第13話 初恋の人
翌日、健太郎は朝起きるとすぐ、スマートフォンをポケットから取り出し、着信がないか確認した。
しかし、着信記録が残されていないので、健太郎は奈緒に再度電話をかけた。
「トゥルルルル・・・トゥルルルル・・・」
やった!この電話が相手に繋がっている!
そう思うと、健太郎は昨晩からの心のわだかまりが取れ、ホッとした。
しかし、いつまで経っても奈緒は電話に出ない。
健太郎はずっと待ち続けたが、電話に出る様子がないので、諦めて電話を切った。
「やっぱり・・俺、奈緒さんを怒らせちゃったのかな。」
健太郎はガッカリして、肩を落とした。
そんな時、弟の幸次郎が釣り竿とクーラーボックスを持って、気ぜわしく釣りに出かける準備をしていた。
「幸次郎、お前、どこに行くの?」
「魚釣りだよ・・おふくろから言われてね。今日は町議の斎藤さんが我が家に来るから、斎藤さんが大好きなコイを釣ってきてほしいんだって。」
「え?また今年も来るのか、斎藤センセイ・・。」
「去年、兄貴が釣りに行って持ち帰ったコイが大きくてすごく美味しかったんだって。だから、今年もお願いしたいって言われてね。俺、釣りは好きだけど、コイなんてなかなか簡単には釣れないよ。」
「・・・俺も、一緒に行っていいか?」
「良いけど、兄貴、自分の釣り竿は?」
「昔使ってたやつが倉庫にあるから、持っていくよ。」
そう言うと、健太郎は立ち上がり、釣りにいく支度を始めた。
去年、健太郎はコンビニの裏側にある川で、奈緒と釣りをした記憶がある。
だから、今年も同じ場所に行けば、ひょっとしたら・・という予感がした。
健太郎と幸次郎は、コンビニに車を停めると、草の生い茂る急斜面を下って堤防へと降りた。
川には大きな堰があり、堰から流れ落ちる水しぶきが飛び散り、その下には深い水たまりができていた。
健太郎はここで荷物を降ろし、釣り竿を振りかざし、釣り糸を水たまりに向けて放り投げた。
「兄貴・・・ここでコイを釣ったの?」
「そうだよ。ここで、奈緒さんと一緒に釣ったんだ。」
「奈緒さんって、釣りをやったことあるの?」
「ああ、子どもの頃からお父さんと行ってたみたいで、本人は、自分は下手だって言ってるけど、なかなかの腕前だよ。」
しばらく二人は、釣り糸を垂らしてボーっと水面を覗いていた。
時間が経っても、成果が上がらなかった。
「本当にここに、コイがいたの?コイどころか、ヤマメもアユもウグイもいないんだけど。」
幸次郎は、顔をしかめながらつぶやいた。
「おかしいなあ・・。」
「ところで兄貴、奈緒さんって人さ・・俺、見たことあるんだよね。」
「え?奈緒さんを?どこで?」
「俺、去年、兄貴にも話したけどさ・・兄貴の成人式の日、我が家に、見知らぬ女の子が兄貴を訪ねてきたんだけど、その子が・・奈緒さんだと思うんだ。」
「ええ?ほ、本当に?」
「昨日、みゆきさんっていう奈緒さんの同級生だった人と話をしたんだ。奈緒さん、合唱部だった時、兄貴の方ばっかり見ていたって。ひょっとしたら、兄貴の事好きだったんじゃないかって。」
「・・・そうなんだ。」
その時、健太郎の竿がピクッと動いた。
「あ、結構大物だな。」
「すごい食いつきだ・・このままじゃ腕を取られそうだ!」
「兄貴、リールを巻いて!何とか強く引いて釣り上げるんだ。」
すると、川面から大きな魚体が姿を現した。
「コイだ!やった~!・・・あれれ?」
コイは、釣り糸の餌を食いちぎると、再び水しぶきをあげて、水中へと潜っていってしまった。
「あ~あ。残念。去年はちゃんと釣り上がったのに。」
健太郎は肩を落とし、うなだれた。
《残念だね、もう1回やってみたら?きっとまだこの辺にいるかもよ。》
「うん・・そうだね・・え?誰!?」
後ろから聞こえた声は、幸次郎のものではなかった。
キュートで少し甲高い、女性の声だった。
「あ!奈緒さんじゃないっスか。どうしたんですか?」
幸次郎は歓声を上げた。
「え?奈緒さん・・?」
