表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/16

航海

いよいよクマリ号で一行は海へ!

ファンタジーの定番の、船の航海である。

が、航海には定番の海の怪物が一行を襲う!

「うう……なんとかしてくれ!」

 市川はクマリ号の船端にしがみつき、まっさおな顔でつぶやいた。

 夜明けとともにクマリ号は出港し、エレンをふくめた五人は乗り込んでいた。波はたかく、船はおおきくピッチングとローリングをくりかえしまっさきに船酔いにかかったのは市川だった。げえげえと何度も海にむかって胃の内容物を吐き出して、いまは吐き気だけでもどすものもないという状態である。昨夜のふか酒がきいたのだ。

「もう……だからあんなに飲むなっていったのに」

 洋子は市川のそばにつきっきりで背中をさすっていた。

「水平線を見るんだ……海面を見ていると酔いがひどくなるぞ」

 そういう山田もまっさおな顔をしている。市川の船酔いがうつったのだ。三村は船のへさきちかくにいて、進行方向を見ている。前方にはひくく雲がたれこめ、嵐の予兆があらわれていた。かれはひどい船の揺れにかかわらず平気な顔をしていた。

「あんたは船酔いしないんだね」

 エレンが声をかけた。三村は彼女をふりむいてうなずいた。

「そうだね」

「あんたらいったいどういう間柄なんだい?」

「え?」

「あんたの家来かと思ったら、ちがうようだし。だいいち、あんたがあの三人にはどちらかというとへりくだった物言いをするじゃない。あんた、どこかの王子様なんだろ?」

 三村はかぶりをふった。

「ちがうよ。ぼくはただの制作進行で、王子様なんてがらじゃない」

「せいさくしんこう? なんだいそりゃ」

「ええと……山田さんならもっとうまく説明できるんだろうけど、つまりどちらかというとぼくはあのひとたちの役に立つよういろいろ細かい仕事をするのが役目なんだ。だれが偉いとか、そういうことじゃない」

「そりゃ召使っていうんだよ。あんたの説明ならそうなる。まったくあんたらおかしな仲間だよ。あんたらの様子を見ていると友達どうし、という感じだけど、あの山田とかいうドワーフの爺さんと市川っていう坊主の年の差を考えるとそれもおかしいしね……。それにしちゃあの小僧、爺さんにまったく対当の口をきいているしね」

 三村は説明をあきらめた。テレビもアニメもないこの世界で、かれらの仕事をどう説明したらいいのか? それよりかれはエレンに聞きたいことがあったのである。

「それよりきみはどうしてぼくらについてくる気になったんだ? なにか北の大陸で目的があるのかい」

 エレンはふっと視線をそらした。

「あたしにもいいたくないことはあるよ。まあ、マッソの町までは一緒にいさせてもらうよ」

「ふうん」

 三村がうなずくと、クマリ号の船員が近づいてきた。

 エレンはそちらを見てあおざめた。

 船員はわかい男で、ふつうだったら男前といっていい容姿をしている。しかしその視線はどろんとにごり、表情は死人のようにかたい。もっともある意味かれは死人とおなじなのだ。エレンの説明によると、船員はすべて海で死んだ人間を魔王が生き返らせこの船に乗り組ませているのだそうだ。

 男はもうろうとした目をあげ、ふたりをゆっくりとながめた。

「な、なんだい……なにか用かい?」

「嵐がくる」

 ぼそり、と船員はつぶやいた。その声は洞窟のおくからひびいてくるようで、どこかうつろだった。

「え、なんだって?」

「嵐がくる。船長がそういえと命令した……船客は船室にいるように……」

 それだけいうと船員はくるりと背を向けたちさった。

 エレンはぶるっとふるえ、腕をあげて胸をだいた。

「まったく気味悪い連中さ。まあ、この船に乗り組むからには覚悟してたけど」

「タバン船長はあまり死人という感じはしないけどね」

「そりゃあいつは魔王に生命をふきこまれた死人じゃなくて、もともと生きていた人間の寿命をむりやりひきのばされただけだからね。船員とはちょっとは違うし、そうじゃなくては船長の仕事はできないものね」

「嵐がくるっていってたな。この船はだいじょうぶなのか?」

「そりゃだいじょうぶさ。なにしろ魔王ののろいがかかっているからね。ちょっとやそっとの嵐なんかよせつけないよ。しかし甲板にいたら、あたしたちは魔王にまもられていないから波にさらわれるかもしれない。船室にひっこんでいたほうが利口だよ」

