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飛行船

難破した一行は飛行船に救助される。

そしてあらたな目的地がしめされることに。

魔王の城は近い!

 ………………。

 …………。

 ……。

 ぽちゃり、ぽちゃりという水音に市川は目をさました。

 気がつくと横顔を海水があらっている。口の中は塩辛い味がいっぱいになっている。

 目をあけたが、すぐとじた。

 あけつづけていられないほどの強烈な日差し。太陽のひかりはまっすぐまうえから照りつけてくる。

 おそるおそる目をゆっくり開けると、市川はあたりを見回した。

 まっさおな空に白い雲。水平線がくっきりと見えている。

「気がついたみたいだな」

 山田の声である。市川はふりむくとあっとなった。

 なんと全員がそろっていた。それもクマリ号の甲板上である。が、その甲板はまんなかからまっぷたつに割れ、船体は半分以上が水につかっている。マストはなくなっていた。市川がいるのはその前半分であった。完全にまっぷたつになった船体は、木材の浮力のみで海面をただよっていた。甲板はななめになっており、船首部分は水面のしたである。

「嵐はやんだみたいだな……」

 市川はつぶやいた。山田はうなずいた。

「まあ、命があっただけでもよかったよ。あんな嵐だから、命をおとしても不思議じゃない」

「船長は?」

 市川の質問に山田は顎をしゃくった。

 タバン船長はふなべりに身をもたせかけ、じっと水平線を見つめている。

「ずっとああしているんだ。船がこうなっちまってショックだったんだろう」

「市川君、風邪はどうなったの?」

 洋子が話しかけてきた。いわれて市川は気がついた。あれほどの熱と頭痛がすっかりひいている。

「なんだか直っているみたいだ」

 なあんだあ、というほっとしたような顔色が全員にうかんだ。

「さあ、これからどうなるか……だが」

「どういう意味だい?」

 山田はすっかりのびた顎鬚をさすった。

「この辺で、なにかがおきてもいいはずなんだが……」

 その山田のことばがおわるか、おわらないかというタイミングでその音が聞こえてきた。

 ぐおおおおんんん……。

 重低音のその音は空から聞こえてきた。

 仰ぎ見て、全員はあっと驚いた。

「なんだ、あれは……」

 タバン船長がつぶやいた。

 空中に浮かぶ巨大な葉巻型の物体。

 それは硬式飛行船であった。

 ヒンデンブルグ、ツェッペリン……、第二次大戦前にすっかり姿を消した、水素やヘリウムの浮力を利用して空中をゆく巨大な船。それがクマリ号の残骸の上空をゆっくりと近づいてくる。

「まいったね……、おれが描いたとおりじゃないか」

 市川は頭をかいた。

 山田は市川の耳に口を寄せささやいた。

「こいつは木戸さんのしわざだと思っていいんじゃないか?」

「なんだって」

 市川もまた山田に習ってささやき声になっていた。

「ほら、おれたちが面白がってストーリーにないキャラや設定を描いたろう。木戸さんはあれらを無視せず、しかも無理なく登場させるためにあの嵐や、烏賊の襲撃をさしこんできたのかもしれないぞ」

 へっ、と市川は目をむいた。

「木戸監督のオリジナルってわけか! たしかにあの烏賊や、飛行船はストーリーにはないもんだ。それでおれたちあんな目に……」

 山田は首をふった。

「おれたちは軽い気持ちでしたことだが、木戸さんにとっては重大な違反に思えたんだろうな。おれたちはいつか魔王を倒すという最終目的があるから殺すわけにはいかないが、勝手なことをするともっとひどい目にあわせてやる、という警告かもしれん」

「じょうだんじゃねえ! そんなこといちいち考えてキャラ設定やってられないよ。だいいち、木戸さんがおれたちにしかえしするかもしれないと思ってびくびくしながら設定してたら、なにも描けねえじゃないか」

「それはそうだが……」

 山田はひたいにふかいしわをよせた。

 市川のいかりはわかるがいまは一刻も早くもとの世界に帰りたい気持ちでいっぱいである。ともかく木戸のストーリーにそって設定を描き、魔王との最終決戦にのぞみたかった。もう脱線しまい、と山田はひそかに誓った。

