神はあなたの中にいる。
法華経
エックハルト
エドガーケイシー
この3者に共通する教えの核心部分とはなんだろうか?
それは、、、
『神はどこか遠くの異国の聖地・聖所におわすのではなく
あなたの中におわします。」
という教え、、悟り、、、奥義、、なのだ。 (と、私は思う)
この3者は
口をそろえてこう言ってるではないか。
「どこか遠くにまで足を棒にして
神を探しても無駄です。
なぜなら神とはあなただからです。
あなたの中に、神がいるのです。」と、、、。
それはあるいは、
こういいかえてもいいでしょう。
あなたの内在する神とは
それは今風に言うならば
潜在意識、、超意識、、でしょう。
人間の潜在意識とは
それは原始心性とも言われて、
基底の部分では、通底し合っている。
つまり一個人の潜在意識は、、民族の共通意識でもあり、
ひいては人類共通の、根源意識でもあるわけだ。
そしてその人類共通の母源意識は
宇宙意識とも通底している。
つまり、、
だからあなたは神と深いところでは
通底しているのだ。
ただ、、
残念なことには
我々は日々上っ面の浅い、表層意識でしか生きていないという現実がある。
毎日毎日、
なに食おうか?とか
いい女だなあとか。
ああ、金が欲しいなあとか、
そんな低次元表層意識でしか生きてはいないという現実だ。
もちろん、
そんな俗物野郎でも、
深層意識ではちゃんと宇宙意識と通底してはいる。
でもそんな俗物野郎は
結局そんな宇宙真理に気がつきもしないで
哀れにも一生を終わってしまうのだ。
自分の奥底に、深層意識があって
それは神の慮域に通底している、、ということなど
まったくご存知なく、、低次元の表層意識だけの
喜怒哀楽で一生を終わる。
だから
先の3者は
こう呼びかけている。
「あなたの中に神がいることに一日も早く気がついて下さい。
その神とコンタクトすれば、、
つまりあなたの中の、、内なる神の声を聴くことができれば
あなたの生活は一変するはずですよ。」と。
誰もが神であり
誰もが教祖であり
誰もが霊能者なのです。
ありがたいお告げを聞くために
わざわざ遠い異国の聖者を訪ねて行く必要などないのです。
あなたはすでに答えは知っているのです。
なぜならあなたの中に神がいるからです。
その神に聞けばいいはずです。
あなたは確かに
「肉の子」であり
「被造物」であり、
「死ぬべきもの」であり
「とるに足らぬ者」です。
でも、、
そんなあなたの中には
というか
あなたの深層意識は
しっかり神と通底しているのです。
その深い通底層からの神声を聴くなら
あなたはその時まさに神なのです。
では実際どうしたら
神の声を聴くことができるのしょうか?
それは意外と簡単?ですね。
静かな部屋でひとりでくつろいで、
あなたの内奥に
純一に
澄明に
こう問いかけなさい。
「私の内なる神よ、私に気づきをお与えください」と。
ひたすらなる願いは
必ず聞き届けられることでしょう。
最後に
「法華経」からこんなたとえ話を、、、、・
ある貧しい青年が富豪の仲間の下に遊びに行った。仲間はその貧しい青年を歓待し酔いつぶれるまで飲み明かした。しかし富豪はその夜に商用で遠くに旅だたなければならなかった。
で、その酔いつぶれた青年を哀れと思い誰にも知らせずにそっと青年の衣服の裏に宝珠をいくつか縫い付けておいて旅立ったのである。
さてあくる朝目覚めて青年は富豪が旅立ってしまったことを聞かされてすごすごとそのお屋敷を後にしてまた、放浪のたびを続けるしかなかったのだった。
衣の裏に、とても高価な宝珠をそっと縫い付けておいたことなど露知らずに、諸国をさ迷って、今,こじき同然になって再び富豪の住む御屋敷の前を通りかかったのである。
それを見つけた富豪は、驚いて呼び止め、「一体君は何をしてるんだ。僕が君のために服の裏地に縫い付けた宝珠に気がつかなかったのかね?あれを売れば一生でも十分なお金になろうというのに」と、告げたのである。
このように人はどんな人でも衣の裏にとんでもない宝珠が隠されているのだが、ただ、それに気がつかないのである。気がつかずに貧しく一生を終わってしまうのである。
気がつけば今生の貧弱から、すぐにも開放されるのに。
悲しいかな、誰も自分の衣の裏にそんな宝があるなんて思いもしない。そうして一生を
貧窮と後悔で送って終わってしまうのだ。
光明の知恵あるブッダは、
「早く気がつきなさい、そうしてそれを見つけて一刻も早く豊穣を手に入れなさい」
とおしえているのだ。