婚活女勇者の勘違い英雄譚~私は結婚したいだけなんだ! 誰か!! 誰かいないかぁぁぁッ!!!~
勢い重視の勘違いコメディです。お楽しみいただければ幸いです。
港町に、巨大な触手が振り下ろされる。
船を叩き折り、石畳を砕いた触手は近くにあった柱に巻き付き、へし折りながら海中へと引きずり込んだ。
海中でも一、二を争う狂暴なモンスター”クラーケン”だ。
屈強な海の漢たちが銛や斧を握り睨みつけるが、そんなもので立ち向かったところで結果は目に見えていた。
「クソ、俺たちの街が……!」
「このままじゃ船どころか港までイカれちまう!」
「誰か、誰か助けてくれ……!」
屈辱、憤怒、焦燥──絶望に満ちた呟きに、応じる声があった。
「俯くなッ!」
凛とした声とともに走り込んできたのは武装した美女だ。纏うのは精緻な彫刻の施されたミスリルの鎧。大剣を抜き放った姿は凛々しく、しかし燃えるような紅の長髪が風に靡く姿は美しくもあった。
エリシア・アークライト。13柱の魔王のうちの1柱を屠った勇者にして人類の救世主だ。
「助けに来たぞ!」
磨き抜かれた肉体が風に舞うように疾走、魔力によって強化されて薄い光を放った。
「勇者様……!」
「エリシア様だ!」
「勇者様が来てくださったぞッ!」
「お助け下さい! クラーケンがッ……」
「分かっている。そのために私がここに来た!」
エリシアが埠頭を蹴って宙に舞う。身を包む魔力が背中で翼の形を取り、空中でエリシアの身体を支える。
「火炎魔法”焔ノ剣”!」
炎に包まれた大剣が灼熱の輝きを放ち、海を蒸発させながら割った。
神話の如き光景に、誰もが息を呑む。
「見えた! クラーケン本体だ!」
「勇者様、お願いします!」
「やっちゃってくださいッ!」
巨大な胴体部が露わになったクラーケンにしかし、エリシアは追撃の剣を向けなかった。縞模様の胴を見据えながら口を突いて出たのは、海の漢たちのみならず、その場にいた全員が驚くような質問だった。
「問おう。貴様は名を名乗れるか?」
「ゆ、勇者様!? 一体、何を──」
「まさかクラーケンを相手にして話し合いで平和的な解決を望んで!?」
「あんな化け物にまで慈悲をかけるなんて……!」
「なんて優しいお方なんだ! まるで聖母じゃあないかッ!」
(聖母。つまり私は恋人として魅力的で配偶者としても魅力的。さらには母としても魅力的と言うことか……港町に腰を落ち着け、漁師の旦那を支える生活も悪くはないな)
将来を妄想しつつも、あらゆるチャンスを逃さない。
胴体に縞があるのがオス、ドット柄はメス。すでに事前のリサーチは完璧である。
海の漢たちがどよめくが、エリシアが意思疎通が可能な相手かどうかを確かめたのは単純に結婚後のことを考えてだった。
エリシアの問いに応えるようにクラーケンが咆哮する。
GRUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!
海面を砕くような絶叫に意味はなく、意思疎通ができないことを示していた。エリシアの眉間にしわが刻まれる。
元が美しいからこそ迫力のある表情になった。
(ヌルヌルも床上手と考えれば処女の私とは相性がいいかと思ったが……意思疎通も難しいのではしょうがないな)
「言葉が通じないのであれば是非もなし!」
大剣が振るわれ、斬り飛ばされた触腕が水柱を立てて海に落ちる。
絶叫して暴れるクラーケンに眉一つ動かさずに大剣を振るい続けるエリシア。魔王の一角を屠った神がかりの剣技によって、ものの五分もしないうちにクラーケンは海の藻屑と消えた。小さく刻まれた身体は海中に沈み、周辺の生き物たちの餌となることだろう。
魔力の翼を使って音もなく着地したエリシアは、海風に弄ばれる髪を軽く撫でた。
紅髪が陽光を受けて煌く姿は神話の一場面かのようであった。
「クラーケンは倒した。もう大丈夫だぞ」
大歓声が上がる。
何とか港湾を守ろうとしていた漁師や商人たちのみならず、建物の中に避難していた女子供や老人までもが出てきてエリシアの活躍を褒めたたえていた。
船を海中に引きずり込む巨大な化け物を討伐したのが、同性ですら目を奪われる美貌の女性だと知り、こぞって彼女を見ようとしていた。
「これで漁が再開できるッ!」
「貿易が再開できれば壊れた家もすぐ取り戻せるぞ!」
「ありがとうございます!」
口々に礼を告げる漁師たちのひとり、エリシアを聖母と言った男がエリシアへと頭を下げた。
チャンスである。勇者として戦場で培った勘は寸分の隙すら見逃さない。
普段ならクラーケン相手でも配偶者にできないものかもう少し粘るエリシアだが、クラーケンを瞬殺したのはこの男の存在が決め手だった。
(おしとやか、かつガッついてると思われないように。告白されたら驚きながらもまんざらじゃない様子を見せる……やや恥じらいながらも微笑む、それが正解ッ。それこそが正解ッ!)
いつか、どこかのダンジョンで手に入れた恋愛ハウツー本の内容を暗唱しながら破裂しそうな心臓の鼓動を押さえつけた。
ふぅ、と吐息を洩らす姿はどこか蠱惑的で未婚男性たちが思わず顔を赤らめる。
前かがみになる者まで出るほどの破壊力であったが、当のエリシアはそんなことを気にしている余裕がなかった。ターゲットの男性とどうやって結ばれるかということだけに集中している。
(『あなたのことをもっと知りたいので、どこかでお食事でも』……いやこれは食事をタカっているように聞こえるか。「まずはお友達から」が無難か……社交辞令に聞こえないだろうか?)