 ふりあおぐと飛行船がゆっくりと高度をさげてくるところだった。船腹にはゴンドラがつりさげられ、そのゴンドラの両側には推進力をえるためのプロペラが回っている。

 まわりを見回すと近づいてくる飛行船をふつうにあおいでいるのは市川、洋子、三村の旅の仲間だけで、タバン船長、そしてクマリ号の船員たちはかおに恐怖のいろをありありとうかべている。

 近づいてくる飛行船は海上に浮かんでいるクマリ号の残骸のそばに横付けするつもりか、ぐるりと船首をまわし、その横腹を見せた。その船体に描かれたマークを眼にしたタバン船長らはみな色をうしなった。

「魔王の目だ!」

 飛行船には目を図案化したマークが描かれていた。船長、船員たちはその目を見まいといっせいに反対側をむき、手で顔をおおっている。

 飛行船はゆったりと回頭して近づいてくる。ゴンドラの窓に乗組員だろうか、数人の顔がつきだされ、こちらを指さしているのが見えた。やがてゴンドラの横腹の扉が開かれ、なかから縄梯子がおろされた。縄梯子の先端は甲板にたらされた。乗組員のひとりが両手をくちにちかづけ、メガホンをつくった。

「おおーい、登ってこーい!」

 三村はうなずくとはしごをつかみ、登りはじめた。はしごはゆらゆらとゆれるが、かれは器用に手足を動かしするすると登っていく。かれがゴンドラにたどりつくと待ち構えていた乗組員は手をかして乗り組ませてくれた。それを見て市川と洋子もつづいた。

 はしごに手をかけようとして山田は船長たちをふりかえった。船長たちは恐怖の表情をうかべはしごをのぼっていく市川と洋子を見上げている。

「あんたら、来ないのか?」

 そう話しかけると船長はぶるぶると首をふった。

「とんでもねえ! ありゃ、魔王の飛行船だ! あんなのに乗り込んだら、どんなのろいがかかるか……」

 そこではじめてエレンが笑い声をあげた。

「魔王ののろいだって? それならもうあんたら、すでに魔王ののろいにかかっているんじゃないのかい?」

 タバン船長は顔色をまっかにさせた。

「なんだと! わしがいつ、魔王ののろいにかかっていると言った?」

 船長のことばにエレンはがくぜんとなったようだった。

「でも、でも……、町のみんなそう言っているよ。あんたは五十年前からちっとも変わっちゃいない……年だって、百才をとっくにこしているはずだって」

「そりゃ、わしの父親のことを言っているんだ。わしは父親からクマリ号をうけついで船乗りをしているんだ。あんたらの町の人間は、わしらの船が桟橋についたときからいっさいわしらの顔を見ないようにしているから、親父とわしがいれかわったことも気がついておらんのだ!」

「そ、それじゃ船員たちも?」

「そうだ、マッソの町で雇い入れた船員ばかりだ。トラントンの町ではだれもわしらの船に乗り込もうというやつはいなかったからな。あんたらをのぞいて。

 ああ、死人に見えるというのか。そりゃそうだろう。

 なにしろマッソの町とトラントンをつなぐ航路は昨夜の嵐がいつも吹き荒れているから、トラントンの町についたころは船員たちも疲れて、死人同然といっていい状態になっている。わしらはあんたらの町で荷を運ぶだけで面倒は起こしたくないから、あまり関わらないようにしているだけだからな」

 エレンはなんと答えていいものか、わからないといった表情だった。

「おおーい、あんたら乗るのか、乗らないのか?」

 そのとき飛行船のゴンドラから乗組員が顔をつきだし声をかけてきた。山田はひとつうなずくとはしごをにぎり、エレンと船長たちをふりかえった。

「おれはのぼるよ。どちらにしろ、このままじゃ鮫のえさになるか、飢えて死ぬかどっちかだからな。それにあの乗組員たち、どう見ても魔王ののろいにかかっているようには見えないけどね」

