婚約破棄は、王家終了のお知らせですが~王太子妃教育を無駄にはしません
「リューレ・マドレイ! 君との婚約を破棄する!」
シャンデリアの灯りが、散りばめられた金属片に反射して、王城の夜会会場を明るく華やかに彩る。
王太子フォルシオが間もなく成年を迎えるにあたり、若い貴族を集め開催されてた夜会。
あちらこちらでさざめいていた声は、王太子であり私の婚約者であるフォルシオが突如上げたそれに反応するように消え去った。
(まぁ……予想はしていましたけれど)
王太子の名を冠した初めての夜会だというのに、彼は私を迎えに来なかったのだから。
フォルシオはここのところ熱心に我が公爵家に通ってきては、私ではない娘に会っている。
当然そのことは領地にいる両親にも、同じタウンハウスに住む次期当主であり、宰相補佐の兄グレンにも告げてあった。
(だからといって、まさかこの場でこんな風に言い出すとは……ねぇ)
彼の隣には、よく見知った顔が並んでいる。
「ジョスティナに唆されでもしたのか、アレは」
「さぁ。ジョスティナも殿下も、似たような出来ですから」
私の隣で婚約者の代わりにエスコートをしてくれている兄が、笑いをこらえるようにしてささやく。
当然私も、兄にだけ聞こえる声で返事をした。
「おい! 聞いているのか! 二人でひそひそと話してるんじゃない!」
現王家の唯一の子として甘やかされるだけ甘やかされた王太子は、自分が常に話題の中心でないと気が済まない。少しでも集中してもらえていないと気付くと、こうして癇癪を起すのだ。
「君は義妹であるジョスティナを冷遇していたのだろう! かわいそうに、こんなに震えて」
王太子の隣にいるジョスティナは、まるで小型犬のようにぷるぷると震えている。
(あれだけ震えるだなんて、筋肉だけはきちんと身につけられたのね)
小刻みに震えるには、自分の脳からの指令をしっかりと筋肉に伝え、その指令を筋肉が実行できることが大切だ。これは淑女教育の最初の頃に学ぶことである。
(ということは、我が家が与えた教育も多少は意味があったのかしら。まぁ、あれ貴族の娘は五歳で学ぶことだけど)
彼女が何かを言い出しそうだったので、待ってあげることにした。
まとめて話を聞いてあげれば、あとはここを去るのみだ。
「酷いんですよぉ、フォルシオさまぁ。お義姉さまったら、私を義妹とは認めてくれないんです!」
「ジョスティナも公爵家の正当なる血筋だというのに、なんということだ!」
「しかも、タウンハウスの管理を任されているからと言って、使用人たちに私を監視させて酷い対応をさせるんです!」
「なんと! 公爵夫妻が領地にいることをいいことに、そんなことを! 私が公爵邸に立ち寄るときには、そんな対応を見せていなかったろう」
「フォルシオさまがいるときは……使用人たちは黙っていて、あとでいろいろと言ってくるんです」
「おお、なんとかわいそうなジョスティナ。君だって公爵家の娘だというのに!」
目の前で展開されているフォルシオ・ジョスティナ劇場に、夜会に参加している若き貴族たちは釘付けだ。
今夜の夜会は、これから王太子を支えていく世代を招待したものなので、突然始まったこれを大人しく観劇することしかできない。
(これに口をはさむのも面倒なんだけど――私の仕事よね、これ)
さて、そろそろ口を開くかと思って扇子を閉じかけると、再び王太子がバッと音が出そうな勢いで顔をジョスティナからこちらへと向ける。
「リューレのように地味でかわいげがない、ソツのない女よりも、華々しく愛らしく、私を頼ってくれるジョスティナの方が、王太子妃にはふさわしい!」
(私のどこが地味ですって?!)
