プロローグ 召喚
都内某所にあるアニメ・スタジオでは非常事態がおきていた。打ち合わせのため集合した五人のアニメ・スタッフは、そこで奇妙な出来事に遭遇する。
「おい、三村くん。時間だぞ。起きてくれ」
美術監督の山田栄治の声に三村健介はおきあがった。
キャスターつきの椅子を三つ並べたうえに三村は横になり、毛布をあたまからかぶり眠り込んでいた。
「ああ、どうも。そんな時間すか……」
ふああ、と三村はあくびをすると、背中をのばし肩の関節をぽきぽきと鳴らした。すっかり全身が凝っていた。監督の山田はそんな三村をあきれたように見下ろした。
「よくそんなとこで寝られるなあ」
「いやあ、なれですよ」
じっさいなれというのはおそろしい。こうしてスタジオの制作室で、とまりこみ寝るところがないため椅子をならべてそのうえに眠り込むようになってかなりの期間がたっている。最初は眠り込んだ瞬間、椅子を無意識にずらして床にころげおちていたが、いまではすっかり熟睡することができ、椅子をずらすこともない。アパートはあるにはあるが、せいぜい一月に一度か二度帰るだけで、たまに布団をしいて寝るとかえって目がさえてしまうくらいだ。
まったくアニメの制作進行というのは因果な商売だ。
ここは都内某所にあるアニメの制作会社「タップ」の制作室である。会社がはいっている建物はもとは倉庫としてつかわれていたらしく、一階の天井はやけに高く、二階と三階にあるスタッフの部屋はプレハブに毛がはえたようなつくりになっている。
「タップ」は中堅のアニメ制作会社で、おもにテレビ・シリーズの制作を請け負っている。一階の制作室には制作進行のデスクとコンピューターがならんでいる。最近のテレビ・アニメはほとんどコンピューターで制作されるので、数年前スタジオはかなり無理をしてそれに対応したのだ。
立ち上がった三村は山田を見下ろす格好になる。三村は身長百九十センチちかい長身で、山田は百六十センチあるかないかで体重は八十キロというデブなのでどうしても映画の「スター・ウォーズ」にでてくるC3POとR2D2のコンビのようになる。
三村は手首の腕時計をながめた。
夜中の十一時すぎをまわっている。
「木戸監督は?」
「まだうえだよ」
山田は天井を見上げた。三村はうなずいた。
「そうですか……。それでほかのみなさんは?」
「打ち合わせ室でまってるよ」
「すいません。それじゃそろそろ監督をよんできますんで……」
三村はもうろうとした意識のまま階段をのぼっていった。その背中に山田は声をかけた。
「あのさあ、言いたくないんだが。今日中にほんとうに打ち合わせできるんだろうね? みんな待ちくたびれているんだが」
すみません、待ってくださいとつぶやいて三村は階段をあがっていった。
一階から二階への階段はやけにながい。一階の天井がひどく高いので、階段もながくなる。三村は階段のさきのドアを見上げた。
「演出部」とある。
そこには総監督の木戸がとまりこんでコンテをきっているはずだ。
コンテとはアニメ映画で基本的な設計図にあたり、シナリオをもとにカットごとの画面を設定し、あるいはキャラクターの動きを指定するものだ。それがないとアニメの制作ははじまらない。
制作会社「タップ」は来春放映予定のテレビ・シリーズ「パックの冒険」の製作にはいっていた。いまは年末で、放映までは三ヶ月とすこししかない。
ふつうはこういうスケジュールではすでにストック用に数本できあがっているはずなのだが、ずれにずれていまだに第一話の制作にもはいっていない始末だ。
原因は総監督の木戸純一にある。
木戸がテレビ・シリーズの総監督に就任したのはこの「パックの冒険」が最初で、しかも原作は木戸のものだった。
もともとかれは作画監督だった。
木戸が学生時分、自費出版の漫画を発表したことが発端である。その漫画が「パックの冒険」の原作である。そのとき発表した漫画は冒頭部分だけで結局しりきれとんぼに終わったが、その画力に注目したのはアニメ業界であった。
そのころ木戸はじぶんの漫画の能力に疑問をもっていたこともあり、アニメのキャラクター設定などでアニメ業界に飛び込んだ。それが大成功だった。木戸は画力はあったが、ストーリーをつくる能力はなかったのである。