健太郎が後ろを振り向くと、そこには白の半袖のチュニックと、チャコールのショートパンツ姿で、スラリとした長い脚を露出した奈緒が立っていた。
「昨日のこと・・まだ、怒ってるんだよね?」
健太郎は、奈緒からやや目を逸らしながら、小声でつぶやくように話した。
「そうだね。」
奈緒は、あっさりと答えた。
「・・・ごめんよ、俺としては、奈緒さんの本当の気持ちを、もっとお母さんに知ってもらいたくて。だから・・・」
「いいのよ。健太郎さんとしては、私のお母さんに、私の思ってることを伝えたかったんでしょ?勉強ばっかりさせて、私の気持ちを全然分かってくれなかったってね。」
奈緒は、まるで何もかも察知しているかのように話し、クスっと笑った。
「確かに、それもあるけど・・・それ以上に、絶望的な気持ちになった出来事があったの。」
「え?それだけじゃ・・なかったの?」
「お父さんが死んですぐ、私とお母さんは東京に引っ越したんだ。お母さん、引っ越して間もない頃に彼氏作ったのよ。その人には、もう高校生位の女の子がいるのに・・だよ。」
「彼氏?」
「うん。彼氏。お母さんの勤めてた会社の取引先の人で、個人で情報通信機器会社を経営してるの。その人の子、都内の超エリート女子高に通っていてさ。模擬試験の結果とかわざわざ持ってきて、私に見せるのよ。そして、『あの子はこんなに出来るのに、なんで奈緒は出来ないのよ?』って、毎回比較されては、叱られたの・・。」
奈緒は、うつむき加減に話した。
「彼氏とその子も時々私の家に来てさ。お母さん、彼氏といちゃつくだけじゃなく、その子のこと、べた褒めして、『あなたが私の子なら良かったのに・・』っていうのよ。私の前で・・だよ。信じられる?私、本当に辛くて、自分がみじめででいたたまれなくなって・・家出しようと決意したんだ。」
奈緒は、あふれ出る涙を抑えきれず、両手で目の辺りを拭った。
「奈緒さん・・。これ、使えよ。」
健太郎は、ポケットからハンカチを取り出すと、奈緒に手渡した。
「ごめんね。色々気を遣わせて・・。」
奈緒は、ハンカチで涙を拭くと、健太郎は奈緒の背中をそっとさすった。
「気分・・落ち着いた?」
「うん。ありがとう。」
奈緒は、堤防に腰をかけ、川面に目を遣った。
「昨日、健太郎さんのこと怒鳴り散らして帰っちゃって、ごめんね。」
「ううん。いいんだよ。俺こそ、奈緒さんに辛いことを色々思い出させてしまってさ、ごめんね。」
奈緒は川面を見つめると、何かに気付いたかのように立ち上がり、
「健太郎さん、釣り竿貸して!あの辺の水面で、何かが動いてる・・。」
そう言うと奈緒は、堤防に置きっぱなしにしていた健太郎の釣り竿を拾い上げると、釣り糸を川の中央へと投げ込んだ。
しばらくすると、糸はグググっと左右に引きずられ始めた。
「え?マジか・・結構でかいな、奈緒さん、リールどんどん巻いて!」
幸次郎は、奈緒の投げ込んだ釣り糸の動きを見てビックリし、慌ててアドバイスを送った。
「えっ、えっ・・リール、どんどん回してるけど、全然上がってこない。というか、あまりにも引きが強くて、腕を取られそうなんだけど~・・。」
奈緒はリールを回しているものの、なかなか獲物が上がって来ず、それどころか、腕が引っ張られて川の中へ引きずられそうになっていた。
「やばい!兄貴、奈緒さんの背中を引っ張って!俺は兄貴の背中を引っ張るから。」
幸次郎は大声で叫ぶと、健太郎は奈緒の背中を両手で支え、健太郎の腰を後ろから幸次郎が手を回し、体勢が崩れないよう支えた。
「あ!上がってきた!やった!すごい!大きい!」
奈緒の釣り糸には、大きなコイが食いついていた。
三人で力を合わせて釣り竿を引っ張ると、コイは堤防の上に転がり、暴れだした。
幸次郎がコイの体を掴むと、そのままクーラーボックスの中に放り込んだ。
「やった!奈緒さんスゴイ!2年連続で大物ゲットだよ。さすがだね。」
健太郎は、手を叩いて奈緒を褒めちぎった。
奈緒は、自分が大物を釣り上げたことに驚きつつ、照れ臭そうに頭を掻いて、
