土下座編
女の子に対する暴力表現があります。また、おとなしめですが女性性を想起させる表現があります。苦手な方はご注意ください。
見捨てられし境目。人の住める場所の少ないこの荒廃した土地にも、唯一村と呼べる場所がある。
魔界と人界をつなぐ街道にある宿場。その周辺には半人半魔、人間でも魔界の民でもない者たちが身を寄せ合って暮らしているという。
魔界と人界、細々とではあるが商業的な交流はあるのだ。
そこで育まれる恋もあり、数が少ないとはいえ、半人半魔も産まれ落ちる。そうした者たちは魔界にも人界にも居場所がなく、この境目の宿場におのずと集うのだろう。
勇者には古い魔族の血が混じっているという。古代の転移魔法を操ることができるため、元々は魔界と人界をまたいだ商売をして身を立てていたらしい。
「道理で貴様を見つけられぬわけだ。このような場所に隠れていたとは……それに見つかりそうになれば転移して逃げればいいのだからな」
世界王は勇者に連れられ、転移魔法で魔界城から境目に降り立った。
「まあそうなんだがこの魔法には制約も多くてな。一度行った場所じゃないと転移できねぇんだよ」
なるほど。魔界城に侵入したあの日、勇者は魔界城の謁見の間の手前まで来ていた。
だから先ほど謁見の間に現れることができたというわけだ。
「ルナローズも貴様と同様、半人半魔なのか?」
「いや、あいつはただの人間だ。魔界ではアイテム使って夢魔のフリをしてたみてぇだが……正直言うと、俺もあいつのことはよく知らねぇ。気づいたらこの村にいつの間にか住み着いてたんだよな。どうも人界から来たって感じでもねぇし。なんか訳アリなんだろ」
宿場の通りを歩きながら、勇者は周囲の店を指差して見せた。
「見てみろよ。魔界の商品も人界の商品も置いてあるだろ?あんたは知らねぇだろうが、魔界だと人界の商品が、逆に人界だと魔界の商品が高く売れるんだ。ここは土地が痩せてるからな。俺たちはあっちのものをこっち、こっちのものをあっちに売り歩いて、それで食いつないでる」
境目特有の乾いた空気を胸いっぱいに吸い込みながら、勇者は両手をひらひらと広げた。
「だから俺たちは人界のことも、魔界のことも気にしてる。お互いにもっといろんな商売ができればどっちももっといい暮らしができるのにな、とか思うこともある。そう、ルナローズとはいつもそんなことを話してたな」
「一つ聞いてもよいか勇者よ。貴様たちはなぜ人界のために戦ったのだ。たとえ転移魔法で逃げることができるとしても、そもそも勝ち目のない戦いであることは少し考えればすぐに分かるはずだ。半人半魔の貴様が、人間たちに肩入れする理由もなかろう」
実際、勇者たちは魔界四天王に敗れ、勇者だけが逃げ帰っている。
「そうだよなぁ。そう思うよなぁ」
勇者は大きくため息をついた。
「まあ、勇者っつったって、俺たちゃ半人半魔の寄せ集めだったからな。しかも俺以外は老い先短い老いぼればかりだったし」
「そうなのか?だが、貴様らは幾度か魔界軍と互角以上に渡り合っていたではないか」
世界王の無意識の称賛の言葉に、勇者は照れたような面持ちでぽりぽりと頬をかいた。
「ああ、あれな。ちょっとはイイ格好しとかないと俺たちを勇者と認めてもらえねぇだろ?だからすっげぇ強ぇ武器かき集めて、ばばーんって派手にやらかしたことは何度かある。まあ、その強ぇ武器ってのはおたくの宝物庫からルナローズが拝借してきたものだったんだがな」
「なんだと……?」
どういうことだ?