「そうだね」

 三村はうなずきエレンとともに船室につづく階段をおりていった。

 階段をおりる直前、三村はまた空をみあげた。

 まっくろな雲はすでに空の大半をおおい、なまあたたかい風がふいていた。三村は耳なりがするのに気がついた。あごを動かすと、内耳がぽくんと鳴った。気圧がさがっているのだ。

 甲板をおりて船室にはいると市川は紙のようにしろい顔をあげた。そうとうまいっているらしい。

「嵐がくるんだって……?」

 かれは船室につくりつけの二段ベッドのしたに横たわっていた。そのそばに洋子がひざまづき、市川のひたいにうかんだ汗をハンカチでぬぐっていた。

「だいじょうぶですか」

 三村が声をかけると山田は首をふった。

「どうも風邪らしい。熱もあるようだ」

「そりゃまずいですね」

「ああ、この船で設定をかたづけようと思ったんだが……こりゃ市川くんが回復するまで無理かもしれないな」

「え、まだやっていなかったんですか?」

 三村はちょっと驚いた。これまでの山田の説明では、かれらが設定書を描いておかなくては名前だけの町や、その住民などはこの世界に実在しないことになる。したがってまだ描いていないマッソの町はまだないわけだから……。

「そ、それじゃこの航海は?」

「ああ、へたをすると市川くんが回復するまでながびくな」

 そのとき船内にごとごとごとと振動がひびいた。

「な、なんだこりゃ!」

 山田はうろたえた。

「地震……のはずないな。海の上で」

「船長が蒸気エンジンを動かしているのさ。あんたら見なかったのかい、この船の外輪を」

 エレンの説明に山田はひたいをぽん、とたたいた。

「あ、そうか! じぶんで設定してわすれていたよ。この船が蒸気船だってことを」

 振動はやがてごとん、ごとんという規則的な音にかわった。ざばーっ、ざばーっという外輪が水をかきわける音が聞こえてくる。どうやら蒸気機関が全力をだしてこの嵐をのりきるためパワーをあげているのだろう。

 どおおお……

 地の底からひびいてくるような轟音がせまり、船はぐっともちあげられた。

「ひゃあっ!」

 みな悲鳴をあげた。

 山田は窓にとりついた。ガラス越しにまっくろな波が山のようにもりあがり襲ってくるのが見えた。そしてその波が視界から消え去り、窓のそとは空だけになった。

「うわっ!」

 体がななめになり、山田は必死になって船窓の取付金具にしがみついた。船がかたむいたせいで船窓のそとは空だけになったのだ。からからから……と外輪が空転する音が聞こえてくる。

 ふっとからだが軽くなり、五人は船室のなかで宙にうかんだ。

 どしーんっ!

 いったん波頭にもちあげられた船がこんどは波の谷底にたたきつけられ、全員は床にころがってしまった。ぎしぎしと木材がきしむ音が不気味にひびいた。

「痛え……」

 もっともひどい怪我をおったのは市川だった。なにしろ直前までベッドでうなっていたのだから身をかわすなんてこともできない。

「市川くん!」

 洋子があわてて市川のそばに這いながら近づいた。床にのびている市川の体をまさぐるとあおざめた。

「大変! かれ、腕の骨を……」

「なにい!」

 山田もなんとか市川のそばによっていった。

「折れてはいないけど、どうやら脱臼したらしいわ」

「なんだって……」

 ぶるん、と山田は顔を手でぬぐった。いつのまにかぬるぬるした汗が顔いっぱいにふきでている。

 市川の顔をのぞきこむと白目をむいている。気絶したらしい。

「洋子ちゃん、きみ市川くんをおさえてくれ。これいじょう怪我をされてはかなわん」

 洋子はうなずくと、しっかりと市川の体をだきしめた。

 ざばあっ!

