試練
聖なる装備を手に入れるため、かれらは試練に挑戦する。
魔窟の入り口はゲゼンの鉱山の坑道の奥深くにあった。
坑道は地上から数百メートル下がったところにあり、ここまでくると空気はじっとりと湿り、ごつごつとしたむきだしの岩盤からはぽたぽたとしずくがたれていた。
坑道を照らすのは蝋燭の明かりで、ほのおがゆれると影もまた不気味に蠢くのだった。
入り口にはどっしりとした青銅製の扉が立ちふさがり、扉には見るからに身の毛もよだつような怪異な装飾がほどこされている。浮き彫りにされているのは蜥蜴や蛇をモチーフにした怪物であり、よほど古い時代のものなのか、表面にはびっしりと苔が生えている。
「これがそうなのか……」
山田はつぶやいた。かれの声はせまい坑道の壁に反響してはねかえり、かれは思わずぎょっとなってあたりを見回した。扉からはひどく邪悪な気配がただよって、それはまるで目に見えるようだった。
洋子はぶるっとかるく震え、両腕で胸をかかえるようなしぐさをした。
「寒いわ……」
たしかに寒かった。坑道の奥深く、地下のこの部分の気温は地上より数度気温がひくいようだった。だが洋子のとなりに立つエレンはまるで平気な様子だった。洋子よりさらに露出のおおきなコスチュームにかかわらず、彼女はまるで寒さを感じていないようだった。
エレンは洋子に話しかけてきた。
「寒いってどういうこと?」
「え?」
洋子はエレンの顔をまじまじと見つめた。そして合点した。そうか、彼女の語彙のなかに寒さに相当するものはないのだ。だからこんな肌をおもいきり露出した衣装にかかわらず寒そうな顔ひとつしないでいられるということである。つまりファンタジーの登場人物に寒さの感覚はあたえられていないというわけである。そうでなくては、こんな衣装を身にまとっていられないではないか。
「それでは封印をときます」
それまで一番うしろにいたヨーリが全員の前に進み出てきた。ポケットからちいさな鍵をとりだす。鍵は黄金色にかがやいて、表面にはこまかな装飾が浮き彫りになっている。彼女はその鍵の先端を扉の中心のあたりに近づけた。
鍵穴に鍵がすいこまれる。
と、扉の浮き彫りがいっせいにぞわぞわと蠢きだした。
ぎいぎいぎい……。
ぎいぎいぎい……。
それまで彫刻とおもわれた扉の装飾はまるで生きているかのような動きで這い回った。そして彫刻たちはいっせいに地面に落ちた。あとにはぽっかりと洞窟の入り口が残っているだけだった。蜥蜴や蛇のかたちの彫刻たちがからみあい、扉のかたちをつくっていたのだった。
ヨーリは地面に残った鍵を拾い、四人に振り返った。
「これで魔窟への入り口がひらきました。どうぞご武運を」
四人とエレンはヨーリに見送られ、魔窟の入り口へ進んでいった。
かれらが全員はいるとヨーリは口を開いた。
「それではこれをつかって扉を封印してください。ここから魔物が出てきてはかないませんから」
そういうと三村に鍵をわたす。
三村は鍵を手にヨーリにもの問いたげな表情になった。
「鍵をかかげるだけでいいのです」
言われた三村は鍵を宙にかざした。
するとそれまで地面で這い回っていたトカゲや蛇の彫刻がざわざわと集まりだし、鍵を中心に扉のかたちになっていった。エレンの姿は扉のむこうに見えなくなった。
「と、いうわけか」
ほっと山田はため息をついた。あたりは真っ暗である。このときのためにポケットから火打石をとりだした。マッチがあればいいのに……、と思った。どうやらこの世界にはマッチは発明されていないようだ。
かちかちと火打石をつかって火花をとばし、たっぷりと油をすった松明に火をうつす。ぽっ、と明かりがともりあかるくなった。そして全員の手に持った松明にほのおを移していった。
「行こうか」
市川がつぶやき、全員その言葉にうなずいた。歩き出す。みな、神経をぴりぴりとはりつめさせていた。
松明のあかりにうかびあがる洞窟は、鉱山とはちがって自然にできあがったもののようだった。鉱山には強度をたかめるための木材の梁やつっかえ棒があったのに、ここではむきだしの岩がごつごつとしているだけだった。どこかで水滴がぴちゃぴちゃと音をたてている。地下水がしみだしているのか。
「おれ、よくダンジョンタイプのRPGをやってたんだが、実際じぶんでダンジョンにもぐるとはおもっていなかったな」
市川はしいて陽気な声をあげた。
それをうけて三村が問いかけた。
「ダンジョンRPG? ウィザードリィかい?」
「ああ、これでもシリーズ全部やってるんだ」
「なるほどね」