「まあ要するにアレだよ。あんたらにゃ悪いんだが、俺たちが相手にしてたのは魔界軍じゃねぇんだ。人界軍に、俺たちが魔王を倒せる唯一最後の希望だと思わせるためだけの小芝居をやってたんだな、これが」
『勇者』……その当の本人が語るにそれは、人界軍に早期降伏を決断させるためにルナローズが仕組んだ見せかけの希望だったというのだ。
人界の中には長期の徹底抗戦を主張する者もそれなりにいたのだが、食料不足という事情もあって、最終的には圧倒的な強さを見せたこの偽勇者一行に、そのすべてを託すという短期決戦派が優勢になったらしい。
「勇者が負けたら人界軍は抵抗をやめて魔界軍に降伏する。魔界軍と派手にやりあうたびに、俺たちは各国の王様たちにそういう約束を取り付けて回ってたんだよ。人界はたくさん国が分かれてるからな。一つ一つがばらばらに徹底抗戦されはじめたら手間がかかって仕方がないだろ?だから一芝居打ったってわけさ」
「お前たちはそんな芝居のために命をかけたというのか」
世界王の驚きを隠さない言葉を、勇者は大きな声で笑い飛ばした。
「はっはっは、あんた面白れぇな、世界王さんよ。『そんなこと』ってか。まあそうなんだろうな。命は大事だしな。だがよ、見てみろよこの荒れた土地をよ。俺たちぁ下手したら一生、それこそ何十年もここで過ごすんだぜ?だけどルナローズは言った。世界を変えるってな。俺たちみてぇな半端者もみんな楽しく生きられるようにするってな。人間も亜人も魔獣も魔族も俺たちも、みんなだぜ。世界中の全部だ。全部幸せにしてやるってぇ話だぜ。でっけぇだろう?あの小さな華奢な身体一つでそんなことをやろうとしてたんだぜ?命くらいどうってことねぇって思わねぇか?んん?」
宿場を少し外れただろうか。そこで勇者はその先の丘の上を指差した。
この先にルナローズがいる。そういうことだろう。
「貴様は付き添わないのか。われとルナローズを二人きりにすることになるのだぞ」
世界王の言葉に興味もないのか、勇者は足元のクワを手に取った。
畑?だろうか。この辺りの一角だけ、土が耕してあった。
「ルナローズのやつ、あれからずっと落ち込んでてさ。俺にできることがねぇかと思ってこうして大陸の連中の真似して畑を作ってみたりしたんだけどよ。まあ、無理はするもんじゃねぇな。手が豆だらけになっちまった」
勇者はそのクワを畑に振り下ろす。
「俺にゃどうしようもねぇからさ。代わりにあんたがあいつを励ましてくれると俺も肩の荷が降りるってもんだ。あんた、あいつに会わなきゃいけねぇって思ったんだろ?ならあんたは、ルナローズが何をしようとしてたか、もう薄々気づいてるってことだ」
*
ルナローズはひとり、小高い丘の上から北を見下ろしていた。荒れた土地に転がる平たい岩、その上にちょこんと小さく膝を抱え、座り込んでいた。
「……そう。来たんだ」
丘をゆっくりと登る世界王の足音に気づいたのか、ルナローズは振り向きもせず、ぼそぼそとそうつぶやいた。
「ルナローズ・デイドリーム。元魔界四天王にして、魔界軍を裏切りし者よ。われの問いに答える意思はあるか」
世界王はルナローズの傍らに立ち、自らも北を見下ろしながらそう言った。互いに目をあわせることもなく、互いの表情を伺うこともなく。
「困ってるんでしょ」
「ああ。このままでは世界は滅ぶ」
「でしょうね」
吹き抜ける乾いた風が、ルナローズのウェーブのかかった桃色の髪をなびかせる。魔界城にいた頃の彼女とは違い、その髪は乾き切ってぼさぼさで、あの明るい魔界アイドルの面影はそこになかった。
「だがおまえならこれをなんとかできるのだろう?」
「うん。まあね」
「頼む。教えてくれ」
世界王はその膝を地面に着くと、その頭をルナローズに対し深々と下げた。
「われは世界を救いたいのだ。人間と亜人が飢えず、魔獣が皆を喰い滅ぼすこともない。誰もが幸福のうちにその生をまっとうできるような、そんな世界にしたいのだ」
「教えてもいいけど。でも私の言うことなんて、信じられないんでしょ」
「それは……」
「イブ=ラスティンに頼ればいいんじゃない?彼女、魔界で一番賢いのだし」
「イブは自分のことしか考えていなかった。魔族は不死。いま世界が滅んでも、眠りから覚めればまたそのときやり直せばいいとしか思っていない」
「ふーん。じゃあヴォルフは?」