 甲板から水が船内にながれこんだ。三村は船室のドアにとりつき必死になって締め切った。が、すきまからがばがばと音を立てて海水がふきだしてくる。たちまち船室の床は水浸しになってしまった。

 それから数時間、船は嵐とたたかいつづけた。

 波にもちあげられ、ほおりだされ、また水面にたたきつけられというくりかえしで、五人は船室のなかでふらふらになった。

 が、ようやく嵐はすぎさり波はおだやかになった。

 がくがくしている膝をようやく気力でふるいたたせ、山田は窓に鼻をおしつけた。

「どうやらおさまったようだな……」

 窓からは雲間からさしこむひざしがさしこんでくる。

 市川を見ると口をあけてながながと床によこたわり、その頭を洋子がじぶんの膝枕におしつけ心配そうにのぞきこんでいる。はっと顔をあげると山田の視線がそそがれていることに気づきまっかになって、あわてて市川の頭を膝からはずした。市川の後頭部がごつん、と床に音を立て、かれはうめいた。

「眠っているわ。まあ、おきていたら大変だったろうから、これでよかったわ」

「うん」

 山田はわざと生返事をすると市川のそばに膝まづいた。

「どうだい、脱臼しているって?」

「ええ、わるいことに右肩らしいわ」

「まずいな……キャラ設定がまだなのに」

 そのとき市川のまぶたがぴくぴくと動いた。

 ぱちっと両目がひらき、のぞきこんでいる洋子と山田の顔をみとめた。

 起き上がろうとしてたちまち顔がゆがんだ。

「うぎゃぁ!」

 肩をおさえてうずくまる。

「だめよ! あんた、肩を脱臼しているんだから」

「え?」

 市川は洋子を見上げた。あわてて右肩に手をやり、ぎくんと身をふるわせた。

「痛っ……」

 苦痛に声もでないようだ。

「どうする、洋子くん。これじゃどうしようもないぜ。脱臼をなおすなんて、おれできないからな」

「あたしだって無理よ。接骨医なんかじゃないんだから」

 ひそひそと会話をかわしているとそこへエレンが腰をおろした。

「骨をはずしたんだって?」

「ああ、肩の関節らしいけどね」

 山田がこたえるとエレンは市川の肩に手をやった。

「それならなんとかなる。あたしなら関節をもどせるわ」

 そういいながらエレンはたしかめるように市川の肩、腕をまさぐっていく。彼女にふれられるたび市川はびくん、びくん、と身をふるわせた。

「きみ、ほんとうにそんなことできるのか?」

 山田がそうたずねると彼女はうなずいた。

「まあね、手下の傷をなおすのも、あたしの仕事だから。これくらいなら直せるわ」

「じゃ、やってくれ! かれの腕が動かないとまずいことになる」

「いいわ。それじゃ、あんたたち、こいつのからだをおさえていて」

 エレンの指示にしたがい、山田と洋子は市川のからだをおさえつけた。しっかりおさえつけられたことを確認するとエレンはいきなり市川の腕をつかみ、あっというまもなくねじりあげた。

