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世にも奇妙な短編集

夢の中から出てきたものは

「一つ目は、黒猫でした。虎ほども大きさがある黒猫です。形は黒猫ですが、その体の表面を覆っているのは、毛ではなくて、黒いゴムなんです。その黒猫は、人間を三人食べたら霊柩車になれるので、物陰に潜んで、人を襲うチャンスを狙っているんです……」


 やや遠慮がちな口調で、けれども至極真剣に、男は医師に説明する。自分が昨晩見た、夢の内容を。

 男は、最近ちまたで流行しつつある「夢現病ゆめうつつびょう」の患者だった。

 眠っているとき夢に見たものが、現実の世界に実体化して現れる。それが「夢現病」という病である。

 男の話を聞いた医師は、うなずいて言った。


「なるほど。あなたは、『人を襲う巨大な黒猫』を、夢に見たのですね」

「ええ。すみません。なんだか、荒唐無稽な変な夢で」

「いえいえ、夢なんてものは、たいていそんなものですから。お気になさらず、夢の内容で覚えていることがあれば、なんでもおっしゃってください。そのお話を伺うことで、こちらは『夢から出てきたもの』の行動パターンや弱点を把握することができ、それを捕らえるための対策を立てやすくなるのですから」

「は、はい。そうですね。……あの、先生。私の夢から出てきたものが、現実の人間に危害をもたらす前に、どうにかすることができるのでしょうか?」

 男は、それが心配で仕方なかった。

 しかし、医師は男の質問には答えず、「早急に対策を取る必要があります」とだけ返した。


 不安を拭えないままに、男はうつむき、溜め息をついた。

 男の手は、無意識のうちに額へと伸びる。

 男の額には、小さく深い穴が開いていた。

 針の先ほどの穴が、ぽつ、ぽつ、ぽつと、三つ並んで。

 その穴のある箇所を、ついつい指でさすりながら、男は言う。


「あの。ところで、先生。私の夢から出てきたものは、また元通り、私の中に戻さなければならないんですよね?」

「まあ、そうですね。ですが、出てきた夢をあなたの中に戻しても、あなたになんら悪影響があるわけではありませんので。その点に関しては、ご安心ください」

「そうなんですか」

「ええ。あなたの夢から出てきたものは、あなたの中に戻ったその瞬間に、消滅してしまいますから。あなたの精神内の一角に存在する、意識や無意識や記憶が混在し不定形に混ざり合った『夢を生み出す土壌』に溶け込んで、消えてしまうのですよ。普通の夢が終わるとき、その夢の世界が消滅するのと同じように」

「は、はあ……」

「まあ、その辺りの詳しい理屈や原理などは、どうでもよいのです。――『夢現病』により現実世界に出現した夢を消滅させるためには、その夢を見た当人の中に夢を戻し入れるしか方法がない、ということ。そして、それは患者にとっては決してなんら危険を伴う行為ではない、ということ。この二つの点だけ、ご理解いただければ大丈夫ですよ」

 医師の言葉に、「はあ、わかりました」と男はうなずいた。


「それで、先生。現実世界に出てきてしまった夢を、私の中に戻し入れるには、何をどうすればいいのですか?」

「はい、それはですね」

 と、医師は、机の上に置かれていた小さな透明なケースを、おもむろに手に取って、男に見せた。そのケースの中には、小さな小さな緑色の粒が一つ、入っていた。


「これは、夢現病の一般的な処置の際に使われる『誘導剤』です」

「誘導剤?」

「ええ。――今、あなたの額には、”夢が出てきた跡の穴” が開いていますよね」

「はあ、この穴ですか」

 男は、三つ並んで額に開いた、小さく深い穴を指でさする。


「ええ、そうです。その穴は、出てきた夢が戻るべき場所――あなたの中にある『夢を生み出す土壌』と、この現実世界とをつなぐ、通路の出入口です。そこで、この誘導剤を使って、夢の中から出てきたものを、夢と現実との出入口であるその穴に誘導する、という方法を取るわけです」

「え、ええと。つまり、その薬を使えば、私の夢から出てきたものは、薬に誘導されて、勝手に元通り、私の中に入ってくれるということですか?」

「まあ、そうですね。――誘導剤には、この緑色の薬と、赤色の薬との、二種類がありまして。夢現病の患者さんには、この緑色の誘導剤を処方しております」

 そう説明しながら、医師は、緑色の粒が入ったケースを、銀色のアルミトレイの上にカチリと置いた。

 それを見つめて、それから再び医師のほうへ向き直り、男は尋ねる。


「では、私は、この薬を飲めばいいのですか?」

「いえ。飲むのではなく、夢が出てきた跡の穴に、一粒ずつこの薬を埋め込んでください。そうして待っていていただければ、あとはこちらで、あなたの中から出てきた夢を捜し出し、一つの夢につき一粒ずつ、赤色の誘導剤を埋め込みます。そうすることで、出てきた夢は誘導剤の力によって、その夢が出てくる際に開いた穴へと引き寄せられ、そのまま穴の中に吸い込まれます。吸い込まれた夢は、ただちにあなたの精神内に吸収され、消滅しますので、心配は要りません」

 それから、医師は、誘導剤を載せたトレイを机に置いて、男に言った。


「さて。それでは、残りの夢の話も聞かせていただけますか? 額に開いた穴が三つあるということは、あと二つ、現実世界に出てきてしまった夢があるのですね。それがどんな夢だったか、覚えていますか?」

