邂逅
五人は奇妙な世界で目覚める。その世界とは……。
光が踊っている。
ぼんやりとした光がちかちかとまたたき、市川は目を開けた。
かれは仰向けになっていた。
その顔にうえから光が降り注いでくる。まぶしいことはたしかだが、目をさすほどではない。光はすこし緑がかっているようだ。
ちちち……。
鳥の声だ。小鳥が鳴き交わしている。
ぱちぱちとまぶたを動かし、ようやく視界がはっきりとしてきた。そこで市川は自分が何を見上げているのかわかった。
樹だ。
かれの上に樹木が枝をのばし、その葉むらから日の光がさしこんでくるのだ。わずかな風が葉をゆらし、その葉のあいだにのぞいた空から日差しがこぼれてくる。
市川は上体をおこした。
まわりを見回すと、そこは森のなかだった。と、いってもそうふかい森ではない。樹の間からひろびろとした草原が目の届く限り広がっているのが見える。
どこだ、ここは?
そこで市川は自分の足元を見た。
なんだこりゃ。
いままで自分が履いていたのはスニーカーのはずだが、どういうわけかいまはやわらかそうな革のブーツを履いている。足を動かすとちゃりちゃりという音がした。かかとのあたりに拍車がついている。
立ち上がるとがちゃり、という音が腰のあたりで響く。
なんだろうと手をやるとなんだか硬くて、細長いものが手に触れた。
目をやると、なんと剣がぶらさがっているのが見えた。それも西洋風の、ファンタジーに出てくるような、ごてごてとした装飾がほどこされた幅広のものだ。
剣?
まさかと思いかれは柄をにぎってその剣を抜いて見た。
青白い刀身が鞘走り、日の光を反射してぎらりと輝いた。刃は諸刃である。刀身はぴかぴかに磨かれ、市川の顔が映っている。手に伝わってくる重みはそれが本物であることを主張していた。
かれは刀身に指をちかづけた。
痛っ!
刃はするどく、指をちょっと押し当てただけで皮膚にぷっくりとあかい血玉がふくれてきた。
そこで市川は自分が身につけているものに気がついた。背中に真っ赤なマントがひるがえり、腰にはふといベルト、ズボンのすそはは革のブーツにたくしこまれている。まるで中世ヨーロッパの騎士といった格好だ。
なんでこんなもの身につけているんだ?
無意識にかれは手にした剣を鞘におさめた。
おさめたあとで気がついた。
じつに自分は自然に剣をあつかっている。かれは昔見た映画の一場面を思い出した。それは昔の武士が刀のあつかいを学習する場面で、真剣を鞘からぬくのも、おさめるのもきわめて危険な動作で、それを自然におこなうまで修練が必要なのである。うっかり真剣をあつかうと、刃で指を切ったりするのである。それをかれは無意識におこなっている。もちろんそんな練習などしたことない。
それにここはどこだろう?