「ぎゃあああっ!」

 市川は苦痛に絶叫した。

 そのとき右肩でごき、という音がした。

 市川はぽかん、と口をあけた。

「どうした?」

 山田が声をかけると市川はおそるおそるじぶんの右肩に手をふれた。

「痛っ……? くないよ。なおってる」

 ふうう……、と山田はひたいのあせをぬぐった。

「まったく、ひやひやさせやがる」

「もとにもどしたけど、あまり無理をしてはだめよ。二、三日はしずかにしてないと、またはずれるかもしれない。へたをするとはずれ癖がついてしまうから」

 エレンにいわれ、市川はうなずいた。山田はかれにささやいた。

「市川くん、きみ右手はどうだ?」

「動かせるよ」

「そうか、それじゃ設定もやれるな?」

「ああ。はやくこの船旅おわらせたいからな。今夜、あげちまおうや」

「同感だ」

 ふたりがおたがいうなずきあうのをエレンは不思議そうにながめた。

「あんたたち、なに話してるのさ?」

「あんたには関係ないことよ」

 洋子の言葉にエレンの眉がぴくりとはねあがった。

「なんだってえ……」

 ぴりぴりと唇のはしがふるえている。洋子はたちあがった。

「なによう、やるっての?」

「やってやろうじゃないか、おもてへ出な!」

 山田はふたりにわってはいった。

「まあまあ、ふたりともやめないか」

「よしてよ、山田さん。あたし、この女盗賊についちゃいいたいことがあるのよ」

「へえ、なにがいいたいのよ、おばさん」

「おば……」

 洋子は絶句した。たちまち顔がまっかにそまる。エレンはせせら笑った。

「若作りしてるけど、あたしの目はごまかせないよ。あんたいい年じゃないか」

 洋子の目つきが険悪なものになった。ぎりぎりぎり……と、音が聞こえそうなほど歯をくいしばる。その歯のあいだから、ひとことひとこと、おしだすように言葉がもれた。

「あんた、女盗賊だかなんだかしらないけど、どうしてそんな裸同然の格好で平気なの? 一日中、男に色目つかっているみたいじゃない!」

 こんどはエレンの顔がまっかになるばんだった。おもわずゆたかな胸をおさえる。

「あ、あたしが男に色目つかっているだって? よ、よくもそんなことを!」

 きいーっ、という悲鳴のような声をあげ、エレンは洋子につかみかかった。たちまちせまい船室でどたん、ばたんとふたりの女が格闘する音がひびく。そんなふたりの様子を男たちはぼうぜんと見守っていた。

「どうする、山田さん」

 市川が山田に話しかけた。山田は眉を八の字にして、首を振った。こうなったらじぶんの出る幕ではないと言っているようだ。

 そのとき三村が口を開いた。

「あのう……ちょっと……」

「なんだよ」

 山田はふりむいた。と、三村の顔を見てたじろいだ。三村は船窓をゆびさし、まっさおな表情になっている。

「たいへんなんです!」

 なんだ、なんだと山田と市川が近寄った。市川はまだ肩がいたむのか、手で押さえたままである。

 ちいさな窓に男三人が顔をよせる。なんともむさくるしい図ではある。が、三人の顔は恐怖に凍りついた。

「な、なんだありゃ!」

 叫び声をあげたのは山田だった。

 ばしゃーっ、と水しぶきが窓ガラスをぬらす。そのむこうに、もりあがる波のなかからなにかが海面を突き破ってうごめいている。おもくたれこめた空の雲間からはひっきりなしに稲光がひかり、その閃光にくっきりとうかびあがった黒い影……。ぬらぬらとしたからだに無数の蛇のような腕がついている。その腕にはびっしりと吸盤が見えていた。

「蛸かな?」

 山田がつぶやくと市川は否定した。

「いや、烏賊だ……大烏賊だ!」

 市川の言葉は正しかった。大烏賊はその全身を海面にあらわにした。巨大な胴体はさきぼそりのスマートな形で、その先端にはエンペラとよばれる翼のような耳がついている。烏賊は身動きとともにその表面の色と模様をめまぐるしく変化させていた。

「近づいてくるぜ」

 山田が叫んだ。その言葉に呼応したかのように大烏賊は見る見るその距離をつめてきた。

 どしーん! という音とともに、船体がぐらりとゆれた。みしみしみし……と、木材が悲鳴をあげた。

 うひゃあ、と悲鳴をあげ、三人は窓からあとずさった。

 ばりん、と窓ガラスがわれ、そこからにゅるんと烏賊の腕が室内にあばれこんだ。烏賊の腕は室内をさぐるようにどたん、ばたんとあばれまわった。

 三村はその瞬間形相がかわり、すらりと腰の刀をひきぬいた。むん、とばかりにちからをこめ、烏賊の腕をすぱりときりさく。烏賊の腕は切り落とされ痛みを感じたのかすぐさま窓からひきぬかれた。腕がひきぬかれると、どっとばかりに潮水があふれた。その窓に、巨大な眼がのぞいた。烏賊の眼球である。烏賊や蛸のような頭足類は無脊椎動物のなかではもっとも進化しているといわれている。眼球は窓にぴったりとおしつけられ、ぎょろぎょろと左右に動いた。まるでいまじぶんを傷つけた相手をさぐっているようだった。瞳孔が怒りに燃えたかのようにひろがった。

 ぐうっ、と船室が横倒しになった。船を大烏賊が押しているのか?