「もう……! これはゲームじゃないのよ、ふたりともまじめになりなさいよ!」
洋子がいらいらしながらつぶやいた。
エレンは三村に聞いた。
「ゲームって、なんなの?」
三村は肩をすくめた。
「コンピューター・ゲームのことさ」
エレンは首をふった。まったく三村の言葉が理解できないという表情である。
一行はどんどん魔窟を進んでいった。みんなの口は重くなり、黙りこくっていた。
ふいに道はひろびろとした場所にでた。
「すげえ……」
市川は声をあげ、松明をかざした。
ほう……、と全員がため息をついた。
「きれいねえ」
洋子が思わず感想をもらす。
鍾乳洞だった。
巨大な空洞の壁面にさまざまなおおきさの鍾乳石がたれさがり、それらは松明のあかりをうけぬれぬれとした光沢をはなっていた。なによりその鍾乳洞はしぜんのドームをかたちづくり、どこか聖堂のようなかたちになっている。
「お客さまかね……」
うつろな声が洞窟に反響し、全員驚きにとびあがった。
「だれだ!」
市川がするどくさけぶ。
ひっひっひっひっ……、と笑い声が暗闇のむこうから聞こえてくる。
ずるっ、べたっ、というようななにかをひきずるような足音が近づいてくる。へっぴり腰で山田は松明をかざした。
「!」
松明のあかりにうかびあがったのは、ぼろぼろのマントを身にまとった老人だった。片手にはつえをついていた。
「五人か……。また宝をさがしに馬鹿ものどもがやってきおったな」
「あ、あんた、だれだ!」
市川は声をふりしぼって質問した。老人はかすかに頭をふると、顔をおおっているフードをはねあげた。
したからあらわれたのはまっしろな髪の毛をせなかまで伸ばし、胸元までたれさがった髭をはやした老人だった。肌のいろは黒人のようにまっくろで、ふさふさとした眉のしたからぎらぎらとした両目があたりをねめまわしている。
「わしは案内人じゃよ。ここに冒険者がやってくると、魔窟のおくにひそむ怪物のもとへ案内する役目をおっておる……。あんたら、宝をさがしておるのじゃろ?」
そういうと老人はにっ、と笑った。口のなかに残っている数本の歯が黄色くひかった。
五人はうなずいた。
老人は片手をあげ、洞窟の奥を指差した。
「それならあっちじゃ! さあ、わしについてくるんじゃ。わしの案内がなければ、あんたら迷うてしまうからの……。さあさあ、急いだ、急いだ! はやくせぬと日が暮れてしまうからな!」
五人はしかたなく老人のあとについて歩き出した。老人はつえをついているのに、ひどく足がはやかった。見かけは百歳をこしていそうなのだが、急ぎ足に歩く老人の脚力は、五人よりありそうである。遅れがちな五人を、老人はいまいましげに何度も振り返った。
「急がんかい! なにをぼやぼやしておるんじゃ! ああ、もう! そんなのんべんだらりとしておっては、宝も手に入れることなどできんぞ!」
息をきらしつつ、山田は質問した。
「あ、あのう……なぜ急がなければならないんです……。ええと、あなたの名前は?」
「わしの名前などくだらん質問じゃ! わしもあんたらの名前など聞く気はないからな。そらそら、走らんかい! 日が暮れてしまうぞ! なぜ急ぐのかって? ひひひひ……、どうせおっ死ぬんだったら、はやいほうがええじゃろ?」
市川はむっとしてさけんだ。
「なんでおれたちが死ぬことになっているんだ?」
市川の言葉に老人はけけけけと甲高い笑い声をあげた。
「なんと、これまでこの魔窟に挑戦して生きて帰った勇者はひとりもおらんのを知らんのか? 魔王を倒すための武器、防具をもとめていままで何人もの冒険者がやってきては、あわれ魔窟の怪物たちの獲物となってしまっておったわい! みなひとかどの武芸者ばかりじゃったが、見たところあんたらとても怪物とわたりあえるような感じではないのう……、どうじゃここで引き返すというのは? いまなら道はまっすぐじゃ。わしの案内がなくとも帰れるよ」
そういうと老人は立ち止まった。
山田と市川はほっと息をついて、あたりを見回した。
広々とした場所に、無数の穴があいている。老人はにやにやと笑って、無数にあいている穴をゆびさした。
「さあ、ここからはあんたらひとりひとりあの穴に飛び込むんじゃ。穴の向こうの試練をくぐりぬければ、あんたらひとりひとりに必要なものが手に入ることになっておる! さあ、どうするね? 引き返すか、それともこのまま進むか?」
みな、おし黙った。
岩壁にうがたれている穴は、どれもおなじくらいのおおきさで、どれだけ深いのか黒々とした闇がつづいている。
おたがい目配せをする。
おい、だれが最初にいくんだ?
