13。巨星の次の手
香城の初夏は息が詰まるほど暑く、陽光が炎のように降り注ぎ、湿気でべたつく空気が薄い霧のように街全体を覆う。気温は35度に迫り、湿度は80%を超え、外に出るとすぐに汗でびしょ濡れになる。それでも通りは活気にあふれ、茶餐廳のミルクティーの香りと屋台の熱いスナックの匂いが交錯し、トラムのベルと人々の喧騒が路地に響き、雨上がりのネオンが濡れた地面に鮮やかな光を反射する。ユキ・リン(林蘥望)は夏用の制服を着て、家の下の郵便受けの前に立ち、指先で太陽に温められた鉄の表面をなぞりながら、封筒の束を取り出す。学校からの帰り道、肩にだらりと下げたカバンには、乱雑な落書きで埋め尽くされたノートだけが入っており、額から滲む汗が首筋にまとわりつく。彼女は気だるげに封筒をめくっていたが、手書きの封筒が視界に飛び込んできた瞬間、動きが止まる。硬派な筆跡には、どこか言い表せない優しさが漂っていた。彼女は一瞬立ちすくみ、封筒の端に触れた指が震え、心臓が急に速く鼓動し始めた。
それは巨星・陳大文の筆跡だった。一目で分かった。一年が過ぎても、記憶は昨夜の街灯のように鮮明だ。『雨音絶ゆるとき』のプレミア試写会で、彼女とエアリーは盛装して笑い合い、星耀殿を後にした。その後の日々は、ミルクティーのように穏やかで、ほのかな余韻を残した。彼女たちは銀光影業に『時のパズル』を提案し、忙しくも充実した時間を過ごし、巨星の名前は次第に彼女たちの日常から遠ざかっていった。だが、この手紙は、まるで学校の定時を知らせるチャイムのように、時間が来たことを告げ、ユキの心をかき乱した。彼女は唇を噛み、封筒を開け、便箋を引き出す。文字は清潔で、一画一画が彼女に語りかけるようだった。
「ユキへ、
プレミア試写会から一年が経ちました。あなたとエアリーが去っていく後ろ姿、笑い声は今も耳に残っています。あなたがイギリスに旅立ったこと、その間一人で静かに耐えていたこと、私は知っています。あなたの心の痛みを理解しています。今回、新しい映画プロジェクトがあります。あなたが必要です。あなたの才能、情熱は、私のインスピレーションの源です。脚本家として、そして主演として参加してほしい。エアリーにもこのことを伝えたい。彼女にも知ってほしいし、あなたを喜んでくれると信じています。
返事を待っています。陳大文」
ユキは便箋を強く握り、指先がわずかに白くなる。手のひらの汗が紙の端を濡らす。彼女はその場に立ち尽くし、頭の中は夜市のように騒がしく、過去の記憶が次々とよみがえる。あの冷たい朝、誰にも告げずイギリスの寄宿学校へ転校し、エアリーを空っぽの教室に残したことを思い出す。エアリーが遠くイギリスまでやってきて、冷え切った食堂で再会し、涙を流して心の壁を下ろした。あの逃避の日々、彼女は巨星の影を振り切り、見ず知らずの痛みを忘れようとした。だが、この手紙は一陣の風のように、彼女が丁寧に隠してきた傷を再び暴き出し、一年間封印していた感情を呼び起こした。イギリスでの孤独が脳裏に浮かぶ。冷たい紅茶を握りしめ、世界が知らないものに変わったあの感覚、まるで切り裂かれたように。彼女はあの時、逃げれば全てを置き去りにできると思ったが、今、この手紙は、逃避しても重荷は消えないことを教えてくれる。彼女はつぶやく。「彼は私がイギリスに行ったことを覚えているの?」声はかすれ、空気に向かってつぶやくようだった。彼女は息を吸い、乱れた足取りでビルに入る。巨星が香城版『ジョン・ウィック』の大成功後に彼女たちの提案を褒めた時、純真な気持ちで認められたと思った。だが、『雨音絶ゆるとき』の原案を渡した後、静かに去り、巨星は彼女が休息を必要としているだけだと思った。彼女は彼が気にも留めていないと思った。だが、この手紙は、雨上がりのネオンが濡れた地面に映るように、つかみどころのない光を放つ。心が締め付けられるように痛み、彼女とエアリーが『雨音絶ゆるとき』の出演を断り、手を繋いでイギリスを去り、自立を誓ったことを思い出す。あの時、巨星は人生の通りすがりの屋台の店員に過ぎないと思っていた。なのに、なぜこの夏に再び現れたのか? 便箋を見つめ、「彼女にも知ってほしい、彼女もあなたを喜んでくれると信じています」という言葉が心に突き刺さる。巨星がエアリーに特別な感情を持っていることは確信している。だが、彼はこの映画は彼女のために作られたと言う。本当に信じていいのか?
