王太子は姫君に惑う
あの後、父と母から客人の前で醜態をさらすなと大目玉を食らった。
自室に戻ったフィリップは、ふて腐れながら酒をあおる。とは言え、あまり酒に強くないので、グラスの中身は母の友人のファドリック侯爵夫人に貰ったロゼだ。
開けっ放しの窓から夜風が吹き込み、カーテンがふわりと揺れた。
月の美しい夜だ。
もっと夜風にあたって頭を冷やそうとバルコニーに出る。
「・・・ったく、私はどうすれば良いのだ?」
世間知らずなお嬢様を虜にして、丁度良い娘を王太子妃にするくらい簡単なことである。
幸か不幸か、フィリップは己の整った顔立ちの使い方を心得ていた。
だが、心から信頼し合い、愛し合う父と母を見ていると、そう簡単に妃を決めて良いのかと思ってしまうのだ。
はぁ、とため息をついてうつむき・・・・・フィリップはまたしてもこめかみに青筋を立てた。
「・・・あの、馬鹿!」
バルコニーの下、王宮の奥庭へと走る。途中で人に遭わなかったのは幸いだった。見られたら両親に報告されて、また大目玉を食らうことになりかねない。
奥庭に走り込むと・・・かくしてその少女はいた。
「何をしているのですか、フローレンス姫?」
乱れた息を整えもせず恐ろしい剣幕のはずなのに、彼女はちょっと目の丸くしただけでにっこりと笑った。
「月があまりにも綺麗なもので。お散歩をしていましたの。」
「・・・何を暢気な!」
これで彼女を見つけたのがフィリップでなければフローレンスはどうなっていたことか。彼女に憧れる男は多いというのに。
「まぁまぁ、落ち着かれませ、フィリップ殿下。」
近づいてきたフローレンスにぽんぽんと腕を叩かれ、フィリップは押し黙る。
「ねぇ、あちらの花は何と言うんですの?こちらの桃色のものは?どれも綺麗ですわねぇ。」
「花の種類など知らん。」
「まぁ・・・では、王妃さまに聞かないと。」
そう言ってフローレンスは小さくくしゃみをする。
よく見たら、フローレンスは部屋着にガウンを羽織っただけだ。見ているこっちが寒い。
フィリップは上着を脱いでフローレンスの肩にかけた。
「・・・殿下?」
「寒いだろう。着ておけ。」
照れ隠しにぶっきらぼうに言いながら、フィリップは彼女の小さな手をつかんで庭の奥に進んだ。
小さな泉の湧くそこは、普通の人は知らないところ。
木々や草花に風が遮られるし、葉の間からこもれる月の光がとても綺麗だった。
「まぁっ!なんて綺麗なところなの!」
「隠れ家みたいなところでな。あまり人は入らない。」
「独り占めなさっているの?ずるいわ!」
子どものように頬を膨らませるフローレンスに、フィリップは苦笑した。
「別に独り占めはしていない。兄弟たちも知っている。」
ははっ、と笑うとフローレンスが大きな目を更に見開いた。
「何だ?」
「・・・いえ、あの。」
口ごもり、フローレンスはほんのりと頬を染める。
「そうして、つくらない笑みもなされるのだなと思って。」
・・・作り笑顔がばれていた。
完璧だと思っていたことがそうではなかった衝撃に、固まってしまったフィリップを見上げ、フローレンスはふわりと笑う。
「今の笑みのほうが、ずっと良いですわ。」
「・・・。」
このお姫様に、フィリップの何がわかると言うんだ。侮られないよう、父に比べて劣ると言われないよう、常に気を張って。常に余裕を装って来たのに。
なぜだか今、フローレンスの笑みに自分が認められたような気がした。