と、それまでだまっていた三村が一歩、足を踏み出した。
「僕が行きます!」
ひゃっ、ひゃっ、ひゃっ、と歯の抜けた口をあけ、老人は陽気な笑い声をあげた。
「よう言うた! さあ、どれでもよい。好きな穴にはいるんじゃ! 試練を乗り越えれば、またこの広間にもどれる。おっと、その松明はおいていくんじゃぞ。それがきまりじゃからな」
三村はうなずくと松明を地面に残し、大股に歩き出した。
まっすぐ目の前にある穴に進むと、ためらいもなく入っていく。すぐその全身が暗闇につつまれて見えなくなってしまった。
「あっ!」
残りの四人はちいさく声をあげた。
「消えちまった」
市川はぼうぜんとつぶやいた。
三村がはいりこんだ穴は、かれが暗闇に姿を消すと消えてしまったのである。あとにはのっぺりとした岩壁が残っているだけだった。市川はするどく老人をふりかえった。
「じいさん! いったい、ありゃどういうことだ? 三村はどうなっちまったんだ?」
老人は首をふった。
「知らんよ。試練の穴は、試練をうけようとする人間を受け入れると消えてしまう。ただ、あのなかの試練を乗り越えたものだけがもとのところへ戻れるんじゃ」
「失敗すれば?」
「ふたたび穴がひらく。次の犠牲者が穴にはいる……。そのくりかえしさ。さあ、あんたらはどうするんだね? はいるのか、はいらんのか?」
山田、市川、洋子、エレンの四人はおたがいの顔を見合わせた。
エレンは肩をすくめた。
「あたしはやめとくよ。お宝はほしいけど、命もおしいからね」
山田はぐっと唇を噛みしめ、ほっと息をはいてつぶやいた。
「しかたない……。これもストーリーの一部なんだろう……」
斧をにぎりしめると一番ちかくにある穴へはいっていく。すぐその姿が闇にのみこまれ、穴は消えた。
洋子はたまらなくなって市川の肘をつかんでさけんだ。
「ねえ、どうするの。あんたまで入る気なの?」
市川は首をふりながらこたえた。
「そうだな……。木戸監督がおれたちを殺す気はないと信じるしかないよ。とにかくストーリーは進めないと」
そっと洋子の手をふりほどくと市川は剣を片手に進んでいった。そのうしろ姿が闇にのみこまれ、穴は消えた。
残った穴はひとつだけ。
洋子はうなずいた。
「もう! 馬鹿みたい!」
さけぶと彼女はやけっぱちになって駆け出した。その姿が消え、穴も消えてしまった。
あとに残されたのはエレンと老人だけだった。
「なんじゃ、あやつら。妙なことばっかり話しておったな」
エレンはうなずいた。
「そうなのよ。あいつら、ときどきわかんないこと言うのよねえ……」
ふん、と老人はひとりうなずく。
「まあよい。穴はふさがれた。あんたは入る気はないようじゃから、あやつらが戻るまでここで待つんじゃな。あるいはあやつらが死ぬまで……」
「いつそれがわかるの?」
「さあ……はやければ一時間もかからん。ながいときは数日、あるいは数ヶ月……。わしの知っている冒険者では、五年間も穴がふさがったままのがおったな」
エレンは目を見開いた。
「ちょっ、ちょっと、冗談じゃないわ。そんな長い間、こんな暗闇で待ってろっていうの? そのあいだどうやって暮らしていくのよ!」
「なに、なんとかなるわさ。なにしろわしはこの魔窟の番をはじめて、三十年になるが、いちども外にでたことはないよ。食い物や水は手に入る方法を知っておるから、あんたに教えてやろう」
「いやよ! あたし帰る!」
老人はにたりと笑いかけた。
「扉の鍵がなくてもかね?」
あっ、とエレンは思い出した。そういえば、あの扉を開く鍵は三村が持ったままだった。
「もう……、最悪!」
へなへなと彼女は座り込んでしまった。
13
ひたひたひた……。
暗闇のなか、じぶんの足音だけがひびいている。
三村はまったくの暗闇を大股で歩いていく。
ふつう、こういう暗闇のなかを人間が進むと、本能的になにかにぶつからないかと疑心暗鬼になってへっぴり腰になり、数歩進むのも時間がかかるものだが、かれはまったく恐れもなく歩いていった。
ときおりかれに訪れるあの奇妙な状態におちいっていたのである。
こうなるとまったく恐怖など感じなくなり、ただ目の前の試練をやりとげなくては、という義務感がかれの背を押している。
妙だな……。
三村はそんなじぶんのこころの状態を客観的に観察する余裕すらもっていた。いつもは仲間に話しかけるのさえおずおずとしかできないのに、こうなるといつもの怖気などまったくなくなってしまう。
どうしてそうなんだろう?