家に帰り、ユキはカバンを放り投げ、靴を脱ぎ捨て、ソファに沈み込む。部屋は蒸し暑く、初夏の陽光がカーテンの隙間から差し込み、床にまだらな光を落とす。便箋を放り投げようとしたが、「あなたの純真さ、持続する力は、私のインスピレーションの源」という言葉に目が留まり、複雑な気持ちが胸に広がる。窓の外、初夏の風が木の枝を揺らし、緑の葉がガラスに触れてかすかな音を立てる。夏の喧騒が熱波のように押し寄せ、頭の中をさらに混乱させる。
だが、巨星の誘いは、まるで誘惑のように、試してみたいという気持ちを抑えられない。彼女はつぶやく。「どうしたらいい?」心の中で、もし受け入れたら、過去の繰り返しになり、巨星の偏愛にまた傷つけられるのではないかと考える。
電話の着信音が突然響き、ノートに何か書きなぐろうとしていた思考を遮る。彼女はスマホをつかみ、知らない番号が画面に点滅している。少し迷い、プロモーションや詐欺電話ではない直感を信じて、通話ボタンを押す。「もしもし?」声にはためらいが混じる、まるで何かを驚かせるのを恐れるように。
「ユキ、俺だ。陳大文。」電話の向こうの声は低く穏やかだが、確固とした意志が感じられる。ユキは一瞬固まり、スマホが滑り落ちそうになる。慌てて握り直し、声が思わず高くなる。「巨星さん? なんで私の番号を知ってるの?」頭の中は混乱し、彼が直接電話をかけてくるとは思わなかった。この一年、創作や大学受験の準備で過去を忘れようとしたのに、彼の声は時間を巻き戻すようだ。
巨星は軽く笑い、受話器越しに夏夜の涼しさのような声が伝わる。「邪魔したくなかったけど、盧校長に聞いて、君が香港に戻ったと知った。この新作映画、ぜひ君に参加してほしい。」少し間を置き、柔らかい口調で続ける。「手紙を送ったんだけど、届いたかな?」
ユキは膝の上の便箋に目を落とし、心臓がさらに速く鼓動する。巨星の手紙は、過去の影が追いかけてくるように感じさせた。「うん、受け取った。脚本と主演をやってほしいって?」声を落ち着かせようとするが、語尾がわずかに震える。この一年、彼女たちは自立した幸せな日々を送ってきた。巨星の誘いが罠なら、はまるわけにはいかない。イギリスでの孤独な日々、冷えた紅茶を握りしめ、世界が知らないものに変わった感覚がよみがえる。あの時、逃げれば全てを解決できると思ったが、今、この手紙は逃避しても重荷が消えないことを教えてくれる。
「その通り。」巨星の声は落ち着き、温かみを帯びる。「この新作、ずっと考えてきた。夏の陽光の下で自分の道を探す少女の物語だ。彼女は静かで、言葉数は少ないけど、純真で脆い心を持っていて、内面には揺るぎない優しさがある。まるで隠された光のように、そっと周りを照らす。ある日、彼女の世界が変わり、慣れ親しんだ人や物がよそよそしく感じられ、まるで別のものに変わったように見える。彼女は勇気を振り絞って歩き続け、青春の迷いと感情の葛藤に満ちた道を進む。最初に思いついたのは君だ、ユキ。君の内向的な性格と純真さが、この役にぴったりだと確信してる。」彼は一瞬止まり、静かに続ける。「今回は君がエアリーにこのことを伝えてほしい。彼女なら、どんなことがあっても君を応援してくれると信じてる。」
ユキは唇を噛み、爪が手のひらに食い込む。イギリスでの失意が頭をよぎる。あの時、巨星がエアリーを主演に選び、彼女を脇役に感じさせたことが、イギリスへの逃避行につながった。エアリーに巨星が彼女をより大切に思っていると打ち明けた時、嫉妬と無力感が今も刺さる。「巨星さん、私……どう答えていいか分からない。」彼女は小さな声で言う。「前回のことは、協力がうまくいかなかった気がして、また関わりたくない気持ちがある。」