頭の中で答えの出ない問答を繰り返していると、
「ありがとうございます! これで妻や息子にひもじい想いをさせなくて済みます!」
エリシアはたっぷり一分近くフリーズした。
味方だと思っていた者に、背後から戦術級の魔法を打ち込まれた気分だった。
周囲が怪訝な、というよりも心配そうな表情になってきた辺りで、なんとか言葉を絞り出す。
「……それは何よりだ。ご子息はいまいくつだ?」
「今年で3つになります!」
「……………………………………………………そうか」
まさかの妻子持ち。一縷の望みを息子に託したが、さすがに適齢期から外れすぎていた。まさかの事態にショックを受けてふらりと身体を傾けるが、すぐに立て直す。倒れている暇など無いのだ。
顔色も表情もすぐれないエリシアに周囲が心配そうな視線を向ける。
「勇者様! 少し休まれてはいかがでしょうか?」
「街の人間総出で歓待します! この街でしか味わえない御馳走も用意しますよ!」
「お礼もしたい! ぜひともそうなさってください!」
「いや、結構だ。……次の街に行かねばならんからな」
鋭い視線。クラーケンを倒した直後だというのに戦場にいるかのような雰囲気に、周囲が呑まれる。
「困っている人のために、自らの身体に鞭を打って……!」
「……真の勇者様だ……!」
「自らの休息や利益など微塵も考えずに、助けを求める街に向かうんですね」
「違う。ただ……そうだな。人を探しているだけだ」
遠くに視線を向ける。想いを馳せるのはまだ出会っていない運命の相手。恋愛に対する感性が勇者に選ばれた14歳の時から止まったままのエリシアは乙女だった。純情と言うには少々どころではなく積極的すぎるが。
「賞賛すら求めないとは」
「これが、本当の英雄というものか」
「人探しって……わざわざ理由まで作って私たちに気を遣わせないように」
「ありがとうございます」
「美貌に強さに心の美しさまで……天は彼女に全てを与えたにちがいないっ」
「勇者様の御恩は末代まで語り継ぎます」
「何かありましたら是非ここにお立ち寄りください! いつでも歓迎いたします!」
エリシアは振り返らなかった。
(……また、見付からなかった……! 私のことを聖母って言ってたのは好き好き大好き結婚して子供作ろうってアピールじゃなかったのか!?)
その頬は、涙にぬれていた。
エリシア・アークライト、27歳。
職業勇者、絶賛恋人募集中。
*♂*♀*
「人は第一印象が2000割……なるほど、至言だな」
もはやバイブルとも言える恋愛ハウツー本をしまったエリシアは、次の街に入る直前、森の中に入った。勇者という職業のイメージから、他者に相談することが難しいエリシアにとって恋愛ハウツー本は唯一の拠り所である。
ほぼ暗記しているにも関わらず、暇があれば読み続けるほどに傾倒していた。
自らの身を守っていた鎧も、寝る時すら手放さない大剣も外し、空間魔法で作成した亜空間に放り込んでいく。
(さて、本当は服装もかえたいところだが、勇者としての装備以外は碌なものをもっていないからな)
ウィンドウショッピングは何度かしたものの、アクセサリーもドレスも魔王討伐では不要だ。一応、ダンジョンやモンスターの巣ではいくつかのアクセサリーを手に入れていたが、
「……どれもこれも呪われてるしなぁ」
どう考えてもオシャレ装備ではなかった。
「まぁいい。勇者だとバレなければ良いんだ。勇者という肩書きがあるから周りは距離を置いてしまうし、私もついつい肩ひじを張ってしまう」
街に入り、普通の町娘らしい服を買う。さほど高価ではなく、しかし少しだけ上品に見える服にさりげなくオシャレなアクセサリーや靴も合わせ、どこからどう見てもオシャレな町娘としてナンパされる。
純情すぎて何が何だかわからない──という演技をしているうちに宿屋に連れ込まれれば既成事実はばっちりである。
それがエリシアの目的だった。
選んだ都市は北方の城砦都市、イグネイシア。
元々は独立した小国家で、近年になってようやく王国に組み込まれた国だ。そこならばまだ自らの顔も知れ渡っていることはないだろうと踏んだのだ。
「私がナンパされないのは先入観のせい。そうに違いない。これで勝てる……うふふふ、こぢんまりした庭付きの家でワンコを飼おう。娘と息子が二人ずつ……いえ求められるならば何人でも構わない。何ダースでも頑張ろう」
膨らむ妄想に身をくねらせたエリシアは、たっぷり10分近く深呼吸をする。気を引き締め、上気した頬が完全に落ち着くのを待ってゆっくりと森から出た。
勇者を含めた国の要人や貴族のための検問を避け、平民用の出入口に並ぶ。
冒険者や傭兵、馬車持ちの商人に旅芸人の一座などが列を作ったそこに続き、周囲を見回す。女性もいないことはないが、旅をできる者となれば男性の方が多い。
(も、もしかしてもうこの時点で”ある”んじゃないか!? すでに勇者装備は外している! つまり私はどこからどう見ても一般人じゃないか!)
脳裏に浮かんだのは恋愛ハウツー本に掲載されていた図録『シチュエーション別・モテるための髪型』である。
(冒険者や傭兵などは女性であっても豪快な者ばかりだから、普段は目にしないタイプになって気を惹くべき。とはいえハーフアップはお嬢様系だからワンピースを手に入れてからが望ましい)
脳裏の図から不適な髪型を消していき、選択肢を狭める。
亜空間から適当な紐らしきものを取り出し、紅色の長髪をいじっていく。
(荒くれ者たちにもっとも縁遠い存在といえば平和。平和と言えば”こども”。こどもらしく、女子らしさもアピールできるとなれば……これが最適解ッ!)
出来上がったのは、ツインテールであった。それも、かなり高い位置で左右に結んだ、子供らしいツインテールだ。
(普段はこどもらしい言動を心がけ、髪を外したところで一気に”オンナ”を見せる。このギャップで誰しもが完璧にオチるはず……!)
脳裏に浮かぶ未来の家庭にだらしなく頬を緩めたエリシアに、周囲の視線が突き刺さった。
そのうちの一人、やや日に焼けた精悍な顔立ちの男性がエリシアへと近づいてくる。
(おおっ、早速きた!? 少し年上でワイルド。これが私の旦那様になる人か……!)