このこころの状態になると、三村はこの世界とじぶんのあいだにしっくりくる感じを覚えていた。
まるでじぶんにとって本当の世界はこっちで、あの制作会社で制作進行をやっていたのは夢の世界のような気になってくる。
暗闇のなか、三村はコーラ姫の面影を思い浮かべていた。
たった一日しか顔をあわせていないにかかわらず、彼女の顔の形、おもざしははっきりと思い浮かべることができる。
彼女の顔を思い浮かべるたび、かれのこころに勇気がわいてくるのだった。
これは恋ってやつかな……。
そう思うと三村は苦笑した。
まさか、アニメの登場人物だぜ……。
ふと三村は歩みをとめた。
前方があかるい……。
かれは緊張した。
そっと腰の剣に手をのばす。柄をにぎり、身構えた。
だんだんに目が慣れてきて、前方の景色というものがわかってきた。
水音が聞こえる。
三村は進んだ。
噴水だ。
石組みの噴水がいきおいよく水流をほとばしらせている。
これは……。
三村はここがあのドラン城の内庭であることに気づいた。
コーラ姫を最後に見た場所である。
噴水の石組みの縁にひとりの女性が腰かけている。
女性はこちらをふりかえった。
まさか!
三村はじぶんの目をうたがった。
コーラ姫だった。
「三村さま……!」
彼女はゆっくりと立ち上がり、三村に近づいた。
山田は暗闇のなかつき進んでいた。
歯を食いしばり、背をまるめていた。
くるなら来い!
おれは家に帰らなければならないんだ。家のローンは残っているし、ふたりの子供はまだ中学と小学生だ。おれには家族があるんだ! こんなアニメの世界で遊んでいるわけにはいかないんだ!
前方があかるい。
山田は斧をにぎりしめた。
敵か?
いや、なんだかあの明かりはずいぶん見覚えがあるような……。
見覚えがあるのも道理、それは山田の自宅のあかりだった。
郊外の一軒家。
かれが一大決心をして購入した建売住宅である。木造モルタルの二階建てで、中古住宅ではあるが、かれの持ち家だ。その玄関のあかりが見えているのだ。
山田は仰天した。
帰ってきた!