 そういうと山田ははしごをよじのぼりはじめた。必死によじのぼる山田は目をとじていた。かれは高所恐怖症なのだった。

 飛行船の乗組員がかれのからだをつかんでひきあげてくれるのを感じ、ようやく山田は目を開き下を見た。

 エレンがすぐあとから登ってくるところだった。

 彼女の登っている姿を甲板でタバン船長が見上げていた。エレンがゴンドラに乗り込むと船長がはしごをつかみ、ゆっくりとのぼりはじめた。船長の顔は蒼白だった。

 タバン船長のあとから生き残った船員がのぼってきて、ようやく全員が飛行船に乗り移ってきた。

 ようやく人心地がついた山田は飛行船の船内を見回す余裕かでた。

 救い上げてくれた乗組員がぐるりとまわりをとりかこんでいる。みな好奇心いっぱいの表情で、じろじろと山田や市川、三村、洋子などを見つめていた。

「ようこそ、このロング号へ」

 乗組員のなかで年長らしい男が一歩進み出ると手をつきだした。みなその乗組員の男と握手をかわし、礼を言った。たちまちほかの乗組員も口々に歓迎の挨拶をはじめ、その場はいっきになごんだ。最初に声をかけてきた年長の船員は副長だということだった。

 そのなかで山田はクマリ号のタバン船長以下、船員たちがみょうに固い表情をしているのに気づいた。全員、この場にうちとけようとはせず、飛行船の乗組員に話しかけられてもただあいづちをうつだけでいる。

 やっぱりこの飛行船が魔王のものと思っているのだろうか。

 最初に挨拶にたった副長が口を開いた。

「いま船長があんたらに会いにくるから、ここで待ってくれないか」

 その言葉がおわらないうち、廊下を近づいてくる人影にみな気づいた。

 ほう、と市川、山田、三村の男三人は感嘆の声をあげた。

 船長は女の子だった。

 しろい上着はセーラー服で、下半身はふとももがむきだしになった短いパンツをはいている。年令はまだはたち前といってよく、卵形の顔に黒髪をきりっと後頭部でまとめていた。その髪の毛はふとい三つ編みにして腰のあたりまでのびていた。背中には日本刀を背負い、それをたすきがけにした紐でつるしている。足元は編み上げの革靴で、かかとが高くなっている。

 四人の中ですばやい目配せがかわされた。このキャラ設定は、あの夜ワルノリして描いたセーラー服の少女である。木戸監督はかれらの設定を使いきるつもりだろうか。それならほかに設定した宇宙人とか、戦車もこの物語に登場させるつもりだろうか?

「ヨーリ!」

 とつぜんの叫び声にみなふりかえった。声をあげたのはエレンであった。彼女はぼうぜんと口をあけ、セーラー服の美少女の顔を見つめている。声をかけられた彼女はエレンを見てぎくりとなった。

「エレン……」

「ヨーリ! あんた……こんなとこでなにやってんのよ?」

 エレンはぐい、と一歩前へ進み出た。ヨーリとよびかけられた彼女は一瞬ひるんだ顔になったが、それでもあごをあげエレンの顔をにらみつけた。

「あんたにそんなこと言われたくはないわね……エレン」

 ふたりはしばしにらみあった。エレンはふっと肩の力をぬき、口をひらいた。

「あんた、船長なんだって?」

 ヨーリはうなずいた。

「そうよ、神聖ゲゼン帝国の飛行船部隊のゴール号船長というのがいまの身分。どう、驚いた?」

 エレンはくすりと笑った。

「驚いたわよ……! あいかわらずあんたはあたしを驚かせてくれるわね」

 そういうとエレンはあははは! と、天井を仰いで笑い出した。ヨーリもまた顔をほころばせた。

「あたしも驚いたわ。なんでお姉ちゃんがここにいるのよ? トラントンの町にいるはずじゃなかったの?」

「お姉ちゃん……あんたたち、姉妹だっていうの?」

 洋子があきれて声をあげた。エレンはくるりと洋子をふりむいてうなずいた。

「そうよ。あたしが盗賊家業をはじめたころ、この子はそんな商売はいやだってあたしのもとを飛び出したのよ。そのまま消息不明だったけど、まさかこんなことになっているとは思わなかったわ」