思わず脳内でそう叫んでしまう。
うっかり扇子を握りしめすぎて、骨がぎゅいんと小さな音を立てた。
ジョスティナは明るいピンクブロンドの髪。
対する私は透明感の高い金色の髪で、夜会用に豊かに結い上げたそこには、公爵領で採れるピンクダイヤモンドの髪飾りを挿している。
瞳は青色にグレーがかかり、黙っていれば少しだけ憂いのある美女、と言われているのだ。
目鼻立ちも、父公爵が今も愛してやまないこのバージル王国の傾国と呼ばれたお母さまと瓜二つで、美しいとよく言われる。謙遜するのも嫌味になるだろうから、私は褒められたら微笑んで、ありがとうと言うことにしているくらいだ。
確かにジョスティナは我が公爵家で出される食事を毎食お代わりしているからか、太っているわけではないが、とても肉感的で男性が好みそうなメリハリのある体形をしている。
私はそこまでメリハリはないが、まったくないわけでは――だが、それと地味は関係ないだろう。
「ゆえに、君との婚約は破棄しジョスティナと婚約を改めて交わすことを、ここに宣言しよう」
思わず王太子の言った「地味」という言葉に脳内反論していると、彼は私たちが待ち構えていた言葉を飛び出させた。
その言葉に、私も兄も口の端が自然と上がる。
私はジョスティナを一瞥した後に、王太子へと目を向けた。
「この婚約は、王家のたってのご希望であったと、記憶しております」
隣に立つ兄へと顔を傾け確認をとると、彼も頷く。
「王妃殿下の御実家が伯爵家だからね。王位継承のための盤石な後ろ盾が欲しかったのだろう」
兄も王太子へ視線を送ると、肩をすくめさせて小さく「残念だね」とうっすらと笑った。
私は広げていた扇子をぱちりと閉じると、完璧な淑女と巷で言われている仮面を張り付け、淑女の礼を見せる。
周囲からは感嘆の声が漏れた。
「この婚約については王家と公爵家との契約ではございますが、本日の夜会では多くの貴族が集まっております。ゆえに、今更言を翻すことなど、当然できないかと存じます」
周囲の貴族たちが注目していることを確認しながら、王太子へと言葉を続ける。
「婚約の破棄を、御自らの証拠と共に宣言されましたこと、確かに受け取りました」
私がそこまで言い切ると、兄も礼をして笑みを浮かべた。
「幸い、父公爵からは妹の婚約については全権を任されていますからね。殿下もご安心いただきたい」
「おおそうか! それは安心だ! リューレもまぁ、少しはジョスティナを見習ってみれば、この先良い嫁ぎ先も見つかるだろうな」
「うふふ。お義姉さまはぁ、王妃さまにも嫌われてるんですってぇ。かえって良かったかもですわぁ」
兄の言葉を受けて幸せな会話を続けていく二人を放置し、私たちは夜会を後にした。
***
「義妹と認めてくれない、なんて当たり前じゃないの」
タウンハウスへと向かう馬車の中で、私は兄と向かい合って座りながら、笑いを堪えられなかった。
「あの子は義妹でもなんでもない、ただの従妹なんだもの」
兄も同じように笑いながら、ため息を吐く。器用な人だ。
「殿下のあの様子では、ジョスティナからは何も聞いていないんだろうね」
「そもそも、ジョスティナ自身が信じているのかもしれないわ――自分が公爵家の義娘であると」
ジョスティナが我が家に引き取られたのは、彼女が十歳のときだった。
彼女の父親は、私たちの父公爵の末の弟。若いころに平民の女性と半ば駆け落ち同然に家を出てしまっていたのだが、その二人が事故で亡くなったという。
彼女が孤児院へ行くしかなくなっていたところを、政略の駒に使えるかもしれないと、父公爵が引き取った。
「せっかくつけた家庭教師も、日常生活のマナーを指導してくれる使用人たちも、ジョスティナにとっては何の身にもならなかったようだね」
十歳まで市井で育ったジョスティナに、父は一応選択肢を与えたらしい。
まずは公爵家へ来るか、孤児院へ行くか。
そして公爵家を選んだ場合には、成人となる十八までに貴族令嬢としての教育を受けて、そのレベルに応じた待遇を与えるということを。
それまでは、身分は平民のままであるということも。
「想像以上に学びたがらないから、せめて下級貴族のマナーだけでもと使用人たちに指導をお願いしたけれど、無駄だったわね」
「今夜で彼女たちの指導も終わりだ。特別手当に追加して、揃いのラペルピンでも用意しようか」
「あらいいわね。この間お兄嫁さまが領地から送ってくださった、新しい石の宣伝にもなるわ」
公爵家の使用人は、伯爵家から男爵家の子息子女が多い。
彼ら彼女らに、家庭教師がいない時間帯の日々の生活でのマナーを、ジョスティナにアドバイスするようお願いしていた。
(ジョスティナにとってそれは、ちくちくと嫌味を言われているとでも感じたのだろうけれど)
公爵家の生活を享受する以上、我が家の益になる存在になってもらわなければ意味がない。
これは父公爵の意思でもある。
兄の妻とその子どもたちは現在領地にいるが、その六歳にも満たない子たちの方が、よほど貴族然としている。
ジョスティナが十歳で我が家に来たばかりのときならばともかく、それから七年経っても小さな子どもよりもレベルが低いのは、困ったものだ。
(あれじゃ、公爵家はもとより男爵家の娘としても外に出せないわ)
寄子の男爵家も、養子にするのは嫌がりそうだ。
とはいえ、王太子がジョスティナがいいと言うのであれば、彼に引き取ってもらうのが一番だ。
(引き取ってもらったところで、王太子が王太子でいられる時間はもう短いだろうけれど)
貴族たちは間抜けではない。
国王夫妻を、次期国王となる王太子を、見続けているのだ。
そしてその冠を掲げ続けさせても良いのか、絶えず判断している。
「それで、婚約者がいなくなったリューレはどうしようか」
「そうねぇ。お兄さまには当然、アテがあるのでしょう?」
「王太子がジョスティナに興味を示したころから、声をかけている男はいるさ」