「あの、」
「はぁい♪ おにーさん、どぉしたのー?」
「……えっと、お名前を伺っても?」
「エリィはね、エリシアっていうんだ♪ おにーさんのお名前、教えてほしいなっ!」
子供らしさ全開で受け答えをしたエリシアに、男の目がカッと見開かれた。
「やはり、勇者エリシア様でしたか! 燃えるような紅の御髪は間違いないと思ったんですが、装いも普段と違いましたし平民用の列に並んでおりましたので不安になってしまいました! きょ、今日はその……どういった目的で変装を?」
勇者バレしたエリシアは静かに髪をほどいた。軽く頭を振ってツインテールの痕跡が消えてから、いつも通りの凛々しい表情を作る。
「……ふむ。確かに私がエリシアだ。何か用か?」
本来ならば誤魔化しきれるものではないが、舞った髪の美しさやほのかに鼻腔をくすぐる甘い香り、そして何よりも堂々たる彼女の姿に誰もが見惚れて静かになる。
子供らしく振舞うことでギャップを与える作戦は失敗したが、エリシアはまだ諦めていなかった。
(私を知っていて声を掛けた。つまりこの後はお茶かご飯に……いきなり宿と言われてしまったらどうしようかしら。せめて子供の人数くらいは相談してからが──……いやでも男性はそういうことが好きと聞くし、)
「あの、是非ともお食事を一緒にいかがでしょうか?」
待ち望んでいた言葉に小躍りしたくなるが、それを表に出さぬようぐっと堪える。まとまらない思考をぶん投げて、出たとこ勝負で戦うことを決意する。
魔王の一角を討ち滅ぼした時も全力で戦っただけで小難しい戦術などなかったのだ。
「構わないぞ」
「良かった! 半年前、森で助けていただいたお礼をしたかったのです! 妻と娘も連れて参りますので──」
「すまないちょっと用事が出来た」
「エッ!?」
「元より勇者が人助けをするくらいは当たり前のことだ。礼は不要……奥さんとお子さんを大切にな」
エリシアはそそくさと走り去った。魔力光が散り、目に見えぬほどの速度で列から外れる。
(妻子持ちぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!)
後に残された商人は、ぽかんと口を開けていたが、やがてぽつりと呟く。
「……なんて謙虚なんだ」
近くで様子を見守っていた旅人たちがそれに応じる。
「さすが勇者様。どこまでも謙虚で慈愛に満ちたお方だ」
「きっと平民列に並んだのも、変に気を遣わせないためだろう」
「ならばあの変装もそういうことか……?」
「きっとあれは羞恥に耐え、いつでも平常心を保つための訓練だ。そうに違いない」
「常人なら発狂するもんな」
「あんなこっぱずかしい演技をしてまで自分を鍛えるなんて、どこまでストイックなんだ」
ひとしきりエリシアを褒めたあと、食事を断られた商人に声が掛かった。
「アンタ、今一番波に乗っていると言われるフェリクス商会の会頭だろ? その歓待を断るなんて、勇者様は本当に欲がないんだな」
「あはは、仕方ありません。勇者様の貴重な時間を無駄にするわけにはいきませんからね。今度王族に謁見する時に、装備品や物資を寄付して恩返ししましょう」
「それすら断りそうだよな。……欲が無さすぎるぜ」
竪琴を抱えた吟遊詩人がニヒルな笑みを浮かべる。
「いや、欲ならあるだろ」
「「「?」」」
「聞いてたろ? 『妻子を大切に』って。あの人の欲は、どこまでも他者の幸福にあるのさ」
ぽろろんと竪琴が鳴らされ、エリシアを称える詩が吟じられる。その場にいた誰もがそれに耳を傾けた。
「〽燃える紅髪、太陽の如き美貌
悪に向けるは 滅魔の大剣
無辜の人に向けるは 無限の慈愛
その望みは 人々の幸福
その幸せは 人々の微笑み
あゝ慈愛の勇者 その名はエリシア
あゝ人類の救世主 その名はエリシア
真の勇者 エリシア・アークライト」
*♂*♀*
「……次の方どうぞ。って、勇者様ではッ!?」
「なんで私を知っているやつがこんなにいるんだ……辺境のはずだろうここは」
「私も、五年前までは戦争に行っていたのです……戦場でその御姿を一度だけ拝見したことが。勇者様こそこんな辺境まで、どうされたのですか?」
「ただの物見遊山だ、騒がないでくれ。よしなに頼む」
別の門から再チャレンジしたエリシアだが、さっそく勇者バレして意気消沈していた。
(いや、私の目的はオシャレな服の入手。勇者だとバレても良いじゃないか)
自らを奮い立たせて前を向いたエリシアは、衛兵の表情がすぐれないことに気付く。眉を寄せて彼女を見つめる姿は体調が悪いというよりも、何か心配事か困った事でもありそうである。
(憂いを帯びた男性の表情……素敵だが、結婚指輪をしているな)
貴金属のアクセサリーは高価なため、していないことが未婚とは限らないが、していれば既婚なのは確定なのだ。
初老に差し掛かった衛兵が結婚相手として値踏みされているとは露知らず、申し訳なさそうに口を開いた。
「勇者様……大変申し上げにくいのですが、この街では嫌な思いをされるかもしれません」
「数年前まで別の国だったことは知っているし、勇者だからあがめろなどとは言わんぞ」
「いえ、そうではなく、この国に根付いた宗教が『赤い髪』を不吉なものとして扱っているのです」
「つまり、私の髪が忌み嫌われると」
「ええ……女性なので赤髪の男ほどではありませんが、不快な思いをされるかと思います。男でしたら石を投げられたり、殴られたりすることもあるくらいなので」
合点がいったところで微笑みをつくって首を振った。
(ああ何でこんな優しくて気遣いのできる落ち着いた紳士が既婚なんだ……いや、紳士だから、だな。私もこういう素敵な人と家庭を……!)
