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家の顔

作者:押水武
 喪服のまま居酒屋に入る気もしないので、コンビニで酒とつまみと弁当を買って俺のマンションで飲むことにした。
 斎場を出てからマンションに着くまでの1時間、俺も泰彦もずっと無言だった。お盆時期だからか街も電車も店も、どこもいつもより人が少なく感じたし照明もなんだか薄暗く感じた。
 コンビニはクーラーが効きすぎて肌寒く、逆に電車内は冷房が故障しているみたいに蒸し暑かった。道路傍の植え込みから聞こえてくる虫の鳴き声がいつもより煩く感じた。

「お前、まだこういう家に住んでるんだな」
玄関で脱いだ靴を揃えながら泰彦が言った。
通夜の場では殆ど口を聞かなかったからか、心の中で「こいつ、こんな声だったっけ」と俺は思っていた。
「ああ。家賃が相場より少し安いからな」
「何か起こったことは?」
「毎月19日の夜中にドアをガンガン叩かれる。あと隣は空き部屋なのに時々テレビの音が壁から漏れてくる」
「ふーん」
 自分から質問しておいて、泰彦は全く興味なさげに発泡酒のプルタブを開けた。
「お前の家は? 出るの?」
「いや。俺は家族ができたからな。そういうのは卒業だよ」
「そういや家族は今日どうしてんの」
「盆だから長野の女房の実家に帰ってる。俺も着いてくはずだったんだけど、通夜があったから後から行くことにした。明日の12時の新幹線だよ」
「へえ」
 俺も缶チューハイのプルタブを開けた。
 乾杯はなかった。
 俺も泰彦も、それぞれに買ったものを勝手に飲んで勝手に食った。

 今日は渡辺の通夜だった。
 渡辺と俺たちは大学の同級生で、卒業後も年に2、3度会うくらいには仲が良かった。ちょうど先月も3人で集まって飲んでいる。あのときは渡辺も元気そうに見えていたのに。
 まだ俺たちは29歳。死ぬような年じゃないはずだったのに。
 だけど、一昨日会社の給湯室でコーヒーをカップに注ぎながら携帯の着信を受けて訃報を聞いたときには「まさか」という驚きよりは「やっぱりな」という納得のほうが大きかった。
 いつかはこうなるんじゃないかと思っていた。

「お前と同じで、渡辺も未だに”出る”家を選んで住んでたらしい」
2本目の発泡酒に手をかけつつ、泰彦が言った。
「そうらしいな」
「最後に住んでた部屋な、『今までで一番やばい』って言ってたよ」
「ああ」
「壁に顔ができて、喋るんだと」
「ああ」
 知ってる。
 最後に一緒に飲んだ時。家族持ちの泰彦が先に帰った後で俺は渡辺の家に行っている。そのときに見せられた。
 六畳のリビングの壁に染みが浮きあがっていた。人間の顔を象ったような赤黒い染みが。
 一見すると気づかない虫さされ痕のような小さい人の顔の染みが、ポツリポツリといくつもいくつもあったのだ。「一番でかいのがここにあるんだ」といって渡辺が指さしたのはテレビの裏側だった。渡辺の言葉どおり、そこには確かに一際大きい顔があった。
 それは最早染みではなかった。
 成人男性の拳くらいの大きさで、まるで彫刻のような、壁からポコリと盛り上がり浮き出た顔だった。
 感情を読みとれない、無表情な顔。
「早朝の5時半を境にこいつら壁の中にスーッと引っ込んでいくんだ。で、夜になるとまた現れる」
 渡辺はやけに嬉しそうに説明する。
「で、夜中になるとこいつら一斉に喋るんだよ。『苦しい、苦しい。痛い。体が痛い』ってな。それ聞いて俺はいつも『お前ら顔だけしかないじゃねえか、体どこだよ』って思うんだけど。あと、こいつら生きて体を持ってる俺のことが妬ましいらしくて、自分はこんなに苦しいのになぜお前は平気な顔をして生きているのか、お前はいつ死ぬのか、早く死ね早く死ね早く死ね、っていうようなことを夜の間ずっと言ってくるんだよ。煩くて仕方ないから最近はテレビつけっぱなしで寝るようにしてる」

