ビールと国王と酒癖解消
「とりあえず生」っていつか言って見たいと思っていた。
ごくごく飲み干し、「プファ!」とコマーシャルみたいに言って「これだよこれこれ!」と新橋に出没する企業戦士のようなことを言ってみたかった、昔は。
そう昔は。
言うなれば、そんなことを言っていた時期が私にもありました。というやつだ。
今では考えられもしない。
作法と本当のおいしさを知ってしまった俺はその道を敢えて選ぶことはない。
あの技法はビールの常識を変えてしまった。
企業戦士の飲む大衆向けの飲み物、ではない。
技術だけで積んだ金以上の高貴な味を楽しめることを知ったのだ!
そう! だから俺はもう戻れない。
一生、ビールはあの飲み方にしたのだ。
……ごめん嘘。コマーシャル的がぶ飲みは宅飲みの時に試したい。
「……お酒は人の話を聞きながらじっくりと楽しむもの。そうですね?」
「はいそうです」
俺はハユルの前に正座していた。
この国の王が正座しているのである。
「大衆にも広く知られたからと言って大衆のように悪酔いしていい訳ではありませんね?」
「はい」
それは大衆に対する差別発言だから気をつけろ、とは言えないのだった。
……言えないに決まってんだろ。怖すぎるわ。
「ここはどこですか?」
「バーです」
「バーとはどういうことをするための場所ですか?」
「お酒を優雅に飲みながら知見を深める紳士的な飲酒の場です」
「ハウスルールで許されているのは?」
「愚痴です。主に国会議員への」
というか俺だけだと思う。そんなことをしてるの。
「で?」
「腰に手を回したのは本当にただの悪ふざけだったんです! すいませんでしたぁぁぁぁぁ!」
……話の流れでつい尻尾を探したんです! なかったけど!
一国の王、超本気の土下座をかます。
ここにメディアがいたらそんなタイトルをつけるだろう。
だが分かってほしいのだ。
世の中、人類最強な一国の王にだって怖い人はいる。
たとえばそう、ここでまさに魔王のような佇まいを再現している元魔王のバーテンダーとか。
「……もういいです」
ハユルは優しいもので言いたいことを言ったらすぐに開放してくれた。
そう、あの土下座の後三時間くらい俺に対する愚痴を呪詛の如く浴びせてから。
や、優しいなぁ。
「それと友人といいながら仲よさそうに彼女さんとこの店でいちゃつくのはやめろ」に関しては全くの濡れ衣だ。
あれは内政大臣の妹であり、酒の製造に精通してるとの話で本当のバーを見せようと思ってここにつれてきたのである。
それ一度きりで、その後彼女と付き合っているのかどうかは見れば分かるとおり、な筈だ。
確かに若かったけどね。
それでこの店にいまだ通ってると聞いたときはこのバーのファンが一人増えたことに喜びすら覚えた。正座しながら。
しかしハユルは違うようだ。
「……触れるなら触れるでその、もっとあるはずなんです。私だって嬉しいのは嬉しいんですから」
「……え? 何? 最後聞こえなかった」
「ああもうそういうところです! まさにそこなんです! これだから私はーーー!」
「すいませんよく分からないけどもう一回正座からの一連の流れは勘弁してください!?」
土下座の構えになるところだった。あぶないあぶない。
……でも俺は普段聞けないハユルの愚痴を聞けて少しうれしいのだった。
「というわけで、ビールの薀蓄を聞きながら飲み直しましょう」
「おー」
説教含めかれこれ四時間は店にいる。次の予定もあるのだが、こうなればしょうがない。飲み明かしだ。
「ビールとは、大まかに言えば大麦を発酵させたお酒です。そこはもちろん常識ですね?」
「大麦以外にも多くの種類の麦がビールの素材として使われてることまでは」
「まぁ、そこらへんは昔に話した気がしますね。ちなみに麦芽を食べたことはありますか?」
「ああ、そういえば数週間前農村行ったときに食べたなぁ。西のほうで」
「西で麦芽!? もしかして【セントルーン】じゃないですか」
「ああそこそこ。じゃがいもがおいしい」
「そこ! ビールの名産地です! お土産は!?」