「気にするな。本当に、ただ物見遊山で寄っただけだからな。居づらかったら必要な物資を揃えて、すぐに出ていくさ」
「……人類の英雄様を相手に、本当に申し訳ないことです」
頭を下げた衛兵にひらひらと手を振り、エリシアは都市内に入った。衛兵の姿が見えなくなってから、大きく溜息を吐く。
(髪色だけで第一印象に大きなマイナスが掛かるとなれば、良い出会いは期待できないな……)
「せっかく暖かいところに泊まれると思ったが、物資を補給してすぐに発つか」
27歳、一分一秒も無駄にできないお年頃である。
宿屋の看板を素通りして、通りに並ぶ店から保存食を扱っているところを探していく。肉の類はオークをなます斬りにすればいくらでも手に入るが、塩やパンはそうもいかない。
好奇の視線を感じながらも店を探していると、目的の塩屋から人影が飛び出してきた。
「ぐぇっ!?」
思わず受け止めれば、飛んできたのは赤茶けた髪を長く伸ばした子供だった。
(なんだ、女か)
思わず放り出しそうになり、自分が勇者だと思い出してギリギリで思いとどまる。子供にしても軽すぎる体重。すりきれそうなシャツによれたスカート。
孤児だろうか。
受け止めた少女はエリシアに目もくれず、再び塩屋へと飛び込む。
「にいちゃんを返せッ!!!」
その言葉に、エリシアの脳内が妄想のスパークを起こす。
(あの子は12……いや、孤児なら発育不良と言うことで14歳くらい。その兄となれば適齢期に違いない。困っているところを助ければ紹介してもらえる……それどころかお礼を兼ねてデートやベッドに誘われる可能性もあるんじゃないか!? 思えばどうして私は直接男性と関わりを持とうとしていたのか。恋愛指南書にも書いてあったじゃないか)
「”将を射んと欲すればまず馬を射よ”か……なんという至言。今まで馬なんて将ごとぶった斬ってたから必要性に気付かなかった」
少女が飛び込み、罵声が聞こえる店内へと足を踏み入れる。そこにいたのはでっぷりと太った中年男性だ。
「しつけぇぞクソガキ! てめぇの兄貴なんぞ知らねぇって言ってんだろうが!」
「嘘だ! にいちゃんはここに雇ってもらえたって言ってた!」
「これ以上騒ぐなら覚悟しろよ! 髪色が分からなくなるほど血まみれにしてやるからな!」
岩塩を砕くための鋭い鑿を片手にすごむ店主だが、少女は目に涙を浮かべながらも引かなかった。
「返せよ! たったひとりの家族なんだ! にいちゃんを返せ!」
「うるせぇガキだ……赤毛なんぞ消えた方が世のため人のため……って客か?」
「私も赤毛だがな」
「ふん……俺は商人だから金さえ払えば売ってやるぞ? 100グラムルで金貨二枚だ」
「……それだけでひと月分の生活費は超えるぞ。足元を見過ぎだ」
「赤髪相手に売ってやるんだ。土下座で感謝するんだな」
塩を購入に来た旅人だと考えた店主が見下すような笑みを浮かべる。いかにも悪人らしい姿
(指南書にあった”チョイ悪系”って奴か……普段の私ならばいざ知らず、今の私はおにいさん一筋。縁がなかったと……縁がなかった……ご縁が……)
「おい、何で突然溜息ついてイジけてるんだ? 変な病気持ってるなら出てってもらうぞ?」
「いや、ちょっと心の傷が……」
言われる側として、エリシアはその言葉の殺傷性をよく知っていた。
とはいえ、今は最愛になる予定のおにいさんと知り合うために全力を尽くさねばならない。
立ち上がって店主を見る。
「これでも私は勇者をしていてな」
「勇者!? じゃあ金があるんだな? 100グラムル金貨四枚だ」
「ナチュラルに銭ゲバだな……塩を買うのではなく、情報を買おう」
言いながら、金貨を取り出してカウンターに置く。
(真っ当とは言い難いがきちんと塩を商っている。奥に在庫と居住スペースがあるとすれば、この店に”おにいさん”を監禁しておくようなスペースはあるまい)
もしも”おにいさん”の拉致監禁に関係しているとすれば、こいつは黒幕ではありえなかった。さらにいえば、金への執着は並々ならぬものがある。
そう考えたエリシアはさらにもう一枚、金貨を重ねる。
「そこの少女のおにいさんを探している。何か居場所に心当たりは?」
「んー……どうだったかな。最近は物覚えが悪くて」
三枚目を重ねる。
横にいた少女が息を呑んだ。
勇者として莫大な報奨金を得ているため、亜空間にはこの店をパンパンにしても余るほどの金貨が唸っている。三枚など誤差でしかないが、一般人にとっては別だ。
とはいえ、それを馬鹿正直に吐き出すつもりはなかった。
(新居に新しい家具……結婚生活にいくら必要になることか。必要経費としてはこの辺が限界だろう)
四枚目を積むと同時、大剣を抜き放った。
目にも止まらぬ速さで店主の首元にあてがう。
「情報に金貨四枚。私は優しいから、今なら500グラムルの塩にも金貨一枚分払ってやってもいいぞ? それが貴様の首の重さとつり合うかどうか、よく考えてから答えろ」
「ま、毎度あり……」
「妙な動きをするようならば斬るからな」
岩塩を砕いて天秤で量り始めた店主を尻目に、呆気に取られていた少女へと向き直る。
「大丈夫か?」
「アンタ……なんで助けてくれるんだ?」
「おにっ、勇者だから困っている者を助けるのは当然だ。君は未成年だし当然ながら保護者の元まで送っていくぞ。勇者の責務だからな。仕事としておにいさんと会うまできちんと護衛しよう。職務だしな」
建前を全開にして説明すれば、納得したのかしないのか微妙な表情ながらも少女は頷いた。
「何はともあれ助かったぜ。ありがとうな!」
「ああ。おにいさんの救出もあるんだろう?」
「ああ! おれ、ケイシィっていうんだ!」
(おれっ娘……若い内はそうやってちょっとはすっぱな感じにすると良いとは指南書にあったがまさかこんな小娘が実践しているとは……これだから若くて余裕があるやつは!)
脳内でケイシィに怨嗟を振りまくエリシアだが、当の本人はまさか若さを嫉妬されているとは思わず首をかしげる。
「なぁ。ねーちゃん、名前は?」
(義姉ちゃん!? こ、これが指南書にあった”子はかすがい”というものか……!)