 ヨーリは肩をすくめた。

「お姉ちゃんはあたしに盗賊の片腕になってほしかったらしいけど、あたしはいやだったの。だってトラントンの町だったら盗賊だって大手をふって歩けるけど、ほかの町じゃお尋ねものだわ。そんな日陰のくらし、ごめんだもの」

「あんたねえ……」

 エレンがいいかけるとヨーリは手をふってそれをさえぎった。

「そのことについちゃあたしとお姉ちゃんとでさんざっぱら話し合ったはずでしょ。それよりどうしてお姉ちゃんがこんなとこにいるのよ? まさか盗賊をやめたわけじゃないでしょ?」

 妹に質問され、エレンは黙った。その顔を見てヨーリの眉があがった。

「ねえ、お姉ちゃん。まさかまだあれのことを──?」

 エレンの顔に血が上った。

「あんたには関係ないわよ!」

 ヨーリは首をふった。

「あきれた! まだあきらめられないのね……。まあ、それがお姉ちゃんらしいとはいえるけど」

 みなが顔に疑問符を浮かべているのを見てとったヨーリはふっと笑った。

「いっとくけどこのことはあたしとお姉ちゃん、姉妹のことだから、あんたらに説明するつもりはないわ。お姉ちゃんも話す気はないはずよ。だから尋ねても無駄よ」

 機先を制せられ、洋子をはじめみな心中で舌打ちをしたが、どうやらそれ以上そのことについて話す気はふたりにないようだった。ヨーリはみなを廊下のさきへうながした。

「それより食事はどうかしら? こっちに食堂があるから、お腹がすいているならなにかつめこみましょうよ。それにあんたたちのことも聞きたいしね」

 食事と耳にして不覚にもみなの空腹感が刺激された。ぐう……、と山田の腹がなり、かれは顔をあからめた。

 それを聞きつけヨーリはにやりと笑った。

「どうやらお腹がすいている人がいるみたいね。それじゃ食堂へどうぞ! この廊下をまっすぐだから」

 そういうと彼女はさきにたって歩き出した。副長が口をひらいた。

「さあ、みんな。船長のご招待だ。この船じゃ豪華客船のような食事はだせねえが、それでも腹がちゃんとふくれるだけのものはだすぜ」

 が、タバン船長とその部下たちはなぜか目をきょときょととさせるだけで動き出そうとはしなかった。副長は眉をひそめ、タバン船長にちかづいた。

「どうした、あんたたち腹はへっていねえのか?」

 副長が一歩ちかづいただけでタバンの顔は蒼白になった。あわてて手をふりまわし、あとずさる。

「やめてくれ! おれたちにかまわねえでくれ!」

 ん? というような表情が副長の顔にうかんだ。

「なんだ、なんだ。あんたらいったい、なにを怖がっているんだ」

「おれはマッソの町でこの飛行船をなんども見たんだ。この飛行船はいつも魔王の城のある北の山脈のむこうから飛んでくるんだ。こいつに描かれているマークを見たろ。ありゃ、魔王の紋章にきまってら!」

 タバン船長の言葉に副長はかっとなったようだった。

「なにを馬鹿なことを……! この飛行船は神聖ゲゼン帝国の正式な飛行船部隊の一隻だし、描かれている紋章もゲゼン帝国の由緒ある「事象の地平線を見渡す目」を図案化したものだ! 魔王の紋章だって? それじゃあんたは魔王の紋章というのがどういうものか知っているのか?」

 言われてタバンはぐっとつまった。

 副長は身をそらせた。

「ほうら見ろ! あんたらマッソの連中はおれたちの船を見てこわがるが、その実ほんとうのことはなにも知っちゃいないんだ。魔王だって! 冗談じゃねえ、おれたちこそ魔王のちからに対抗しているんだ。おれたち神聖ゲゼン帝国がなかったら、マッソの町なんかあっというまに魔王の軍勢に蹴散らされているところだ」

