5:寂しいなんて
だんだんと朝晩が冷え込むようになってきて、冬が間近に感じられるようになったある日。
エレノアはたくましく、大きな書き物机をひとりで運んでいた。
というのも、書斎にある古い書き物机を処分して新しいものと取り替えることにしたらしいのだけど、その机を運ぶのに使用人たちがものすごく苦労をしていたからだった。エレノアは見ていられず、ついつい「私が運ぶわ」と手を出してしまったのだ。
(怪力は封印しようと思っていたけど……使用人のみんなも困っていたし、少しくらい使ってもいいわよね)
ふんふんと鼻歌を歌いながら、書斎まで机を運ぶ。
と、そこにジョセフがひょっこりと顔を出した。
「エレノア、ありがとう。こういう時は本当に頼りになるよな、君は」
「ふふん、これくらいは朝飯前よ」
「今はもう昼過ぎだけどな」
雑談を交わしつつ、エレノアは久しぶりに入った書斎をぐるりと見回した。
天井まで届くほど高い本棚。四角い窓には厚みのある藍色のカーテン。床に敷いてある絨毯は深い緑色をしていて、全体的に落ち着きのある空間が広がっている。
ジョセフとフローラの結婚を機に、父は伯爵家の主としての仕事をほどんどジョセフに任せてしまった。
今、この王都の屋敷には父も母もいない。二人とも田舎の領地に引っ込んで、自由気ままに過ごしている。
なので、この書斎も既に父ではなくジョセフ専用となっていた。
屋敷の中は少しずつ、けれど着実に、ジョセフとフローラを中心に変わり始めている。
エレノアはもう一度書斎を眺めた後、ふうとひとつ息を吐いた。
「それじゃあ、私は部屋に戻るわ。机、しっかり活用してよね」
「ああ。本当にありがとう」
ひらひらと手を振るジョセフに手を振り返し、エレノアは書斎をあとにした。あまり日の差さない廊下はなんだか空気が重く、ひんやりと冷たく感じる。
秋風に吹かれて、小さな窓がカタカタと音を立てた。窓の向こうで茶色の葉っぱがくるくると舞い散っている。葉がほとんど落ちてしまった木の枝は、小さく震えるように揺れていた。
エレノアは窓の外の景色から視線を外し、ぺちんと両頬を叩く。
(寂しいなんて、思っちゃダメよね)
よし、と小さく気合いを入れる。それから姿勢を正し、まっすぐに前を向いて歩き始めた。
マシューとの関係は、驚くほど良好だった。
あれからも何度かお茶を共にして、笑い合っている。そうして他愛ない会話を交わしながら、エレノアはひとつひとつマシューのことを知っていった。
幼い頃から体が弱かったせいで、運動は不得意だということ。
舞踏会で上手く踊れるように、今、必死に練習していること。
でも、体力が続かず、なかなか上達しないこと。
(マシュー様は一生懸命に物事に取り組む人なのね。そして、正直で素直……)
マシューのことを知れば知るほど、もっと彼のことを知りたくなる。
と同時に、エレノアも彼の隣にふさわしい人間になりたいと思う。
(や、やっぱり怪力を使っている場合じゃないわ。少しくらいならいいか、というその油断が、身を滅ぼす原因になるのよ……!)
今度こそ怪力を封印し、普通のか弱い女の子にならなくては。
それに、ダンスが苦手なマシューを、いざという時にフォローできるようになっておきたい。
エレノアは改めて素敵な令嬢となるべく、気合いを入れ直すのだった。
そんな風に気合いを何度も入れながら日々を過ごし、気付けば舞踏会の日を迎えていた。
エレノアはマシューと一緒に馬車に乗り、会場である城に向かう。
「エレノア嬢、手を」
城に着き、馬車から降りようとすると、先に降りていたマシューが手を差し出してきた。エレノアは少し緊張しながら、その手の上に自分の手を重ねる。
今日のマシューは舞踏会にふさわしい華やかな衣装に身を包んでいた。深い青色のウエストコートには細やかな銀の刺繍が施されており、彼の持つ銀の髪と相性がとても良い。その上に羽織った黒のコートにも銀の装飾がついていて、キラキラと光り輝いている。
胸元には白いレースのジャボ。ひらひらとしたその胸飾りは彼が歩くたびに華麗に揺れる。
エレノアも、美青年のマシューに負けないように華やかに着飾っていた。金の髪は緩やかに編み込み、上の方でくるんとまとめ、薔薇の造花を挿している。
裾にかけて薄いピンク色から濃い赤へと変わる美しいグラデーションのドレスは、スカートの部分がふんわりと優しく広がる愛らしい形をしている。何枚もの花びらを重ねたかのようなスカートの下にはパニエを仕込み、踊る時もその形を綺麗に保てるように工夫していた。
「今日のエレノア嬢は、本当に華やかで可愛らしいね。君をエスコートできて、僕は幸せ者だ」
マシューの言葉に、エレノアはじわじわと頬を熱くしてしまう。
もうすぐ日も沈むという時間。外の気温は低く、風は刺すように冷たいはずなのに、少しも寒くなかった。
マシューの隣は、いつも温かい。
(今日の舞踏会、絶対成功させなくちゃ。そして、マシュー様ともっと仲良くなるのよ!)
エレノアは頬を火照らせたまま、できるだけ淑やかに見えるように慎重に足を進める。
舞踏会の会場となっている大広間に入ると、鮮やかな色のドレスが花のようにあちらこちらできらめいていた。たくさんの未婚のご令嬢たちが、素敵な出逢いを求めてやって来ていることがすぐに分かる。
行き遅れに片足を突っ込んでいるエレノアより、若くて綺麗な女の子たち。
彼女たちはマシューを見た瞬間、目の色を変えた。
「え、あれって、もしかして」
「侯爵家のマシュー様? 嘘、病弱すぎてこんな場所には来ないんじゃなかったの?」
「すごく綺麗な方ね。まるで妖精か天使みたい……」
ご令嬢たちはマシューの美青年っぷりに驚き、ぽうっと見惚れている。
それからマシューに寄り添うエレノアを見て、皆一様に顔を引きつらせた。
「マシュー様の隣にいるのって……怪力令嬢?」
「え、妹に婚約者を取られたっていう、あの怪力令嬢なの?」
「信じられない! どうしてそんな人とマシュー様が一緒にいるわけ?」
納得いかないとばかりに、ご令嬢たちは眉間に皺を寄せ、エレノアを睨みつけてきた。一気に十人ほどの悪意ある視線を受け止めることになってしまったエレノアは、背中に嫌な汗をかいてしまう。
というか、なんだこの展開。
マシューは何度もお見合いで断られたと言っていたし、エレノアと同じように異性から見向きもされない部類の人間だと思っていたのに。
(どうしよう……)
このままこの場所にいるべきか、それとも逃げるべきか。
エレノアは迷い、ちらりとマシューの顔を窺った。