3253 幕間 epilogue
その後、俺は貴族の立食パーティに引っ張り出され、婚約を発表された。
俺は自己紹介すらなくただ突っ立っているだけで、式は滞りなく進んだ。
俺のしたことといえば式場でニコニコして固まっているだけ。そこに挨拶に来た他の貴族に愛想笑いをするばかり。
白状しよう。今まで隠していたが、俺、実はコミュ障なのだ。
こんな仰々しい舞台――貴族という一般人とは違うただならぬ雰囲気をまとった大勢の前に。
何の準備もなく連れてこられて。
一体何が出来ようものか?
飲んだり食べたりしたものの味なんて覚えていない。たぶん全部砂で出来ていたのだと思う。
まさか異世界料理が美味いとかまずいとかではなく、味がしない砂だったとは。
ひどいものだ。思い返しても冷たいとか温かいとかすら思い出せない。
その後、俺は与えられた個室でふて寝した。
その部屋は総大理石造りの変わった構造をしていた。
壁に掛けられている絵画やレース生地等は、客間たる雰囲気をしきりに飾り立ててはいた。
だが、俺はこれに近い部屋を見たことがある。
例えば某国の非戦主義を訴えた要人が、長期間もてなされたとされる軟禁部屋。
もっと身近なところだと、金のある精神科の隔離病棟。
俺は迷わずカーテンをはぐってみる。――やっぱりだ。大きな窓の外側には鉄格子。
軟禁を目的として作られただろうその部屋には余計なものが一切ない。
部屋の中央にキングサイズのベッドがたった一つ置かれているのみ。
異世界だというからテレビやラジオが無いのはまぁいい。
しかし椅子や机といった備え付けられていてもおかしくはない普通の家具すらない。ティーセットすらない。
「くそ。何たる待遇だ」
そうなれば、やることがないので寝ざるを得ない。
俺はふて寝しつつぼやく。
何度も。
どうしてこんなことになっているのかと。
そもそもだ。
寝る前に風呂に入らないなどありえようか。
そこなのか? という意見は認めよう。しかし俺は寝る前に風呂に入りたかったのだ。
だが異世界には風呂という風習が無いようで、メイドにきくと風呂など知らないと返された。
その返事には驚いたが、さらに驚かされたのはその後だ。
俺が風呂について説明すると、メイドは俺の事を頭のおかしい人間を見るような眼で「そんな事をしたら体を壊します」と言い放ったのだ。
俺は懸命に、その認識を修正しようと出来るだけ優しい言葉を用いて説明をした。
それはもうこれ以上わかりやすく伝えることは無理なほどに。
幼稚園児に説明する穏やかな声色を使って試みた。
だが、どうしてなのか。メイドは全くと言っていいほど俺の言に耳を貸さなかったのだ。
メイドの反応とその言から察するに、どうもこの世界の住人は不用意に体を水に濡らすと病気になると信じ切っているようだった。
――今思えばあのメイド。俺を憐れむような眼で見ていたな。
そうかあのメイド。
あのメイドも、俺に対して外人の妄言を受け流す感覚で受け答えをしていたのか。
きっとそうだ。そうに違いない。なるほど道理で要領を得ない回答なわけだ。
――とすると、この異世界とやらの時代設定は中世頃か?
ペストが流行った地域の人間は風呂に入る習慣がなかったと何かの書籍で見たことがある。
もしそういう事なのであれば、この話が平行線なのも致し方ないことか。
とまぁ、そういう経緯で今日の風呂をあきらめた俺はさっさと寝る事にした。
――一日くらい風呂に入らなくても死にはしないさ。
けれども世の無常よ。
そう思って眠りについた俺の元にこの後。
死ぬかもしれないと戦慄した恐るべき事件が起こる。
◇
夜中に目を覚ますと、俺は一人ではなかった。
目の前に人がいる。
金髪縦ロールのピンクスケスケネグリジェを着た女が、隣に寝ているのだ。
「なぜ」
心の声が思わず口から洩れた。人は本当に驚くと静かに混乱するらしい。
「どうしましたの? アナタ」
スケスケの女――確か名はヴィオレッタ――は、少しだけ俺との距離を縮めつつ言った。
「これは一体どういう状況なのでしょうか。俺、意味が分かってないんだが」
「男女の機微についてをこの場でわたくしからご説明するのは恥ずかしいですわ」
ご説明しないというのであれば勝手に察せられる内容を肯定せざるを得ないわけで。
俺は今後のプランについて考えようと思ったがまるで頭は働かなかった。
「夫婦じゃないのにアナタって、変では?」
「そんな事ありませんわ。婚約は結婚を約束するものですもの。となれば結婚したも同然ですし、おかしくはありませんわ」
「え、あ、うん、へぇ、そうなんだ」
だからおんなじベッドに寝るの? それ素晴らしい風習だとは思うけども。
「でもさ、この世界の事はだいたい本で知って俺のオタク知識で補完強化増強されてはいるんだけれども、なんていうかその、あんまりそういうの、慣れてないんだよね正直に言うけど」
「……慣れてない? と、申されますと?」
――っ!? うむぅ! まずい!