 きゃあっ、と甲高い悲鳴をあげて洋子とエレンのふたりがころがった。

「な、なに?」

 エレンが洋子から身をふりほどき、ぽかんと口をあけた。ぬちゃぬちゃと粘液の音をたて、烏賊の切り落とされた腕が部屋の中でのたうっているのを見る。

「臭え! なんてえにおいだ!」

 山田は顔をしかめた。室内には強烈なアンモニア臭が充満していた。大王烏賊などの深海生物は通常浮き袋をもたない。水圧が高すぎで、浮き袋等などでは浮力を調節できないのだ。そのかわり発達したのは体内にアンモニアをためこむことである。アンモニアは水より浮力があり、それにより浮力がえられるのだ。おなじような発達をさせたのは鮫である。したがって深海の生物はおおくは食用に適さない場合がおおい。

「なんなのよ、これ?」

「烏賊だよ。大烏賊が襲っているんだ」

 市川がどなった。エレンは傾いた床をはいのぼるようにして窓にとりつくと外をのぞきこんだ。とたんに割れた窓ガラスに大烏賊の巨大な目玉がぬっとばかりにあらわれた。エレンはひえっ、と悲鳴をあげ、たたらをふんであとずさった。さっきまで穏やかさをとりもどした海面も、ふたたびもりあがり、墨をながしたような雲がひくくたれこめ、雲間からはときおり雷光がひらめいた。どうやらさっき嵐が過ぎ去ったと思ったのは早計らしい。もしかしたら台風の目を通過しただけかもしれなかった。

 部屋のドアがどんどんとあらっぽくたたかれた。なんだ、と全員がそっちをふりむくとドアを開いてなかにはいってきたのは船長のタバンだった。もともとくらい顔色をさらにあおざめさせ、船長はむっつりと全員の顔を見わたした。

「手伝ってくれ、あの皇帝烏賊のやつがこのクマリ号を沈めようとしている。船員たちが立ち向かっているが……。ぐずぐずしていたらこの船は海の藻屑だ」

 あいかわらずタバン船長の声は洞窟からひびいてくるようなうつろなものだったが、表情は真剣だった。

 エレンは全員をふりかえり叫んだ。

「なにあんたらぼーっ、としてんだよ! さあ、甲板にいこう!」

 エレンの声に全員が夢からさめたような顔になり、おのおの武器を手に取った。市川もふらふらとしながら剣をにぎる。山田はそんな市川に気がついて声をかけた。

「市川君、やめたほうがいい。ひどい風邪だし、脱臼を治療したばかりじゃないか」

 洋子は市川にちかづくと背中をおしてベッドにつれていった。

「さあ、あんたは寝てなさいよ」

 市川は洋子にいわれ素直にうなずくとすとんと腰をおろした。そのままたおれこむようにあおむけになり、洋子はそのうえから毛布をかけた。

 どやどやと市川をぬいた全員は船長を先頭に甲板へむかった。

 階段をのぼるとざばーっ、とばかりに波しぶきがかかってきた。

 それを見上げるとたれこめる雨雲から横殴りの雨が一面をたたき、そのしぶきであたりは霧のなかにあるようである。ときたま雷鳴がとどろき、稲光があたりをシルエットにそめあげる。

 ぎいぎいぎい……。

 風雨をついて聞こえてくる妙な音に、なんの音かとそのほうを見ると船長が皇帝烏賊とよんだ大烏賊が甲板に足をのたくらせている。音はその烏賊が嘴をかみあわせるさいにたてるのだった。

「でけえ……」

 あらためて山田は烏賊の巨大さに驚いた、とばかりに声をあげた。

 たしかに巨大だった。なにしろ胴体だけでもクマリ号の半分はある。腕をいれた全長は船の二倍はあるだろう。その十本の腕を烏賊は船の胴体にぎりぎりとまきつけていた。そのうちの一本は先端が切られている。さっき三村が切り落とした一本である。しかしそれでも船にまきつけるにはじゅうぶん長い。烏賊の胴体の皮膚はめまぐるしく色や模様を変えていた。

 甲板には船員が全員得物をもち、烏賊と格闘していた。というよりはその腕とである。船員たちは船にからみついている烏賊の腕をなんとか引き剥がそうと剣や斧で切りつけていた。しかし先端部分ならともかく、胴体ちかくの腕のふとい部分の皮膚はぶあつく、刃物できりつけてもぶあつい皮膚にめりこむだけで引き抜けなくなってしまう。さらに腕には無数の吸盤がついていて、それがしっかりと甲板や船体にはりついていているから始末がわるい。烏賊は切りつけてくる船員たちをうるさく感じるのかときたま空いている腕をふるって船員のからだをまきあげ、空中にもちあげた。船員たちは悲鳴をあげて抵抗するがまったく効果はなく、そのまま烏賊の嘴にもっていかれる。嘴はがちがちとかみ合わさりあわれな犠牲者をはさみこんだ。

 ぎゃあっ、という悲鳴とともに烏賊の嘴から鮮血がふきだした。

「いこうっ!」

 三村が叫んだ。

 一瞬にしてさっきまでの気弱な表情はぬぐいさられたように消えていた。そしてときおり見せる勇者の表情があらわれている。三村の声に引きずられるように山田と洋子は武器をもち烏賊に突進していった。

 何でこんなこと、おれはやってるんだ……と、山田はふと思うのだが、こうなるともう自分のからだが自分のものでなくなってしまうようである。まるでどこか遠くからながめているように自分の行動を客観視するべつの自分がいるような気になってくる。

 わあああああ!