市川は歩き出した。あてはない。
と、一本の老木の根本あたりにひとりの男が寝転んでいるのを見つけた。
太ったあの姿は山田らしい。
近寄るとかれもまた市川におとらず奇妙な格好をしている。
山田の頭にはバイキングが身につけている兜をかぶり、ベルトが肩から腰へたすきがけにまかれている。足元も市川の履いているような革のブーツだ。腰には剣ではなく両刃の斧がさげられている。
「山田さん、山田さん」
市川が声をかけると山田はかすかに身動きをした。
ぱちぱちとまぶたが開くと、その視線が市川にとまった。
「市川くんか……」
のっそりとおきあがるとぼうぜんとあたりを見回す。
「なんだこりゃあ、いったいここはどこだい」
「それはおれが知りたいですよ。目が覚めたらここにいたんです。なにがあったんだろう……」
山田は市川の格好を見てふきだした。
「市川くん、なんて格好しているんだ。なにかのコスプレなのか?」
「山田さんだって……」
「おれかい?」
そこでやっと山田は自分が身につけているものに気がついたようだった。
「な、なんだこりゃあ!」
市川はつぶやいた。
「ほかの連中はどこなんだろう」
市川に言われ、山田もそれに気がついたようだった。
「そういや、そうだ。三村くんと宮元さん。それに木戸監督のすがたが見えないな」
「さがしにいきましょうか。それともここにいますか」
ちょっと考えて山田はこたえた。
「さがしに行こうよ。どっちにしろここにいてもなにもわからん」
ふたりは歩き出した。
やがてふたりは川のほとりに近づいた。水音が聞こえてそれを見つけたのである。水流ははやく、水の底まで見える透明さだった。その水面を見つけて市川と山田のふたりはようやく自分たちがからからに喉がかわいていることに気がついた。
歓声を上げ、ふたりは水面ちかくにひざまづくと両手の手のひらをつかって水をすくって喉をうるおした。
「うめえ!」
山田がうめいた。そこで市川は川の近くに横たわる人影に気づいた。
「あれ、宮元さんじゃないすか?」
市川がゆびさした。山田は同意した。
「ああ、たしかにあれは洋子くんだ。それにしてもはでな格好だな」
彼女は草むらにあおむけになっている。彼女もまた中世ヨーロッパ風の衣装を身につけているが、それが身につけているといえるかどうか。なぜならその衣装は布地をぎりぎりまで節約しているもので、わずかな布切れが胸と腰をおおっているだけで、手甲とひざまである長靴を身につけていた。
「洋子くん、ちょっと……」
ちょっと、というのは変であるが山田は彼女が目が覚めたらどうなるか考えて起こすのをためらっていた。なにしろ横たわる彼女のすがたはどうにも刺激的で……。いや、そんなこと考えている場合ではない。ともかく起こさないとというわけで山田は彼女の腕をゆりうごかした。
「洋子くん、洋子くん。起きてくれよ」
そのうちようやく洋子は目が覚めたようだった。そこで山田は思い出した。彼女は低血圧で、おきぬけはひどく不機嫌になることを。
「なによう……」
ひくい声でうめくとはった、と山田を見上げた。
「なんだ、山田さんじゃない……」
ぱちぱちとまぶたが動いた。ようやく頭がはっきりしてきたようだ。
「なに、その格好? コスプレ?」
みなおなじことを言うなあ、と市川は感心した。
「きみもおなじような格好だぜ」
市川に言われ洋子はじぶんのすがたを見下ろした。
「なにこれ!」
たちまち彼女はまっかになった。さすがに自分のいまの格好が刺激的なのに気づいたのだろう。そのうち彼女の表情に怒りが浮かんできた。
「あんたたち……」
え? と市川と山田は顔を見合わせた。彼女の怒りが自分らにむけられているのはわかるが……。
「あたしにこんなもの着せて、なに考えているのっ! なんの悪ふざけ?」
「おれたち? まさか、そんな……」
山田はたじたじとなった。彼女は自分たちがいたずらをしたと思ってる!
洋子は立ち上がると背中に手をやった。
すらりと長剣をぬきはなった。そのまま山田と市川へ突進してきた。
「おい、待てよ!」
市川が静止したが頭に血が上っている彼女は耳をかさず、わあああ……、と喚声をあげて長剣をふりおろした。
ちゃりいぃぃん!
思わず市川は自分の剣をぬいて彼女のふりおろしてきた長剣を受け止めた。剣がかちあい、火花がちった。鉄のやけるにおいがする。
かん、かん、かん、とふたりは剣をかわした。山田はそんなふたりをぽかん、と口をあけて見つめていた。
「すげえ……」
ふたりの剣技は見事だった。
まるで舞をおどるように剣をふりおろし、横になぎ、ぎりぎりのところでかわす。
が、山田は思い直した。いけない、止めないと!
「おい、ふたりともやめろ!」
ふたりが剣をはっしとかわし飛び下がると同時に山田は割ってはいった。
それにもかかわらず洋子は無言で切りかかってくる。山田は無意識に腰の斧をぬき、刃をふりはらった。
ぎいぃぃぃん!