「おぉぉい!」
かれは思わず大声をあげ、駆け足になった。玄関に駆け込むと、ふるえる指先でドアのノブをつかむ。
かちゃり……、とかすかな音がしてノッチがはずれドアが開いた。
暖かな空気が山田の全身をつつむ。
「パパ! お帰り!」
ばたばたと足音がして小学生の次女が出迎えた。山田に似て、まるまっちい体つきの少女である。
彼女の顔を見て山田の両目に涙があふれてきた。かれは次女に近づくとものも言わずに抱きしめた。
「パパ……、どうしたの?」
次女は山田の顔をのぞきこみ、首をかしげた。山田は首をふり口を開いた。
「いや……、なんでもないんだ。パパは帰ってきたんだ……! おい、ママはどこだい」
「台所」
彼女の返事を聞くと山田は家のなかに飛び込みキッチンへ突進した。
「あら?」
そこには妻がいた。食器を洗っている最中だった。
山田は立ちすくんだ。
「今日ははやいのね」
「う、うん」
胸がいっぱいになり、山田はもじもじとしていた。妻はどうしたの? というような笑みをうかべる。その顔を見て山田は妻の体をだきしめた。
「ちょ、ちょっと、やめてよ! 洗い物してるのよ」
妻は笑いながら山田の体を押しのけた。
山田はうなずいた。
「すまん……」
「変な人ねえ。どうかしたの?」
「いや……」:
山田はいままでの冒険を説明しようとしたがあきらめた。いったいあれはなんだったのか、かれ自身説明できないからだ。
「お食事は?」
「そうだな……」
そこで山田はじぶんが腹がへっていることに気づいた。
「おビール、おつけします」
「ああ、たのむよ」
山田は食卓についた。妻がかれに食事の用意をする。次女がにこにこしながら、おぼつかない手つきでかれにビールをついでくれた。そこへ中学生の長女がやってきた。
「パパ、お帰りなさい! ねえ、ママ、あたしもご飯!」
はいはいと妻はこたえ、食事の用意をつづけた。
家族団らんがもどってきた。
「市川くん?」
「洋子さん?」
市川と洋子はおたがいの顔をみとめびっくりして立ち止まった。
ふたりとも暗闇をめくらめっぽう歩き続け、前方に足音を聞きつけたのだ。敵があらわれたのかと思ったのだが、目にしたのはおたがいの姿であった。
「どういうこと? あなた、あの穴にはいっていったんでしょ」
「うん、ずっとまっすぐ歩いていったと思ったんだけど……。たぶん、どこかでふたつの穴はつながっていたんだろう」
ふたりはあたりを見回した。あいかわらずあたりは真っ暗である。洋子はあることに気づいた。
「ねえ、どうしてこんなに真っ暗なのにあたしたちの姿は見えるの? どこからあかりがきているのよ!」
「そういや、そうだ」
指摘され、市川はうえをふりあおいだ。うえを見上げてもまっくらな空間がひろがっているだけでふたりを照らしているあかりは見えない。
「敵はどこにいるのよ!」
洋子は唇を噛んだ。
市川もあたりを油断なく見回す。
「ここにはおれたちふたりだけだ……」
そこまでつぶやき市川は目を見開いた。むくむくと黒い疑惑が胸にみちる。ふいに目の前の洋子の姿が彼の目にはよそよそしいものになった。まるではじめて見るような気分である。
「おれたちふたり……まさか?」
洋子は市川をふりかえった。
「まさか……、ってどういうこと?」
市川は洋子の全身をじろじろと見つめていた。
「な、なによ」
「あんた、ほんとうに洋子さんなのか」
「どういうことよ」
「もしかしたら試練とはこういうことなのかもしれないな……」
市川はつぶやくと剣をすらりと抜き放った。
「市川くん!」
洋子はさけんだ。
そこで彼女はさとった。彼女のこころにも疑念がわいてきた。敵、という言葉が彼女の脳裏にうかぶ。
「そう……そうかもしれないわね。もしかしたら、あんたほんとうの市川くんじゃないのかも……」
洋子もまた剣をぬいた。
ふたりは暗闇のなかにらみあった。
「きみはほんとうのコーラ姫じゃない」
三村は姫の体をひきはなした。唇にはまだ彼女の熱烈なキスの感触がのこっている。彼女は三村の姿をみとめると抱きついてキスをもとめてきたのである。三村は無我夢中でそれにこたえたのだが、頭のすみにちりちりとした危険をしらせる予感がして、彼女の体をおしのけたのだ。
「なにをおっしゃるのです? 姫はこうしてあなたさまのことをずっとお慕いもうしておりました」
「よせ!」
三村は彼女から飛びのき剣をかまえた。