「ねーちゃん? 何固まってんだ?」
「いや、何でもない。何か欲しいものはあるか? お義姉ちゃんが買ってあげるぞ。家とか宝石とか。服やご飯も良いな」
「そんな時間ねーよ! 早くにいちゃんを見つけないと!」
(一刻も早くおにいさんと会って義姉になってほしいとは……本当に良い子だ)
計量された岩塩を塩屋から受け取りながらも、目の前の義妹への対応を組み上げていく。
(年上のお姉さん……頼れるお義姉さん路線でいこう。清楚系で優しく頼れるお義姉さん)
脳内で救出した”おにいさん”に対し、ケイシィがわがままをいう姿を想像する。
『ええ! 本当のねーちゃんになってよ!』
『ケイシィ。エリシアさんに失礼だろう? こんなにも可憐で美しい方なんだ。もう素敵なお相手が──』
『いえ、あの……そういう方にはとんと疎くて……』
『えっ……じゃ、じゃあフリーなんですか!? 結婚してくださいッ! さぁベッドはこちらです!』
『ああ駄目、こんな日の高いうちから既成事実ぅ……!』
二人の子どもを育てながら成人したケイシィも一緒に家族みんなで食卓を囲んだところで妄想が完成した。結婚までの完璧な流れにほくそ笑んだところで、脳裏に懸念が浮かぶ。
これまで何度も苦汁を舐めさせられてきた、最大の懸念だ。
「時にケイシィ。君のおにいさんだが、あーその、なんだ。恋人とか配偶者とか、将来を誓った仲とかいないか? いやほら、勇者として人質とかそういうのが心配でな。勇者として、安全のためにな。勇者だからな」
「オンナなんてにいちゃんにはいないよ。っていうかおれたちこんな髪色してるし、彼女どころか友達すらいねーよ! 親にだって捨てられちゃったんだから」
「ふむふむふむ! 完全フリーで姑もなし、と」
小さくガッツポーズを決めたエリシアは、塩屋店主に向き直る。怯えた表情の中年に、やたらすごみのある笑顔を向けた。
「さぁ、洗いざらい吐いてもらおうか。私の旦那様ンンっ、ケイシィのおにいさんについて」
*♂*♀*
「イグネイシア城か」
「し、城なんていって大丈夫なのか!? 城主は赤髪嫌いで有名な奴だぞ!?」
「城主が魔王よりも強いならば話は別だが、おそらく大丈夫だろう」
城に向かう道すがら。
おっかなびっくりと言った様子でエリシアの外套につかまり隠れるケイシィ。どうにも城主が怖いようだった。
(しかし、わざわざ嫌いなはずの赤髪を”買う”とはどういうことだ)
塩屋の話では、雇用初日の”おにいさん”に城まで塩を運ばせたらしい。城主が赤髪嫌いなのは町中に知れ渡っていたので、根性を試すのも兼ねた嫌がらせである。
ところが20分かそこらで済むはずのおつかいが、2時間を過ぎても戻らない。挙句、城の衛兵が金貨をもってきたとのこと。
『これで全てなかったことにしろ。お前は赤髪のガキなんぞ雇ってないし、城に使いとして送ったりもしてない。良いな?』
城主を恐れたというよりも、金貨の輝きに負けて一も二もなく頷いた、というのがことの顛末だった。
(まぁ、訊ねてみれば分かる……私の旦那様に傷の一つでもつけてみろ……ワイルドな傷跡なんてそれはそれで素敵じゃあないか。きっと夜もワイルドに違いない)
ワイルド系ならばきっと積極的に……とおかしな方向に妄想が膨らむエリシアは、街の中心にあるのは城とも砦ともつかない代物に向かってケイシィを引きずるように進んでいく。通りの人々が奇異の視線が怖いのかケイシィはきょろきょろと辺りを窺っていた。
「……腹が減ったのか?」
「そんなんじゃないよ!」
否定の言葉を遮るかのようにケイシィの腹がぎゅるるる、と鳴る。
身体は正直である。
「恥ずかしがらなくていい。お義姉さんが奢ってあげよう」
「昨日から何も食べてなかったから! でもにいさんを早く助けたいんだ! それにおれたちにはきっと誰も売ってくれないよ!」
「安心しろ。お義姉さんがデキるオンナだってところをしっかり見せてやる」
近くにあった串焼き屋へと向かう。
串焼き屋の店主がエリシアとケイシィの髪色を認めるなり、不快そうに目をつりあげる。この街ではエリシアの想像以上に赤髪への風当たりが厳しいのだ。
ケイシィはそれ見たことかと肩を落とすが、エリシアは気にせず店に向かう。
(デキる女は義妹を甘やかしつつも、おにいさんを救うのに一秒も無駄にしないもの)
「おい、ウチが扱ってるのは食べ物だぞ! 赤髪なんかがウチで──」
ブォンッ!
店主が何らかの文句を言い終える前に、風が唸った。
目にも止まらぬ速さで大剣を抜いたのだ。
彼我の実力差をまざまざと見せつけられた店主は真っ青な顔で冷や汗を流していた。
気が付いた時には切っ先を向けられていた店主は慌てて命乞いを始める。
「ひっ!? こ、殺さないで!」
「勘違いするな。私は串焼きを売ってほしいだけだ。ほら、切っ先を見ろ」
恐る恐る視線を向けた切っ先には、金貨が一枚乗せられていた。
人智を超えた絶技で、剣の先から金貨を落とさぬように高速で振るったのだ。魔王をも滅ぼす剣技の無駄遣いである。
「これで、すぐ食べられる串焼きをありったけ包め。釣りはいらん」
「は、はひィ!」
店主が弾かれるように動き出すと同時、エリシアはケイシィへと視線を向ける。
(時間を無駄にしない効率の良さ。交渉力の高さ。妙なる剣技……どうだ、私以上の義姉はいないだろう!?)