「ヴォルフは神速最強の魔獣だ。世界が飢えに沈み、魔獣と魔獣が争っても最後に生き残るのはヴォルフだろう。話は聞いてくれるが、何かをしてくれるわけではない」
「トゥーリは?あの人なら、みんなのために頑張ってくれそうだけど」
「それはその通りだ。頼めばなんでもやってくれるだろう」
世界王はもう一段深く頭を下げた。その額が地面のすれすれ、いまにも土が触れそうな位置で止まる。
「だがそうではないのだ。いま必要なのは敵を打ち負かす戦術でも、すべてを駆逐する速さでも、圧倒的な戦力でもないのだ。すべての者が幸福になるための方法、飢えず、争わず、ともに手を取り合って世界を作り上げていくための知恵なのだ。ルナローズ、おまえにしかそれはできない、われはそう思っている」
鈍い音を立てて、世界王の頭が地面を打ち付けた。土下座。もうこれ以上は頭を下げることのできないその状態になって初めて、ルナローズの視線が世界王の方に向けられた。
「一緒に魔界城に来てくれ。そしてもう一度、われとともに世界を、皆を導いて欲しい。なんでもする。世界を救えるのなら、世界王の名にかけて、われにできるすべてをおまえに捧げよう」
「嫌よ。そんなことしてもらっても仕方ないし。それにもう魔界城には戻らない」
ルナローズは世界王の後頭部をその人差し指でつんつんと二度つついた。
「顔をあげて。世界王でしょ。そんなかっこわるいの、やめなさいよね」
ルナローズは立ち上がると、ズボンについた土ぼこりをぱんぱんと払った。
「せっかく来てくれたんだし、久しぶりに顔も見られたし。少しお話しましょ」
「あ、ああ」
世界王は地面に膝をついたまま、背を正しルナローズを見上げた。
「よく考えて、世界王。色々な悪いことが起きているけれど、それは結局、何が原因でそうなっているんだと思う?」
「食料が足りぬからだ。これが人間を苦しめ、やがては亜人も苦しむことになる」
「ふーん。じゃあさ、どうして食料が足りないんだろ。いままでは魔界も人界も自給自足できてたんでしょ?」
「必ずしもそうではない。魔界はそもそも恒常的に食料が不足していた。だから亜人たちは互いにいがみあい、人界を襲っていたのだ。魔獣は時に亜人を襲い、時に人界で暴れていた。いま思えば、それは彼ら魔獣の生きるための営みだったのだ。結局のところ、魔界の民は間接的に人界の食料に依存していたということになる」
「おー。そこまで分かってるんだ。やっぱり話が早いね。そういう頭の切れるとこ、好きだったな」
好きだった……?それはいったいどういうことかと聞き返そうとした世界王に、ルナローズはさらに問いを投げつけた。
「人界の食料生産が元に戻れば少なくとも今まで通りくらいには飢えなくて済むってことじゃない?じゃあどうすればいいんだろう?」
「農地をこの春のうちに耕し、秋の収穫に間に合うよう、作物を育てればよい。ただ問題はその担い手が不足しているということだ。先の戦で人間の働き手のかなりの割合が失われている。さらに今は食料が足りず、人間たちはまともに働くことが難しくなっている」
それはおまえが人界の食料を買い占めたから……その言葉を言いかけて世界王はそれを飲み込んだ。
「誰かが農地を耕せば良いってこと?」
「そうだ」
「誰かに頼めばいいんじゃない?あなた世界王でしょ」
「できることはやり尽くしている。すでに人界の労働力はすべて農地に回して……」
ふと、世界王の脳裏で何かがつながった気がした。そう、人界の労働力はもう限界だ。だが、それだけなのか。人界の農地、だからいままでそれは人間たちが耕すものだと思い込んでいなかったか?
「いや、待て。魔界の亜人、戦から帰還した者を人界に派遣し、耕作に従事させればいいというのは理屈ではそうだ。だが、亜人たちはいままでまともに人界の農地で働いたことがない。いますぐに働けと言われても無理がある……」
「あら?そうだったかしら。確か、どこかのすっごい悪い奴が亜人を人界の農場に売り払ってこきつかってたんじゃなかったっけ」
なに……!?
瞬間、世界王は息を呑んだ。ルナローズのその一言で、いままで胸の内に淀んでいた暗雲がかき消えた、そんな気がしたのだ。
まさかそのためにわざと亜人を売り払っていたというのか!?
いやしかし、本人がそう言っているのだから、そうなのか?