「お前はまぼろしだ! 姫はいきなりぼくにキスをもとめたりしない!」
彼女はぼうぜんと立ちつくした。その表情はわけがわからない、といったものだった。
が、ふいに彼女の唇がにゅっと歪むと、両端がくいっ、とつりあがり冷酷な笑みをうかべた。
「くくくく……おしいねえ……。あのままだまされていたら、なにもわからず死ねたのに……」
ぐーっ、と姫の姿がひきのばされ彼女の肌に爬虫類のうろこがあらわれた。びりびりと衣装がやぶけ、そのしたから現れたのは上半身が女で下半身が蛇の怪物だった。
しゃーっ、と女の唇がぱくっと割れ、二股に分かれた舌がへろへろと空中で踊った。
三村は剣をかまえ怪物めがけ突進した。
「お前たち、おれの家族のふりをするのはもうやめろ!」
山田は絶望のなか、家族が見守るなか手にした斧をふりかぶった。
「パパ!」
ふたりの娘が悲鳴をあげた。妻は娘をかばうようにして恐怖の表情をうかべている。
「あなた、どうしたの?」
山田ははあはあと荒い息をつき妻とふたりの娘をにらみつけた。
「なにが家族団らんだ! こんな家庭はおれにはなかった。これはおれの夢なんだ! 娘たちはおれとは家でくちもきかないし、妻とのなかはとうに冷え切っている! おれはずっと暖かい家庭にならないか悩んでいたんだ! それを……それを、お前らおれの夢をしゃあしゃあと演じやがって……」
山田の両目に涙があふれた。
「くそおっ! くそおっ!」
わめきつつむちゃくちゃに斧をふりまわす。斧が家の壁につきささり、ぼろぼろと破片がとんだ。どかどかと山田はじぶんの家を破壊していった。
「やめて……やめて……」
妻はひっしに懇願する。
が、山田が家を破壊つづけるのを見て、その表情が変わった。
「そう、やめないのね……」
彼女のふたつの瞳があやしい光をはなちはじめた。ぎょっとなって山田は手をとめた。
「お前ら……」
妻とふたりの娘の瞳にうかんだ非人間的なひかりに山田の全身に震えがはしった。
見る見る親子の姿が変化し、それはおぞましい怪物となった。妻は人間からぬるぬるする粘液のかたまりとなり、ふたりの娘もその粘液のかたまりにのみこまれた。ぬちゃ、べちゃ、と音をたて、粘液のかたまりはずるずると山田へにじりよった。
「く、くるな!」
悲鳴をあげ、山田はあとじさった。
どん、と背中がなにか固いものにぶつかり、かれはふりむいた。
岩壁がせまっている。
あたりを見回すといつのまにか山田は洞穴のなかにいた。自宅は消えていた。
ぐろろろろろ……
粘液の怪物は奇妙な叫び声をあげ、山田めがけて襲いかかる。本能的に山田は手をかざしていた。
ばりばりばり……!
山田の手のひらから紫電が放出された。オゾンのきついにおいがあたりにみちる。
きえーっ!
怪物は悲鳴をあげた。
あの海の怪物をたおした魔力がふたたび山田の身のうちにもどってきていた。山田は歯をくいしばると身内にみちた魔力をふたたび怪物めがけてなげつけた。
「死ね!」
怒号とともに山田からはなたれた放電は怪物の全身をつつみこんだ。
怪物は苦痛に身もだえ、ぶるぶると震えている。山田はさらにちからを放出した。
おおおーーんんん……
泣き叫ぶような声をあげ、怪物はどさりと身をなげだした。ひくひくと全身が奮え、煙につつまれている。ふつふつと皮膚が焼け、髪の毛を焼いたようないやなにおいがあたりに充満した。
ふうーっ、と山田はため息をついた。
ぎぃーん……!
ちゃりーん!
金属が打ち合う音とともに、火花が刀身を照らした。
洋子と市川のふたりが暗闇のなか凄絶な切りあいを演じている。必殺の気合があたりにみち、目にもとまらぬすばやい動きでふたりは戦っていた。
ひゅっ、と市川の剣が水平になぎ払われ、その剣を洋子はぎりぎりで避けた。髪の毛がふわっとひろがり、市川の剣が頭髪を数本、空中で切り裂いた。洋子は身をしずめた勢いで飛び上がり、剣を背中にふりかぶると市川めがけて切りかかった。
がつんっ!
洋子の剣先が床にあたり、市川は紙一重でそれをよけた。
市川は洋子の体勢の崩れに乗じて撃ちかかる。えたりや応と洋子は片手で剣をかざし、かれの剣を受け止めた。
ぎゃりん!
いやな音をたて剣はふたつに折れた!
洋子の表情に絶望があらわれた。まんなかから二つに割れた剣ののこりを手に、それでも彼女はひっしに応戦する。市川は勝利を確信してさらにせまった。
ぱきぃーんっ!