洋子の手から長剣が宙にとんだ。きらきらと日の光をうけて輝くと、草原に飛んでぐさりと地面につきささった。
洋子ははっ、と自分の両手を見つめた。
「あたし、なにやってたんだろ……」
ふう、と市川は息をはいた。
「殺されるかと思ったぜ」
そう言うとぱちん、と音をたてて剣を鞘におさめる。
洋子は首をふっている。
「あたし、あたし……、市川くんを本気で殺すつもりだった……。剣道なんか、やったことないのにあんなことどうしてできたんだろう」
「おれだってそうだ」
市川はどさりと地面にあぐらをかいた。
「おれだって剣道なんて、高校の授業でちょっとかじったくらいだ。それなのに体が勝手に動いて宮元さんの剣をうけていた。まるで剣の達人みたいだった」
「山田さんだってそうよ。あたしの剣をはじきとばしたところなんて、すごくその斧を使い慣れていたみたい」
洋子に言われて山田はあらためて手にしていた斧を見つめた。
「そういや、そうだ。斧なんか握ったことない」
市川は口を開いた。
「なあ、おれたちの格好。どこかで見たことないか?」
え? と山田と洋子は市川を見つめた。市川はためらいながらつづけた。
「そのう……、おれが描いた「パックの冒険」のキャラクター表で、登場人物が身につけている服装にそっくりだ、ってことなんだが……」
あ、とふたりは顔を見合わせた。
「そうだ……。おれはあのシリーズに出てくるドワーフの親爺の格好そっくりなんだ。この斧もあれが持ってたやつだ」
山田は手にした斧を見つめた。
洋子もあらためて自分の服装を見下ろした。
「あたしもあのシリーズの女性主人公の格好だわ。そして市川くん……」
「そうだ。おれはパックの親友の服装だ。どういうこったい。いたずらにしては手がこみすぎてないか。だいいち、あのキャラクター表はまだどこの雑誌にも発表されていないはずだぜ。だれかがおれたちをかつぐ目的でこんな服装を用意したってわけか……。なんのためだ! こんなの作るには相当時間がかかるぜ。おれの着ているものはコスプレなんかで使われている衣装にしては本格的すぎら」
市川はそこまで一気にしゃべり、息をきらした。山田と洋子はそんな市川をあっけにとられて見ていた。
「でも、あとふたりがいないわね」
そういえば、と山田がうなずいた。
「うん、三村くんと木戸さんだ。あの二人はどうしたんだ。やっぱりこのちかくにいるのか?」
そのとき、ぱかぱかぱかと馬の蹄の音が聞こえてきた。
なんだろうと顔をあげた三人はぽかんと口を開けた。
馬が近づいてくる。その馬には鞍がおかれ、ひとりの人物が手綱をとっている。
なんとそれは三村だった。
「三村くん……」
洋子が歩き出すと、馬上の三村はにっこりと笑いかけた。
「やあ、みなさん。目が覚めたんですね」
ぼうぜんと三人は三村を見上げていた。
三村もまた三人とおなじく中世ヨーロッパ風の衣装を身につけている。が、その趣向は三人とはちがい、どこかの王侯貴族の子弟、といった雰囲気だった。うすいブルーの絹の上着はそでがたっぷりとしていて、風になびくマントは裏地が赤にちかい紫、表地には手の込んだ刺繍でこみいった紋章が描かれている。かれもまた剣を腰にさげているが、かれのものは細いレイピアらしく、柄にほどこされている彫刻や装飾は金や宝石をたっぷりとつかった贅沢なものだった。
ひらりと三村は馬からおりると三人に話しかけた。
「最初に目が覚めたんですが、みなさんどうやっても目が覚めなくて……、それでちょっとあたりを調べていたんです」
山田が口を開いた。
「その馬はどうしたんだ?」
