王女は薔薇とともに微笑む
なんて定番なんだ!
と、叫びたい作者。
「どうかしましたか?姫様。」
ぼうっと薔薇の花を見つめていると、髪を結うヘレナが鏡越しに心配そうな顔で聞いてきた。
「その薔薇、どうしたのですか。昨日はもっていらっしゃいませんでしたよね。」
「これは・・・」
昨夜別れ際にフィリップから渡された薔薇。
夜に庭に出たと言えば、フィリップがそうであったように、ヘレナも怒るだろう。
それにフィリップと一緒にいた事をいいたくない。
「秘密。」
そう秘密にしておきたいのだ。フローレンスとフィリップだけの。
「今日は何か予定は入っている?」
「いいえ。何かしたいことはございますか?」
「そうねぇ、お城を見て回りたいわ。」
「お城をですか・・・」
少し聞いてまいります、とフローレンスの支度を整えるとヘレナは部屋を出て行った。
「ふぅ・・・」
もう一度薔薇を眺めた。淡い桃色で、中央にいくほど濃い赤になる一輪の薔薇。
「一輪じゃ、寂しいわね。」
ここで妙な行動力を出すのがフローレンスである。
もう少し薔薇を分けてもらえないかと思い立ったフローレンスは部屋を出た。
マリアもヘレナもいないが、庭に出るだけだ。大丈夫だろう。彼女たちは心配性過ぎるのだ。
イザリエ王国の薔薇は他のどの国よりも美しく思えた。庭に出ると、相変わらずたくさんの薔薇が咲き誇っている。
刺に気をつけながら、なるべく形の綺麗な薔薇を選んで手折った。
あまりに夢中になってしまっていたからであろう。人が近づいてきたことに気付かなかった。
「フローレンス王女?」
呼びかける声が聞こえてはっと振り返る。
「どちら様でしょう。」
二十代半ばくらいか、焦げ茶色の髪とオリーブグリーンの瞳の青年がいた。顔立ちはそこそこ整っているのだが、浮かべられた笑みがなんとなくうさんくさい。
「あぁ、これは失礼しました。ファレーン王国で侯爵位をいただいております、オリヴィエ・ラ=フォンティーヌと申します。」
芝居がかった仕草で、その男はフローレンスの手に口づけた。
「まぁ、ファレーンの侯爵さまでございましたか。こちらこそ失礼を。フレライン王国第一王女、フローレンス・ヴァレット=ランドディアスと申します。お初にお目にかかりますわ。」
フォンティーヌ侯爵といえば、ファレーン王太子の母の実家だったと記憶している。
ドレスの裾をつまんで、綺麗に礼をとった。
ふわりとフローレンスの金髪が揺れるのを、目を細めてオリヴィエが見ているのに、彼女は気づかない。
「このようなところでお会い出来るとは、私は運がいい。貴女と薔薇という最高の組み合わせ、まるで一枚の絵のようだ。」
「ま、まぁ、お上手ですこと。」
オリヴィエがニコニコと笑いながら近づいてくるのに、フローレンスは頬を引きつらせる。
(まぁまぁ、運がいいと?わたしは貴方に会ってしまって最高に運が悪いと思うわ!)
じりじりと後ろに下がるフローレンスを、彼も追いかける。
「本当に噂以上のお美しさだ。」
甘い声でささやかれて、悪寒がした。
「こ、光栄ですわ。」
「本当ですよ?今すぐ・・・」
僕のものにしたいくらいに。
「・・・っ!」
小声でささやかれた言葉にしまったと思った。もっと早く逃げるべきだったのだ。
後ろに下がろうにも、いまにも刺だらけの薔薇に触れそうで。
「あ、あの、それはどういうことでしょう?」
「わからないのですか?可愛らしい方。」
もはやとぼけることしか出来す、しかし、オリヴィエは楽しそうに笑い、逆効果だったのだと悟った。
腕を掴まれて、抱えていた薔薇が地面に散らばる。
「いや!」
抱き寄せられそうになったとき、
「そこで何をしている!」
凜とした青年の声が聞こえた。
「フ、フィリップ殿下!」
はっとしたように身を引いたオリヴィエを押しのけ、フローレンスはフィリップに飛びついた。
「殿下、殿下・・・!」
「分かった、大丈夫だから落ち着け。」
ぎゅっと背中に腕が回って抱きしめられた。
フィリップの体温に安心して、彼の胸にすがる。
「・・・これは、これはフィリップ王太子殿下。浮いた噂一つないと思っておりましたが・・・」
意味深に笑うオリヴィエを、フィリップは虫けらでも見るかのような目で見た。
「そちらはずいぶんと風流を好むとうかがっておりましたが、無粋なこともなさるので。」
「・・・恋の駆け引きと言ってもらいたいなぁ、奥手な殿下?」
嘲り笑うオリヴィエ。
「はっ、貴方の駆け引きはずいぶんと強引ですね、侯爵?」
侯爵、という単語が強く発音された。
その意図にフローレンスは気づいたが、オリヴィエは分からなかったようだ。
オリヴィエはただの侯爵だが、フィリップは次期王たる王太子。
しかも他国同士で・・・
もっと厄介なのは、このフォンティーヌ侯爵という人物がファレーン王太子の後見人だということだ。
「・・・それにその薔薇。」
フィリップがオリヴィエの足下に散らばった薔薇を指さした。無残に散り、踏みつけられた赤い薔薇。
「我が王家を象徴するのが赤薔薇だとご存じないわけがあるまい。」
フローレンスは、息を殺して成り行きを見守った。オリヴィエもようやく気がついたようだ。
「踏みつけられた赤薔薇・・・我が国への宣戦布告ととってよろしいか。」
「なっ、なっ、とんでもない!・・・私は何もそんなつもりでは!」
「ふんっ、まぁ良い。しかし、朝も早くからこんなところにいては痛くもない腹を探られかねませんよ。」
「それはご忠告どうも、失礼する!」
自分が不利だと気づいたのか、オリヴィエは走りながら去っていった。
ふぅっ、と息をつくと体の力が抜けた。
「おいっ!」
フィリップが支えてくれたので、その腕に甘える。
「ありがとうございました。助かりました、殿下。」
もう少しと思い彼の胸にすがる。本当は怖かったのだ。
フィリップがぽんぽんとフローレンスの背を叩く。
「無事でよかったよ。・・・しかし、貴女はなぜ一人で出歩くんだ。」
あきれたようにいわれ、フローレンスは肩をすくめた。
「・・・すみません、もう少しこのままでも良いですか?」
と言ってみれば、フィリップは無言でまたフローレンスの背を叩く。
言動が幼いので、子供に思われているのだろうか。
大きく深呼吸をすると、フィリップのコートから薔薇の香りがした。香水などではなく、自然の花の。
「・・・殿下、いい香りがします。」
「はっ・・・?」
くんくんと鼻を寄せれば、フィリップは体をのけぞらせて逃げようとした。心なしか、頬が赤いような・・・
「どうかしましたか、殿下?」
「い、犬か、貴女は!」
「はい?」
小首をかしげたとき、ヘレナとマリアがフローレンスを呼ぶ声が聞こえた。
「ヘレナっ、マリアっ、ここにいるわ!」
怒られないように早く行かなければ。
走りだそうとしたフローレンスの手をフィリップが掴む。
「待て、これを。」
そう言って差し出されたのは、先ほどフローレンスがつんだ倍はありそうな薔薇。
「こんなにたくさん・・・ありがとうございます。」
「あぁ。」
薔薇を受け取ってふわっと笑ったフローレンスを、フィリップが眩しそうに見つめていた。