 へえ、とタバンは副長を見上げた。

「魔王の軍勢に対抗しているんだって? それじゃあんたら、魔王と戦っているっていうのかい?」

 副長はいやいや、と首をふった。

「戦っている──といえるほどりっぱなことはしちゃいねえ。魔王の魔力をくいとめているだけで精一杯のところさ。しかしおれたちのはたらきがなけりゃ、魔王はいまごろマッソの町はおろか、トラントンの町まで支配しているところだよ」

 タバンの顔に尊敬の表情がうかぶ。

 副長はどん、とタバンの背中をたたいた。

「それより飯だ! 腹がへっていちゃ、なにを見ても気分がめいるってもんだ。さあ、いこうぜ」

 なんとなくそれでタバン船長のうたがいもはれたようだった。副長とタバンは肩をそろえて歩き出した。それを見て、部下たちもつづく。

 全員、飛行船の食堂に集まり、飛行船の乗組員が食器をくばりはじめた。食器はすべて金属製でできていた。じっと三村が食器を見つめているとヨーリが声をかけた。

「食器に興味があるの?」

「い、いや……」

 ヨーリに見られていたと思って三村は顔をあからめた。

「陶器や磁器で食器をつくると万が一のとき割れて怪我をすることがあるからね。だから食器はなるだけ金物にすることにしているのさ」

 ふうん、と三村はうなずいた。そこへ乗組員がおおきな寸胴を運んできた。ほかほかとした湯気が寸胴の蓋からもれてくる。乗組員は中身をよそってみんなの皿にもりつけていった。山田はスプーンをつかってそれを口にはこんだ。どろりとした、香辛料がふんだんにつかわれた粥状の食べ物である。つけあわせにボイルしたソーセージと、つぶしたポテトがついていた。まずくはないが、とりわけ旨いというわけではない。そんな山田の顔色を読んだのか、ヨーリ船長は口を開いた。

「こんな空の上じゃこった食事はできないから、がまんしておくれよ。まあ、腹はくちくなるはずだ。ゲゼンについたら、ちゃんとした食事をだせるから」

 ヨーリ船長のことばにタバンは目をむいた。

「失礼、いまさっきなんと……?」

「ゲゼンに行く──と言ったつもりだけど、それがなにか?」

「わしらはてっきりマッソの町へむかうものと思って……」

 タバンはへどもどと言い訳をした。

「マッソの町にはこの飛行船を係留する設備がないから着陸できないの。ゲゼンについたらそこからあなたがたはマッソの町へ帰ればいいわ」

 なるほど、とタバンとかれの部下は納得してスプーンをつかってもくもくと食事をつめこめはじめた。そんなタバンたちをヨーリはじっと見つめ、話しかけた。

「ねえ、タバン船長。相談なんだけど、あなたがた船をなくして困っているのでしょう?」

 かちゃり、と食器をおいてタバンは顔をあげた。

「まあ……そうですが……」

「わがゲゼン神聖王国では魔王と戦うために兵士を募集しています。あなたがたが募集に応じてくれれば、わがゲゼン神聖王国飛行師団は歓迎しますよ。あなたは長い間船長をつとめていたから、飛行船の一隻をあたえ、船長としてむかえることもあたしの一存で決定できるんです」

「なんですと……」

 タバンはあっけにとられていた。いつもは青白い顔色が、このときばかりは紅潮している。部下たちも食事の手をとめ、じっとタバンのほうを見つめていた。

 ヨーリはにっこりと笑いかけた。

「まあ、いきなりの話しなので返事は急ぎません。ゲゼンへ到着するまで考えてください」

 タバンはうなずき、目の前の食器を見つめ考え込みはじめた。

 ヨーリはふたたび三村に顔をむけた。

「さて……のこったあなたがたですが、いったいあなたがたの目的はなんですの? タバン船長の船に乗ってマッソをめざしているのはなぜ?」

 三村はゆっくりと答えた。

「僕たちの目的はあなたがたと同じです」

 ヨーリの瞳がおおきく見開かれた。

「僕らは魔王を倒すため旅をしているんです」

 そうして三村はドラン公国のコーラ姫が魔王にさらわれてからのことを要領よく説明していった。もちろん、現実世界からこの世界へ転移したことはふせている。何度もさまざまな場面で説明をくりかえしているので、その説明は滑らかだった。

