6128 ある富豪の享楽③
こんな夢を見た。
「お久しぶりっすね。元気してたっすか?」
巫女服をドレスにアレンジしたような服を着た髪の短い若い女。
見覚えはない。初対面の女は、しかし久しぶりだと言わんばかりで声をかけてくる。
かなり長い時間話をしていた気がするが、何を話したかまでは覚えていない。
他愛もない話をした。意味の分からない説明を一方的に受けた印象が残っている。
「では、健闘を祈って。グッドラック」
彼女が最後にそう言い残す。意識はまた薄れていく。
わずかな時間が経つ。再び明るくなった視界。見えたのは、岩の天井だ。
◆
仰向けに横たわっていた彼は、むくりと上半身を起す。
一拍おいて、彼は鋭い目で四方を見回す。
洞窟をくり抜いたような一室。石畳になっている床。
岩壁の上部には小さな明り取りの窓がいくつもある。
そこから入ってきている光は、日の光ではない。
オレンジ色の頼りなく揺らめく光は、炎による明かりか。
人為的に作られた異様な部屋。岩肌をよく見れば、研磨されたような滑らかさが見てとれる。
――何が、起こった?
部屋の奥にある頑丈そうな鉄格子を睨みながら、彼は静かに記憶をたどる。
接触事故の瞬間に見えたのは、古めかしいトラックであった。
コンビニの商品補充に用いられる無人配送トラックではない。遠隔交通誘導システムに対応しない違法車両だ。
こちらのセンサーが感知出来なかった理由はわからない。旧世代の車両など管制AIにとってはただの動く構造物だ。楽に避けられたはずだ。
謎のトラックはステルス性能の高い軍仕様筐体でも使っていたのか。
そんなことはあり得ない。だが事は実際に起きた。あり得ないなんてことはあり得ない。
――あれは事故ではなく、綿密な計画による手口……と、考えるのが妥当か。
耕太は性悪説で再度考える。そんな違法車を調達しているとなると……。
耕太の乗る最新鋭の車両はとても頑丈に出来ている。砲弾すら弾くその装甲がトラックとの接触程度で圧壊する事はない。
搭乗者が激しい接触で意識を失ってしまった場合、車体に搭載された搭乗者保護機構は、搭乗者の状態を監視し、救命信号と一緒にバイタルデータを送信する。
同時に車外環境を識別・分析し、場合によっては火災や水没から搭乗者を守る車内隔離壁を展開する。
システムは最長72時間酸素を供給し続け搭乗者の生命を維持する。
意識を失った自分は、システムに守られていたはずだ。なのに引きずり出されているのは何故なのか。
賊が生命維持機構ごと車を解体したのか?
わからない。砲弾すら弾く装甲を一体どうやってこじ開けたというのか。専用救命暗号鍵無しでシステムを解放することは不可能だ。
だが自分は現に車から降ろされてこの場に監禁されている。
――ただの誘拐にしては非効率極まりない。
耕太は事の深刻さを理解する。手品の種がどうであろうとそんなものは関係ない。重要なのは、そんな事が出来る賊に拉致された事実。
個人規模ではない。恐らく大組織的な。
心当たりはなくはないが、こんなことを実行できる組織が現在のこの国に駐屯しているとは考えにくい。
襲撃計画を遂行し自分の拉致を成功させるだけの能力を有していながら、こんな味わいのある監禁場所を用意し、意識を取り戻すまでこの場に放置。
何かのサプライズか。
――仮にドッキリ企画だったとして、だ。ありえるのか?
取引先のテレビ局や制作会社の可能性?
ドッキリ企画の類?
未成年社長特番企画?
