第一章 ⑨
「──んん」
ベッドサイドの窓から射し込む朝日に照らされて微睡みから意識が浮上する。
眠い目を擦りながら、未だうとうととする頭で窓の外を眺めたところで、扉がノックされた。
「失礼いたします。おはようございます、お嬢様。」
私の目覚めを見計らっていたかのようなタイミングでそう声をかけるのは、赤茶色の髪をすっきりと束ねたメイド、クローネだ。
彼女は私が倒れて以降、朝から晩までつきっきりで世話をしてくれていたと聞いた。
「お加減はいかがですか?」
「ええ、もうすっかり良いです。
気を失っている間、貴方が私の世話をしてくれたとじいやから聞きました。本当にありがとう。」
「いえ。」
クールな振る舞いの彼女はそれでいてこちらに向ける視線は柔らかく、なによりもこんな姿の私を厭わず接してくれる事に私は感謝で胸がいっぱいだった。
すると再び扉がノックされた。
「ローザ、私だ。」
クローネはさっと私の肩にショールをかけ、軽く髪を整えさせると扉を開けた。
そこには赤い髪をかきあげながら、薔薇の花束を持った兄が立っていた。
「今朝の気分はどうだい?──って、もう起き上がって平気なのか?」
「はい、もうすっかり元気ですよ。
それにいつまでも寝てばかりはいられませんから。」
「そうか。だがくれぐれも無理はしないでくれ。
それに朝はまだ冷える、暖かくしていなさい。」
そう言うと、兄は心配気に私の肩に自分のジャケットを掛けてくれた。
「あ、ありがとうございます。」
「そうそう、ローザにプレゼントしようと思って。今朝、庭師に聞いて1番美しく咲く薔薇を摘んできたんだ。」
「ありがとうございますお兄様。とっても嬉しいです。───あら…?お兄様、手にお怪我をされていませんか?」
「ん?─あぁ、薔薇を摘むときに棘で引っ掻いただけだから平気だよ。心配してくれてありがとうローザ。」
「大変!見せて下さい!」
傷に触れないようそっと手を取り確認すると、日々の鍛錬で鍛えられた大きく無骨な手には不似合いな細く引っ掻いた様な傷が幾つもあり、中には血が滲んでいる場所もあった。
「…とっても痛そう。でも良かった、棘は刺さっていませんね。早く傷口の手当てを…。」
そう言って顔を上げると、至近距離で兄と目が合った。
驚いた私が慌てて手を離そうとすると、兄は逃がさないとでもいう様に離れかけた私の手をぎゅっと握って引き留めると、自分の頬を擦り寄せながら悪戯に微笑んで見せた。
伏目がちに艶めく赤い髪を片耳にかける仕草がなんとも言えない色気を醸し出していて、さらに潤んだ金色の瞳が求めるように私を見つめ、揺れるピアスと共にさらりと目にかかるように流れる前髪が私の指先に触れる。
「いつもならこんな擦り傷放っておくんだが…ローザが昔みたいにおまじないをかけてくれたら、きっとすぐ治ってしまうんだけどな…?」
なんだか見てはいけないものを見ている気分に急いで目を逸らすと、握られていた手をぐっと引っ込め、目の前の兄へジトリとした視線を送った。
「もう!そんな冗談なんて言っていないで、早くお医者様にみてもらってください…!!」
「ははっ。ごめんごめん、どうか怒らないでくれ。
昔、私が怪我をした時によくローザがしてくれたおまじないを思い出してつい、な。」
懐かしむように笑う兄の顔を見て、思わず口が滑ってしまった。
「……一回だけですからね?」
そうは言ったものの、いざしようと思うと幼い頃の真似事なんて…と恥ずかしさが込み上げてくる。
じわじわと耳まで真っ赤になってしまっている事を悟られない様に私は俯いたまま、兄の大きな手を取ると優しく握った。
そしてゆっくりと目を閉じ、握った手を自分の額につけ願った。
「──どうか、お兄様の怪我が治ります様に。」
そう祈った途端、今までに感じたことのない魔力が私の中を駆け巡った。
驚いて目を開けると、同じく驚きに目を見開いた兄と視線が交わった。
どうやら握っていた手を伝って兄もこの魔力を感じ取っている様子で、魔力は私の身体中を満たすと瞬く間に2人を包み込んだ。