そのうち木戸の名前が専門誌で知れ渡るようになって、かれが学生のときに発表した漫画を再発見したマニアのなかでその漫画をアニメにしてほしいという声が澎湃とあがってきたのである。
その声に専門誌がこたえ、数社のスポンサーがなのりをあげ制作が決定された。
総監督には原作者の木戸が就任した。
最初のうち制作はとんとん拍子に進行した。なにしろ総監督が原作者をかね、しかももともと作画監督でもある。キャラクター設定から美術設定、色指定など制作のかなめとなる絵はどんどんとあがっていった。
ただしストーリー構成になるとそれが暗礁にのりあげた。
木戸はさきにのべたように画力はあるがストーリーをつくるという力はあまりない。しかし原作者であるというプライドはあり、そのためシナリオ・ライターと何度もストーリーについて衝突することになる。
ライターがあげてくるシナリオの案を何度も何度も木戸は書き直させ、ついにはメインのシナリオ・ライターが腹をたてこのシリーズからみずから降板を申し立てる騒ぎになってしまったのである。
木戸はとびきりのトラブル・メーカーであることを証明したのである。
何度もプロデューサーと話し合いをもうけ、ついに木戸はじぶんでシナリオをかねると宣言することになった。
その時点で制作をまかされていた三村は不安になっていた。
これはスケジュール通りにあがらないのでは?
その不安は的中した。
シリーズの第一話となるシナリオがいつまでたってもあがらず、木戸はついにシナリオなしでいきなり第一話のコンテをきると言い出したのである。
それが二ヶ月前のことだ。すでに制作スケジュールはどうしようもないほど遅れていた。「タップ」の社長であるプロデューサーは八方手をつくしてようやく放映予定をのばすことにスポンサーや代理店の同意をもらっていた。
そして今夜、第一話の打ち合わせがメインとなるスタッフとおこなわれるはずであった。そのため、今夜はどうしても第一話のコンテが必要なのだ。
念を押した三村に、木戸は大丈夫。絶対今日中までにコンテをあげるからと約束した。その約束をあてにして三村はかれをおこしにきた美術監督の山田、作画監督の市川、色指定の宮元の三人を招集したのである。
演出部のドアのまえにたった三村はノックをした。
「監督……。三村です。木戸さん。どうですか、コンテをいただきにあがったんですが」
返事はない。
三村は眉をひそめた。
まさか。
いやな予感がした。
ふとほかの作品で、絵があがらず回収直前に逃げ出したスタッフのことを思い出した。
まさかそんなことあるわけないよな……。
どんどんと三村はやや強めにノックした。
ドアの向こうでくぐもった返事がした。
ふううう、と三村は安堵のため息をついた。
大丈夫、逃げ出したりはしていない。木戸はいる。
「監督、はいりますよ!」
ドアノブを握る。
動かない。
え?
なかから鍵がかかっていた。
「雨になるかなあ」
作画監督の市川はつぶやいた。
窓の外は闇である。
空は雲がたれさがり、星はみえない。その雲間から稲光がときどき遠く光っているのが見えている。音は聞こえていない。
一階の会議室である。
ここに「パックの冒険」のメイン・スタッフが第一話の打ち合わせをおこなうため集められていた。
十畳ほどの部屋に会議用の机と椅子。それに完成したアニメを鑑賞するための三十インチのモニター。資料がおさめられているスチール棚。
机のうえには「パックの冒険」の設定資料のコピーが人数分用意されていた。
キャラクター表は中世ヨーロッパ風の衣装に身を包んだキャラクターが精緻な線で描かれている。そのキャラクターにコンピューターで着色された色指定表がプリント・アウトされてならべられていた。
作画監督の市川努。二十二才。一般にアニメのスタッフは若い人間でしめられているがかれはそのなかでもとびきり若くて作画監督になった。なにしろアニメ業界にとびこんだのが中学を卒業してすぐである。若くてもこの業界ではベテランといわれる年数をすごしている。身長百七十センチそこそこで体重は五十キロあるかないかで、いまにも餓死しそうに見えるほどやせている。気が短く皮肉屋である。
「雨になるって……ほんとう?」
それまで漫画を読んでいた宮元洋子は眉をひそめた。
