『閻魔タクシー』
男が止めた閻魔タクシー。
日が暮れかかった時間、薄汚れたスーツ姿の男が手を上げて一台のタクシーを止めた。社名表示灯には『閻魔』と書かれてあった。
開く後部座席のドア。
「〇〇〇へ行ってくれ」
行先を告げてバックシートに腰を押す。
「解りました」
〇〇〇は観光地であるが、自殺の名所でもある。時間も時間なのに運転手は戸惑うことなく、後部座席のドアを閉じてタクシーを出発させた。
目的地まで距離がある。薄暗い道路をタクシーのヘッドライトが照らす。
「運転手さん、私の仕事、何だと思う?」
唐突に男が運転手に尋ねた。
「何なんでしょう」
運転手はとても優しい顔をしている。
「泥棒だよ、泥棒」
意地わるそうに笑った後、男は話を続けた。
「二十年前、俺は会社を解雇された。怖くて家族に話すこともできず、自棄を起こして泥棒に入ったら、これがうまく行ってな。それからというもの、会社に行くふりをして泥棒を繰り返したんだよ」
男の話を運転手は口を挟むことなく、優しい顔のまま聞いていた。
「ところがついに捕まちまてな、そのまま刑務所送りさ。家族にも見捨てられ、出所しても誰も迎えに来なかった。離婚届は捕まった時に書かされたんだ……」
頭を抱える男。離婚届を書いても、一部の期待はあった。出所したら、家族の誰かが迎えに来てくれているんじゃないかと。
でも来てくれなかった、親戚さえも来てくれなかった。自業自得とは言え、辛く悲しい。
皆に見捨てられた。
「なぁ、運転手さん、俺が〇〇〇に行くことをどう思う?」
ここまで聞けば、男が〇〇〇に行く目的は容易に解る。
「お客様の本当に望む場所に、送り届けるのが私の仕事なので」
変わらない優しい顔で答えた。
「そうか……」
大きなため息を吐いた。本心では止めてほしかったが、止めてもらえなかった。ただ、ありきたりな説得では男を止めることは出来なかった。
「お客さん、着きましたよ」
タクシーが止まり、後部座席のドアが開く。
「着いたのか」
いつの間にか寝ていた男がタクシーから降りた。
「えっ?」
降りた場所は〇〇〇ではなかった、そこは住宅地。振り返ってもさっきまで乗っていたタクシーがない。
見知らぬ場所――ではなかった。目の前にあるのは初めて泥棒に入った家。
ハッと、気が付いた着ているのは薄汚れたスーツではなく、ぴっしりとしたスーツ。
このスーツにも見覚えがある、二十年前に着ていたスーツだ。カバンの中を見てみれば、空になった奥さんの手作り愛妻弁当箱が入っている。カバンの中の新聞の日付も二十年前もの。
近くにあった道路反射鏡に顔を映してみれば、そこに映った顔はくたびれた出所後の顔ではなく、二十年前の顔。
信じられないが、二十年前に戻ったのだ、二十年前のあの日に。
あの日、会社を解雇され、自棄を起こして泥棒に入った家が目の前にある。
空の愛妻弁当箱、たったこれだけのものに涙が溢れ出てきた。
一頻り泣いた後、スーツの袖で涙を拭く。
「帰ろう、家に」
帰ったら、家族に会社を解雇された件を正直に話すことにした。家族に呆れらてもいい白い目で見られてもいい、見捨てられて二度と会えなくなるよりかは何倍もマシだ。
『お客様の本当に望む場所に、送り届けるのが私の仕事なので』
正直に話したことで家族は許してくれた。再就職もうまく行き、幸せな家庭を築くことも出来た。二十年も経てば男は前の人生は悪い夢ではだったのかもと思うようになっていた。
法事の後、お坊さんとお茶を飲みながら雑談をしていると、
「お地蔵さまと閻魔さまは同じ存在なのですよ」
何気なくお坊さんが話す。
ふと、男は思い出す、前の人生で乗ったあのタクシーの社名表示灯に書かれていた名前を。
「お地蔵さまは子供の守り神として知られていますが、地獄に堕ちた亡者を救済するのです。救済した亡者に人生をやり直させる、もう地獄に堕ちるようなことはするなよと」
男の頭の中のピースが繋がった。目から涙が零れ落ちる。
「あなた、どうしたの」
「お父さん、大丈夫」
奥さんと息子が心配してくれる。それが嬉しくて、また涙が零れた。
泣く男を親戚たちも心配してくれる。
「大丈夫だよ、思い出し泣きだから……」
笑顔を浮かべて、手で涙を拭った。
閻魔様は本当は優しい。顔が怖いのも戒めの意味がある。