「ああ、これですか。いや、あたりを歩いていたらこの馬があらわれまして、どういうわけかあとをついて離れないんですよ。それで歩くのも面倒なんで乗ってきたというわけです」
市川が手をのばして馬にさわろうとすると、馬はぶるるる……、と鼻をならしてその手をさけた。かつ、かつ、と蹄で地面をかいて市川を威嚇する。
「こいつは、きみ以外の人間には馴れないみたいだな」
「そうですかねえ」
洋子は三村を見上げた。
「でも三村くん、あんた馬術なんかいつ習ったの? 馬に乗れるなんて聞いてないわよ」
あ、と三村は頭に手をやった。
「そういや、どうして乗れたんだろう。馬術なんて習ったことないのに」
三人はやっぱり、といった表情で顔を見合わせた。
「あんただけじゃないわ。あたしたちだってこんな格好で目覚めたと思ったら、いままで持ったことない剣を楽々扱えたりしたり……」
そのとき洋子は三村の目つきに気づいた。
「なによう……」
「いや……」
にやりと笑うと三村はさきをつづけた。
「宮元さん、けっこうスタイルがいいんですね」
洋子はまっかになった。
山田と市川もにやにや笑っている。
ぱあん……、という音がひびいた。
三村の頬を洋子が張り倒したのだ。
「まったく、あんたたちってそんなことしか考えられないのっ!」
「いや、失礼した」
山田はまだにやにやしながら顎鬚をしごいた。
「これからどうするか、ってことだよな。まずはここで井戸端会議をしてもしかたないから、できたら人家をさがしたいところだな」
「それならちかくに村がありますよ」
三村の声に三人はかれを見た。
突然の注目に三村は頭をかいた。
「この馬に乗ってあたりを走り回っていたんです。そしたらちいさな村とお城を見つけたんです。行って見ようかと思ったんですが、みなさんのことが心配で戻ってきたんです。その村とお城はまだ遠くから眺めただけですが」
「ふうん、それなら行ってみるべきかもな」
市川の意見にみな賛成した。
「それじゃこっちですから……」
三村は馬の手綱をひいて歩き出した。
「ちょっと待った!」
山田の声にみな足をとめた。
「木戸監督はどこにいるんだ?」
あ、と三人は顔を見合わせた。
「三村くん、あなた、監督を見なかったの?」
「いえ、最初に目覚めたときぼくが見つけたのはみなさんだけでした」
「ふむ……」
山田はゆっくりうなずいた。
「それが鍵かもしれないな。なぜここに木戸監督がいないのか? おれたち四人がいるのに……」
「どういうことですか」
市川が問い詰めると山田は首をふった。
「いや……、まだはっきりしない。ただの推測だよ。それもひどくばかげた考えなんで言いたくないんだ」
そんなあ……、と言いかけた洋子はふと空を見上げ目をまるくした。
「ちょっと、あれ……!」
彼女が指差し、みなその方向を見上げ、あっ、とさけんだ。
「竜だ……」
市川がつぶやいた。
たしかにそれは竜だった。
と、いっても東洋の蛇のような竜ではなく、西洋のファンタジーに登場する竜である。どっしりとした四肢をして、背中に巨大な羽根がはえ、その羽根をうちふって空中を飛行している。高度は二、三百メートル上空だろうか、竜は悠然と飛行していた。
「すげえ……」
市川はどういうことか口元に笑いをうかべていた。
「とんでるよ、なあ、あれ竜だよな!」
「ああ、たしかに竜だ」
竜を見つめる山田は反対に深刻な表情になっていた。
「あれはこっちへ来るんじゃないのか?」
山田の言うとおり、竜はかれらの方向を目指しているようだった。その距離はみるみる縮まり、その細部が見分けられるようになった。
「わわわわ……!」
みなあたふたとあわてて逃げ惑った。
ごおおおおおっ!