(なんて暖かくて、優しい光…)
これは、この魔力の記憶なのだろうか──
美しい森の中、花々が咲き誇り鳥たちが歌っている。
そこに立つひとりの女性。
その女性を取り囲むように煌めく光粒。
そして、彼女とおなじ輝きが私を包み囲んでいる。
なぜこのような事が自分に起こっているのかは分からない。
──しかし、心が和らぐのは何故なんだろう。
まるで、ずっと昔から知っている場所に帰ってきたような…とても懐かしい気がした。
───────
光は瞬く間に傷を癒やしていき、治癒と共に輝きが収まっていくと、兄は感極まったように私の身体をぎゅっと抱きしめ涙を流した。
「すごいよ、ローザ…!」
「お兄様…いったい、何が起こったのでしょうか…。」
「きっとこれは光魔法だ。ローザから溢れ出た暖かい光が私の怪我を癒してくれたんだ。…初めて見たよ。」
「光…?光魔法って…白薔薇聖女様が使ったと言われている、あの魔法のことですか?」
「ああ、そうだよ。」
「本当に…?…私にそんな事が出来ただなんて。」
────信じられない。
「本当にローザの言った通りだね。
“未来のことは誰にも分からない”。」
そう言って優しく私を見つめる兄の金色の瞳は涙でいっぱいだった。
───────
いろいろな事が立て続けに起きて胸のドキドキが暫く治まりそうもない状況になってしまったが、今日はこれからミモザとカナリアが会う事になっている。
あの後、身支度を整える為に兄と別れた私は、クローネが選んでくれたドレスに袖を通す。
淡いピンク色の可愛らしいドレスは、首から鎖骨の上を通るように繊細な白いレースがあしらわれたデザインで露出も多くなくとても可愛い。
髪の色が変化してしまった私へ兄が似合うドレスを何着か仕立ててくれたのだ。
けれど鏡に写る自分の姿を見た瞬間、忘れかけた気持ちを思い出した。
(…そうだった。この姿になってしまった私を見て2人はどう思うのかしら…。)
不安に囚われぐるぐると巡る思考は、「お嬢様、とってもお綺麗です。」と言うクローネの言葉で引き戻された。
しばらく物思いに耽っていた所為で、気付けばすっかり身支度が整え終わっていた。
「ありがとう。」
クローネに感謝を伝えた時、部屋に扉をノックする音が響き大切な友人の到着を知らされる。
「お嬢様、ミモザ様 カナリア様がいらっしゃいました。」
「…ええ、わかったわ。」
「…私が言うのも差し出がましいのですが、あのお二人ならきっと大丈夫ですよ。」
クローネのその言葉に私は思わずハッとした。
2人なら大丈夫と頭では理解していながらも、どこか不安が拭えていなかった。
クローネにはわたしの不安な気持ちが全てお見通しだったのだろう。
だけどクローネにそう言われてとても勇気が出た。
「そうよね…!クローネ、ありがとう。」
そうして私たちはふたりが待つ部屋へと向かった。
───────
扉の前で深呼吸。
ドキドキする胸を抑えながら精一杯の笑顔で「ごきげんよう。」と挨拶をすると、そこには感極まった様子でこちらを見つめるカナリアと安堵の表情を浮かべるミモザが立っていた。
視線が交わると同時に私の元へ駆け寄ってきたカナリアが私の胸へと飛び込む。
“離さない”と言わんばかりにぎゅっとしがみついて涙するカナリアにじわりと胸があたたかくなった。
「心配をかけてしまって、ごめんなさい。」
震える肩を安心させるように抱きしめ返す。
すると私の様子を上目に窺い見つめる星色の瞳は、先より増してどんどん涙が溢れてきてしまった。
その様子に、此度の一件で彼女を余程不安な気持ちにさせてしまったのだと反省していると、ようやくカナリアが震えながら口を開いた。
「ローザさまぁ〜…目が覚めて本当に、本当に良かったですぅぅぅ〜…!」
その言葉とカナリアの姿を見て、今日を迎えるにあたって少しでも不安になってしまった自分を恥ずかしく思った。
「…カナリア、もうその位にしておけ。ローザ様が困ってるぞ。」