彼女の仕事は色指定である。年令は三十二才。そのわりに小柄で童顔ということもあり、へたをすると中学生に間違えられることもある。アニメがセルとよばれる透明のシートに特殊な絵の具で色を塗っていたころからアニメの仕事をしていて、いつも場違いなほど少女趣味の服を身につけている。その見かけからつい人は彼女の性格を見誤るというあやまちをおかす。じつは彼女は男勝りというか、かなり勝気でどんな相手にもつっかかる猪のような性格の持ち主である。彼女に怒鳴りつけられたスタッフは数人どころではきかない。三村もまた彼女に怒鳴りつけられた経験がある。
「まいったなあ。帰りの電車あるかなあ」
ぼやいた山田に市川はふりむいた。
「あれ、山田さん。今日は車じゃないんですか?」
「車検でね……。こんなことなら代車を借りるんだった」
山田はため息をついた。
椅子にすわる山田はあごひげをのばし、長く伸びた髪の毛を後頭部でむすんでいることもあってファンタジー小説に登場するドワーフのように見える。
と、かれのポケットのなかから携帯電話の呼び出し音がきこえてくる。あわてて山田は携帯をとりだし、画面を見つめた。
「かみさんからのメールだよ。やれやれ」
ごつい指で返信をしている山田を市川はおかしそうに見つめた。
「山田さん、すっかりメールを使うことになれたみたいですね」
山田は肩をすくめた。
「しょうがねえよ。おれはこんなの好かんのだがな」
山田は四十二才。このなかで最年長である。
ごろごろごろ……。
遠雷が聞こえ、三人はおもわず顔を見合わせた。
「おい、ほんとうに降ってきそうじゃないか」
「いやだあ。あたし傘をもってきてないのよ」
喝っ……。
一瞬、あおじろいひかりが会議室をみたした。
「きゃあ!」
洋子が悲鳴をあげた。
どーん……。
雷鳴がとどろく。
「おいおい……」
山田と市川が心配そうに窓にかけより空を見上げた。
どんよりとたれこめた雲間から稲妻が光っている。
風もでてきたようだ。街路樹が風でなびき、電線がひゅうひゅうと風きり音をたてていた。
「じょうだんじゃないぞ。こんな夜中までひきとめられて、帰れなくなったらどうするんだ!」
市川がつぶやいた。
「木戸さん! いいかげんにしてくださいよっ!」
天井から三村の怒鳴る声が聞こえてきた。市川は上を見上げた。
「なんだあ?」
「三村くんだ。さっき監督のところへあがっていったんだが」
山田の言葉に市川は反応した。
「行って見よう」
「行くって、上かい?」
「そうさ。なにか妙だと思いませんか?」
うん、と山田は生返事をした。なににしても山田は決断がおそい。
「行きましょうよ。ここにいてもしょうがないわよ」
洋子が立ち上がり、会議室のドアを開けて出て行った。彼女のあとを山田と市川はあわてて追いかけた。
どんどんどん……。
どんどんどん……。
三村が必死になって演出部のドアを叩いている。
「監督! 開けてくださいっ!」
ドアを叩きつつ、三村はドアノブをがちゃがちゃと音をたててまわしている。すっかりとりみだしているようだ。
そこへ洋子を先頭に三人が階段を登ってきた。
「おい、三村くん。なにしてんの?」
「あ、山田さん」
ふりかえった三村の顔は蒼白になっていた。
「たいへんです! 監督がなかからドアに鍵を……」
「なにい?」
市川がそのやせた体を前に運んだ。
「鍵をかけたって、つまり立てこもりってことか」
「ええ、まあ……」
「どういうことなの? 今夜の打ち合わせはどうなるのよ」
洋子が足をふみならしてさけんだ。
「こうなったらドアをぶちやぶるんだ」
市川の言葉に全員が目をまるくした。
「ちょっと市川くん……」
眉をひそめた山田に市川はかみつくように話しかけた。
「しょうがないでしょう。このままじゃ打ち合わせなんかできっこないし、へたすりゃ放映すらあぶない。つまりこの作品がお蔵入りする可能性もあるってことだ。それならそれではやく結果を知りたいし、あとのこともある。そうだろ、三村くん。こうして手をこまねいてもなんにもならないよ」
三村はゆっくりとうなずいた。
「そうですね……。ドアのことはあとで社長に言っときますから……」
「よし、それじゃ決まりだな!」
市川が身構えた。
そのわきに洋子、山田、三村がならんだ。
「ようし……それじゃいち、にい、さん、で行くからな」
そう言うと市川は息をすうと「いち、にい……」と数をかぞえはじめた。
「さん!」
市川がさけんで全員ドアにむけて体当たりをする。
ばあんっ!