どう考えても姉には必要ない能力を誇示したエリシアにしかし、賞賛の言葉も憧憬の念も贈られることはなかった。
「ねーちゃんさぁ……もしかして大食い?」
「な、何でだ?」
「金貨で串焼きって何百本食べるつもりなんだよ」
「私は空間魔法が使えるから放り込んでおけば問題はないし、ケイシィもお腹が減っているだろ。それに、おにいさんもご飯が出ているとは限らないからな」
「そ、それは確かに」
「ほら、好きなだけ食べて良いぞ。おにいさんを見つけたら、すぐに渡してやれ」
紙袋がパンパンになるほどの串焼きを渡す。
「ねーちゃんありがとう! 金銭感覚がイカれた金持ちってわけじゃなかったんだね!」
「……私のこと、そんな風に見てたのか?」
「うん、わりと。塩屋にもすげー大金払ってたし」
「……」
「……」
「あれはおにいさんを助けるために必要なお金だ。お金とおにいさん、どっちが大切だ?」
「にいちゃん!」
「そうだろう? 私もだ」
「え?」
「え?」
「なにそれこわい」
「ち、違う、勇者としてだ!」
義妹となる……と信じて疑わないケイシィにドン引きされたことに焦り、エリシアは全力で言い訳を振り絞った。
「人類の幸福を追い求める勇者として金銭を主軸に置いた拝金主義には思うところがあるんだ特に人の命というものを金との天秤にかけるというのは評価軸が全く違うし比べられないはずなのに多くの者が金を選ぶその結果失われるものの価値に気付かず手のひらから全てが零れた後に嘆くんだ私はそんな悲しみの連鎖を止めようと──」
「えっと、ねーちゃん? おれ、頭悪くて何言ってるかわかんねぇよ」
「まぁ要するに、私がおにいさんを心配するのは不自然なことじゃないということだ。勇者だからな」
「そ、そっか……」
納得したのかしていないのか、ケイシィは首を傾げながらも袋を抱えながら串焼きを頬張り始める。
「そういえば、ケイシィはやけに男っぽい話し方をするんだな?」
「あっ……うん」
「そういうのが好きな男性もいないことはないが、基本路線として女性らしさは大切だぞ」
自らの学んだ恋愛テクニックを指南するエリシア。純然たる善意からだが、年齢を考えれば的外れでしかない。
さらにいえば、それを実践しているはずの自分が未だ連戦連敗であるという事実から目を背けていた。
「いや、えっと、うーん……ねーちゃんなら大丈夫だから言うけど、おれ、男なんだよ」
「……髪を伸ばし、スカートを履いているのにか?」
「ほら、赤髪の中でも男は特に嫌われるからさ。殴られたりしないように、女の恰好してるってわけ」
すぐ目の前に男がいる。確かによくよく考えればケイシィという名前は男女関係なく使える響きだ。
頭をぶん殴られたような衝撃を受けたエリシアだが、すぐさま再起動した。
(ケイシィはまだまだ子供だが、女顔ということは整っているということでもある。つまりおにいさんも期待できる。年齢を重ねて男性らしさが出ている分、美丈夫の可能性も高いはず)
「た、大変だったんだな……?」
(おとこ男オトコ漢おとこ男オトコ男オトコおとこ男オトコ漢おとこ男)
男、と聞いてギギギと音がしそうな動きで手を伸ばす。抑えきれない欲望に負けて幼気な少年を穢そうとしているわけではない。垂れるほどの手汗は欲望からではなく、碌に触れたことのない男性に触ることを意識したためである。
ねぎらうことで義姉としてポイントを稼ぐ作戦だが、なでるたびにケイシィの髪が手汗で濡れてペトペトになっていく。
初めてまともに触った男性の頭部に心臓が破裂しそうになるが、気取られないよう必死に表情を作った。
(”将を射んと欲せばまず馬を射よ”とは難しいのだな……馬ごとぶった斬った方がずっと楽だ)
*♂*♀*
有事の際に立てこもれるように建てられたはずの城門が破裂した。
木材も金属も関係無く砕けたそれはエリシアの魔法である。
「頼もう。ここに旦ンンンッ……この子のおにいさんがいるはずだ。出してもらおうか」
兵士たちが呆気に取られている中、エリシアが外套にしがみ付くケイシィを示しながら訊ねる。
堂々たる姿は街の支配者たる城主を襲撃している者とは思えない。
孤児と見間違えそうな出で立ちのケイシィを伴ってなお、絵になるほどの美女だった。
「何だ貴様は!」
「敵襲だー! 敵襲ーッ!」
剣や槍を取ってわらわらと人が集まってきたところで大剣を抜き、上空に向けて魔法を放つ。
「極大魔法、”焱王焔陽球!」
空間が歪んで見えるほどの濃密な魔力が渦巻き、大剣の先に集められたかと思うと、まばゆい光球となって上空へと撃ちあげられた。
──その瞬間、太陽が二つに増えた。
目を焼くほどの光と熱が、城砦のみならず街まで照らし出した。直接打ち込めば、この都市そのものを蒸発させる戦略級の大魔法だ。
「我が名はエリシア・アークライト! 魔王の一角を討ち滅ぼした勇者である! 不当に拘束された者がここにいると聞いた!」
直接見たことはなくとも、吟遊詩人の活躍もあって勇者の性別や容姿くらいは知っている者が多い。さらには人智を超えた魔法の発動。
燃えるような紅髪と、本来なら貴重な触媒と多数の上位魔導士によってのみ発動できるレベルの大魔法。
誰もが、エリシアが本物の勇者であることを確信した。
兵士として剣を向けるべきか、それとも王国の民として勇者に協力すべきか、目に見えて迷いが生まれる。
「何をしておる!」
城砦の上方、バルコニーから怒声が響いた。
視線を向ければそこには枯れ木のように痩せた老人が杖を片手に立っていた。豪華な衣服にゴテゴテとした装飾。
イグネイシア城主だ。
「不届き者が! 我が城に何の用だ!」
「勇者、エリシア・アークライトだ。この城に、正当な理由なく拘束されている者がいると聞いてきた」
「こんな辺境に勇者だと? 何の用だ」
問われてエリシアの肩がびくりと震えた。
(いつもの癖で勇者だと名乗ってしまった……婚活のためだとか言えるはずがないじゃないかッ!)
「答えられぬか……汚らしい赤毛めが」
(幸せな家庭を築くための理想的な旦那様に出会って、愛されて……愛されて? ああ旦那様、そんな、こんな人の多いところでは駄目です! 駄目じゃないけど! もっと! もっと!)