かれらの上空を竜はぎりぎりで飛びすぎた。
洋子はぽかんとそれを見送った。
「いっちゃったわよ……あたしたちが狙いじゃないみたい」
「じゃあなにが狙いなんだ!」
市川がどなると竜の狙いはすぐ判明した。
かれらの立っている川にそって街道が通っており、そこを一台の馬車が数人の護衛の騎兵とともに進んでいたのである。竜はその一行をまっしぐらに目指していた。
騎兵は竜が近づいてくるのを認めると、いっせいに槍をかまえた。きらきらとかれらのかざす穂先が日光を反射した。
ずしぃん……、と竜は地面に激突するように着陸すると、そのままのしのしと馬車に近づいていった。護衛の兵は馬を馬車のまわりに密集させ竜をまちかまえた。
ぐおおおおぉぉぉっ!
竜はものすごい雄たけびをあげた。その咆哮で騎兵が乗っている馬は驚いて棹立ちになってしまった。さすがに騎兵たちは馬から振り落とされはしなかったが、それでも竜にむけていた槍の穂先がみだれた。竜はその間隙につっこむと、そのながい尻尾を思い切りふりまわした。。
「わあ!」
騎兵たちは馬もろとも竜の尻尾になぎたおされた。かろうじてその攻撃をかわした兵は槍を水平にかまえ竜に突進した。
竜は大口をあけると騎兵の槍をがっきとくわえ頭を左右にふりまわした。騎兵の槍はその手元からもぎとられてしまった。槍をなくした兵はあわてて腰の剣を鞘からぬきはなったがときすでにおそく、竜がすぐそばに接近していた。
がぶり!
「きゃ!」
洋子はおもわず両手で目をふさいだ。
かれらの立っている場所からでも血しぶきが見えた。
竜が兵の首をばっくりとくわえてしまったのである。兵の死体はどさりと地面に落馬した。
あとは殺戮だった。
竜は手当たりしだい、まだ生きている騎兵を襲い、つぎつぎとそのあぎとの犠牲にしていったのである。
ついに護衛の兵がいなくなり、馬車だけが取り残されていた。御者は竜が近づいてきた時点でとっくに逃げ出していた。
「三村くん!」
山田はぎょっとなった。なんと三村が無言でひいていた馬に飛び乗ると、そのわき腹をけって駈け出したのである。
「なにをするつもりなんだ」
「助けるつもりなんだわ」
洋子がさけんだ。
「ばかな! あんな竜にひとりでたちむかうつもりか!」
「ど、どうすんだよ。山田さん。おれたちどうすりゃいい?」
市川はすっかりうろたえていた。山田もおなじだった。
「どうすりゃいいって……ええい!」
山田は斧をかまえた。そのまま走り出し、三村のあとをおう。
市川と洋子は顔を見合わせた。
「畜生! どうにでもなれっ!」
市川も剣をぬくと走り出した。洋子もあわててそのあとを追った。
「わぁぁぁぁーっ!」
めちゃくちゃに剣をふりまわし、四人は竜に近づいた。
馬車にむかっていた竜はその声にふりむいた。
ぐるるるる……!
竜は鼻先にしわをよせうなった。
からだを接近してくる四人にむけるとどすどすと地面をふみならして歩き出す。身をひくくかまえ、首を地面すれすれにして全力疾走になった。
ぐおおおおぉぉぉっ!
竜はおめいた。
先頭で馬を駈けさせていた三村はきらりと腰のレイピアをかざした。
竜がその口をあけ噛み付こうとすると三村は寸前にかわし、竜の胸のあたりに剣先をぐさりとつきさした。
うがぁっ!
竜は苦痛に顔をしかめた。しかし致命傷ではない。三村の攻撃はかえって竜の闘争本能を刺激したみたいだった。
怒りにわれをわすれた竜は三村ひとりに攻撃を集中させた。三村はたくみに馬を御し、竜の攻撃を寸前でかわすとすきをみて剣先をつきさす。たちまち竜の全身の数箇所から血がふきだした。が、どれも竜の動きをとめるにいたらない。
と、竜の口が三村の剣先をくわえてしまった。
ぼきん、と音を立て三村のレイピアは根本からおれてしまった。それを見て三村は蒼白になった。
「わあああぁっ!」
そのときようやく山田たち三人が追いついた。
三人の喚声に竜はふと気を取られた。そのすきに三村は虎口を脱した。山田、市川、洋子の三人は竜にむけ武器をふりまわしてけん制した。
と、馬車のドアがひらきなかから人影がとびおりた。
女だった。
彼女はながいスカートをひるがえし、地面にたおれていた騎兵の死体から槍をもぎとった。
「これを!」
槍を三村めがけてほおりなげる。
「ありがとう」
三村は槍を手をのばして受けとると、脇にかまえてふたたび竜に立ち向かった。
「はあっ!」
三村は拍車をならして馬を突進させた。馬蹄の音に竜はふたたび三村にむきなおった。その動きが絶妙のタイミングで三村のかまえる槍をむかえいれることになった。
ぐさり!