それまで黙って私たちの様子を見守っていたミモザが見かねてカナリアを窘める。
はっとした様で、私を抱きしめていた腕を名残惜しそうに緩め、ゆっくり離れようとするカナリアがなんだかとてもいじらしくて──…名残惜しい。
カナリアの暖かさをまだ感じていたくて、咄嗟に離れていく彼女を引き留める様にぎゅっと抱きしめた。
カナリアは私の突然の行動に驚いてあたふたとしているようだったが、かまわず優しく抱きしめ続けた。
「…会いに来て下さってありがとうございます。カナリア様、ミモザ様、感謝いたします。」
「ローザ様…。」
「ローザ様、本当にご無事で何よりです。
ずっと貴方の回復を祈っていました。」
「ありがとうございます。お2人にご心配をおかけしまして、申し訳ありません。」
「いえいえ!ローザ様の元気なお姿がまた見られただけで、僕は…僕は本当に嬉しいんです…!」
「ありがとうございます。
もしお嫌でなければ、お2人に聞いていただきたいお話があるのです…。」
そう私が切り出すと、2人は私の神妙さを悟ってか顔を見合わせ頷き合うと「ぜひ聞かせてください。」と居住まいを正してくれた。
そこで、私は意識を失っている間に見た夢の話をした。
そこは今よりも昔の世界で、白薔薇聖女様と騎士の戦いの末、闇の王が散っていくというものだった。
そして目覚めてから、怪我をした兄に早く治りますようにと祈ったところ、突如見たことの無い魔法が発動して、怪我を治癒させたこと。
にわかには信じ難い話だが、2人は疑うことなく真剣に最後まで話を聞いてくれたのだった。
───────
「お2人とも本日は来ていただき、本当にありがとうございました。」
カナリアは私の手をぎゅっと握り「ローザ様っ♡またすぐに遊びに来ますね!」と元気に言うと馬車に乗り込んだ。
「また貴方に会いに来ます。」
胸に手を当て別れの挨拶を告げるミモザは、夕日に照らされたせいだろうか。
こちらを見つめる眼差しがいつもより熱を持った真剣な表情に見えた。
───────
帰りの馬車へ向かう途中、僕達はカーマイン様と出会った。
ローザ様は一時意識を失う程の怪我と痛みを負ってしまったというのに、相も変わらず麗しい佇まいを見て無性に腹立たしい。
「カーマイン様に折り入ってお話があるので…」と、ローザ様とカナリア達に伝え先に馬車へと向かってもらう事を告げると、僕はカーマイン様へと向き直った。
「少し、お時間いただいてもよろしいでしょうか。」
腹立たしさと僅かな緊張から強ばった声色を悟られてしまっただろうか。僕の問い掛けに、カーマイン様は「勿論」と頷いた。
「…ありがとうございます。
彼女から此度の件について、全てを聞かせていただきました。
然し、事故の状況については余り詳しくお話されなかったものですから。
…お優しいローザ様の事だから、この事件についてきっと誰かを庇っているんだと思ったのです。
失礼を承知でお尋ねしますが…もしかして、事故の原因は貴方ですか?」
「………そうだ。俺がローザに魔法をぶつけてしまったんだ。」
「一体なぜ…。」
突然の問い掛けにも表情を変えず、淡々と答えるその姿に僕の心はぐちゃぐちゃに乱されていく。
「貴方ほどの方がどうして……許しませんよ、僕は。
理由はどうであれ、貴方が彼女を傷つけた事実は変わらないのですから。」
「あぁ。それでいい。」
周囲から頭一つ抜きん出た彼の事を、陰ながらとても尊敬していたのだ。───だからこそ悔しかった。
己からの叱責に表情ひとつ変えず、弁解の言葉すら口にしないそんな姿に酷く裏切られた心地で、そのことにもどかしさすら覚える。
そんな彼が彼女の1番近くにいる事でさえ、今はただ苛立ってしまう。
彼女が望むなら今すぐにでも連れ去ってしまうのに。僕なら貴方を絶対に傷つけたりしない。
「──ッもう行きます。2人を待たせていますので。
…急に呼び止めてしまいすみませんでした。
それでは、失礼します。」
僕は一礼をすると、彼の存在を振り切るように足早にその場を後にした。