「名目上の立ち寄りだから数分だったんだ、ごめん」
ビールの名産と知っていれば権限でビール買って来たよ。
「そうですか、まぁビールの良さは鮮度ですから、いいですけどね」
目に見えてしょぼんとしたハユル。このお詫びに今度あそこのビール買ってこよう。
「しかしですね、近年ビールは新たな形に進化したんです」
「へぇ」
「それがこれです」
そういうとハユルは木樽を指差した。
「あれ? 中身ワインじゃなかった?」
「最近入れ替えました。中身はバレルエイジドビール。いわゆる熟成したビールです」
そういうとハユルは木樽に向かい、注いでくれる。
香りを楽しんで、一連の流れから一口、口つける
「……ブランデー?」
「に相当近いですね。木樽のテイストが新たに付加されて、味に厚みが出ます。これはウィスキーの樽ですが、樽によっては他の味わいもあったりして素敵ですね。たしか【セントル-ン】ではそっちの研究も盛んで……」
「ビールは今度買って来るから!」
「ほんとですか!?」
今日のハユルは一喜一憂が激しい。
「……そんなわけで木樽ビールという素敵な飲み物です。こういうのは専門のお店、たとえばバーとかに行かないと中々飲めるものではありません。こことか」
「ふーん」
「でもおうちでもビール楽しみたいですよね」
「たしかに、ここにこれない時はビール買うね」
「そんな時のため、おいしい飲み方の基本だけ少し教えます。とりあえず、泡をたくさん作りましょう!」
「泡? え、それだけ?」
「ええ。何度目かになりますがビールは鮮度の飲み物。入れてからすぐが最高です。そして、その鮮度を少しだけ長持ちさせてくれるのが泡です。中のアルコールが飛んだり、酸化するのを防ぐのであの泡にビール生命のすべてがかかっています」
「すごい話になったな突然」
「それはそうです。あの泡蓋によって味が大きく変わりますから。なので飲む時はできるだけ泡を飲まないようにグラスを傾けましょう。中の部分だけを飲みます」
「いやそれは分かる。問題は泡なんだよ。うまく作れないの」
「あるあるですね。こぼれるのを怖がって泡を作らないのはいけないですね。上に三十センチくらいからいっぱいになるまで注いでください。跳ねたりこぼれたした分は気にしない、そのくらいの気概でいいと思います」
奥からビール瓶を出し、実演しながら注いだハユルの手つきをよく見ておいた。
改めて出されたビールを飲む。泡は最小限に、中のビールだけを喉に注ぐ。
「へー、まろやかだね」
「そこが真髄です」
ハユルは満足げに答えた。
「さてお家飲みはこれで完璧、ここからはおいしいビールの場所を教えます。さっき行った【セントルーン】。そして南方で特殊な麦を使用している【ドルカング】」
「ああ、最近国と交付金でもめたね」
「そして酵母が店によって様々ではしご酒しやすい【エルゼリア】」
「官僚の天下りのうわさが解消されてないね」
「ここはもう最高ですね。最高品質大麦のビールが飲める【シトルアレット】」
「あー、そこたしか米の食品偽装詐欺やったよね。村ぐるみで」
「……ビールまずくしたいんですか?」
「すいません今日は愚痴封印します!!」
ハユルのただならぬ殺気のため、とっさに謝ってしまった。
「では改めて、一風変わった発酵の【ルーフォン】」
「最近議長がいい人に代わったね」
「そしておつまみとともに発展した【ジャバスチ】」
「問題起こさないしのどかでいいよね」
「そしてワインとビールが名産の【ビングルストン】」
「あそこは確か農林大臣が特別保護してるね」
「……愚痴を言わないのもなんか怖いのでやめましょうかこの話」
「うん。俺も辛くなったよ」
そんなこんなで俺とハユルのビール談義は終わった。
そして家飲みビールのおいしさに目覚めた俺は、毎日のように家飲みをするようになる。そして酒臭さに耐えかねた内政大臣と、店に行くのが疎遠になってしまったハユルにダブルで怒られたのだった。
お酒は節度を持って飲もうね!
最後の文章ね……書いてて身に……しみませんかね……。