 三村が説明をおえると、ヨーリの瞳はきらきらと輝いていた。ほほはピンクにそまり、あきらかに感銘をうけている様子だった。

「すばらしいわ! 魔王と戦っているのはわたしだけだと思っていたのだけど、こんな勇者のみなさんが参戦してくれるとは! ぜひあなたがたはわがゲゼンへいらしてくださって、法皇さまにお会いしてもらわないと!」

「はあ?」

 三村のくちがぽかんと開いた。ヨーリは興奮していた。

「法皇さまはわがゲゼンで魔王の魔力を封じるちからの持ち主なのです。しかしさすがの法皇さまもちかごろは寄る年波には勝てず、その法力もよわまるいっぽうなのです。このままでは魔王の魔力に圧倒されるかもしれないと案じていました。ですからあなたがたの助力が必要なのです」

 両手を机におき、ヨーリは立ち上がった。

「お願い! ぜひ法皇さまに会ってください!」

 

「妙なことになったなあ」

 市川は嘆息した。

 食事がすみ、四人は飛行船の中に部屋をあてがわれた。山田と市川、洋子とエレンはそれぞれ一部屋で、ベッドがふたつある部屋で、三村だけひとり部屋だった。どういうわけか三村のことをこの世界の人々は高貴な身分の人間と思い込む傾向がある。したがっていろいろな場面で特別あつかいをされるのだが、ほかの三人はそれになれてきていた。

「まさかこの飛行船の船長が、エレンの妹だとはなあ!」

 山田が市川の言葉に合いの手をいれる。

 そのエレンはこの部屋にいない。

 船長室にヨーリと向かっている。たぶん、姉妹で積もる話しに夢中になっているのだろう。

 市川は肩をすくめ口を開いた。

「まったくだ。しかしどう考えても都合のよすぎる話じゃないか? 難破して、そこで助けられた相手の船長が妹だなんて」

 山田はぷっ、とふきだした。

「木戸さんの、ストーリーづくりの下手さが露呈したって感じだな……。こんなご都合主義、最近じゃライトノベルでも珍しいんじゃないか?」

「ちょっと、木戸監督のことはどうでもいいでしょ! とにかく設定よ! あんたら、家へ帰りたくないの?」

 無駄口をかわしていた市川と山田は洋子に叱られ首をすくめた。

 三村、市川、洋子、山田の四人はその三村にあてがわれた部屋にあつまり、これからのことを相談しようということになったのである。

「ともかくゲゼンという町の設定を描かなきゃなあ」

 山田は窓際にちかいところに椅子をおいてすわりこんでつぶやいた。

「ああ、おれもゲゼンの法皇さま? とかいうキャラの設定をしなきゃ……そうしないと、この飛行船はどこにもつかないことになっちまう」

 市川がそれに同意した。

 洋子は首をかしげた。

「それにしても聞いたことのない設定がつぎつぎ出てくるわねえ。ゲゼン、なんて町の名前いままで出たっけ?」

 山田はうなずいた。

「企画書のなかじゃなかったな。もっとも企画書も魔王とたたかう最終場面についちゃかなりあいまいな書き方をしていたから、監督の頭のなかにあったかどうか疑問だよ。でもこれでいよいよ魔王とのたたかいが現実のものとなってきたみたいじゃないか! これがすめば、おれたちもとの世界に帰ることができるんだ」