ドアがはじけとび、四人は演出部屋になだれこんだ。
「木戸さんっ!」
三村が悲鳴をあげた。
演出部屋は事実上、木戸の個室といってもいい。もともとおおきな部屋を木戸のためにパーティションをきり、約四畳半くらいのひろさをとっている。窓の傍におおきめの動画机があり、ドアのちかくには資料用のスチール棚がある。机の横にはカラー・ボックスがあり、そのうえに木戸が作品の参考にするためにビデオ内臓の小型テレビがおかれ、何本ものビデオやDVDが積み上げられていた。
監督の木戸は動画机を背に、椅子に腰かけていた。
年令三十六。
がっちりとした体型で、頭は五分刈りにしている。度の強いメタル・フレームの眼鏡をかけぼうぜんとした表情で部屋に乱入してきた四人を見上げていた。
床には一面に書き損じのコンテ用紙が散乱し、くずかごには反古になった紙くずがいっぱいになっていた。その紙くずだらけの部屋のなかを市川がずい、とばかりに足をふみいれて動画机に近づいた。手を伸ばし、書きかけのコンテをつかむ。ぱらぱらとめくり枚数をかぞえはじめた。
「ひい、ふう、みい……なんだ、たった三枚しかあがってない」
「三枚ですってえ!」
三村が悲鳴をあげた。
「木戸さんっ! 今日中にコンテがあがるからって約束したじゃないですか。どうすんですかっ?」
「え……」
ゆっくりと木戸は顔をあげ、三村を見上げた。眼鏡のおくのふたつの目はなにも見ていないようだ。
「コンテですよっ! 今日中に打ち合わせやらないと放映に間に合わないって、あんなに言ったでしょ。いままでなにやってたんです」
窓が青白くひかった。
一瞬の静寂ののち、ばりばりばりと雷鳴がとどろいた。
ぴしゃーんっ……。
どこかに落雷があったのだろうか。
みな無言だった。
あまりのことにどう反応していいのかわからない、といったところか。
壁にはホワイト・ボードが架けられそこにはスケジュール表が書かれている。何度も書き直されたあとがあり、真っ赤な字で放映日時が表のおわりに書かれている。その放映日時にむけ全員が作業を進めなくてはならないのだが、それもコンテあっての話である。その前提がすべて崩れたのである。
もうどうしようもない。
どうしようかなあ……、と山田は考えていた。この「パックの冒険」の話が来てかれはほかのシリーズの誘いを断っていた。とうぜん、「パックの冒険」は放映不可能と見てよく、そうなれば飯を食うためにほかの仕事をさがさなくてはならない。かれは知り合いの制作会社のプロデューサーや、制作デスクの顔を思い浮かべた。このぎりぎりの状況の中、どの会社がおれに仕事をまわしてくれるかなあ……。まあ美術監督の仕事がなくとも背景をやればなんとか糊口をしのぐことはできるか……。
まったくなんてこった……。
市川は腹をたてていた。この業界にはいって七年、この木戸に市川は仕事を教えてもらっていると言ってもよく、その木戸が総監督になるということで作画監督をひきうけたのだがこんな無責任な男とは思わなかった。
いままで腕は認められていたがこの「パックの冒険」でステップ・アップできると目論んでいたのに木戸のせいで棒に振ることになるのだ。
あーあ、こんなことになるんじゃないかと思ってた。
洋子はひそかにひとりごちた。彼女は「タップ」専属の色指定スタッフで、木戸とは何度もいろんな作品をつきあっていた。そのころ木戸は作画監督だったが、腕はあるが仕事について自分勝手な男だと思っていたから、こんどの総監督就任についてはあやぶんでいたのである。
「木戸さんっ! どうするんですかっ!」
おろおろと三村は木戸につめよっていた。木戸はほうけたような顔で見あげた。その目からぼろぼろと涙がふきこぼれた。
「ど、どうしようもなかったんだよお……」
ふらり、と木戸は立ち上がった。その両手がわなわなと震えている。
え? と全員が木戸の口元を見つめた。
なにを言い出すつもりか。
木戸はのめりこむような姿勢で喋りだした。
「最初はおれがシナリオを書くつもりだったんだ。その自信もあった! だってそうだろ、おれの描いた漫画が原作なんだもの……。そりゃ最初に同人誌で描いたやつはしりきれとんぼだよ。でもずーっとおれ、あの物語のつづきを考えていたんだ。それが……それが……」
うぅ……、と木戸は両手で顔をおおった。
「でもできねえ! おれにはシナリオ書けねえ……。なんどもコンテを描き直したんだけど、どうしてもさきに進まないんだ……」
ぴかっ、と窓がまっしろに光った。
ぐゎらぐゎら……と、雷鳴がひびきわたる。
「どうすりゃいいんだ、だれか助けてくれよっ! もう、神でも悪魔でもいいからだれか助けてくれっ!」
もう一度窓の外がひかった。
こんどはさらに強烈だった。
青白い光が部屋のすみずみまで照らし出した。
!