三村のかまえた槍の穂先は竜のわき腹にふかぶかとつきささった。
……!
竜の瞳がいっぱいに見開かれた。
口を開け咆哮しようとするのだが苦痛で声もない。
はっはっはっ、とあえぐとそのままぐらりと倒れてしまった。
ずぼり、と竜のわきばらにつきささっていた槍を三村はひきぬいた。
その傷から噴水のように竜の血が噴き出しあたりにちらばった。
「きゃあ!」
洋子はおもわずとびのいたがそれでも竜の血をあたまからあびてしまった。
地面にたおれた竜はびくんびくんと四肢を痙攣させ、やがてそれもなくなりぴくりとも動かなくなった。
「死んだの?」
洋子はこわごわとのぞきこんだ。
「ああ、死んだみたいだ……」
あえぎつつ山田はこたえた。ふたりは竜の死体を見下ろしていた。と、市川はぎょっとして飛びのいた。
「な、なんだこりゃ!」
横たわった竜の死体に変化が生じていた。
その皮膚にしわがよりみるみるミイラ化していく。緑色の皮膚の色が茶色にかわり、肉がおちて骨格があらわになる。やがてぼろぼろと剥離していき一陣の風でほこりになるとあとにはなにもなくなった。
みなぼうぜんとなっていた。
「どういうこった……」
そばに立っている山田に市川は問いかけた。山田は首をふった。
「わからん」
「見ろよ」
市川が三村のほうを指さした。
三人がその方向を見ると、なんと三村に槍をなげた女がかれの馬前にひざまづいて頭をさげていた。
「ありがとうございました。おかげで魔王の眷属に襲われるのを助けていただき、感謝の言葉もございません」
「いや、そんな……いいっすよ」
彼女の礼の言葉に三村はてれてどうしたらいいかわからない、といった体である。
「お姫さまだぜ」
市川はつぶやいた。
たしかにそうだった。
三村の前にひざまづいている彼女のすがたは、どう見てもどこかの王国のプリンセスといった格好だった。
あしもとまで達するながいスカートはたっぷりとした量感でふくらみ、生地にぬいつけられた無数の宝石がきらきらと彼女が身動きするたび輝いた。上着の袖もまたふっくらとしていた。彼女のみごとな金髪は背中までとどく長いもので、よく手入れをしているのか、さらりと背中にながれている。頭にはながいリボンのついたちいさな帽子をかぶり、ひたいのあたりには大きな宝石をかざった金の環をはめていた。
「わたくし、コーラ姫ともうします。父はドラン公国の太守で、公爵でございます。どうかあなたさまのお名前をお聞かせねがいませんでしょうか?」
三村はあわててこたえた。
「あ、ぼく三村健介といいます。アニメの制作進行で……ええと三村というのが苗字で、健介が名前です」
言いかけてアニメの制作進行というのが彼女に通じていないことに気づき三村は馬からおりると彼女に手をさしのべた。
「まあ、立ってくださいよ。とにかく馬車へ……」
さしのべられた手をじっと見つめた彼女はすっとその手を握りたちあがった。三村は手をかして、彼女が馬車に乗るのをたすけた。
「おいおい……」
市川はあきれた。
「映画みたい……」
と、これは洋子。そんな三村とお姫さまを山田は考え深げに見つめている。
お姫さまは馬車のなかから三村に話しかけた。
「ぜひわたしどもの国においでください。お礼もさせていただきたいし、父上にお話ししたら喜ぶでしょう」
三村は三人のほうを見た。
「いいんじゃないか。どうせあてはないんだ。それよりおれたちもお姫さまに紹介してくれよ」
市川の言葉に三村は舌をだした。
「すいません……。あの、こちらが市川努さん」
「よろしく」
紹介された市川はにやっとコーラ姫に笑いかけた。彼女は上品な笑みをうかべかすかに辞儀をかえした。
