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2.蛍姫

「遠目で見たらこの上なく美しいのに、近くで見ると化け物だな」


 そう言ったのは、婚約者であるファングだった。


 侯爵家の出身で二つ年上の彼は、燃えるような赤髪に、木々の新芽のような緑色の目をしていた。


 ファングは私の顎に手をかけて上を向かせると、まじまじとこの顔を眺めた。

 そして顔を歪めて私を突き放すと、汚いものに触ったかのように両手をこすり合わせて払った。


「──蛍姫とは、言い得て妙だな」


 彼は口の端を上げた。



「あら、ファング様。そのようなひどいことをおっしゃらないでくださいな。

 あのような醜い肌を持ち、もっとも傷ついているのはお姉さまですわ。なにか治療する方法があればいいのですが……」


 ファングの腕に絡みつくようにして妹が言った。


 黒くて長い髪の毛は艷やかで、その瞳は曇りのない青。

 小さいがすっと通った鼻に、ぽってりとした淡い桃色のくちびる。


 あどけなさの残る、庇護欲をそそる顔立ちの少女こそ、胡蝶姫と呼ばれ、人々に愛される第二王女。

 名をマリポーサ・フリンダラ・ヴル・ヌージュモルンという。


「──それにしても、どうしてオレの婚約者は君ではないのだろうな、マリィ。」

「まあ。あたしも、伴侶はあなたしか居ないと思っているのよ。ファング様。

 お父さまにお願いしてみましょう?」


 マリィは歌うように言った。

 しかし、婚約が覆ることはなかった。





 蛍姫。

 リュシオラ・ルシエル・ヴル・ヌージュモルン。

 雲の王国の第一王女。

 ──これが私を表す記号だ。


 太陽のような金髪に、エメラルド色の瞳。顔立ちは悪くなく、遠目に見ると絶世の美少女だと言われている。──けれども。近くで見ると、ひどく醜悪だ。


 私は鏡の前で、己の頬をさすった。

 爪を逆撫でしたような、ざりざりとした感触に、ぶわりと寒気が走る。


 まばらに鱗の生えた、おぞましい顔がそこには映っている。


 




「蛍ってね、すごく美しいでしょう? エメラルドのような光を放って夜に飛ぶ姿が。

 だからね、あたし、そばに置いておきたくて捕まえてみたの。……でも近くで見ると、気持ちの悪いただの虫なのよ」


 それはまだ幼子だったころのこと。

 食事の席で、マリィがころころと笑いながら、なにげなくした話であった。


 次の瞬間、人々の視線はまっすぐ私を射抜いた。城のそこここで、蛍姫などという呼称が囁かれるようになったのは、その翌日からだった。




 母は私を生んですぐに亡くなった。優しかった祖母も一昨年天に召された。


 側妃の子である妹は、悪気のない辛辣な言葉をぶつけてくるので共に居ると疲れる。

 血の繋がった父は、この顔を嫌悪しているし、使用人たちも皆、私が視界に入るだけで顔を歪める。


 広大な城の中で、私はいつでも独りぼっちで、居場所がなかった。




 そんなときだった。

 図書室の奥、祖母とよく一緒に過ごした書庫に隠れるようになったのは。


 妹のマリィにはたくさんの侍女がついていた。シガーラもその一人だ。

 けれども私には、たった一人の侍女もおらず、身の回りのことはすべて自分でしなければならなかった。


 父や妹を恨めしく思ったこともある。けれども今思うと、それは幸運だったのかもしれない。

 だからこそ、一人でどこにでも行けたのだから。






 この図書室は王族のためだけのもの。

 開放しているわけではないから、王城の図書室にしては狭い。


 書物は決して多くはないし、中身も偏っており、ほとんどが食事や薬草についての研究書だ。


 けれども、祖母がお気に入りのものばかりを集めて作った場所だったからだろうか、他の部屋とは違って温かみがあり、居心地が良かった。



 書庫の存在を知るものは、恐らくほとんどいないだろう。


 図書室の奥、歴代王族の私的な日記を集めた棚の、桃色の表紙のものをぐっと押し込むと、棚が回転する仕掛けになっている。そして、螺旋階段が現れる。


 ドレスの裾を持ち上げて、一段ずつ登っていくと、屋根裏部屋にたどり着く。そこは大人だと屈まなければいけないほど天井が低いが、幼かった私はすたすたと歩いて入ることができた。


