだ。
この道で合っているかどうか・・?どぎまぎしながら、細い道を5分程度進むと、やがて、県道へと出ることができた。標識を見ると、矢印の先には「中川」の標記があった。
ホッと胸をなでおろし、再び奈緒の顔を覗くと、さっきよりも顔色が悪くなり、奈緒の身体から生気が吸い取られているような雰囲気がした。
「奈緒さん、ガンバレ!俺、がんばって、運転するから。少しでも早く着くように、急ぐから。」
そう言うと、アクセルをふかし、速度をグングン上げた。
幸次郎のスカイラインは、速度と爆音が出る仕様にカスタムされているだけあって、少しアクセルを強く踏むと、あっという間に時速80㎞以上にスピードが上がった。
山間を縫うように抜ける道路だけあって、カーブが多く、スピードを上げたままだとハンドルが取られそうになり、ヒヤヒヤする場面も何度かあった。
それでも、今の健太郎には、奈緒を早く送り届ける責務がある。
山道を頑張って運転した甲斐もあり、通常よりも30分早く到着した。
時計を見ると、11時20分。いつものスピードで走っていたら、ギリギリか、間に合わなかったかもしれない。
「奈緒さん、奈緒さん・・着いたよ。いつも俺たち、この石垣の所で別れたよね。ここでいいんだろ?」
奈緒は、顔が青白くげっそりとし、瞳もほとんど開くことが出来ず、身体は震え、ふらついていた。
「奈緒さん、俺、家まで送るよ。俺の肩につかまって家まで歩こうか。」
すると奈緒は、首を横に振り、助手席のドアを何とか自分で開け、車外へと降り立った。
「健太郎さん・・ごめんね。本当にごめんね・・こんな私、見せたくなかった。でも、これが、私の、運命なの。」
「奈緒さん・・・!どうして、どうしてこんなにやつれて・・・」
奈緒の手を触ると、冷たく、生気が全く感じられなかった。
「私・・もう少ししたら、この世からいなくなっちゃうの。ごめんね。折角、仲良くなれたのに・・健太郎さんのこと、好きになったのに。たくさん・・楽しい思い出作ったのに。」
奈緒のわずかに開いた瞳から、涙が一滴こぼれ落ちた。
「奈緒さん。俺たち、また・・逢えるよ。俺、信じてる。また、ここで逢えるって。だから、最後に・・1つ、我が儘言わせてほしい。奈緒さんの携帯電話の番号、教えてほしい。俺、時々、掛けてみるけど、奈緒さんも、また逢える時には電話してほしい。」
「良いの?たぶん・・かけても・・つながらないと思うけど。」
「良いんだよ。それでも。」
「わかった。じゃあ・・」
奈緒は、小さく震えた声で、自分の携帯電話の番号を読み上げた。
健太郎は、その番号を即座に自分のスマートフォンの電話帳に記録した。
「じゃあな。元気でな・・そして、また、逢おうな!」
健太郎は、奈緒の手を握りしめると、奈緒は、か弱い手で、健太郎の手を握り返した。
奈緒の目からは、涙がとめどなく流れ出ていた。
健太郎は、健気にふるまおうとしたが、奈緒の涙をみつめるうちに、次第に涙があふれてきた。
「健太郎さん・・大好き・・私、健太郎さんと過ごしたこの4日間のこと・・ずっと忘れないからね。」
そういうと、奈緒は手を振り、ふらつきながら、石垣に囲まれた小径を奥へ、奥へと歩き去っていった。
そして、その姿は闇にまぎれ、最後には、全く見えなくなってしまった。