普通の企画では通用しないと踏み考えて考えて考えすぎて一周回ってこういう趣向に辿り着いたとしても、トラックで轢きに来るなど犯罪以外の何物でもない。
だとしたら株式会社ガーデンリンクアソシエーションへの牽制か。
設立に自分の名前を使ったのは軽率だった。こんなことが起こる可能性など予言者でもない限りわかるはずがない。
そこまで考えて、耕太は自分が冷静ではない事を認識する。
検討すべき優先度が狂っている。今図るべきはここからの脱出であり、知るべきはこの場所がどこかという事だ。
ここはどこなのか。耕太は左腕を見る。驚くべきことだが、腕時計は外されていなかった。
――ずさんだな。このご時世でウェアラブルデバイスに危機を感じないとは。
やはり誘拐ではなく警告の類なのか。
もしくは自分を狙ったどこぞの悪の組織はひどく頭の悪い馬鹿どもを実行役にしたのか。
時計は起動していた。機能は生きていた。耕太は時計をタップし、自身の目に埋め込まれているインプラントデバイスにアクセスする。
すると――
「――なん……だと」
映し出されたものを耕太は脳内で二度見した。
情報を認識するのに時差が生じたのは、その内容があまりに現実離れしていたからだ。
名前:秘匿
種族:転移者
戦闘力:65535
耐久力:15
スキル:神の気まぐれ
耐性:全状態異常無効
特記事項:クソガキ。頭でっかち。〇ねばいいのに。童貞。
――頭悪い奴ら発言は撤回だ。劇場型犯罪者かよ、くそっ……くそがっ!
表示された内容に耕太は寒気を覚えた。
時計は改ざんされていた。その上で再装着させられていたのだ。
なんと趣味の悪いデモンストレーションか。
耕太は中東のある組織を思い浮かべる。こんな芸当ができるのは奴らくらいなものだ。
◇
部屋の一面をふさぐ錆びた鉄格子を眺めながら、彼はとうとう、わかったとばかりに呟く。
「……ほう。これが転生ルームとか言う奴か」
これはもう、逆に付き合ってやろう。考えを巡らせているうちに、彼はなんだか笑えてきたのだ。ここまでしてくれたのだ。乗りツッコミ事案で済ませてやっても良い、と。
耕太は辺りの様子を伺う。不意を突かれクラッカーを鳴らされても驚かないように。
「おい! セリフを言ってやったぞ! リアクションしろよ! しっかりしろ手際! こんなところですべて台無しにするつもりなのか!?」
乗りツッコミは間が命だ。せっかくのタイミングが死んでしまっては興ざめである。
彼はまくしたてた。
けれども。
数分待ってまったくリアクションがない。何の反応も帰ってはこない。クラッカーどころか照明すら点かない。
――まさか、いやっでも。まさかな。
矛盾不手際無駄不思議が混在するこの状況。けれどだからこそ、耕太は確信を持つ。
例えば耕太の奥歯にはGPS発信機が埋め込まれている。
これは口内の体温だけで自家発電する半永久的稼働が可能なデバイスだ。犯罪者が自己の安全を考えるなら真っ先に歯ごと抜くべきものだ。
なのに歯が抜かれていないのは、電波対策に自信があると暗に示しているのだ。だから時計も外す必要がなかった。
時計の機能と内部データに手を加えた行為こそわかりやすい示威行為だ。自分達には個人に調整された生体埋没器具の制御ソフトを違和感なく書き替える能力がある。賊はそういっているのだ。
――ステータスか。……とはいえ、そのト書き以外で何かあったろ。なんなんだよその特記事項。中学生か!