 部屋の端には私の身長と同じくらいの窓があった。そのそばには机があり、ゆらゆらと揺れる椅子が置かれていて、机の前には鏡が掛けられている。


 それ以外の場所はすべて書棚になっており、さまざまな本が無造作に積み上げられていた。


 部屋の主を失った本たちは、薄く埃をかぶっていた。





 壁にかかった鏡が嫌だった。

 私は、自分の姿を見なくて済むように、なにか隠せるものはないかと辺りを見回した。そのときだった。後ろのほうから声がした。


「誰か居るの?」


 驚いて振り向くと、鏡の中に人がいる。

 それは、私よりずっと幼い少女だった。銀色の髪に青い目をした、人形のように可愛らしい子どもだ。


 その目は不安げにぱちぱちと瞬いている。少女の向こう側には大きな窓があり、その中では雨が流れ落ちているのがわかる。


「──ここではない、どこか……」


 私はぽつりとつぶやいた。祖母の話を思い出したのだ。







「この国はかつて、竜の国だった」


 祖母は、真っ黒で長く、鋭い爪で、机をとんとんと叩きながら言った。もう片方の手は、私のお腹のあたりに回されている。


 この部屋で、こうして膝に乗せてもらい、本を読む時間がリュシィの幸せだった。



「竜たちにはね、運命の相手というものが存在したのだよ。それをつがいと呼ぶ」

「つがい?」

「ああ。つがいでなくても子を持つことはできるし、それなりに暮らした者もいるという。

 だが、つがいと結ばれた者はね、幸せに生きられることが多いそうだ。

 それは、神が決めた縁組なのだという。──大抵は同じ竜族の中から見つかるのだが、今からずっと昔。神話の時代。一匹の竜が見つけたつがいは、鏡の中に居たらしい」

「──鏡の中?」


 リュシィが聞くと、祖母は頷いた。


「ごらん。そこな鏡には、運命のつがいが映し出されるのだそうだ。」


 祖母はそう言うと、壁にかかった金色の鏡を指差した。その中には、夕暮れどきの薔薇色の空がたゆたっているだけであった。


「何もないよ?」


 リュシィが聞くと、祖母はふっと顔をゆるめた。


「──ああ。そうだね。でも、あの鏡でつがいを見つけたという王族は確かに存在するのだよ。

 私の母もそうだった。でもね、それは、つがいがこの世界にいない場合に限るらしい」

「ふうん。それならおばあちゃまには不要ね」

「どうしてそう思うんだい?」


 祖母が不思議そうに聞く。


「だって、おばあちゃまとおじいちゃまがつがいなのでしょう? 二人ともこの国にいるわ」


 リュシィが言うと、祖母は少し悲しげに笑った。




「この国は、空を飛べる竜たちが作った国だ。

 ──でも、あるとき、竜王が見つけたつがいはね、鏡の中にある、ここではないどこかから連れてきた、人間の少女だったという」

「人間……」

「そう。今ではこの国に竜など居ないだろう? 少女を娶ったことで、人間たちと交流する機会が増えて、少しずつ彼らが移住してきた。血は混ざり、薄まり、今では私たちには翼もない」


 リュシィは自分の頬に触った。

 祖母はリュシィの頭をわしゃわしゃと豪快に撫でると、自分の鋭い爪に触れさせた。


「──こういう先祖返りは、今では珍しいものとなってしまったね。好奇の視線にさらされるかもしれないが、それでも、この容姿も含めてリュシィは丸ごと愛らしい。

 それを覚えておくんだよ」


 それからまもなくして、祖母は亡くなった。そして、リュシィに構うものはだれも居なくなった。


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