妄想にふけって沈黙したエリシア。
城主は明確な返答がないことに安心したのか大きく息を吐き、それから邪悪さの滲み出る笑みを浮かべた。
「そこの女は勇者を騙る偽者に違いない! ひっとらえよ!」
城門の破壊と疑似太陽を作った極大魔法を目の当たりにしている兵士たちはぎょっとしているが、城主が発破をかける。
「早くしろ! 汚らわしい赤毛をさっさとつまみだせ!」
戸惑いながらも自らの主に従い抜剣する兵士たち。
(先の質問は危なかったが……”こっち”ならば分かりやすい)
全力でやれば兵士など亡骸すら残らない。充分に手加減をしながら剣を振るい、全員を戦闘不能にする。
すなわち全員を昏倒させ、持っていた武器を使用できないサイズまで切り刻んだのだ。
途中、ケイシィにウインクを送るが烈風の如き速度で移動しているために気付かれなかった。
一呼吸の間に制圧したエリシアは呆けているケイシィを抱きかかえ、垂直な壁面を一気に駆け上がった。バルコニーに着地し、城主の首に大剣を当てる。
「ケイシィの兄を探している」
「し、知らん! 本当だ!」
「塩屋の使いでここに来たと聞いている。貴様の嫌いな赤毛だそうだ」
「ッ!」
「知っているようだな。もう喋らなくていいから居場所へ案内しろ」
表情の変化から知っていると確信したエリシアは直接案内させることにした。もはや言葉は不要。それどころか、城内に潜む手勢に余計な合図を出されないよう、噤ませる必要すらあった。
(不意打ちだろうが何だろうが負けることはありえないが、さすがに義弟の前で人殺しはできん。清楚で優しい義姉路線だからな……ぶった切ってもせいぜい腕一本)
うまくいっているつもりで笑みを零すエリシアだが、城砦に殴り込んで疑似太陽を作り出すのも、一瞬で全員を戦闘不能にするのも清楚や優しさまったく関係がないことに気付いていなかった。
(待っていてくれ、愛しの旦那様……♡)
*♂*♀*
城砦の地下深く。犯罪者や敵兵を入れるための牢獄よりもさらに奥に、厳めしい扉があった。外側から閂が掛けられたそこは、どう見ても監禁のために作られた場所だ。
冷や汗をたらし顔色を悪くした城主にそれを外させれば、そこには広い空間が存在していた。
「うぅっ。ねーちゃん、変な匂いがするよっ」
薄暗い部屋には鼻を衝く特徴的な匂いが充満している。部屋の中にはぎゅうぎゅうに詰められた人々が口に布を巻きながら何かの作業に従事させられていた。足首につけられた鎖を見れば、それが本意でないことは明らかだ。
老若男女関係無く集められた人々の共通点、それは髪色が赤いことである。
(ヒルマリ草の匂い。つまりここは”麻薬工場”なわけだ)
特徴的な匂いは依存性、中毒性ともに最低最悪の違法な薬草のものだった。
「ヒルマリ草は粉塵や揮発した成分だけでも依存してしまう。赤髪を集めたのは、この街で嫌われていて姿が消えようが中毒で死のうが探す者がいないからだな」
「ぐっ」
「多少の悪事であれば潰すだけで終わりにするが、麻薬の密造ともなればさすがにそうはいかん。王国に報告するから沙汰を待て」
「く、クソが! 赤毛の癖にィっ!」
城主が杖頭を振り上げた。胴体部がすぽんと抜けて出てきたのは細長い白刃であった。
「仕込み杖か。──無駄なあがきだ」
当然、その程度の奇襲が勇者に効くはずもなく、城主は目にも止まらぬ速さで反撃された。杖を切り刻まれ、意識を刈り取られ、その上で手足の腱を断ち切られる。
(殺しはしないが、麻薬の密造ならば死刑は免れん。悪いが完全に無力化させてもらったぞ)
返す刃で監禁されていた人々の鎖を断ち切る。
監禁されてからの日数が短い者は歓声をあげるが、長く監禁されていた者は麻薬づくりの手を止めなかったり、よだれを垂らしながらぶつぶつと呟き続けている者もいる。
爛々と光る目とガリガリに痩せ細った身体は、麻薬によって心身を蝕まれた証だった。
「”聖王浄化光”! ――”聖王包光癒”!」
最上級の聖職者ですら扱うことが難しい魔法を立て続けに二つ放った。
薄暗く汚れた部屋が柔らかな光に満たされ、麻薬に侵されていた者達の身体から毒が消えていく。
虚空を見つめていた中毒者たちの目に正気の光が戻る。
強力な魔法を立て続けに使い、魔力の輝きを纏ったエリシアは、思わず膝を突いて手を合わせて祈る者まで現れるほどの美しさであった。
「ッ! にいちゃん!」
「ケイシィ!」
「勇者だよ! 勇者のねーちゃんが助けにきてくれたんだ!」
エリシアの背後、ケイシィが飛び出した。
その先に見えるのは、
「……お、女!? ケイシィ! にいちゃんって!?」
背中まで伸びる赤茶の髪。ほっそりとした顎。ぱっちりとした切れ長の瞳。凛とした雰囲気。どこからどう見ても女性だった。
エリシアほどではないが、美しいと言っても過言ではない美貌の持ち主だ。
「勇者様、助けていただいてありがとうございます。ニースと申します」
(にいちゃん……ニース……ニーちゃん…………そうか。ニーちゃんだったのか……って納得できるかッ!?)