これは耕太が趣味でオンラインゲームをやっていることを知っているぞというサイン。お前の事は全て知っている。という圧力。
そしてステータスの最後に「童貞」とわざわざ記述する性悪さ。
「おい! くそ野郎ども! 何が欲しい! 何が望みだ! 馬鹿なステータスなんぞ作りやがって! 俺は童貞ちゃうわ! バグってんぞコレ! おい! 返事しろ! 見てんだろ! 早く来い! 消費者センターに訴えるぞコラ!」
耕太は騒ぐ。本当に腹立たしい連中だ。例え事実であっても感情というものはさざめく。
だが感情だけで思いつく限りの罵詈雑言を並べたわけではない。
世の中にはごね得というシステムが存在する。いい人ぶって下手におとなしくしていると舐められるばかりか食い物にされるのが現実だ。金持ちは皆それを知っている。
喧嘩をしないのは特定条件が整った時くらいなものだ。少なくとも耕太はそう信じている。
男とは戦う為に生きているのだ。世界はゴネる者の為にあるのだ。ちょっとだけ嘘もついたがこの勢いならきっとばれないだろう。耕太は高をくくって騒いだ。
「おーい! はやくでてこいって、まずは話し合おう。俺はお前たちのミスを責めたいんじゃないんだ。お互い話し合って分かり合いさえすれば、解決できる問題がこの世の中にはごまんとある。それがこれだ。なぁ、そうだろう?」
最初怒鳴り散らし、徐々に抑えていく。この加減が大事なのだ。耕太は返事のない相手に休まず何度も話しかけ続ける。
「騒々しい、静かにしろ」
するとどうだ。鉄格子の向こうから男の声がした。
耕太は鉄格子の向こうを伺おうと鉄の棒の隙間に顔を挟み、声のした方向を凝視した。
硬い靴音がフロアに響く。鉄の靴でも履いているかのような響きに耕太は眉をひそめる。
見え始めたのは変わった衣装をまとった身ぎれいそうな男だ。
背丈は耕太とそう差はない。
体格も耕太と同じく細身。
髪はオールバックで目つきは鋭い。
顔や雰囲気から判断して年齢は自分よりかなり上だろうと耕太は判断する。
「お。いるんじゃん。さっさと出てこようよ」
男は耕太から少し距離を置いた場所で立ち止まり彼を眺めた。
「どうやら問題なさそうだな」
問題ないとは何のことか。
問題がありすぎて耕太はその言葉の真意を掴み兼ねた。
「あー、えっと……」
「お前は転移者だ。運がよかったな。俺が拾ってやったんだ。感謝しろよ」
一切の笑みのない表情で吐かれたセリフは、耕太にわずかな緊張を与える。
こいつは敵だ。しかもかなりの悪役に違いない。
言語化しえない悪い感が耕太の脳裏に浮かび広がる。この男は救援者じゃない。拉致者側の人間だ、と。
「この世界に飛ばされてきた大抵の奴は、わけもわからぬままうろついた挙句魔物に食い殺されるか、気が付く前に魔物の餌だ。リスポンが魔王の幹部に占拠されているからな」
「お前……」
こいつは何を言っていやがるのか。妄言を吐く男に耕太は最大限警戒する。
転移。魔物。魔王。
そうか。そういうノリか。
男の斜め上の言動に、耕太は高度な情報戦を挑まれているのだと理解する。
それならばこちらも受けて立つところだ。
「なんだ?」
「……お茶も出さないのか?」
斜め上に放られた球をあえて大根切りで打ち返す。
――どうだ。予測の難しいこの返しに、どう対応する?
耕太は内心で固唾を飲んで見守る。
普通に返してもいい。怒って発狂してもいい。ギャグでお道化てもいい。その対応に対してこちらは出来る限り譲歩する姿勢を、その返答への返答で示そう。そう考えての様子見。
だが――
「貴様、互いに冒険者となった身だからと現世での事は水に流そうかと思っていたが、貴様がそう出るなら俺にも考えがあるぞ」
――あれ? ……なんか、すっごい、怒ってる?