なんと市川の剣もふたつに折れてしまった。信じられない、という表情がかれの顔にうかぶ。
「くそっ!」
市川は手にした剣を投げ棄て、どっかりとその場で胡坐をかいた。
「ちくしょう、もう、どうにでもしろ!」
ぽたり、と洋子の手からも剣が落ちた。
「どうにでもしろって、どうすればいいのよ」
市川は顔をあげた。
「なんだ、それ? お前はおれの命をうばうつもりだったんだろ?」
「それはあんたのほうじゃない!」
「なんだって……」
わけがわからず、市川は立ち上がった。
「それじゃ、君……本当の洋子さんか?」
ぽかん、と洋子も口をあけた。
「あなたはやっぱり本当の市川くん?」
ふたりはぼうぜんとおたがいの顔を見つめていた。
「どういうことだい。おれはてっきり……君が敵の化けたものだと思って」
「それはあたしもおなじだわ……」
くしゃくしゃと市川は髪の毛をかきむしった。
「あのとき、おれは君の姿がなんだか化け物に見えたんだ……。まるでだれかに命令されていたような感じだったな」
「うん、それはあたしも感じた」
ふたりはまた見詰め合った。
ぷーっ、と市川はふきだした。
げらげらげら……、と笑い出す。くくくく……、と洋子もこらえきれなくなって笑いにくわわった。
しばらく暗闇のなか、ふたりの笑いが交錯した。
はあはあはあ、と笑いつかれた市川はふと顔をあげ、ぎょっとなった。
彼女がいない!
ふたたび市川は暗闇にひとりぼっちになっていた。
と、前方が明るい。
市川はその明かりにむけ歩き出した。
「けっこう食えるじゃない、これ」
「そうじゃろう。わしはここでこれだけを食って生きておる。どういうわけか、飽きるということもないな」
岩の広間のなか、エレンと老人は床にすわってもくもくと茸を食べていた。茸はさまざまな形、色合いをもっていてどれひとつとっても味や風味がちがっていた。茸は洞窟の岩壁にどこでも生えていた。
と、足音にエレンは顔をあげた。
「!」
なんと岩壁にふたたび穴が黒々とした口をあけている。
足音が近づき、そこから人影が見えてきた。
三村だった。
かれは洞窟から出ると、あたりをうかがった。エレンと老人のふたりに気づき、ほっとしたような顔になった。
「やあ……」
エレンは三村の様子に立ち上がった。
「あんた、血だらけだよ」
そう言われ、はじめて三村はじぶんの体を見下ろした。エレンの言うとおり、かれの頭から足元までべっとりと血液が付着していた。血はほとんど固まって、黒く凝結している。
「ああ、怪物を倒したときの返り血だ。ぼくには怪我はないよ」
「で、宝は?」
「宝?」
エレンの問いに三村はきょとんとした表情になった。
「そんなもの、なかったよ」
「なんだって……」
ふたたび足音。
ふりかえると今度は山田が姿をあらわした。かれはやつれきったような様子だった。よろよろと広間にたどりつくと、力が抜けたようにすわりこんだ。ふうふうとあらい息をついている。
「山田さん、無事だったんですね」
三村に話しかけられ、山田は顔をあげた。言葉もなくうん、とうなずく。
つぎに市川と洋子ももどってきた。ふたりは広間で顔をあわせると、なぜかぎょっとしたような顔になった。どうしたわけか、ふたりとも剣をなくしている。
「ねえ、どうしたっていうのよ。お宝はどうしたのよっ!」
エレンはいらいらして叫んだ。
全員、そんなものは手にしていない。
老人はそんなエレンをなだめるように手をあげた。
「まあまあ、そんなことよりあんたがたはたしかに勇者の試練をくぐりぬけた。それが大事なことじゃ。さあ、地上にもどる時間じゃないのか?」
「ああ、そうだな」
山田はぐったりと腰をおろしていたのをよっこらしょとかけ声をかけて立ち上がった。
「さあ、行こうか」
老人の案内で全員洞窟を戻っていく。こんどは老人はみんなをせきたてることなく、普通の歩度で案内した。
帰り道は全員、むっつりと黙り込んでエレンはしきりになにがあったか聞き出そうとしたのだが無駄だった。
やがてあの青銅の扉のあたりまで来ると、老人は立ち止まった。
「ここからは、あんたらだけで行けるじゃろ? わしはここで戻ることにする」
三村は振り返った。
「どうしてです? なんであなたはこんな真っ暗な洞窟で……」
かれは口をつぐんだ。