「ならばそちらの方と」
すまし顔で言えば、兄は少しだけ驚いた顔を浮かべる。
「なんだ、誰かは聞かないのか」
「次の冠を掲げるに相応しい家門なんて、ほぼ決まっているわ」
「つまらんな」
「だって――あの王太子、いらないでしょう?」
馬車がタウンハウスに到着し、兄は婚約を白紙にする契約書を作ると、すぐに執務室へ向かった。
私は侍女長を呼び、王城での出来事を共有する。家令には兄から話があるだろう。
あまりにも疲れていたのを見た侍女が、同時に私を着替えさせ髪を解いてくれた。パリュールを全て外し、コルセットを緩めると、それだけでため息が漏れる。
「それではジョスティナ嬢につきましては、今後平民用の来客室にご滞在ということで」
「ええ。あくまで我が家から出奔した親族の子という扱いで構わないわ。叔父さまはすでに、貴族籍からも抜けているし」
父の末弟であった叔父は、駆け落ち同然で家を出た。
それはつまり、貴族としての責務を放棄したと同等なので、その場で貴族籍からは抜けている。
この国では、嫡男以外は家を継げない。他の貴族へ嫁入り婿入りをしない限りは貴族籍を抜けることとなるが、他に教会の司祭になるなどすれば、貴族籍を一代のみ残すことは可能となっていた。
(でも叔父さまのお相手は平民。出奔しようと、公爵家の許しを得ようと、貴族籍から抜けることに違いはなかったのよね)
つまりジョスティナは生まれたときから現時点まで、ずっと平民だったのだ。
当然社交界ではそのことを周知している。
それでも彼女の後ろ盾として我がマドレイ公爵家がついていたので、皆は貴族に準じた対応をしてくれていた。
だがそれも今夜で終わりだ。
夜会に参加していた若き貴族たちは、帰宅すれば今日のことを家族に話すだろう。
当然彼ら彼女らも、その親たちも我が家がこの後ジョスティナをどう遇するかは、火を見るよりも明らかと判断する。
「さすがに突然放り出すのはかわいそうだから、しばらくは置いてあげて構わないわ。あぁ、殿下が迎えにでも来たら、送り出してあげて」
「かしこまりました。部屋の荷物は」
「我が家が用意したものは貸与終了ね。殿下からの贈り物があれば、それは客間に移動して。我が家が勝手に処分してしまうのは、面倒になりそうだし」
侍女長は笑みを浮かべ、部屋を出た。
すぐに他の使用人たちに通達され、作業が始まるだろう。
「お嬢さま、お湯の支度ができております」
侍女に手を引かれ、私は今日の疲れをゆるりと洗い流したのだった。
***
翌日の午後。
朝一番で王城に出かけた兄は、婚約を殿下有責で破棄するための契約書と、私の新しい婚約者候補を手に早々に帰宅した。
「国王も王妃も王太子にどう話を聞いているのか、ジョスティナに婚約を移すだけだからと、簡単にサインをした。宰相補佐としては、心配になるほどだったよ。慰謝料も言い値だ」
バラが咲き誇る庭でお茶をしていた私に、兄はそう言いながら一人の男性を近付ける。
「話くらいはしたことがあるだろう? 大公閣下のご子息の、マルク・ダランド殿だ。リューレの新しい婚約者となる」
ダランド大公は現国王の弟で、その細君は隣国の王女。
実は国王の元婚約者ではあるが、当時父公爵を狙っていた現王妃が父に見向きをされなかったために、さらに上の地位の男性を狙い国王を陥落。あわや国家間の問題になるところを、ダランド大公が王女を熱心に口説き、妻にしたという。
(あの王妃のどこが良かったのかしら)
やたらと私に攻撃的な王妃に疑問を持ち、母に相談したら当時の事情を教えてくれた。
そもそも婚約者時代から母を溺愛していた父につけ入る隙などなかったのに、やたらと煩い虫が湧いていた、と。
王妃は王太子の後ろ盾は欲しいが、母とよく似ている私は気に入らないと、虐めてきたのだ。
(元伯爵令嬢の嫌がらせって、レベルが低かったけど)
王妃は伯爵家の令嬢で、王太子妃教育も王妃教育も出来が悪かったと、教師陣にこっそり教えてもらった。我が家の後ろ盾は必要なので、私に対して決定的な虐めもできず中途半端だったのが印象深い。
(私を目の敵にしていた分くらいは、痛い目にあえばいいわ)
目の前に立つマルク・ダランドは、王太子の従兄だ。それもあり、王太子の婚約者という立場で言葉を交わしたことはあった。
「そういうわけで、僕が君の婚約者となった。よろしく」
彼の銀色の髪が風に揺れる。
深い緑色の瞳に、私が映った。
「じゃあ、交流でも深めておいて。婚約については、彼を連れてくるときに結び終えている」
兄はそれだけを言い残し、庭を後にする。
(相変わらず仕事が早いのね)
残された私たちが椅子に座ると、新しいお茶とお菓子が用意された。
「それで」
私は紅茶を一口飲むと、彼に微笑む。
「マルク様は、王太子妃をご所望されますか?」
甘やかなバラの香りを含んだ風が、私と彼の髪をやわらかに揺らせる。
彼は口の端を上げて、私を見た。
「せっかく君が十年もの間学んだんだ。その知識も何もかもを活用しないのは、君への侮辱になる」
「大公閣下はなんと?」
「父はいつでも王位に就くことには乗り気だよ。どうも父も僕も執着心が強いらしくてね」
「執着心、ですか」
「母上は本来王妃となるべく嫁いできた。そして君も」
大公閣下が細君を口説いたのは、けして国家間の安寧のためだけではないらしい。
父公爵とともに愛妻家として有名な閣下は、細君の得るべき地位のために兄王を蹴落とす気だ。
(とても好ましいわね。お父さまもお兄さまも、それをわかっていて大公家に働きかけていた、ということ)
マルクは淡い黄色のマカロンを手に、目を細める。
「リューレ嬢の金色の髪のような色だね」
「あら。そんなことをおっしゃってから、召し上がるつもり?」
「君にあまり興味を持たないようにしないと、って思うんだけど」
彼はその手にあるマカロンを口元へ運ぶ。