男の態度は豹変した。なんと沸点の低い馬鹿野郎か。
――冒険者? は? 何? 草生えるんだが。
耕太は決めていた。
金が目的なら払おう。罰が怖いなら許そう。自分は金持ちだ。真の金持ちはその懐もそれなりに深いことを教えてやろう。と。
このまま追い込んで【窮鼠猫を噛む】を地で行かれるよりは、最低限の対処のみをし、事を表沙汰にしないよう取り計らってやらない事もない。
どうやったのかは知らないが自分を捕らえたその手並みは見事だった。まずはそれを褒めよう。それに対しては褒賞をくれてやらないこともない。
耕太は彼らを飼ってもいいと思っている。
しかしそれならそれで誠意を示させなければならないだろう。どちらが上でどちらが下かをはっきりさせる必要がある。
そういう意図を込めた駆け引き。情報戦をたしなむ者達にとっては初級程度の即興演奏。
だというのにこの男の態度は何なのか。
――いや待て。わざとか? ……そうかわざとか。互いに冒険者で現世の事? 現世……何の比喩だ? どんな繋がりを例えている? 俺とあいつは冒険者で、ここは現実世界ではないユメセカイ――もしくは異世界的な世界で、奴は俺に良くない縁を持った俺の覚えていないどちらさんかで……。
すぐにすぅーっと頭が冷えて、耕太の一瞬止まった思考は再び働き始める。
ここで意図を汲み間違えば間違いなく交渉は決裂する。
――じゃあお前、さっきの発言どういう意味よ。転移者? 魔物の餌? 全然わからん。っていうかこれただの中二発言なんじゃないの? 素で言ってるんじゃないの? そうとしか思えないんだけど……いかん。そう考えたら笑えてきた。鼻や耳がヒクヒクしそう。
耕太の頭は現実と理屈の整合性を取る為に虚構の物語を組み立て始める。
目つきが一段と鋭くなった男を眺めながら、ただこの笑いを振り切りたい、という一心で交渉役のチェンジを要求する。
「なるほどなるほどそうかそうか。つまりこれはあれだな。モニタリングというわけだな。じゃあうん。わかったから俺をここから出せ。あとこの場で決裁権のある人間と話をさせろ」
下っ端と話をしても時間の無駄だ。
上位者を引き釣り出して圧力をかけてやる。耕太は交渉方法のシフトを試みる。
「悪いが、俺は三下じゃない。お前の言う裁量を持つ人間だ。今この場ではな」
「そうか、なら話は早い。俺を外に出してもらおう。知っているかもしれんが、俺は金持ちだ。お前たちの対応次第ではよい関係になれるだろうとも考えている」
「貴様……またそうやって貴様は、力で解決を図るのか」
「は?」
見れば男の拳は強く握りこまれた状態でプルプルと震えていた。
顔が赤らみ、目も血走っていた。まるで怒りを抑えている挙動のようだ。
――なんで? なんでお前が怒んの? ここは俺が怒るところですよ?
もう駄目だ。笑いの防波堤は既にひび割れている。
決壊まで長くない。耕太は先を急ぐ。
「悪いがその様子では交渉に耐えられないだろう、お前以外の担当者はいないのか? 私は話し合いをまずはしたいと考えている」
「こちらこそ悪いが俺以上の裁量を持つ者はいないしお前と話し合う事はない。俺はこの地区の冒険者を束ねるオギタエンタープライズの社長だ。同時に――」
その時、男の目がカッと見開かれた。
耕太は思わず防御姿勢を取り「うわぁっ」という情けない悲鳴とも笑い声ともつかない言葉を発してその場に崩れた。
「転移者保護団体シックザルの円卓保安官パーシヴァル卿とも呼ばれている。お前が勝手に出て行ってのたれ死にたいというならむしろ俺にとっては歓迎すべき事態だが、その前にいくつかやらねばならんことがある。こっちも仕事なんだ。我慢がならんのはお前だけじゃないという事だ」
耕太は激しい咳をするふりをして笑いの感情を解放する。
――こいつどこの芸人だよくそ! なんという顔芸! なんというタイミング! 苦しい、腹筋が死ぬ! クソ、こいつ俺の腹筋を殺しに来てる!!
暫く咳き込み笑いが収まり始めた時、よせばいいのにちらりと耕太は男の顔を盗み見た。
直後、耕太は再び激しく咳き込む。耕太が見上げた時、男が堂々とした顔――巷ではやっているドヤ顔と呼ばれる表情――で、耕太を見下ろしていたせいだ。
――はっはっは、ひー、しぬ、おなかいたい、その顔でそれは反則だろ、やばいツボった!
お前それ鉄板ネタだろ! と叫びたい気持ちを必死に抑えつつ、笑いを何とか収める努力を継続した耕太だったが、ツボに入った笑いを止めるのは難しく、結果かなり長い時間苦しめられることとなった。