 山田がはればれとした表情をしているのにたいし、市川はややうかない顔色だった。

「どうだかねえ……これが全員ハッピー・エンドになるって思っていいのか?」

 え? と、ほかの三人が市川の顔を見つめた。市川は言葉をついで説明した。

「いや……、もしも監督の頭のなかに登場人物のだれかを犠牲にしよう……なんてことがあったらどうする? ほら、たいていこういうファンタジーじゃ、最期の決戦で仲間をすくうためだれかが犠牲になって死ぬ……なんて場面が出てくるじゃないか」

 市川の言葉にみな凝然となって声をうしなっていた。

 洋子は首をふった。

「木戸さんがあたしたちのだれかを殺そうと考えているっていうの? そんなこと信じられないわ。いくら作品のためだって、あたしたち仲間だったじゃない」

「うん、現実世界ではね。でも木戸さんがおれたちがこの世界に放り込まれて冒険をしているってこと、承知しているかどうかどうしてわかる?」

「ああ……」

 洋子はうなずいた。

「そうよね……、あれから木戸さんはあたしたちの前から姿を消しているし、たぶんなんらかのかたちでこの世界のストーリーつくりに関わっているんでしょうけど、あたしたちがこんな苦労していることなんて想像しているかどうかね……」

「そうさ。この四人のなかじゃ、いちばん死ぬ可能性のたかいのはおれだよ。

 三村くんはどうやらこの物語の主役らしいから最期まで死ぬことはないだろう。山田さんも準主役っぽいから最期まで登場するんじゃないかな。洋子ちゃんだってこの物語のヒロインだ。

 となると、いちばん死にそうな役割はおれだってことになる。ほら、たいていの冒険物語で最期に死ぬのはおれみたいなタイプだろ? それまでは地味な役割に甘んじているが、最後の最後で派手な死に方をして視聴者の記憶にきざみこまれる……そんな役割だ」

 山田は笑顔になった。

「おいおい……それをいうならおれたち四人、だれをとっても最期に仲間の犠牲になって死ぬ可能性はあるぜ。

 三村くんが主役だっていうが、もしかしたら主役は市川くんのほうかもしれないじゃないか。おれだって役割の地味さからいうとどっこいどっこいだ。洋子くんだって、木戸監督がここはヒロインの死が必要だ……なんて考えるかもしれないじゃないか」

「やめてよ縁起でもない!」

 洋子はさけんだ。

 市川はふいに乾いた笑い声をあげた。

「はははは……どうも考えすぎちゃったみたいだ……悪い! 変なこと口走ったみたいだ……」

 山田は立ち上がった。

「ともかくおれたち設定書を描こうじゃないか。はやくこの冒険を終わらせたいよ」

 市川もうなずいた。

「わかった……、とにかく仕事をすませようや」

 

 夜中になって市川は目をさました。

 壁をつたわって飛行船のエンジンの振動が「ごうん、ごうん」と響いてくる。なぜ目が覚めたのだろうと天井を見上げていると膀胱が尿意ではりさけそうになっていた。

 トイレにいかなきゃ……、とベッドから身をおこすと部屋のすみがあかるい。

 なんだとそちらを見ると、この部屋に用意されている机に蝋燭がともされ、その前に同部屋の山田が背中をまるめ、なにかを描いている。

 まだやってる……、と思いつつ尿意にうながされ市川は部屋を出て廊下をあるいた。すぐさきがトイレになっている。トイレの便器は開放式で、底から夜の海面がはるかにのぞける。つまり垂れ流しなのだ。