さくり、とまるで音が聞こえた気がした。
侍女が刺したバラの葉のモチーフのナプキンで手を清めると、彼は私をじっと見る。
言葉の続きを待つ間が、妙に長く感じた。
「――思うんだけど?」
「無理かもしれないな」
彼は立ち上がると、私の額に唇を寄せる。
「ちょっ!」
「王太子の隣にいる君を見て、欲しいと思う気持ちを見ないようにしてたんだ」
彼の指が、私の指先に絡まった。
「マルク様?」
そのまま彼は膝をつくと、私を見上げて私の手に自身の唇を近付けた。
「すでに契約は成っているけど、改めて。僕はリューレ嬢を好いている。妻となって欲しい」
唇が触れたわけでもないのに、指先が熱い。
彼の深い緑色の瞳は甘く、やわらかく私を見つめる。
幼いころから婚約者がいた私に、こんな風に言葉をかけてくれる人など当然いなかった。
(どうしましょう。私、いまとてつもなく胸が苦しい)
彼のことを、これまで異性として見たことは当然ない。
けれど、こうして愛を告げられれば嫌だと思う気持ちなどは、微塵も浮かばなかった。
むしろ嬉しいと思っている。
「返事は? ねぇ、返事を聞かせてリューレ」
マルクの声が聞こえるだけで、耳が熱くなっていく。
(王太子妃教育で培った仮面を……どうにか)
「僕の前では素直でいて」
必死に取り繕うとしているのに。
彼は私の手をそのまま引き寄せる。
体が椅子から浮かび、彼の腕の中へと飛び込んでしまう。
「すごく、かわいい」
耳元で囁かれるその言葉は、私には絶大な効力があった。
「あの……私も――あなたの妻になりたいです」
恋に落ちたのかはわからない。
けれど、私とマルクは政略以上の気持ちで婚約を成立させることとなった。
***
今回の新しい婚約は、大公家と公爵家の結びつきということ以上の意味がある。
大失態を犯し平民の娘を選んだ王太子と、王太子妃の教育を受けた公爵家の娘を妻にする王位継承権のある大公家の子息。
どちらがこの国の王位を継ぐに相応しいのかは、大半の貴族が結論を出しているだろう。
あとはどのタイミングを狙うか、だけである。
「結局あれから一度も家に帰ってきてないな」
あの夜会から、六夜が過ぎた。
ジョスティナは一度もタウンハウスに戻ってきてはいない。
「王城に留まり続けてるとか。さすがは倫理観のない王妃殿下のご子息。未婚女性を引き留める罪悪感はないのかしら」
もとより開催予定だった今夜の大公家の夜会で、私とマルクの婚約を発表する。
慌ただしいが、こういうことは素早く動かないといけない。
本当は両親と兄嫁たちも来たがっていたが、軍の準備のためにそうもいかなくなった。
「公爵領の軍は順調に?」
「ああ。王家に悟られないよう、この夜会にあわせゆっくりと派閥の領地を回りながら向かっている。間もなく王都の外に到着するだろう」
今夜は夜闇をイメージしたような紺藍のドレスに、マルクの髪の色を思わせる銀色の刺繍が施されたドレスを着ている。
胸元には我が公爵領で採れた、深い緑色の石にグレーのシードパールを添わせたネックレス。耳元も同じデザインが飾った。
馬車止めに入ると、エントランスに見知った顔が立っている。
「リューレは彼と、そんなに仲が良かったのか?」
我が家の馬車を待ち構えていたマルクの姿を見て、兄が苦笑した。
私は小さく笑い返すと、窓から見える彼へと目線を移す。
「これから仲良くなるのよ」
「そりゃ、いいことだ」
扉が開くと、私はマルクの手に支えられて馬車を降りた。
大公家のタウンハウスのホールは華やかに設えられ、様々な派閥の貴族たちが集まっている。
王太子に次ぐ継承権を持つダランド大公の機嫌を取りたい貴族は、それなりに多いということだ。
「皆が君を見ている」
マルクにエスコートをされ、ホールへと足を踏み入れる。
ホールの中には大公家の紋章でもある白百合が咲き誇り、その強い香りを放っていた。
「つい先ごろ婚約者を失った女が、あなたと共に現れたから驚いているのよ」
「違うな」
音楽に合わせて、入場した流れのままホールの中央で私たちは踊りだした。
軽やかなリズムのワルツに、重厚なメロディが添えられる。
「君が美しいから、皆が見てるんだ」
体が近付いたときに囁かれるその言葉に、私は笑みを浮かべた。
「隣にいるあなたが美丈夫だからかもしれないけれど」
二人で笑いあい、小さく言葉を重ねる。
「この国の先への予感を、私たちに重ねているのでしょうね」
公爵家の後ろ盾を失った王太子を見限る貴族がほとんどだろう。
だからこそ、今この夜会に多くの人が集まる。
「あら! あなたのネックレス素敵ねぇ」
ダンスを終えてホールの様子を見まわしていると、聞きなれた声が響いた。
ジョスティナが一人、貴族令嬢たちの輪に入ろうとしている。
王太子に贈られたであろうピンク色のドレスを纏い、胸元には金細工が施されたサファイアが輝く。
(ジョスティナが近付いただけで、人波が……)
まるで海が割れるかのように、貴族令嬢たちが目を反らしてその場を離れていく。
その中にぽつんと取り残されたジョスティナは、目を見開いていた。
「なによ。私は王太子妃になるのよ。失礼じゃなぁい?」
周囲をぎょろぎょろと見回して、ジョスティナは手にしていた扇子を周囲の女性たちに指し示す。
「あなたも! あなたも! あなたも! この間まで私に話しかけてたじゃないの!」
言われた女性たちは、それでも何も言わない。
当たり前だ。
今や我が家の後ろ盾のない、ただの平民なのだから。
(今までは我が家の庇護下だったから、皆さんお話ししてくださっていたのよ)
彼女たちは家を背負う。
自分たちの失態は家の失態。
平民に侮らせるわけには、絶対にいかない。
「どうした、ジョスティナ」
ワイングラスを手にして、王太子が現れた。
もう片方の手に持っていた小皿とともに、近くの配膳係に手渡す。
(いや――エスコートすべき女性を放置して、食事をしてたの?!)