「あとさ、いま人界の食料が足りないのって、どっかのすっごい欲の皮の突っ張った誰かさんが買占めてたからでしょ。それって、人間たちに少し分けてあげたらいいんじゃない?」
「その食料はもうない。魔界の皆に平等に分け与えることにした」
「あ、やっぱり平等に分けたんだ。ほんと真面目だよね。でもどうせ魔族の分は誰も手をつけてないんでしょ。あの人たち、食べ物食べないし。あと均等分配だと亜人さんたちの分、二年分くらいになるじゃない?そんなにあげちゃうとあの人たち働かずに子どもばっかり増やしてあとで困るから、一年分くらい返してもらった方がいいと思うわよ」
「魔族の分を人界に回すことは考えた。だが亜人たちは食料を受け取って喜んでいる。一度与えたものを返してもらうなど……」
「なに言ってんの。あなた世界王でしょ。このままじゃ世界が滅ぶから、何とかしたいって言ったの、忘れたの?かっこつけてる場合じゃないでしょ馬鹿ね」
「うぐ……そ、そうだな」
「はい、解☆決!」
ぱちんと、ルナローズはその両手を叩いた。
「はいはい。お話はこれでおしまい。私疲れちゃったから、もう帰ってくれる?」
「ま、待ってくれ。まだ聞きたいことが……」
「なによ。もう世界は救えるでしょ」
「そうじゃないんだ。おまえの今までにやってきたことでまだ分からないことがあるのだが、それを知りたい」
「自分で考えれば?世界王なんだし」
「そのいちいち世界王、世界王と意地悪く言うのはやめてくれ」
「はいはい。じゃあご質問をどうぞ?」
投げやりなルナローズに、世界王は神妙な面持ちで問うた。
「食料を買い占めたのは魔界軍を有利にするためだったのか?」
「うん、まあ半分正解ね。ほら、魔界城にすっごいたくさん財宝があったじゃない?ああいうのって内部留保っていうか、ほんとならちゃんと投資して未来の生産力を上げるために使わなきゃだめなんだけど、魔族の馬鹿が千年くらいずっと貯め込んでて。あの人たち永遠に生きてたりするから経済成長の概念とか理解できないんだろうな。計算したら、大陸と辺境全部の国の年間国民総生産の四倍もため込んでたのよ?もうほんと信じらんない」
「ないぶりゅうほ……?こくみんそうせいさん……?」
どういうことだ。ルナローズの言っていることが全く分からない。
「だからさ、どうせ戦争するんだから食料は必要だし、いっそのこと人界の食料買い占めしちゃえばいいかなって。そうすれば人界の貨幣流通量が最低でも十倍くらいになるから、インフレになるでしょ?人界のお金持ちが貯め込んでいる貯蓄とか無効化できるし、そしたら人界の経済を大混乱させられるよね。さっきあなたも言ってたけど、この世界のボトルネックは食料生産力だから、戦争はなるべく短期で終わらせたかったんだー。農地が荒れるとそのあとすっごい困るから。でも人界の国々はみんなてんでばらばらで、お互いに領地を巡って争ってたり。人間の数に対して土地は広大過ぎて使い切れてないのに、ほんと無駄なことばっかりしてて。だから早めに降参してもらわなきゃだから勇者さんたちにも頑張ってもらったり……」
早口でまくし立てるルナローズだったが、自分の言葉に世界王がぽかんとした顔をしているのに気づくと、小さくぺろりと舌を出した。
「いっけなーい。こんな話しても分かんないよね。ごめんね。前の世界で経済史専攻してたから、こういうの語りだすと早口になっちゃうんだ私。いまのいったん無し!忘れて忘れて!」
その表情は、かつて魔界城でアイドルだった頃の楽し気なルナローズを思い出させた。
「……イブから聞いたことがある。この世界にはときどき異世界から転生してくる者がいるということを……おまえがそうなのだな」
そう。転生者は異界の知識を持ち、恐るべき異能でもって世界を変えてしまうこともあるという。
「へー、イブってそういうことも知ってたんだ。不老不死ってすごいよねー」
首を傾げるルナローズを見ながら、世界王は静かに立ち上がった。
「もういいの?聞きたいこと」
「ああ。十分だ」
世界王は苦笑した。
「だいいち、おまえの言っていることの半分も、今のわれには理解できなさそうだしな」
「ま、そうね。じゃあね」
ルナローズは右手を上げるとひらひらと左右に振った。
「また来ても良いかルナローズ。次はもう少しおまえの話を理解してみせよう」
世界王の言葉に、ルナローズの右手がぴたりと止まった。
「ほんと……馬鹿なんだから」
その顔はとても嬉しそうだった。
「どうでもいいけど、とりあえずぱぱっ☆と世界を救ってきちゃいなさいよね、世界王☆!」
【終】
この作品はこれで完結です。
おまけとして、挿絵を次話として投稿します。