「そちらが宮元洋子さん」
「こんにちわ」
「そして山田栄治さんです」
「どうも」
全員と挨拶をかわし、コーラ姫は口を開いた。
「それではみなさんもご一緒にいらしてください」
姫の言葉にみな頭をさげた。なんとなくそうするのが自然な気がしたのだ。
護衛の兵が乗っていた馬を市川はつかまえまたがった。市川は鞍に身を落ち着け、目をまるくした。そんな市川を山田は見上げ声をかけた。
「どうした、妙な顔をして」
「おれ馬に乗るのははじめてだけど、どういうわけか乗りこなせることがわかるんだ。なんでだ?」
山田はうなずいた。
「そうだと思ったよ」
そんな山田を市川は不思議そうな顔で見つめた。
洋子はコーラ姫と一緒に馬車に乗ることになった。山田は御者台にすわり手綱をもった。こうして一行は馬車をはさんで移動をはじめた。
道はまっすぐで、景色はのどかだった。
どっしりとした老木が両側に立ち並び、枝が張って日陰をつくっている。
そのなかを馬のぽくぽく、ぽくぽくという蹄の音がつづく。
「ドラン公国のコーラ姫だってさ」
馬に乗った市川は馬首をよせて御者台の山田に話しかけた。
山田はうん、とうなずいた。
「ああ、聞いてるよ」
「あれ、「パックの冒険」に出てきたキャラクターの名前じゃないか。それにドラン公国ってのも企画書に出てきたぜ。いったいどういうこった?」
「うん、ということはおれたちがいまいるここが「パックの冒険」の世界じゃないかということなんだ。おれたちはアニメのなかにいるんだよ」
「冗談じゃねえ! おれたちはそのアニメの仕事をしているんだぞ。それじゃまるで……まるで……」
そこまで口にして市川はつまってしまった。
「落語の「桜の花見」という話しを知っているかい?」
市川がかぶりをふると山田はつづけた。
「ある男がさくらんぼうを種ごと食べてしまった。種は体の中で芽をだし、ついには頭から桜の木がはえ、その桜を見に人があつまって花見をはじめた。桜の木の根元には池がつくられ男はあまりに花見のひとが集まってしまいとうとうノイローゼになってその桜の根本の池に身投げをして死んでしまった……なんだかその話しを思い出すな」
「なんだかわかるような気がするけど、なんであんたおれたちがアニメの世界のなかにいると思ったんだ」
「おれたちあのお姫さまと話しをしたな」
「うん」
「なぜおれたち話ができたんだ?」
「そりゃあのお姫さまが話しかけて……」
そこで市川はあっ、と宙をにらんだ。
「そうだ。あのお姫さまの話したのは日本語だ。しかしあのお姫さまの顔はどう見てもおれたち日本人とは思えない。ヨーロッパ系のおれたちから見れば外人だ。あの馬車だって、あとお姫さまを護衛していた騎士たちだって身につけていたものや、いろいろなものから中世ヨーロッパを思わせるじゃないか。もしそうなら彼女たちの話す言葉はフランス語か、ラテン語か、どっちにしろ通じるはずがない。ところが彼女の言葉はおれたちにもわかる日本語だ。アニメで中世ヨーロッパを舞台にしたからといって、わざわざ中世フランス語でアフレコするわけないだろ。だからここはアニメの世界なんだよ」
「なぜだ。どうしてそんなことになったんだ」
「おれたちが目を覚ます前のことを覚えているか」
「目を覚ます前……あんたのいいたいのは演出部屋でおきたことか?」
「そうだ。あの奇妙な雷が落ちて、そのとき”声”が聞こえたな」
「うん、へんな関西弁だったな」
「ああ、あの”声”はおれたちになにかするよう命令してた」
「おれたちのせいで迷惑してるというようなことを言ってたぞ」
「われわれになにをさせるつもりだと思う?」
「さあ……」