同じことを思ったらしく、私の隣でマルクが肩を揺らせている。
笑いたいわよね。わかるわ。
「フォルシオさまぁ。皆が私と目を合わせようとしないのぉ」
「それはジョスティナと話すのが畏れ多いと思ってるんじゃないかな」
「ああ! そういうことなのねっ。皆、気にしなくていいわよ」
その場にいる令嬢たちは、しらっとした空気のまま扇子で口元を隠している。
あの扇子の下は笑いを堪えているに違いない。
「レディ、こちらへ」
王太子が一番近くにいた令嬢へ声をかけた。
(あの方は大公派の伯爵家のご令嬢じゃない。よくもまぁ、よりにもよって)
王太子は派閥のことなど頭にないのだろう。
そうしたことを学ぶのは私の仕事だと、避けてきたのだから。
(そういえば王妃も同じことを言っていたわねぇ。私の仕事であるなら、同じく王妃の仕事でもあると思うのだけれど)
そもそも誰がどの派閥かなど、王家貴族問わず最低限覚えるべきことの一つだ。
「王太子殿下、ごきげんよう」
伯爵令嬢は直接声をかけられてしまい、仕方がなしに挨拶をする。
けれど当然、ジョスティナには挨拶をしない。
目線をちらりとも向けずに、王太子にだけ体を向けていた。
「ちょっと! なんで私には挨拶しないのよ」
苛立った声を上げるジョスティナに、王太子も同じように眉を上げて同調する。
「そうだ。不敬だろう!」
このままでは、王太子の癇癪も始まる。
そうなると夜会が荒れて、私たちの婚約発表の予定までもが狂ってしまう。
それに、大公派の家に恩を売っておくのも悪くない。
マルクとともに私は、彼らの近くへと足を進めた。
「挨拶しないのは、当然ですよ。平民に話しかけられたんですから」
私の言葉に、周囲の令嬢たちは援護射撃のようにくすくすと笑った。
「リューレ! お前は……っ!」
王太子はまるで悪魔のような形相で、ぎろりと私を睨む。
「そこまで義妹を貶めるのか!」
(あらあら。まだそんなことを言ってるのね)
ジョスティナもわかっていないような顔で、王太子に縋りつく。
私はそれを見ながら、幼子にするような笑みを浮かべた。
「我が国の相続権は嫡子のみ。それ以外は自分で一代爵位を得るか、婚姻で貴族家に入らない限りは、当主交代とともに平民となります」
「そんなことは当然だろう?」
さすがの王太子も、そのくらいのことは知っていたらしい。
マルクは私の代わりに言葉を繋いだ。
「ジョスティナ嬢は、現公爵閣下の弟君のご息女です」
「だから何だ。正当な公爵家の血筋だろう。マルク、君が我が父の弟の息子であるのと同様にな」
(まぁ。ここで王家の血統を改めて周知してくれるだなんて、こちらの味方なのかしら)
「ん? そういえば何故二人がともにいるんだ? もしかして、私のお下がりをマルクがもらうのか。ははは! これは傑作だ」
私の隣でマルクが恐ろしいほど冷たいオーラを放っているのに、王太子はそれに一向に気付かない。
げらげらと下品な声で笑っている。
マルクの腕にかけている私の指先に、きゅ、と少し力を入れた。
それを受けて、マルクは私にやわらかく微笑みかける。
周囲の貴族令嬢から幽かに黄色い声があがった。
「殿下。ジョスティナの母親は平民です」
「……は?」
ここで初めて、王太子は顔から笑いが消える。
私は続けて彼に言葉をかけた。
「ジョスティナが政略の駒になるのであれば、我が家もしくはいずれかの貴族家の養女とするつもりでしたが」
口元の扇子を閉じると、王太子とジョスティナを順番に見る。
「今回の件で父公爵も、次期当主である兄も、ジョスティナが政略の駒にすらならないと判断しましたの」
「で、ではジョスティナは」
「最初から最後まで、平民ですわ。私の従妹ではありますが、義妹でも貴族でもございません」
王太子は勢いよくジョスティナを振り返った。
「何故言わなかった!」
「知らないわ……! 私はあの家で、令嬢として過ごしたもの! 公爵家の娘として!」
二人は益体のない言い合いをし続けている。
いつまでも騒がれるのは迷惑なので、再び口を挟むことにした。
「ねぇジョスティナ。お父さまが、公爵家の教育をしっかり身につけてもらうと言ったのを忘れたのかしら」
「知らない! そんなこと覚えてないもの!」
「あなたは自分で、公爵家に来ることを選び、貴族の責任を負うことを決めたのよ」
ジョスティナは私の言葉に、口をはくはくと開閉させる。
さて王太子はどうするか、と思えば――。
「私はこれで失礼しよう! 平民と話すことなどない!」
勢いよく広間を飛び出し、去って行ってしまった。
「あらまぁ。みっともないこと」
「外交の場でも、困ったことがあったらああやって逃げ出すのかな、彼は」
マルクが鷹揚にそう口にすれば、周囲の貴族たちは今度は遠慮なく笑う。