そこで俺は窮地に立たされたことに気が付く。
この流れはしくじった! 何が慣れていないのかだと? まさかここでそう返されるとは!
このままでは俺の口から、俺が童貞だと盛大にカミングアウトさせられかねん。
くそ、なんという展開。異世界神のなんと狡猾なことか。
焦るな俺、慎重に言葉を選べ、俺。
突っ込んだ体験の無い事を相手リードで突っ込まれないうちに素早く体勢を立て直さなければ。
「いやだって、ちょっと考えてみて? 婚約って三か月後には破棄されるわけじゃん? なんでそうなんのかは知らないけど、それって確定事項なわけじゃん?」
「……はい」
「それってさ、それわかってんのにこういうのはどうなの? どうなのかなぁって思ってさ」
「……はい」
やばいよ彼女の表情が。疑問? 疑念? いぶかしんでいる?
くそ! 取り繕うための言い訳がこんなに苦しいなんて知らなかった!
せめて自爆だけは何としても回避したい何としても。
「つまり、俺の事を憐れんでくれてんのかなって。いやいやそのそういう意味じゃなくて!ほらあの、結婚っていう崇高な儀式的な? 家族のつながり的な? 俺家族とは昔から疎遠でさ、俺、そういうの縁遠い的な感じだし? 魔法使い越えて大魔法使いになって一生終えるかもしんない的なことじゃなく――」
「まぁ。大魔法使いになられるんですか? それは将来が楽しみな事ですわね」
「ん? あ、何か今ギアが変に噛んだ音がしたけども話の認識逸れた的な。でもまぁそういうのじゃないんだけど、なんていうか、詳しく説明する事ははばかられるけど――」
「?……はぁ」
「つまり俺が言いたいのはさ、俺は確かに金持ちで選ばれた人間で神に愛された人生歩んできてるけど、なんていうのかなぁ。生活力はちょっと乏しいというか? 料理はしたことないし洗濯もしたことないし? 掃除もしたことないし、まぁ、ありていにいえば、エリートニート?」
なんだそのジョブは。エリート? ニート? 駄洒落か!
何を言っているのだ俺。恥ずかしい。
しかし口ごもってしまった俺にヴィオレッタは優しく笑うと、ずずずっと一気に距離を詰めてきて、俺の横三センチの距離まで迫ってきた。
「いいじゃありませんか。そんなもの出来なくったって」
「……え?」
「人には出来る事と出来ない事がありますわ。出来ない事を一生懸命やったところでたいして成果は上がらないものですし、そもそもそういう雑事は人にやらせればよいじゃありませんの?」
「う、あ、……うん」
「まずは明日、転移者様専属の従者を雇いましょう。雑事はその者に任せて、転移者様はご自身でお出来になる最高の何かで成果を示していただければよいと思いますわ」
「人を雇うって、でも俺この世界に来たばっかで――」
「ご心配なさらないで? その為の私です。お金や人材物品諸々の支援はノイエジール家で支援させていただきますし、それ以外は――例えば、寂しい夜の伽などは、わたくしがさせていただきますわ」
「え、あ、うん……ひゃっ!? あ!? そこは!? はぅあぁ!?」
変な声が出た俺。だが何がどうしてどうなったかは示さぬ。必要な分は示したという事だ。
転移者の夜は長い。