 三村は絶叫した。つられて山田と洋子も武器を手に口をいっぱいにあけ、怒号とも絶叫ともつかないわめき声をあげる。もうこうなってはやぶれかぶれである。

 ぎろり、と烏賊の眼球が動いた。

 甲板を突進する三村に気づいたようである。ぐるり、と烏賊はからだの向きをかえ、三村に向き直った。

 ぬらぬらとした粘液にまみれた腕がふりあげられ、ぶうんと空をきって三村をおそった。三村は両手に剣をかまえ、おそいかかる烏賊の腕にきりつけた。

 刃が腕にくいこみ、腕の吸盤がぶつぶつと音をたてて宙にとんだ。

 ぎえええええっ!

 烏賊は怒りにもえまっくろな嘴をがちがちと鳴らした。

 三村は目にもとまらぬはやさで剣をふりまわし切りつけるが烏賊にとってはそれほどの痛手ではないようだった。ゆうぜんとした動きで三村をあしらっている。

「ちくしょうっ!」

 三村の横から山田がとびだし、手にした斧をふりあげた。ずぶり、と斧が肉にくいこむ。山田の顔色がかわった。肉にくいこんだ斧はそのままびくとも動かない。

 ぐい、と烏賊は腕をひいた。山田の手から斧が肉にくいこんだまま離れてしまう。山田はからっぽの両手を見つめてぽかんと口をあけた。

 がらがらがら……。

 暗雲のむこうで雷鳴が鳴り響き、あおじろい雷光があつい雲をきりさいて光っている。ざあああっ、という横殴りの雨と、船首にぶつかる波が三人のからだをぬらした。

 稲光のひかりにシルエットとなった烏賊の腕がふりあげられ、山田に襲い掛かった。山田は恐怖の表情をうかべていた。

 せまってくる烏賊の腕を山田はぼうぜんと見詰めていた。

 無意識に山田は防御の体勢をとり、両腕を天にむけた。

 かれは眼をとじた。死の予感が山田に襲った。

 !

「山田さん!」

 洋子が声をあげた。

 彼女の悲鳴に三村も山田の状況に気がついたようだった。が、手遅れだ。なにをするにも遅すぎる。

 と、山田の腰の小物入れの蓋が開いた。なかからきらきらと輝く小石が宙にうきながら山田のさしあげた腕のなかにとびこんだ。

 そのとき、突然のひかりの爆発がおきた。

 ばしゃーんっ、と強烈な音とともにまっしろなひかりが山田の全身をつつむ。金臭いオゾンのにおいがあたりにただよった。三村と洋子のふたりの視界はとつぜんのひかりの爆発になにも見えなくなった。

 ようやく見えるようになったふたりは信じられないものを見た。

 ぼうぜんと船首あたりの甲板に立ちすくんでいる山田。

 そして船首にからみついていた巨大烏賊は、全身すべて黒焦げになっていた。ぶすぶすとしろい煙が烏賊の皮膚のあちこちからたちのぼり、船首の木材もぱちぱちと火を上げ、はぜている。あたりにはオゾンの金臭いにおいが充満していた。烏賊は完全に息絶えているらしく、ぴくりとも動かない。その両目は熱でまっしろに変色していた。

