1:残り物には福がある
「嘘でしょ……」
エレノアは侯爵家の瀟洒な建物の前で呆然としていた。
今日は通算十回目となるお見合いの日。
もう「行き遅れ」に片足を突っ込んでいる気はするけれど、焦ってもしかたない――そう考えて特に期待をすることもなく、この場にやって来たわけなのだけど。
「これは、まさか、残り物には福があるのパターン……?」
馬車を降りてすぐに目に飛び込んできたのは、今まで見たことのないレベルの美青年だった。
白を基調とした盛装姿の美青年は、エレノアを見た瞬間、照れ臭そうに微笑んだ。青空の下できらめく銀色の髪に、優しげに細められる翠の瞳。まるで妖精か天使みたいだ。
「こ、このパターンは、さすがに予想してなかったわ」
エレノアはぺちんと自分の額を叩いて、天を仰いだ。
伯爵令嬢として生きてきて二十二年。こんなレベルの美青年を堂々と眺められる日が来るなんて。
お見合いも嫌なことばかりではないんだなと、目から鱗が落ちる思いがした。
これまでのお見合いは、本当に嫌なことばかりだった。
どんなに気合いを入れておしゃれをしても、どんなに頑張って素敵な女性らしくふるまってみても、誰も認めてくれない。
全て向こうからお断りされて、どんどん自分に自信を無くしていった。
――どうせお断りされるなら、お見合いなんて適当にやり過ごせばいい。
エレノアは諦観し、やる気を失っていた。
だから、釣り書きなんて確認してこなかったし、姿絵だって見てこなかったし、おしゃれも全然してこなかった。
お見合いをするような人は、エレノア自身もそうだけど、どうせ異性に相手にされない「残り物」だ。だから、相手に気に入ってもらえなくても別にかまわない。お見合いなんて楽な格好で充分だ。
というわけで、今、エレノアが身にまとっているのは、動きやすさを重視したチョコレート色の地味なドレスだった。金色の長い髪は適当に後頭部の上の方で結んでいる。
アクセサリー類は邪魔になるので置いてきた。
(……ああ、失敗した!)
こんな美青年が現れると知っていたら、自分の瞳と色を合わせたネックレスくらいつけてきたのに。
可憐なすみれの花を思わせる紫の瞳を潤ませながら、エレノアは唇を噛む。
「エレノア嬢?」
気付かないうちに、美青年がエレノアのすぐ傍まで来ていた。彼は少し心配そうに眉を下げ、エレノアの顔を覗き込んでくる。
ぱちりと目が合った瞬間、エレノアはぴょこんと飛び跳ねた。
「は、はい! 私がエレノアです! はじめまして、こんにちは!」
(わわ、何を言ってるの、私!)
どうしよう、このままではお断り路線まっしぐらだ。
最終的にはお断りされるにしても、せっかく美青年をじっくり観察できる貴重な機会を得たのだから、ここは少しでも時間を引き延ばしたい。
「あ、あの、えっと、貴方のお名前は何ですかっ?」
とりあえず何か話さないと、と思って出てきた言葉がこれだった。
けれど、すぐにエレノアは口を両手で塞ぐ。
まずい。これでは釣り書きを見ていないことがばれてしまう。だって、釣り書きには彼の基本情報がちゃんと書いてあるはずだから。それを見ていないということは、つまり、このお見合いに乗り気ではないと公言するようなものだった。
少し前にあった九回目のお見合いの時も、釣り書きを見ずに相手に会った。そして、その相手に名前を尋ねた途端、激高されたのだった。
もちろん、そのお見合いはそこで終了した。出会って二分の出来事だった。
まあその相手というのは、ずいぶん年の離れたおじさんだったので、むしろ早々に終わってよかったのだけど。
(ううう、ちょっとくらい釣り書きを見てくればよかった。今回も怒られて終了だわ……)
せっかくの美青年を拝むチャンスだったけど、しかたない。
エレノアは怒られる覚悟を決め、しょんぼりとうなだれた。
けれど、美青年は穏やかな声でこう言った。
「えっと、はじめまして。僕は侯爵家の嫡男で、マシューと言います。あまり社交場にも出ていないし、僕のことを知らないのも当然ですよね。あの、今日はよろしくお願いします」
「……へ?」
てっきり怒鳴り声が飛んでくるとばかり思っていたので、ついつい間抜けな声を漏らしてしまった。
ぽかんと口を開けたまま美青年――マシューを見上げると、優しげな翠の瞳と目が合った。どきりと心臓が大きく音を立てる。
「エレノア嬢。立ったままだと足が疲れるでしょう。あちらに席を設けてありますから、どうぞ」
マシューが手を差し伸べてくる。
エレノアは混乱しながらも、差し出された大きな手に自分の手を乗せた。彼の手は少しだけひんやりとしている。
(なんかよく分からないけど、まだ終わってないみたい。やった! もう少し、この美青年を堪能できる!)
大人しく彼に手を引かれて歩きながら、エレノアは改めてお見合い相手であるマシューを観察した。
長身痩躯を包むのは、白いブラウスに淡い青のウエストコート。ジャボと呼ばれるヒラヒラとした胸飾りが一歩進むごとに華麗に揺れている。滑らかな光沢のある白の上着には、銀の糸で細やかな刺しゅうが施されていた。
その衣装は彼の持つ銀髪によく似合っていて、なんだか物語の中の王子様みたいに見える。
ほわわんと彼に見惚れているうちに、お見合いの席まで連れてこられた。
スイートアリッサムが咲き誇る華やかな庭園。白やピンクの小さな花が柔らかな秋の風に撫でられて、ほのかに甘い香りを漂わせている。
繊細な彫刻の施された白いテーブルの上には紅茶とお菓子が用意されており、それを見たエレノアは思わずごくりと喉を鳴らした。
美青年と一緒にお茶とお菓子を楽しめるなんて、ごほうび以外のなにものでもない。
マシューが椅子を引いてくれた。エレノアは少し緊張しつつも、促されるまま大人しく着席する。
「今日はわざわざこの侯爵家まで来てくださって、ありがとうございます」
向かい側に座ったマシューが、エレノアを見つめてふわりと微笑んだ。
その顔はなんだかとても幸せそうで、この出逢いを喜んでいるという雰囲気が思いきり伝わってくる。
「僕は幼い頃から体が弱い上に、成人してからもなかなか社交の場にも出られなかったんです。なので、女性とは本当に縁がなくて。これまでも何度かお見合いをしたんですけど、頼りないと思われて、全て断られてしまっていて……」
なんと、マシューもエレノアと同じで、相手にお断りされてお見合い全滅というタイプだったらしい。
なんだか妙に親近感がわいてきて、これなら仲良くなれそうだとエレノアの胸が期待でいっぱいになった。
(このお見合い、上手くいくかも!)
けれど、世の中というのはそんなに甘くなかった。
「あっ」
はりきりすぎたエレノアを待っていたのは、さらなる「失敗」だった。