 ようやく膀胱をからにして市川は部屋にもどった。

 あいかわらず山田は机にむかい、せっせと手を動かして用紙にむかっていた。

「まだやってんですか山田さん」

 声をかけると山田はうん、とうなずいたが返事もせず鉛筆を動かし続けた。市川は好奇心にかられ山田の背中越しに設定書をのぞきこんだ。

 そこには険阻な山脈にそびえたつ奇妙なかたちの城があった。用紙の右上に「魔王の城」とタイトルがある。

「魔王の城の設定すか?」

 ああ、と山田はつぶやいた。

 市川は山田の机にほかにも設定書があるのに気づいた。みな魔王の城の設定で、城の詳細な構造や階段、門、廊下などがこまごまとした描写で描かれている。

「これ、魔王の城の内部……」

 市川は一枚の設定画を手にとった。そこに描かれているのは城の内部である。石組みであるところは、苦悶の表情をうかべた無数の人体がはめこまれている。

「人間が壁になっているんだ」

 山田はうなずいた。

「うん、木戸さんと魔王の城について打ち合わせしてたからね。なんでものろいをうけた人間が彫刻になって城をつくっているんだそうだ」

 市川は不安になった。

「あのう……これ、背景でやるんでしょ?」

 いやあ、と山田は嘆息した。

「まさか……、これは作画の担当だよ。背景マンが、キャラを描けるわけないじゃないか!」

 いやいや……、と市川は手をふった。

「そんな! セル描きなんて作画だってやりませんよ。だってこれ、どう見ても背景の担当ですよ!」

 しばし山田と市川はにらみあった。ふっと目をそらし、山田は肩をすくめた。

 くくく……。

 山田はしのび笑いをした。市川も苦笑いをうかべ口を開いた。

「ずいぶんがんばるなあ。魔王の城にいくのはまださきだろうに……」

 市川にそう言われ、山田はつぶやいた。

「なんだかこうして仕事をすませておけば、はやく家に帰れるんじゃないかと思ってね」

 市川はひそかに恥じ入った。

 そそくさと山田のもとを辞して外へ出る。

 目はすっかり覚めてしまっていた。

 ちょっと散歩しようかとあるきだす市川は、三村の姿を見た。

 かれは廊下から、外の景色を窓から眺めているようだった。

 あいつが三村か……。

 市川は制作進行の変貌振りに驚いていた。

 スタジオの中で、所在無げにうろうろしていたあの制作進行マンの姿はいまはない。ひょろりとした痩身は、いまでは堂々たるヨーロッパの王子様、といった姿だし、マントを羽織ったその横顔はまるで別人である。

 かれは市川に気づき、顔を向けるとかすかに会釈した。

 思わず膝まづいてしまいそうになる衝動を市川は抑えた。それほどいまの三村は貴族的といっていい容貌を持っている。

「お前さんも眠れねえのかい?」

 市川はしいてざっかけない口調で話しかけることで三村の影響を脱しようとしていた。

 三村はかすかにうなずいた。

「ねえ市川さん、ここに来る前の生活思い出しますか?」

「当たり前だろう! 夢に見るくらいだ。おれのアパートには限定物のフィギアが並べているんだ。おれが帰るまで、無事でいるかひやひやしてんだ」

「そうですか……。だけどぼく、なにも思い出せないんです」

 なにを言い出すのか、と市川は三村の顔を見つめた。三村はなにか思い悩んでいるようだった。

「ここへ来る前、ぼくアパートで暮らしていたはずなんですが、そのアパートの名前が思い出せないでいるんです。それに……」

「それに?」

 三村は眉を寄せた。

「じつは両親の顔も思い浮かべることできないんです……! 思い浮かべることの出来るのは、こっちに来てからのことばかりで……ねえ、市川さん。ぼく、三村ですよね。制作進行の」

 市川はうなずいた。

「当たり前だろう! なんでそんなこと思うんだ?」

 三村はふたたび窓の外に視線をもどした。

「その、たびたびじぶんの名前が三村なのかパックなのかわからなくなってくるんです。急速にじぶんが変わっていくようで……。なんだかこっちのじぶんが本当のことみたいで……」

 市川は首をふった。

「そりゃお前さん、思い過ごしだよ。考えてみろよ。この世界は、木戸監督の頭のなかで出来上がった世界だぜ。少々、ファンタジーとしては月並みな道具立てだけどな」

 市川の軽口に、三村はうっすらと笑いをうかべた。

「そうですよね……」

「寝ろよ。あすは早いっていうぜ」

 おやすみなさい、と三村は返事をしてじぶんの部屋へもどっていった。

 その後ろ姿をながめ、市川はこれからあいつどうなっちまうんだろうと心配だった。

 三村が一番、この世界に来て影響をうけているようだった。


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