3 砂糖が欲しい!
わたしは父親と一緒にレストランで豪華な食事をした。
前の人生のわたしは王妃であり、聖女でもあったので、マナーはしっかりと身についている。
わたしの父親であるドリンコート伯爵は、そのことに何の疑問も抱いてはいなかった。
だが、前の人生で彼に引き取られた直後のわたしは、マナーも何も知らず、手づかみで肉を食べようとしたりして……あまりの恥ずかしさから彼に外での食事は一切認められなかった。
まともに外食できるようになったのはマナーが身に付いたと認められる、数年経った後の話だった。
「ふむ、一応最低限のマナーは身に着けているようだな。良いだろう」
「ありがとうございます、お父様……」
わたしの元に運ばれてきたのは、最高級の焼き加減で料理された牛肉のステーキと鴨肉のグリルだった。
この皿一つだけで、庶民なら家族全員の一週間分以上の値段になるだろう。
「どうした、食べないのか?」
「い、いえ。お父様、いただきます」
ナイフを入れる瞬間に見た目とは裏腹にスッとナイフが入り、肉が切れる。
大抵ここまで柔らかいとグズグズに煮込んだものが大半だが、フォークを刺して肉が崩れない絶妙な硬さを保っている。
これは最高級の料理人の腕でなければ出せない料理だ。
しかし、わたしはあれだけ長年に渡り、肉を食べたいと願っていたはずなのに……何故かこの肉の味を美味しいと感じることができなかった。
それは心残りがあったから。
わたしと父親の食事の犠牲になった貧しい商人の親子の事を考えると、最高級の肉がそれほど美味しいと感じられなかったのだ。
――むしろ前の人生で最後に騎士団長が食べさせてくれた貴重な肉の方がよほど美味しかったような気がする……。
このモヤモヤをどうにかしないと、美味しい食事は出来ないとわたしは感じた。
「お父様、お願いがあります」
「何だ? 儂に何を言いたい?」
「わたし、レモンパイが食べたいの。それで……砂糖が欲しい!」
「なんだ、そんな物か。その程度、すぐ用意してやろう」
わたしはコイツが渋るかどうかを確かめるように砂糖が欲しいと言ってみた。
案の定その程度ならすぐ用意できるという回答が帰ってきたのは想定内だ。
「それで、まだ話に続きがあるのですが……」
「何だ、砂糖以外にも欲しいのか? レモン畑でも用意しろと?」
「いいえ、わたし……お店が欲しいの、そのレモンパイを売る店作りたいの!」
「何!? 貴族の娘が下賤な職人の真似事をしようというのか……?」
父親の眉が歪んだ。
「いいえっ、違いますわ。お父様、わたしは店を経営したいの。わたしの考えたレモンパイやケーキを売る店を作りたいのよ。そのためには……そうね、国中の砂糖という砂糖を集めたいのっ」
「ほう、そういう事か。経営を学びたいか、それなら貴族として当然の仕事だな、お前、貴族の娘としての自覚はしっかりあるようなので儂は安心したぞ! よかろう! 国中の砂糖という砂糖を全て買い占めてやろう! 可愛い娘のためだ」
コイツ、わたしの本当の目的を知ったら間違いなく大激怒するだろうな。
わたしが考えているのは、砂糖を集めるだけ集めて聖女教御用達の商人が商売できなくしてやる事だった。
まあ砂糖を取り扱っている商人ギルドも、伯爵であるこの男相手なら砂糖を売るしかないだろう。
所詮商人ギルドなんて貴族の使いっ走りみたいな存在だ。
「しかしやるではないか、我が娘よ。これから砂糖はどんどん値上がりする。そこで貴族相手のケーキ屋を経営すれば、欲しがるだけ値段はどこまでも吊り上がるわい……ハハハ」
何故コイツは砂糖の値段がつり上がる事を知っているのか?