「ナイス、フィッシン「グウ~」って感じ?」
と言い、両手の親指を立てた。
「な・・懐かしい。」
健太郎と幸次郎は、奈緒の繰り出す懐かしいギャグにあっけにとられつつも、ウケた振りをして手を叩いて笑った。
「よーし、この調子でもう一匹狙おうかな?」
奈緒は、再び釣り糸を川の中に放り込んだ。
しばらくすると、今度はウグイがかかった。そして続けざまに、アユ、ヤマメも捕獲し、気づいたらクーラーボックスが半分以上埋まっていた。
「な、奈緒さん・・すげえや。どうやったらこんな短時間に、こんなに獲れるんだ?」
藤田家では一番の釣りの名手である幸次郎も、クーラーボックスの中を見て、思わず仰天した。
「お父さん直伝、かな?」
奈緒は照れながらボソッと答えた。
「・・これだけ獲れれば、おふくろも上機嫌だろうな。特に、斎藤センセイが食べたがってたコイをゲットしたから、文句も言えねえだろう。活きがいいうちに捌いた方がいいだろうから、兄貴、俺は先に帰ってるね。兄貴は奈緒さんとデートを楽しんで、ゆっくり帰っておいでよ。」
そう言うと幸次郎はクーラーボックスを肩に掛け、手を振って一人で堤防を駆け上がっていった。
「おい、幸次郎!お前・・。」
健太郎は、突然去っていった幸次郎の背中を追いかけようとしたが、あっという間に視界には入らない場所へと足早に去っていった。
「健太郎さん、ちょっと散歩しながら、帰ろうか。」
奈緒は、白く細い手を健太郎に差し伸べた。
「うん・・。」
健太郎は、奈緒の手をそっと握った。
二人は手をつなぎ、夕暮れが迫る中、田園地帯の中を通り、集落へと続く田舎道を、ゆっくり歩きだした。
「ごめんな・・俺、奈緒さんの気持ちも知らず、勝手なことして。」
「良いのよ。私も思わず感情むき出しで怒っちゃったからさ。心配かけちゃったね。」
奈緒と健太郎はお互い指を絡めると、奈緒は健太郎の指をぎゅっと握ってくれた。
奈緒の体温が、手を通してじわっと伝わってきた。
「健太郎さん・・私、思い出したの。」
「何?」
「健太郎さんって・・高校の時、好きだった人にすごく似てるのよ。その人も、名前が健太郎っていうの。」
「・・・それ・・俺・・かも。」
「ウソっ・・・!?」
奈緒は健太郎から腕を離すと、手で口を押さえ、目を大きく見開いた。
真っ赤な夕焼けに包まれた空の下、二人はその場でしばらく何も言えないまま、立ち尽くしていた。
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同じ頃、金子の経営するコンビニエンスストアに、つばの広い帽子をかぶった、白髪交じりの長い髪の女性が来店した。
女性は、レジにそそくさと歩みより、買った商品をテーブルの上に置いた。
「いらっしゃいませ。」
その時、金子は目を見開き、仰天した。
「あんた・・美江さんか!?何でここに?」
帽子をぬぎ、ニコッと笑った女性は、紛れもなく奈緒の母である美江だった。
「お久しぶりね。ちょっと・・お話したいことがあるの。いいかな?」
「何なんだい?奈緒ちゃんのことか?だったら何も話すことなんかないよ。」
「・・・わかってるわ。それでも、お話したいの。いい?ちょっとだけでも、お時間いただけるかしら。」
張り詰めたような表情で、美江は金子に詰め寄った。
「奈緒が自殺する前、家出してここで暮らしてたじゃない?その時のことを、ありのままに話してほしいの。あの当時、私は取り乱して、話も聞かずあなたのことを犯人扱いしたけど、今は冷静に話を聞いてみたいの。」
金子はしばらく顎に手をあてて、どう判断すべきか考えた。
「わかった。じゃあ、奥の控室に入ってくれ。」
金子は、美江をレジの中へと通し、控室に案内した。
すると美江は、そのまま何も言わず、スタスタと控室へと入っていった。
「あの女、今度は一体何が目的なんだ?・・」
金子は、やれやれという表情で、後を追うように、控室に入っていった。