この稲光は奇妙だった。
一瞬の光のはずがまるで時間がひきのばされたようにいつまでも光っている。
全員の動きがとまった。
いや、とまったというより動けないのだ。
髪の毛一本、指先ひとつぴくりとも動かない。
どうなってる……?
みなその瞬間に凍りついたかのようだった。一瞬が永遠に変えられていた。しらじらとした光が部屋に満ちた。
「あんたらの願い、かなえまひょ……」
と、奇妙な”声”が聞こえてきた。なぜかその”声”は大阪弁だった。
「あんたら困ってるんやろ。ほんならわてがなんとかしまっさかい、あんたらもきばりなはれ」
だれだ、だれが喋ってる?
身動きができないまま三村は必死に考えた。なにか異常なことがおきていることはわかるが理解ができない。その”声”はまるで三村の頭のなかで聞こえてくるかのようだった。
……どういうこと? あたし、雷に打たれて死んだのかしら……?
洋子の声だった。
……洋子くん、きみか!
これは山田の声。
動けねえ! どうなってる?
市川の声だった。
知らない、知らない……おれのせいじゃないっ!
木戸の切羽詰った声。
かれらの声が交錯しているが、全員彫像になったように動いてはいない。指一本動かせないまま、思考だけが独立しているようだった。
「静かにしなはれ!」
いらいらしたような”声”があたりを圧した。”声”はつづけた。
「まったく、あんたらのせいやで……。まあ、もともとはそこの監督はんのせいでもあるんやけど……。最初、監督はんがマンガを描いたあたりはよろしかったんねん。尻切れトンボに終わっただけで、実害はあんまりなかったんやけどな。ところがファンという連中がどんな勘違いか、あれを持ち上げよってよってたかってとうとう”世界”を誕生させてしもうた……それでわしが呼ばれたんですわ。ほんまに迷惑やで」
”声”にはうんざりしたといった口調があった。
「しゃあけど誕生してしもうた”世界”はどうしようもでけへんしな……このままほっぽいて黙ってみているのもでけるんやけど、それはあの”世界”で生きている連中があわれや。あんたら、なんとか辻褄あわせというやつをやってくれんか? ひとつの”世界”を救ってほしいんや。それがこのあんたらのピンチをチャンスに変える唯一の方法なんやで」
……おれたちになにをやれっていうんだ?
市川が虚空にむかって怒鳴った。といってもかれの身体はぴくりとも動かず、口元も凍りついたままである。
「あんたらの仕事をつづければええんや。そうすれば、すべてうまくいくんや」
山田はひとりごちた。
……おれたちの仕事?
……おれたちはただのアニメのスタッフだぞ。それがなんで世界を救うことになるんだ?
「そうや、あんたらはアニメのスタッフや……その職分をわすれんことや……」
あたしたちになにをやれっていうのよ! それにあんたはいったい誰?
洋子の憤然とした思考。
”声”はつぶやくような口調でそれにこたえた。
「わてのことなどどうでもよろし。あんたらのせいでえらい迷惑や……。やれやれ、こんなことにわてが乗り出すのも、あんたらがぼやぼやしとるからやで……。さあ、楽にしなはれ……」
光がさらに強烈にかがやいた。その光は目の奥にさしこんでくるようで、視界は完全にうばわれてしまった。
わあああぁぁぁ……。
声にならない叫びをあげ、全員は気を失った。