ひょっとして、これにも聖女教や悪徳貴族が絡んでいるのか……。
「お父様、素晴らしいです。でも……何故値段がつり上がるとわかっているのですか?」
「ハハハ……。それはな、大量の砂糖を積んだ船が沈んだからだ。どうもあの海域は巨大な魔物がいるようだが、あの船は港町の停泊の際の寄付金を渋り、聖女教に加担していない漁村目指して危険な海路を選んだらしい。まあ加護を得られなかった背教者達が全員海の藻屑になっただけのことだ」
酷い……。
やはりこの裏には聖女教会が絡んでいた。
つまり、外国から砂糖を持ち込まれては困る連中が仕掛けた罠で、港町に停泊するならと法外な寄付金を要求し、それを出せなかった船は危険な海路を通る途中で海の魔物に襲われてしまったのだ。
「でもお父様、わたし……経営の素人だから、失敗するかもしれない……大丈夫かしら」
「ふん、失敗するなんて言うのは神の力を得られなかった者の戯言だ。お前は貴族の娘、いつまでも失敗を考えるような庶民の考え方はさっさと捨てろ」
コイツなら当然こう言うとわかっていた。
でも失敗なんてするわけが無いのはわたしが一番よく分かっている。この後で何が売れるか未来を知っているからだ。
つまり、わたしが考えているのは、国中の砂糖を一気に集めてしまう。
そしてその砂糖をケーキやパンの店で使う上で大量に水増し発注、その砂糖をあの商人に安く買わせようと考えたのだ。
あの商人に安値でもそれだけのものを買える金が無いのはよく知っている。
だからわたしはあの首飾りを渡した。
わたしはあの首飾り一つで小さな別荘なら一つ買えるくらいの金額だというのは分かっている。
「おや? そう言えばレルリルム……儂が与えた首飾りはどうした?」
「え? それが……どこかに落としてしまったみたいなんです」
「仕方のないやつだな。まあいい、あの程度の安物、また買ってやろう」
わたしは本音、少しひやひやした。
コイツがわたしの首飾りがない事をとやかく聞いてきたら、渡したと言ってもあの商人が犯罪者にでっち上げられてしまう。
とにかくこの場はどうにか誤魔化して早く食事を済ませよう。
わたしはデザートのババロアを平らげ、父親と共にレストランを後にした。
「あの親子、もう少し我慢してね……絶対、不幸にはさせないから」
◇
そして一週間後、父親は約束通り国中の砂糖を集めてきた。
「ほら、レルリルム。お前の言った通り砂糖を全部集めたぞ。それで、どこでどのような店を経営するというのだ?」
「そうですね……では王都の店を一つ使いましょう!」
わたしはこの一週間の間にあのレストランの入り口で出会った親子の店がどこかを突き止めた。
そして馬車でその店に行き、挨拶をした。
「御機嫌よう。早速ですが、この店はわたしの物になりました。すでに大家には通達済みですわ」
「な、何だって!? お前、やはりオレ達をいじめる貴族だったんじゃないか! この店は渡さないぞっ!! ふざけやがって!」
店の主人が私に飛び掛かってきた。
しかし彼はわたしの護衛の男達に取り押さえられ、身動きできなくされた。
「呪ってやる! 貴族め! くたばれっ」
彼の家族も全員がわたしの護衛によって身動き一つ出来ない。
そこでわたしは一芝居打つことにした。
「あら、負け犬がほざいても何にもなりませんわよ。悔しかったらわたしに何か言ってごらんなさいよ」
「くそぅ、オレの店を乗っ取るのが目的だったのかよ」
「あら、頭の悪い方ですね、それならもっと強引な手でやりますわ。別にそれならあなた達を生かしておく必要はありませんから……そうじゃなく、あなた達、このままで悔しくないの?」
商人の男が唇を噛んでわたしを睨みつける、わたしはこの目が嫌いだ。
「見返したいと思わないの? ただの負け犬なの?」
わたしは彼らを煽った。
それで何か感じてもらえたらと思ったのだ。
「わたしに任せれば、あなた達幸せになれるのよ」
「ふざけるなっ、だまし討ちするような貴族の娘様を信用できるかっ」
「あなた達、砂糖で大損したのよね。それが仕組まれた罠だったとしたら……どうします?」
「罠、だと!!??」
「あら、ご存じなかったようですわね。この砂糖を使った先物取引、全部仕組まれた罠だったのよ」
そう、これはわたしが一週間の間に調べた事実だった。
砂糖を積んだ船の沈没、そして砂糖で一山当てようとする人達を狙った先物取引、これらに共通していたのは、聖女教の影だった。