「ここは「パックの冒険」の世界だ。市川くんは原作の漫画を読んだかい? 木戸監督が学生時代同人誌で発表したやつだ」
「ああ、絵はうまかったな……。しかし途中で終わっちまった」
「そうだ。あの原作はしりきれとんぼで終わってる。そしてまたアニメにしようとおれたちが集められた。しかし監督のせいで暗礁に乗り上げちまった。物語ははじまってもいない……。もしこの世界に神様みたいなのがいれば困ったろうな」
「神様ぁ? あの”声”は神の声だってのか?」
「そうだ。おれたちは「パックの冒険」の物語のつづきを演じるようこの世界につれてこられたんだ」
「ど、どうして……?」
市川の問いに山田は馬車から首をのばし、馬上の三村のほうを見つめた。三村は山田の目つきに「え?」というような表情になる。
「三村くんの身につけているのは主人公のパックの装備だろ? キャラクター表にあったやつとそっくりだ。おれたちが身につけているものも、パックとともに冒険する仲間のものだ。どうしてそんなことになるんだ。結論としては、きみが主人公のパックなんだ。そしておれたちはその仲間さ」
山田の話しにいつのまにか馬車の中でお姫さまと同乗している洋子も、そして市川のうしろで馬に乗っている三村も耳をすませていた。山田はつづけた。
「あの竜にむかって三村くんは無謀にも突撃したな?」
自分の名前がでて、三村は顔をあげた。
「おれたちもついあとを追った。ふつうなら絶対そんなことするわけない。しかしからだが勝手に動いてしまった。なぜだ! そして竜は死ぬと蒸発しちまった。あの……コーラさん、ちょっといいですか?」
コーラ姫は車内でびっくりした顔で山田を見上げた。
「なんでしょうか?」
「あの竜はどうして消えてしまったんです?」
「どうして、と言われても……あれは魔王の眷属ですわ。魔王の手下は死ぬと死体ものこさず消えてしまうものです」
「ははあ……それがあたりまえなんですね」
「そうです。それがなにかあなたのさっきからおっしゃっていた、神様のことと関係するのでしょうか?」
「さあ……しかしわれわれは本来、この世界にいるべき者ではないということは確かです。だからわれわれがなにかこの世界でなしとげれば、もとの世界へ帰れるんじゃないかと思うんです」
「あの山田さん、ちょっといいですか?」
三村が口を開いた。
「なんだい?」
「これに木戸監督はどうかかわってくるんです」
「ここに監督はいない。目覚めたときもいなかった。そうだな?」
「ええ」
「ということは監督には監督の使命があるんだと思う。木戸さんもたぶんあの場にいたからおれたちと一緒にこの世界につれてこられたんだろう。しかしおれたちのなかにいないということは、べつのことをさせられるんだろうな」
「でもなんでこんなことに……」
「おれはSF小説が好きで、よく読むんだがそのなかに多元宇宙ものというやつがあるんだ。もしもヒトラーが第二次大戦で勝利したら、とか信長が本能寺でしななかったらというやつだ。そうなったらそれ以降の世界はまったくちがったものになるだろう。だからおれたちがいまいる世界はその多元宇宙のひとつじゃないかと思うんだ。ただしここは木戸監督の頭のなかから生まれたというのがユニークだけどね。しかし木戸監督は物語の終わりまできちんと終わらせないままほうりだしてしまった。だからおれたちがよばれたんだと思う。「パックの冒険」の物語を終わりまでつづけるように。だからおれたち習ったことのない剣術や、馬術を身につけているんだろう」
「木戸さんはどうしてるかな……」
「コンテ描いていたりして……」
三村の言葉にみなどっ、と笑った。