(自ら玉座を遠のけるだなんて、愚かな男ね)
王太子が去っていった方へ視線を向ければ、すでに気配すらない。
残されたジョスティナは再び周囲を見回すも、誰も助けてはくれないと気付いたようで、ドレスをたくし上げて同じようにホールを去っていった。
(あんなに足を出して走るだなんて、本当に令嬢教育の敗北でしかないわね)
広げた扇子の内側で、そっとため息を吐いた。
***
マルクと私の婚約の発表を無事に終え、深夜に兄と帰宅する。
「今日は疲れたわ」
「さすがのリューレも、マルク殿との婚約発表は緊張した?」
「そっちじゃないことなんて、わかってるくせに」
エントランスに入ると、家令が待ち構えていた。
「先ほどジョスティナ嬢が、屋敷を抜け出しました」
「まぁ。思ったよりも行動が早いわね」
「新しい客間へ案内したのですが、状況を把握したようで」
「そう。それでどこへ向かったのかしら」
夜会で公爵家の娘ではないと突き付けられ、帰宅したら平民用の客間に案内される。
さすがのジョスティナも、自分の置かれた環境がこれ以上良くならないことに気付いたのだろう。
「王太子殿下からの下賜品を持ち出して、王都の宿屋に転がり込みました。時間が時間でしたので、換金するための店は閉まっていたので、今は宿で寝ているようです」
「殿下からの下賜品を換金されたら面倒ね。宿にはこちらからお金を払って、彼女を連れ出して」
始末するか、娼館にでも送るか。
ジョスティナを王太子が回収しないのであれば、下賜品はこのまま王家に返品で良いだろう。
(娼館は――下手に公爵家の血をまき散らされても困るわね)
このあとのことを考えれば、わかりやすい死体も出したくはない。
「そうね……。彼女には公爵領の修道院に入ってもらいましょう」
ただ、王都から夜の道を馬車が走るとなると、事故が起きるかもしれない。
そうなるかどうかは、わからないけれど。
私の言葉に、家令は薄く笑みを浮かべ了承の意を伝えてきた。
「リューレ、おそらく明日にでも国王から呼び出しが来る。今夜はゆっくり休みなさい」
「そうね。殿下が真実を知ってしまったから」
国王夫妻は、ジョスティナが我が家の養女だと思っていただろう。王太子がそう信じていたのだから。
平民だと知れば、私との婚約を再び希望することは予想ができる。
(すでに私とマルク様の婚約は成立しているし、お披露目も終わっているわ)
このあと国王夫妻や王太子にできることなど、何もない。
(さて、どう出てくるかしらね)
翌日、予想通り国王からの呼び出しがかかる。
それも早朝に連絡が来たのだ。
夜会は通常明け方の三時頃に終わる。
王太子とジョスティナが夜会会場を飛び出したのは日を跨ぐ前だったけれど、夜会自体は通常通りの時間に終わっているのだ。
早朝に夜会参加者に連絡を入れることは、非常識と判断される。
「まぁ、あの一家はもともと全員非常識じゃないか」
「そうだったわ」
支度をして登城すると、そこには国王と王妃が待ち構えていた。
謁見の間の奥にある、互いに椅子に座って会話ができる部屋に通される。
「此度、王太子が妻にと希望した娘が、公爵家の養女ではないと判明したわけだが」
おもむろに話し始めた国王に、兄は笑みを浮かべて返す。
「公爵家の娘は妹一人だということは、ご存じのはずですが」
「リューレ嬢は私に、家に新しい娘が来たと言っていたではないの」
王妃が目を吊り上げて言い出すので、こてりと小首を傾げる。
「娘は一般名詞の娘ですよ。どうして平民の娘を最初から養女にするとお思いで?」
「その娘は、あの方が外に作った娘だと……」
これは予想外だった。
ジョスティナが我が家に来た経緯は、お茶会などで話している。
当然王妃の耳にも入っているかと思っていたが、彼女が我が父に思慕していたことは母たちの世代では有名なので、誰も話題にしなかったのかもしれない。
「父が母を溺愛していることは、王妃殿下も十二分にご存じのことかと」
私は笑いを含ませた声音で、王妃に言う。
まるで瞬間的に湯が沸いたかのように、彼女の顔は真っ赤になった。
「いずれにしても、我が家とあの娘は先日の王太子の夜会以降無関係です。まぁ王太子殿下は平民を妻にしたいようですが、それはご自由に」
兄の言葉に、国王が真っ青になっている。
貴族は平民と婚姻することはできない。するのであれば、その地位を返上して自らも平民となる必要があるのだ。
「ところで……後ろ盾の弱い王妃殿下の唯一のご子息が、貴族たちの前で大失態をしたことになりますが――大丈夫でしょうか」
まるで葬儀の場のように沈黙が続くので、兄が口火を切り、私たちは王城を下がった。