いつのまにか老人の姿は消えていた。足音もなく、立ち去っていたのである。五人は顔を見合わせた。
山田は肩をすくめた。
「まあ、あの老人のことはいいだろう。とにかく外へ出ようや」
三村はうなずいてあの鍵をとりだした。扉の鍵穴にさしこむと、ざわざわと扉の無数の彫刻がうごめき、外の世界への扉が開く。
全員が鉱山へ出ると、がちゃがちゃと金属が触れ合う音がして、ゲゼンの衛兵が数人小走りに駆け寄ってきた。
「戻ってきたのですね!」
隊長が声をかけて敬礼をした。
三村はうなずく。
「ではこちらへ。法皇さまがお待ちかねでございます」
五人は顔を見合わせた。
市川が口を開く。
「どういうことだい?」
隊長の顔がほころんだ。
「さきほど法皇さまよりお告げがありました。あなたがたがみごと試練をくぐりぬけ、まことの勇者であることを証明なさったというものでした」
山田はにやりと笑い、市川の背中をどしんとたたいた。
「どうやらお見通しのようだな。おい! とうとうお宝をもらえるんじゃないのか?」
あっ、と市川は口をあけた。
「そうだよ! あんなあぶない目にあったんだからただじゃ帰れねえな!」
謁見の間に案内された五人は、ふたたび法皇と面会した。
法皇はこんどは白い衣装でかれらを出迎えた。長い髪の毛は三つ編みにして頭のまわりに結い上げている。
少女はにっこりと晴れやかな笑みをうかべ、かすかに頭をさげた。
「ようこそお戻りになりました。やはりあなたがたはまことの勇者でありました! さあ、聖者の宝をさしあげましょう」
彼女が手をあげ合図すると扉が開き、数人の男女があらわれた。剣と盾、兜などをささげもっている。男女は五人の前に進み出ると、おのおのに宝物を手渡す。
三村には白銀色にかがやく盾とおなじく剣が。
山田には宝石がかざられた杖が。
市川と洋子には鋭い剣とマントだった。
エレンは鼻をならした。
「あたしにはないの?」
法皇はちょっとエレンを見つめた。エレンは顔をあかくすると目をそらした。
「わかってるよう……あたしは試練の穴にはいらなかったよ! ちぇっ!」
法皇はふたたび柔和な笑みをうかべた。
「それらの武器、防具はたしかに城の宝物でございますが、それらは真の宝とはいえません。あなたがたは試練をくぐりぬけたとき、真の宝を手に入れました」
三村は顔をあげた。
「どういうことでしょう?」
法皇は三村の顔を見つめこたえる。
「あなたはいとしいひとに化けた敵を見破りましたね。その体験があれば、敵のさまざまな策略を見破ることができるでしょう。魔王はずるがしこい敵です。心眼をもってすれば、策略を見破ることができます。それがあなたの宝です」
そして山田を見つめた。
「あなたもまたおなじように敵の策略をみやぶりました。そして魔力をもって倒しました。あなたには強力な魔力があるのですが、いままでそのちからを使いこなせなかったのでしょう? しかしいまはあなたは強力な魔法使いとしてここにいます。魔王との戦いにおいて、そのちからは必要です」
さいごに市川と洋子を見る。
「あなたがたも魔王との戦いに必要な経験がえられましたね。どんな名刀を手にしたとしても、それをふるう腕が凡手なら棒切れも同然です。あなたがたはその腕を戦いによってまなびとったのです」
「それが宝……」
三村がつぶやいた。
法皇はまたエレンを見た。
「あなたはやはり魔王の城へむかうつもりなのですか?」
エレンはうっとつまった。
「あなたの宝は魔王の城で見出せるでしょう」
エレンの顔がぱっとかがやいた。
「本当?」
法皇はうなずく。
「ええ、あなたの旅に幸あらんことを祈っております」
三村は問いかけた。
「それで……あの魔窟で出会った老人はいったいなぜあんなところで生活しているんですか?」
「老人?」
少女はかすかに眉をよせた。三村は魔窟で出会った老人の風体を説明した。少女の顔に笑みがうかんだ。
「それは伝説の聖者さまです。きっとあなたがたを案内するため、現れたのでしょう。聖者はあの魔窟で怪物を倒しましたが、命をおとされたと伝承されています。しかしその魂はあそこにとどまっているのかもしれません」
彼女は椅子から立ち上がった。
「さあ、準備は整いました。魔王を倒し、この世界に平和と希望をとりもどしてくださるよう、お願いいたします」