電話の向こうで一瞬の沈黙が流れ、巨星の声が再び響く。少し反省の色を帯び、重々しく。「君がイギリスに行ったことは知ってる。あの時、君が原案を渡して何も言わずに去った後、俺は追いかけなかった。ただ休息が必要だと思っただけだ。でも後で、俺のやり方が間違っていたと知った。」彼は少し間を置き、声を低くする。「前回、君とエアリーの役割をうまく分けられなかった。俺のミスだ。すまなかった。でも今回は違う。この映画は君のために書かれた。君の舞台なんだ。」
ユキは聞いているうちに、心が何かで軽く揺さぶられた気がした。彼がもう忘れたと思っていたのに、この瞬間の誠実な口調に心が揺れる。「エアリーが応援してくれるって言うけど、本当は彼女を誘いたいんじゃない?」彼女はためらいがちに尋ねる。この一年、彼女たちは忙しくも幸せな日々を過ごしてきた。巨星の誘いが罠なら、はまるわけにはいかない。
巨星は軽く笑い、強引さのない声で答える。「違うよ、今回の主役は君だ。エアリーが参加してくれるなら、もちろん歓迎だ。彼女はこれまで見落としていた視点を提供してくれるし、いつも物事を整えてくれる。でも、この映画の中心は君だ、ユキ。今回は信じてほしい。」彼の声は止まり、返事を待つようだった。彼は、原案を渡して去ったユキを追いかけなかったことを後悔している。この一年、新作を考えながら、彼女の存在が欠けていると感じていた。彼女が受け入れたら、この映画は三人にとって新しい始まりになるかもしれない。
彼女は小さな声で言う。「もう少し考える。」だが、この機会が、まるで重い石のように心にのしかかり、息を詰まらせる。
頭の中に撮影現場のイメージが浮かぶ。夏の陽光の下、巨星が優しく見つめるが、エアリーがいないのに、なぜか孤独を感じる。彼女は首を振ってそのイメージを振り払おうとするが、心の揺れは夏の熱波のように強まる。
ユキはノートを手に取り、白紙のページをめくる。何か書いて整理しようとするが、ペン先が紙の上で数回動いただけで止まる。窓の外、トラムのベルが決断を急かすように響く。巨星の言う役が頭に浮かぶ。静かな少女、純真で脆く、内面に揺るぎない優しさを持ち、知らない世界に立ち向かって歩き続ける。イギリスでの孤独、世界が別のものに変わった感覚が、この役に似ている。「本当に私がこの役に合う?」彼女はつぶやく。彼女はペンを置き、窓辺に寄り、ネオンの光を見つめる。夏の夜が深まり、街灯と夜市の光が交錯し、ぼんやりと滲む。
彼女は立ち上がり、机に向かい、ノートを開く。何か書いて整理しようとするが、ペン先が紙の上で数回動いただけで止まる。巨星の言う役が頭に浮かぶ。静かな少女、純真で脆く、内面に揺るぎない優しさを持ち、知らない世界に立ち向かって歩き続ける。イギリスでの孤独がよみがえり、彼女はその役に自分を重ねるが、演じ切れるか不安が募る。「本当に私がこの役に合う?」
彼女はスマホをつかみ、エアリーのアイコンを見つめる。メッセージを送ろうとするが、指がキーボードの上で止まる。エアリーが言った「一生に何度も出会える人じゃない」という言葉が響き、彼女を心配させたくないと思う。「エアリーには言えない、少なくとも今は。」彼女は小さな声で言う。スマホを置き、窓辺に寄り、熱気を眺める。初夏の夜が深まり、街灯の光が霧に滲む。心もその熱気のように、解けず、整理できない。