2:お見合い終了の危機
(あああああ! やっちゃった……!)
エレノアはさっと青ざめた。なぜなら、手に持っているティーカップの持ち手の部分にひびが入っていたからだ。
ひびを入れた犯人は、間違いなくエレノアだ。ついさっき、力を入れて握ってしまったたせいでこうなったのだから。
そう、エレノアは小柄で可憐な容姿とは裏腹に、とんでもない怪力を持つ令嬢だったのだ。
エレノアの力は生まれつきのもので、特に筋トレなどもしていない。けれど、大きな本棚だって本が入ったままの状態で普通に持ち運べるし、自分の背丈の三倍はあろうかという木でさえも抱えて走れる。
そんな怪力のせいで、エレノアにつけられたあだ名は「怪力令嬢」。
貴族の間でもその名は有名になっていて、それが原因で何度もお見合いをお断りされ続けてきた。
(今度こそ、お見合い終了。お疲れさまでした……!)
これまでもこうして物を破壊した瞬間、お見合いは終了した。
一人目も二人目も三人目も。そして、四人目も五人目も六人目も。当然だけど、七人目も八人目も同じようにお断りしてきた。
みんな口を揃えて、「こんなに怪力だとは思ってなかった」と言うのだ。
エレノアが怪力であることを知っていて、その上でお見合いをしているはずなのに――。
本当に納得がいかない。
エレノアは小さくため息をつき、ひびの入ったティーカップを置いた。
紅茶の水面が揺らめき、円を描くようにきらめく。
「あの、私帰りますね。今日はありがとうございました。楽しかったです」
「ええっ? お見合いはまだ始まったばかりなのにっ?」
マシューが目を丸くして叫んだ。
「ま、まだ帰らないで! あの、何か気に入らないところがあったなら、遠慮なく言って? 改善できることなら、今すぐ改善するから!」
焦りのあまり、敬語を使うのを忘れている。大丈夫だろうか、この人。
エレノアは少しだけ彼のことが心配になる。
「あ、いえ、マシュー様は何ひとつ悪くないです。ただ……」
そう言いつつ、ひびの入ったティーカップを見つめた。マシューの視線が釣られるようにティーカップへと移る。
「なんてことだ……ひびが入っている……」
マシューの翠の瞳が、信じられないものを見たかのように揺らめいた。
彼の顔が一気に青ざめていく。ただでさえ雪のように白かった美青年の肌が、透き通るような青白さを放ち始めた。その様子を、エレノアは気まずい思いで見つめる。
「ごめんなさい。あの、あとで……」
きちんと弁償させていただきます、と言おうとした瞬間。
エレノアの言葉にかぶせるように、マシューの焦った声が飛んできた。
「大丈夫っ? 怪我はしていないっ?」
「ふへっ?」
マシューはすぐさま立ち上がり、エレノアのすぐ傍にひざまずく。そして、つい先ほどカップにひびを入れてしまったエレノアの手を、宝物を包み込むかのような優しい手つきで握った。
エレノアの華奢な指先を、マシューが真剣な瞳で凝視する。彼は真剣な表情をしたまま、エレノアの指に自分の指を滑らせた。
今まで感じたことのない妙なくすぐったさを感じ、エレノアはつい叫んでしまう。
「きゃああっ?」
「え、あ、ごめん! その、怪我がないか心配だったから! ああ、すぐに新しい紅茶を用意するから少し待っていて!」
ぱっとエレノアの手を離したかと思うと、マシューは慌てた様子で駆けだしていた。
エレノアは呆然としながら、マシューに触れられた手を胸元に引き寄せる。
(な、なに? ドキドキが止まらないんですけど!)
なんかドキドキしすぎて心臓が痛い。じわじわと頬に熱が集まってくる。
こんな風に普通の女の子扱いをしてもらえたのなんて、生まれて初めてだ。
なんだろう、この気持ち。すごくふわふわする。
エレノアは両手で顔を覆うと、声にならない声をあげつつ、ジタバタと悶えてしまった。
一時間後。
あれから何度もお見合い終了の危機が訪れたのだけど、なぜかことごとくマシューがそれを躱し、お見合いはこれ以上ないほどの成功をおさめた。
笑顔のマシューに見送られ、エレノアは帰りの馬車に乗る。
そうして無事に伯爵家の屋敷まで戻ってきた。
けれど、しばらくしても、ふわふわとした気持ちからなかなか抜け出せない。
ぼんやりと居間のソファに座り込んでいると、妹がキラキラと目を輝かせながら駆け寄ってきた。
「エレノア姉様、おかえりなさい!」
「ただいま、フローラ」
妹のフローラは、エレノアとよく似た金髪に紫の瞳を持つ可愛らしい女の子だ。ふんわりとした髪を愛らしく結い上げ、フリルやレースがたっぷりのドレスを身にまとったその姿は、まるで天使のよう。
自分よりも四つも年下――十八歳の妹。まだまだ子どもっぽいふるまいをすることも多いけれど、この子は立派な既婚者だ。
この伯爵家には子どもがエレノアとフローラの二人しかいないために、つい最近、エレノアの代わりにこの妹が婿をとったのだ。
妹の結婚式は、本当に華やかで綺麗だった。真っ白なウェディングドレス姿で微笑む妹は、とても幸せそうで可愛らしかった。
その時、エレノアはいつか妹のような可愛い花嫁になりたいと心の底から憧れた。
まあ、怪力であるかぎりそんなの夢のまた夢だと早々に諦めたけれども。
「ねえ、エレノア姉様。今日は侯爵家のマシュー様と会ったのよね。ものすごく美青年だし、性格も穏やかで優しいって聞いたわ。どうだったの? かっこよかった?」
「かっこよかった……というよりも」
「というよりも?」
「なんか、子犬みたいだったわ……」
エレノアは遠い目で窓の外を眺める。妹は目をぱちぱちと瞬かせながら、こてりと首を傾げた。
「子犬ってどういうこと? マシュー様って、エレノア姉様より三つも年上のお兄さんなのでしょう?」
「うん、そうよ。そうなんだけど……」
なんだかマシューとのお見合いは今までと全然違っていて、エレノアもどう報告していいか全く分からない。
やたらドキドキさせられたし、次も会えたらいいなとも思うけれど。
「まあ、私は今回のお見合いでも怪力を披露しちゃったから。たぶんお断りされるわよ」
「そんな……」
「心配してくれてありがとう、フローラ。でも大丈夫よ、お断りされるのには慣れてるし」
妹の肩をぽんぽんと叩き、にこりと微笑んでみせる。
期待なんてしない方がいい。怪力令嬢を花嫁にしたい男性なんているわけがないのだから。
――と思っていたというのに。
マシューはお断りしてくることなく、それどころか、また話がしたいとお茶会の招待状を送ってきたのだった。
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