***
タウンハウスに戻ると、家令が苦笑いを浮かべて私たちを出迎える。
「何があった」
「それが、王太子殿下がおいででして」
「――何をしに来たのかしら」
昨日の今日で動き回ったので、さすがに疲れているのだ。
面倒なことにはこれ以上対応したくないが、放置するわけにもいかない。
「リューレお嬢様にお会いしたいと仰っています。さすがに門前払いもできず、屋敷の一番奥の応接室へご案内しております」
屋敷の一番奥の応接室とは、大きな嵌め殺しの窓があり、別の場所から中がよく見える部屋だ。
扉は一か所しかなく、大きな鍵がかかる仕様になっている。
「ちょうどいい。大公家に遣いを出してくれ。リューレ、王太子と話をするか?」
「せっかくだから、王冠の場所を聞き出してみるわ」
「腕の立つ者を控えさせておけよ」
「ええ。それからあの部屋の鍵の支度も」
私は着替えもせずそのまま王太子が待つ応接室へと向かう。
扉を開ければ、すぐにソファから立ち上がった王太子が私の近くへと寄ろうとした。
「殿下、そのまま席にお座りください」
「それもそうだな。私がわざわざ君の元へ行く必要はないか」
(まだそんなことを言ってるのねぇ。お願いする立場だって、わかってないのかしら)
私と彼の前に新しい紅茶が用意される。
万一を考えて、ぬるめがおいしいとされている茶葉を選ばせた。
(熱い紅茶をかけられでもしたら困るもの)
以前、王妃からかけられたことがあったので、息子である王太子もやりかねない。
本当にレベルの低い虐めだった。
「さて、ジョスティナが平民だと分かったわけだが、それはつまり私とリューレが再度婚約をすれば済む話ということだろう」
「殿下、私はすでにマルク様と婚約をしております」
「マルクはたかが大公の息子だろう。次期国王である王太子の私の方が価値がある。リューレのためにも公爵家のためにも、良い」
(……は?)
再婚約という提案はされると予想していたが、まさかこんな切り出し方をされるとは思ってもいなかった。
「なに、リューレの好きな貴族の責務とかいうやつだ。公爵家の娘は公爵家のために尽くすべきだし、その公爵家は王家のために尽くすべきだ。ということは、公爵家の娘であるリューレは、王家のために尽くすべきだろう」
あまりの理論に、呆れるしかない。
けれどこれは、良い呼び水だ。
「まぁ……。でも――そうですわね。私が王太子妃となって支えねばなりませんわね」
私の言葉に気を良くしたのか、王太子は何度も頷く。
(誰を支えるとは言ってませんけれど)
「ただ、私は心配なのですわ」
「ふん――君にも心配事なんぞがあるのか。……聞いてやってもいいぞ」
「頼りになりますのね、殿下」
少し頼ったフリをすれば、すぐに得意気な顔を見せる。
これほどまでに脇の甘い男が王太子だなんて、本当に恐ろしい。
「殿下が王位に就かれる際、その正当性を疑う愚かな貴族もいるかもしれないと思うと……」
「そんなやつ、即座に捕えて死者の塔にでも送り込めばいい」
「まぁ恐ろしい。そんな怖いことを言っては嫌ですわ」
「君、そんなかわいい面があったのか。そうだな。死者の塔は一度入れば死ぬまで出られぬ場所だ。リューレのようなか弱い女性には恐ろしいだろう」
ほんの少し前までは、私のことを地味でかわいげがない、ソツのない女と言っていたくせに、わずかに少し見せた演技でこうも手のひらを返すとは。
私は呆れた顔を一切表に出さずに続ける。
「だから殿下。私は即位のときの力になりたいのです」
「と、言うと?」
上目遣いで王太子を見上げる。
そしてジョスティナがしそうな、安っぽい笑みを敢えて浮かべれば、王太子はごくりと唾をのみ込んだ。
この程度、貴族女性はやろうと思えばいくらでもできるのだ。
――みっともないのでやらないだけで。
「戴冠式のための王冠の鍵を預かりたいのです」
「だが、それは――」
それは王位継承権第一位の者にだけ伝えられる秘密。
戴冠式のための王冠は特別なもので、それを頭上に冠して初めてこの国の王と認められるものだ。
「私と二人だけの秘密を、共有しましょう」
「二人だけの秘密……」
口元がだらしなく緩むのが見える。
(絶対、いやらしいことを想像しているわ)
気持ち悪いものを見る目を隠しながら、私は言葉を続ける。
「ねぇ殿下……。戴冠式の王冠の鍵は、どちらに?」
甘い声を出す。
彼の唇を舌が這いずるのが見えた。
「そうだな。私の妻となるなら知っておく方が良いだろう」
王太子は易々と、その場所を口にする。
私は扇子を開き笑いを堪えるために戦慄く口元を隠した。
それを勘違いしたのか。
「なんだ。私の情けがそれほど嬉しいのか。安心しろ。今のように甘えてくれば、たっぷり抱いてやるから」
(気持ち悪っ!)
