6:お姫様抱っこ
マシューは舞踏会の会場をぼんやりと眺めているようだった。
きらめくシャンデリアの明かりが、彼の端正な顔を照らしだしている。
「あの、マシュー様?」
「……ん?」
エレノアの呼びかけに、マシューが一拍置いて首を傾げた。銀の髪がさらりと揺れ、翠の瞳を中途半端に隠す。
――何か、様子がおかしい気がする。
それは何回も彼と会って話をしてきたからこそ分かる、小さな違和感だった。彼は他の男性と比べて肌が白いのだけど、今夜はその白さがやけに目立つ。いや、白を超えて、蒼白に見える。
どうしたのかと聞こうとしたその時、大広間の奥に控えていた楽団が優雅な音楽を奏で始めた。仲の良さそうな男女が手を取り合い、大広間の中央へと移動していく。
そろそろダンスが始まる時間のようだ。
おかげで、先ほどまでこちらを睨みつけていたご令嬢たちの視線が、少し気にならなくなった。エレノアはマシューの腕を掴むと、目立たないように端の方へと彼を誘導する。
壁際に着いた途端、マシューの体がふらりとよろけた。
「だ、大丈夫ですか、マシュー様? もしかして、ご気分が悪いのでは?」
「平気……。ちょっとふらふらするだけ」
「それ、全然大丈夫じゃないやつですよ」
幼い頃から体が弱いという話は何度も聞いていたけれど、こんな風に具合を悪くしてしまった彼を見るのは初めてだ。
思ったよりも辛そうで、なんだかすごく心配になってくる。
「とりあえず、椅子のあるところまで歩けますか? 座って休めば、少しは楽になるかも……」
と言っているそばから、マシューが倒れそうになる。エレノアは、真っ青な顔をした彼が怪我をしないように、とっさに体を支えた。
二人はまるで抱き合っているかのような状態になり、それを見た周囲のご令嬢たちに小さく悲鳴をあげられてしまう。
耳元で、マシューが苦しそうな吐息混じりに囁いた。
「ごめん、エレノア嬢。僕、限界かも」
「でしょうね!」
これ以上ご令嬢たちの視線を集めたくないし、会場を出た方がいいだろう。そして、どこかゆっくり休める場所へ、早く彼を連れて行ってあげたい。
エレノアはぐったりとしているマシューを、ひょいっと横抱きにした。
「えっ?」
マシューの驚く声。
エレノアは戸惑っているマシューを安心させたくて、とりあえずにっこりと笑ってみせた。
「大丈夫ですよ、マシュー様は全然重くないので余裕です」
「エレノア嬢……?」
「さあ、行きますよ」
マシューを横抱きにしたまま、すたすたと歩きだす。マシューはこの状況が恥ずかしいのか、「下ろして……」と控えめに抵抗してきた。ぺしぺしと腕を軽く叩かれるのだけど、まあ全く痛くないので気にしないことにする。
抵抗する美青年と、彼を連れ去る怪力令嬢。
異様な光景に周囲の人々がざわついた。
「マシュー様が怪力令嬢にお姫様抱っこされてる……」
「なにあれ、怪力自慢?」
「なんてかわいそうなマシュー様!」
(ああ、これでまた結婚が遠のいたな……)
エレノアは遠い目になりながらも、騒がしい大広間を出た。廊下に控えていた使用人に休憩できる部屋への案内を頼むと、マシューを抱っこしたままその後をついていく。
ほどなくして、静かな部屋に辿り着いた。ベッドはなかったけれど、代わりに大きなソファがあったので、そこにマシューを下ろす。
マシューは力なくソファに横たわった。
「……エレノア嬢、ありがとう。それから、迷惑をかけて本当にごめん」
マシューは腕で目元を隠し、消え入りそうな声で謝ってくる。その顔は青白く、具合はより悪くなっているように見えた。
エレノアは励ますように、彼の肩にそっと手を乗せた。
「謝ることなんて、何ひとつないですよ。今は何も気にせず、ゆっくりと休んでください。あ、喉が渇いたんじゃないですか? 私、温かいお茶をもらってきますね」
控えめにこくりと頷いたマシューに「すぐ戻ります」と告げ、エレノアは部屋を出た。冬の冷え切った空気が満ちる廊下には、白い月の光が落ちている。
そこに、華やかなドレスを着た、三人の若いご令嬢が現れた。彼女たちはエレノアを睨むようにしながら、高慢な口調で問いかけてくる。
「あら、怪力令嬢のエレノアさん。マシュー様をどこに隠しましたの?」
「婚約しているわけでもないのに二人きりになろうだなんて……図々しいですわね」
「マシュー様に怪力女なんてふさわしくないわよ」
きらびやかな少女たちはみんな、エレノアよりも高位の貴族の娘だった。どの子も若くて綺麗な容姿をしている。
どうやら彼女たちはマシューに興味があるらしい。
「ねえ、マシュー様はどこ? 私たち、マシュー様とお話がしたいの」
「早く会場に戻らないと、舞踏会が終わってしまいますわ」
「エレノアさん、意地悪しないでマシュー様を解放してさしあげて」
彼女たちの中でエレノアは、マシューを誘拐した悪女にでもなっているようだ。けれど、彼女たちの誤解を解いている暇などない。
具合が悪く、弱っているマシューに会わせたくもない。
それに、今夜の舞踏会でマシューのパートナーをつとめているのはエレノアだ。
いくら身分が上のご令嬢といえど、その座を渡すつもりはなかった。
エレノアは三人のご令嬢を前に、臆することなく言い放つ。
「すみません、今マシュー様はご気分が優れないようなので、遠慮していただけませんか? それに、私にはやるべきことがあるんです。そこを通してください」
エレノアの堂々とした態度に、三人のご令嬢は怯んだ様子を見せた。その隙を見逃さず、エレノアはさっと彼女たちの横を通り過ぎる。
けれど、すぐに我に返ったご令嬢たちはエレノアに悪口をぶつけてきた。
「エレノアさんってとても失礼な人なのね」
「非常識な怪力女だし」
「そりゃあ、婚約者にも捨てられるわけよね」
(そういう貴女たちも、大概失礼だけどね!)
エレノアは心の中で反論しつつも、急いでその場を去った。なるべく人目につかないように移動し、使用人に温かいお茶を用意してもらう。
そうしてティーポットなどを持って早足で廊下を進み、マシューの待つ部屋へと戻った。
ノックをした後、そっと扉を開く。マシューは体を起こしており、ソファに座った状態でこちらを振り返った。
少し体調が良くなったのか、彼は柔らかな微笑みを浮かべている。
その姿がなんだかとても神秘的に見えて、エレノアの心臓が小さく跳ねた。