「やったな、あんたら」

 声をかけられ、三村はびくりとなった。声をかけてきたのはタバン船長だった。

「あのドワーフがこんなすごい魔法をつかえるとは知らなかった」

 船長のことばに三村と洋子は山田を見つめた。山田はふたりの視線を感じ、はっとなった。

「おれだって知らなかったんだ! いったい、なにがおきたんだ?」

「あんたが魔法をつかってあの大烏賊をやっつけたのよ」

 洋子がこたえる。山田は信じられないというように首をふった。

 と、その視線があしもとにおちた。そのままゆっくりとかがむとなにかをひろいあげるしぐさをする。

「あちいっ!」

 ちいさく山田は悲鳴をあげた。指先を口のなかにいれ、しゃぶっている。

 洋子が声をかけた。

「どうしたの?」

「火傷しちまった……。これは……?」

 ふたたび山田はかがみこんだ。その視線の先を洋子と三村はのぞきこんだ。甲板に一個の透明な小石がころがっている。その小石の内部からはオレンジ色のひかりがゆらめいていたが、見る間にそれはうすれ、消えていった。

「賢者の石……」

 三村がつぶやいた。洋子はうなずいた。

「そうよ、あのオランという魔法使いのおじいさんが山田さんにあげたものね」

 山田はおそるおそる指先を賢者の石にちかづけた。ちょん、ちょん、とつついてみる。

「もう熱くはない……」

 つぶやくと拾い上げ、まじまじと見つめた。石は透明な青緑色の色にもどっていた。

 なんとなく三人は顔を見合わせた。

「なるほど……、あの老人が魔王との戦いに役立つとはこういうことなんだ」

「どういうことだい、そりゃ」

 山田は三村のことばにきっとなった。

「きっと山田さんがこの石を使って、魔王を倒す決定的な役割をはたすんですよ」

 三村のことばに山田は渋面をつくった。

「おれが? 冗談じゃない……おれはそんな人間じゃない……」

 洋子はなぐさめるように言った。

「しょうがないわよ、きっと木戸監督のシナリオにそういう役割をあたえられているんだわ。とにかく魔王を倒さないかぎりあたしたちはもとの世界に帰れないんだから」

「なんだ、いまの音は?」

 もうろうとした足取りで階段をのぼってきたのは市川だった。顔は熱っぽくあかくそまり、ふうふうと息をついている。

「まるで雷がおちたみたいだったぜ」

 洋子は首をふった。

「あんた、風邪ひいてるんだから寝てないとだめじゃない!」

「こんなゆれていちゃあ、寝てなんかいられねえ……」

 市川はまっさおな顔色になると、ふなべりにしがみついた。げえげえと胃の内容物を吐く音がひびく。洋子はあわててかれの背中をさすりにかけよった。

「なるほどねえ……」

 エレンは眉をぐいとあげ、つぶやいた。

「あたしがあのぼうやの肩を治療したもんだから、気に入らなかったんだ」

 山田と三村は顔を見合わせた。そしてどちらともなく肩をすくめた。どっちにしろこれ以上事態をややこしくするつもりはない。

「まずい……」

 帆を見上げていたタバン船長は眉をひそめた。

 船長のことばにみな帆柱をみあげる。クマリ号のマストにはられている帆はみな目一杯にふくらんでいる。そのはしはびりびりとこまかく振動していた。

「帆をおろせえ! ひっくりかえるぞ」

 船長は声をはりあげた。その命令に、いままでこおりついたように烏賊とのたたかいを見守っていた船員がはじかれたように船のマストにとりついた。

 しかし帆をおろすには船員の数はあまりにたりなかった。さっきでの大烏賊とのたたかいで何人かが海にほおりこまれてしまっていたのである。

 船長はそれと見てとるや、腰のナイフをひきだした。それをうん、と腕をいっぱいにのばすと空中にほおりあげた。

 ナイフはくるくると回転しながら宙をとぶと、一枚の帆にぐさりとつきささった。

 わずかにナイフが切り裂いただけであったが、強風がその切れ目をみるみるひろげた。帆布は数度の船長のナイフの投擲によって切り裂かれていった。

 が、それも焼け石に水であった。

 必死になって帆をしまおうとする船員たちの努力にかかわらず、クマリ号は猛烈な強風をうけ、さらにはときたまマストよりたかだかともりあがる波にさらわれ、徐々にダメージをためこんでいった。

 めりめりめり……。

 いやな音をたて、クマリ号のマストはまんなかから折れていった。

「わあ!」

 甲板にあっというまに割れ目がひろがると、折れたマストがあたりの構造材をまきぞえにしてたおれていく。それが船の重心をくるわせ、クマリ号は完全に横倒しになってしまった。

 そこに山脈のような横波がかぶさっていった……。

 みなのしかかる透明な海水の壁面を恐怖のまなざしで見つめていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