「はい、大丈夫です」

 しっかりと答え、男は、また話し出す。


「二つ目は、ハテナのマークでした。家の中に、薄っぺらい半透明のハテナマークが浮いているんです。それは、家の中のどこに現れるかわからなくて、床や机から数センチ浮いた状態で、ゆっくり回転しているんですが、そのハテナマークを見てしまうと、ハテナマークが爆発して、近くにいた人は死んでしまうんです。夢の中では、祖父が――といっても、本当の私の祖父というわけではなくて、実際にはぜんぜん知らない人なのですが、夢の中で、私はその人を自分の祖父だと認識していました――その祖父が、家に帰ってきた途端にハテナを見つけて、爆発で体を吹き飛ばされました……」


 男が話し終わると、医師はうなずいて、カルテにペンを走らせた。

「なるほど。あなたは、『爆発するハテナマーク』を、夢に見たのですね」

 そう言って、医師は、机の上からもう一つ緑の誘導剤を手に取り、それを新たにアルミトレイの上に載せた。


「では、最後の三つ目の夢を、聞かせていただけますか?」

「はい。三つ目は――」

 と、一拍の間を置いたあと、男はまた話し出す。


「信号機でした。私は道を歩いていて、振り返ると、すぐ後ろに赤信号があるんです。何歩か進むごとに、後ろにどんどん新しい赤信号が現れるんです。赤信号は自分の後ろにあるんですが、それでもなぜか、私は赤信号が現れるたびに足を止めなきゃいけない気がして、急いでいるのに、なかなか前に進めないんです。

 ――夢の中で、私は急いでいました。急いで、病院に行こうとしていました。

 ――さっき話した、一つ目の夢と、二つ目の夢。それを見たあと、私は、いったん目を覚ましていたんです。でも、そのときは、自分が夢現病に罹っていることには気づいていなくて、すぐにまた眠ってしまって。

 ……でも、無意識のうちには、そのことをわかっていたんだと思います。三つ目の夢の中で、私は、自分の額に穴が開いていることを知っていました。自分は夢現病に罹ってしまって、危険な夢が現実世界に出ていってしまったから、それをなんとかするために、早く病院に行かなければ、と焦っていたんです。そうやって急いでいた私を、次々後ろに現れる赤信号が、邪魔していたんです。私はその夢の中で、この赤信号もまた、現実世界に出てきてしまった自分の夢なんだ、と思っていて――……」


 男は、そこで言葉を切った。

 なんだか、妙に胸騒ぎがした。

 一つ目、二つ目の夢と違って、三つ目の夢には、人を殺傷するような危険なものが出てきたわけではない。それなのに、その夢を思い出して語った途端、男は何か今までにない、正体の掴めない大きな不安に襲われたのである。

 そんな男に、医師は、やはり一つうなずいて言った。


「なるほど。あなたは、『次々と背後に現れる赤信号』を、夢に見たのですね」

 そして医師は、机の上から三つ目の緑の誘導剤を手に取り、アルミトレイに載せた。

 これで、アルミトレイの上の誘導剤は、男の額に開いた穴の数と同じ、三つになった。


 そのときである。

 不意に、机の上の電話が鳴った。

 医師は、すぐさまその電話を取って応対する。

「――ああ。――ああ。……なんだって? それじゃあ……」

 何か、緊急の知らせなのだろうか。電話の向こうの相手が何を言ったのか、それは男には聞こえなかったが、にわかに険しくなった医師の声と表情に、男もつられて緊張する。

 医師が電話を切ってから、男は尋ねた。


「あの、先生。どうかしましたか?」

「……いえ。……それが」

 医師は、わずかに顔をこわばらせたまま、男を横目で見て口ごもった。

 少しの沈黙のあと、医師は男に向き直り、重たげに再び口を開いた。

「つい先ほど、もう一人、夢現病の患者が来院したようでして……」

「そうだったんですか。では、その人が、何かよっぽど危険な夢を?」

 男は重ねて尋ねる。が、医師はその質問には答えなかった。

 代わりに、医師は男にこう返した。


「その患者さんは、夢が出てきた跡の穴を、あなたよりも一つ多く、額に開けていましてね」

 言いながら、医師はなぜだか目を伏せる。男と目を合わせるのが苦痛であるかのように。

 その医師の態度に、男の胸の中で、どんどん不安が膨らんでいく。

 この不安の源。それは、さっき語った三つ目の夢にあるに違いなかった。


 男は、三つ目の夢の内容を、今ひとたび回想する。

 赤信号の夢。自分は、自分の額に「夢が出てきた跡の穴」があるのを知って、急いで病院に向かおうとしていた。けれどそれを赤信号に邪魔されて――。


 ただ、それだけの夢だった。

 しかし、あらためてその夢を思い返した男は、そこで恐ろしいことに気がついた。


 そんな、まさか……。

 それでは、先ほど来院した夢現病の患者というのは、ひょっとして――。


 男は、青ざめて震え出した。

 すべての事情を呑み込んだ男の前で、医師が、おもむろに机の上へと手を伸ばす。

 医師は、机の上から”赤い誘導剤”を手に取り、それをアルミトレイの上にカチリと載せた。

 そして、憐れむような目を男に向けて、こう言った。




「”あなた”は、『病院に向かおうとするあなた自身』を、夢に見たのですね」




 -完-



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