淑女の仮面を全て振り払い、私は眉をひそめて立ち上がった。
「リューレ? どうした」
「その地位がいつまであるかはわかりませんが」
扇子を閉じ、ソファの横へと移動する。
「マルク様と比較するなど、あの方に失礼だわ」
「そんな強がりを言わなくてもかまわないぞ。なんだ、素直になれないのか」
(何、この言葉の通じない害虫は)
部屋に控える腕のたつ使用人に目配せをし、私はドアへと向かう。
最後に振り返り、淑女の礼をする。
そうして満面の笑みを浮かべて、口を開いた。
「男性としての価値があなたにはないので、無理です」
聞きたいことを聞いたのだ。これ以上同じ部屋にいる必要はない。
そのまま扉の外に出ると、部屋に鍵をかけさせる。
「これで、王太子は我が家に軟禁されることになったわね」
扉の前には護衛を置かせ、私は兄の執務室へと向かった。
そこには大公閣下とマルクが、すでに到着している。
「リューレ! 大丈夫だった? 王太子と会っていると聞いて、すぐに行きたかったけど」
「揉めるからだめですよ。せっかく冠の場所を聞き出すチャンスを自分で持ってきてくれたんだから」
「同じことを、父上とグレン殿に言われたさ」
笑いながら、彼は私の髪を一束取るとそこに口づけをする。
「愛しい僕のリューレ。会いたかった」
「さ、昨夜会ったばかりではありませんか」
「いつだって、すぐに会いたいだろ。赤くなっててかわいい」
兄と大公閣下がにまにまとこちらを見ているのが、居たたまれない。
「それで、状況は」
誤魔化すように言えば、兄は地図をぱらりと出した。
「先般の婚約破棄からこちら、各貴族家への根回しは終えている。ただ王太子派だったこの伯爵家だけはどうもな」
王城の北側にあるタウンハウスを指す。
「とはいえ、昨夜の夜会に参加するために、伯爵夫妻は王都に来ている。もぬけの殻になった伯爵領は、公爵家の分隊が制圧済みだ」
「さすがは公爵家。仕事が早いな」
「マルク殿に褒めていただけると、義兄としても嬉しい限りだ」
「義兄とは良い響きだな」
マルクは嬉しそうにうなずく。
「それで、父上たち公爵軍は今、王都の外側のこの辺にいる」
それは王城に一番近い門のあたりだ。その地域は、我が家の派閥のタウンハウスが続いている。
「我が大公軍はこちら側」
その門と逆側には、大公家のタウンハウスがあった。
そこに大公軍が控えている。
「宰相閣下には、話を通している。王城内を束ねておいてくれるそうだ」
兄は宰相補佐として王城に勤めているが、宰相は母の父親、つまりは私たちのお祖父さまが任じられている。
無能な国王夫妻に苦労していると聞いていたので、今頃大喜びだろう。
「では、我が大公軍が国王夫妻を死者の塔へお連れしよう」
「追って王太子もそちらへ移送せねば」
大公閣下と兄が笑いながら言えば、マルクも目を細め口を開く。
「公爵軍が王城内を制圧したら、即座に戴冠の支度を」
「王冠の鍵の場所は私が」
「それがあれば、すぐにでも戴冠式が行える」
この国には、二種類の戴冠式がある。
王位を受け取ったあとすぐに行う、宣言の意味の戴冠式。
そしてその三か月後に各国の賓客を迎えて行う、披露目の戴冠式。
この国では、王家の血を引く者が正しい冠を得て、まず宣言の戴冠を済ませる。それがなければ、ただの簒奪と変わらない。
そしてその冠を納めた箱は、王位継承権第一位の者にのみ受け継がれる鍵で管理されていた。
――だからこその、正当性なのだ。
「反対する貴族はほぼいない。王朝の交代は、余計な血は流さずに済ませられよう」
大公閣下の言葉に、私たちはうなずく。
そしてこの日の夕刻。
バージル王国ガットーニ王朝は終了し、新たにダランド王朝が開かれたのだった。
***
三夜が過ぎた、朝。
王城の中庭が開け放たれる。
教会の鐘が鳴り響き、戴冠式を終えたダランド王朝第一代国王オシェク・ダランドが、隣国の元王女である妻を連れて中庭に面したバルコニーへと現れた。
その横に、私の婚約者であり王太子のマルク・ダランドが並ぶ。
マルクの逆隣には私が立つ。
中庭には王都の民が集まり、新しい国王への賛辞を惜しみなく口にする。
風にのって、まるで洋ナシのような甘くさわやかな香りが届いた。
「エルダーフラワーが咲いたね」
凉やかな風を受けて、マルクの銀色の髪の毛が光る。
「私、エルダーフラワーのシロップが好きなの」
「ではすぐに、作らせよう」
民たちに手を振りながら、彼が笑う。
私も横で、笑みを浮かべる。
バルコニーからは、右の奥に死者の塔の先端が見えた。
処刑されることはないが、一度入ると二度とは出られない塔。
「どうしたの?」
マルクが私の頬に手を添え、触れるだけの口づけをする。
中庭からは、拍手と歓声があがった。
「あの、皆の前……」
「次期国王夫妻の仲は良いに限るだろ」
片眼を閉じて笑う彼の頬に、私は同じように触れるだけの口づけをした。
了
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