 俺たちは昔、幽霊や超常現象の類を一切信じていなかった。理学系の学部に所属していた俺たちにとってそういうものは嘲笑の対象だった。
 ある日、泰彦が引っ越しをすると言い出した。
 梅雨の始まりくらいの時期だった。
 なんでこんな中途半端な時期に引っ越すのかと問うと、すごく良い条件の部屋が見つかったんだと答えた。
「駅の近くで1K。相場より2万近く安い」
 安い代わりに幽霊がでるんだそうだ、と泰彦はニヤつきながらいった。「幽霊なんて本当にいるなら見てみたいもんだ」と。
 結果的に、その部屋は本当に出る部屋だった。
 大学から帰り鍵を開けて電灯を点けると部屋の真ん中に髪の長い女が立っていた。驚き、視線を先ほどまで鍵が掛かっていたはずの玄関ドアにやり、また部屋に戻すと、その数瞬の間に女は消えていた。
 そういう経験を泰彦は何度かしたらしい。
 それで俺たちは幽霊を信じるようになった。
 信じるようになったからといって俺たちの態度は、しかし、変わらなかった。結局幽霊は嘲笑の対象でしかなかった。ただ立っているだけで何もしてこないなら、例え幽霊であっても怖がる必要はないじゃないか。
「別に実害があるわけでもない。これで2万円も家賃が安いのならやっぱり得だ」
 と泰彦は考えた。
 俺も渡辺も同じ考えだった。
 それから俺たちは、わざわざ曰く付きと世間で呼ばれるような物件を好んで求め、住むようになったのだ。

「今では後悔してるよ」
 つまみに買ったサラミを口に放り込み、泰彦が言った。
「若い頃の不摂生な生活は30歳を過ぎてからの健康に影響してくるって言うよな。それと同じなんじゃないかって最近思っててな」
 俺は缶チューハイを飲む。
 泰彦はサラミをもう一切れ食う。
「やっぱり呪いとか祟りとか障りとか、そういうのはあるんじゃないかってな。若い頃はただ突っ立ってるだけの幽霊なんて電柱や公衆電話と変わらないと思ってたけど、やっぱりそういうのと接した生活をつづけていれば段々と悪影響がでてくるんじゃないかって、気がしてくるんだよ」
 サラミはなくなっていた。
 俺のチューハイも空になっていた。
「だから渡辺は死んだ」
「俺はそうは思わない」
「だろうな。だから今でもこういう部屋にお前は住んでるんだろ」
 泰彦は気づいているだろうか。
 壁を通して、隣の空き部屋から、うっすらとテレビの音声が漏れ聞こえている。さっきからずっと。
 だけど俺は、そんなことは気にしない。
 害があるわけじゃないから。

 最後に会ったあの日、渡辺は言っていた。
「最近じゃ部屋にいなくても声が聞こえるんだ。『いつ死ぬんだ。まだ死なないのか。早く死ね』って。部屋の壁だけじゃなく腕とか足とかにも顔が浮き出てきてな。それどころか耳を塞いでも聞こえるから、もしかしたら脳味噌の中にもあの顔出てきてるのかもな」

 23時を回ったころ「終電があるから」と泰彦は帰って行った。別れ際
「息子が心臓の病気なんだ。数万人に一人の症例だそうで、手術は受けさせるが助かるかどうかわからん」
と言っていた。

 その翌日からだ。
 俺の体のあちこちにぷっくりと膨れた腫れ物ができるようになった。
 腫れ物の表面はまるで人の顔のような形をしていた。渡辺とよく似た顔だった。
 病院に行ったが、奇妙なことに医者には俺の体に浮かび上がる渡辺の顔が見えていないようで、「早く死ね早く死ね」と囁き続ける渡辺の声も聞こえていないようだった。
 気休めに近い形でステロイド剤を処方されたが、塗ろうとすればどうしても渡辺の鼻や口や目に触れてしまい気持ちが悪いので、使わず放ってある。
 泰彦からは毎日のように学生時代を後悔する愚痴とも嫌みともつかない長文メールが届き辟易している。どうも息子の病気を、過去に自分が住んできた部屋の幽霊たちと関連づけているようだ。

 最近は仕事も辞め殆ど外出することもないのだが、一度、体中の渡辺の顔を絆創膏で覆い隠して渡辺が最後に住んでいた部屋の様子を見に行ったことがある。
 部屋から若い健康そうな男が出てきたので、「あなたはあの部屋に住んでいて何事もないのですか」と尋ねたい衝動に駆られたが、止めておいた。
 体中の渡辺の顔が「早く死ね」と言うたびに、開いた口が動くせいだろうか、切り傷を抉られるような痛みに襲われる。
 あまりに辛いのでいっそのこと死んでしまいたいのだが、いまや痛みのために体もまともに動かすことができない。
 不思議と腹も減らず喉もかわかず、ただ布団に横になって「痛い痛い」と呻きながら死ねる日を俺は待っている。

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