「えっと、あの……勇者様?」
「……無事でなによりだ」
「あ、ねーちゃん! どこいくんだよ!」
「次だ。一秒たりとも無駄にするわけにはいかないからな──息災でな」
失意に呑まれたエリシアは一直線に街を出て荒野を疾走する。
見かけたモンスターに八つ当たりしながら走り抜けた。モンスター一体につき、約0.002秒。
ストレスを発散する間もなくモンスターの体が塵よりも細かく切り刻まれる。
「畜生! チクショウ! ちくしょおおおおおおおっ!」
勇者は涙を流しながら慟哭した。砂埃を巻き上げながら疾走し、次なる八つ当たり対象を求めて見かけたダンジョンへと飛び込んだ。
*♂*♀*
”麻薬工場”に残された人々が姿の見えなくなった勇者へと想いを馳せていた。
「行ってしまわれた……お礼すら言えてないのに」
「休むどころか、賞賛を受ける時間すら惜しむのか……真の英雄とは、すごいものなんだな」
「城主の野郎! ふざけやがって、ぶっ殺して──」
「待って! 勇者様が殺さなかったんだから私たちが殺してしまったら勇者様の名を穢すことになるわ!」
「こんなクズにまで法の裁きを受ける権利を与えるとは……どこまでもふところの広いお方だ」
「ああ……語り継ごう。我らの救世主を!」
「そうね。勇者様に似た髪色を持ったことを誇りに、胸を張って生きましょう!」
口々にエリシアを褒めたたえる中、ケイシィがニースに抱きしめられながらも唇を尖らせていた。
「……勇者様、か。素敵な人だった」
「ずっといてくれたら良かったのに」
「勇者様は困っている人を探して旅立ったんだ。しょうがないだろ」
「って言っても、にいちゃんのタイプだろ? いっつも言ってたじゃん。凛とした年上の美人がいいーって」
「ば、馬鹿! 俺なんかじゃ勇者様とつり合う訳ないだろ!」
「わかんないだろ! おれはねーちゃんに、本物のねーちゃんになってほしかったもん!」
「だ、だいたい俺みたいな女顔の男になびくはずがない!」
「えー? 髪切ればそこまで女っぽくはないと思うけどなー」
「からかうなよケイシィ! くそ、俺がもっと男らしくて、金と実績のあるイケメンだったら全てをかなぐり捨てても求婚したってのに……!」
ニースは、ケイシィと同じく差別対策で女装をしているだけだった。
*♂*♀*
「女の魅力は若さじゃないっ!!!!!」
超高難度ダンジョン”屍王の墓城”に、血飛沫と怒号が舞った。
剣を振るいながらジャイアントゾンビを切り捨てたのは燃えるような紅の長髪にミスリルの武具で身を固めた美女だった。
返り血を受けてなお妖艶な美しさのある端正な顔立ち。女性らしく起伏のあるシルエット。傾国の美女と言われれば思わず納得するほどの美貌はしかし、焦燥に歪んでいた。
己の身長ほどもある大剣を振るいながら口にするのは、八つ当たりだ。
「世の中の男は見る目が無さすぎるんだッ!」
「既婚者の癖に変な気を持たせたり!」
「紛らわしい名前で性別を誤認させたり!」
口にすると同時に大剣が振るわれ、魔法が放たれる。
紙切れのように吹き飛んで消滅するのは、単身で街を滅ぼせるほどの力を持った強力なアンデッド達だ。
蹂躙としか言いようのない結果に、最奥の椅子に座っていたミイラが口を開いた。
ゴテゴテとした装飾付きの王冠を載せ、ぼろぼろの法衣を身に纏ったそれはダンジョンボス、屍と瘴気の王と呼ばれる怪物である。
「……我が居城に挑む愚か者かと思えば……貴様、何者だ」
「エリシア・アークライト。む? 話せるのか?」
「当たり前だ。叡智を追い求めて不死にたどり着いた我をそこらのモンスターと一緒にするな」
「ってことは私の愚痴を聞いていたのか!?」
「ふん。死すらも超越できないただの人間の独り言など興味はない」
「アンデッド……いやしかし乾燥した者は窮地でも慌てることなく理知的だと聞く。もしもの時に頼れる伴侶になるんじゃなかろうか」
物理的な乾燥具合を前向きにとらえたエリシアだが、その言葉を無視した屍と瘴気の王は立ち上がり、手に持った錫杖を構えた。空間が歪むほどの魔力が渦巻く。
「人であることを捨てた研究成果。お主の体で直接味わうが良い」
「やり直すから少し待て」
エリシアは制止するや否や、大剣を近場に突き刺した。ささっと手櫛で髪を整えると妙なしなをつくり、上目遣いに屍と瘴気の王を見つめる。
「エリシアと言いますぅ。エリィって呼んでくださぁい♡」
髪色と同じ、深紅の瞳でウインクをひとつ。
ぷるんとした唇から放たれたのは、先ほどまでとは別人かのような甘ったるい声だ。
媚びるような視線に、やや上気した頬はとてもじゃないがダンジョン最奥で屍と瘴気の王に相対した人間のものとは思えなかった。
「……我が魔力を前に、気でも触れたか?」
「やーん、つれなぁい! この出会いも何かの運命かも知れません♪ お・な・ま・え♡ 教えてもらっても良いですかぁ? キャッ、言っちゃった!」
「ふん。殺した後、手駒にしてやろうと思ったが心が壊れた者ではつまらんな。このまま殺し、アンデッドどもの餌にしてくれーー」
屍と瘴気の王が全てを言い終わる前にエリシアの姿が掻き消えた。傍に突き立てられていたはずの大剣も消え、代わりに一陣の疾風が吹き抜けた。
──屍と瘴気の王の身体がずれる。
一瞬にして細かい肉片へと切り刻まれ、装備品ごとばらばらに崩れていく。
「な、きさま、何、を……?」
「私の誕生日まであと二ヶ月ほど。ことは一刻を争うんだ。脈がない相手と話している時間はない」
一国をも滅ぼしうる災害級のモンスター、屍と瘴気の王は自らに起きたことを理解すらできずに消滅した。
ダンジョンの要たるボスを失い、地面がどくんと脈動する。屍と瘴気の王の背後に隠されていたダンジョンコアが明滅を繰り返していた。
城を買えるほどの金額で取引される超巨大なコアだが、エリシアは一瞥すらせずに背を向けて走り出した。
目指すはダンジョンの出口。
……そしてまだ見ぬ理想の恋人だ。
「誰かぁ!!! 私と結婚してくれぇぇぇぇぇぇッ!!!」
エリシア・アークライト、27歳。
職業勇者、絶賛恋人募集中。
最後までお読みいただきありがとうございました。
このページの下部に別の短編(※百合系恋愛)へのリンクもありますので、そちらも楽しみにしていただけると幸いです。
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