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私刑執行

 

 艶やかな深紅のルージュ、赤いネイル、目元を彩るブラウンと金粉、濃く長い睫毛。ドレスは深紅の、背が大きく開いたスレンダーラインドレス。明るいブラウンの髪は黒く染め、緩く片側に流している。ヒールを履きこなしたところで、エルピスは鏡の前でくるりと回る。


「どうかな?」

「別人」

「別人ですね」


 キョウとクレイに聞けば、合格との答え。


「化粧ってすげーなぁ。エルピスが化粧映えするっていってもこれは魔法だろ」

「黒髪というのも効果的なんでしょうね。それはすぐに落ちるもので?」

「うん、一日位しか色を保てない染め粉」

「なぁなぁ、エルピス。どーやってターゲットに近づくんだ? 参考に見せてくれよ」


 ニヤニヤと笑うキョウにエルピスは、自分より少し背が高いキョウの頬をつうと指先でなぞって唇に触れると艶美に目を細める。


「駄目よ、キョウ様……まだ夜を知るには少し早いわ……」

「────~~~~~!!!!」


 普段見せないエルピスの全く違う「女」の姿にキョウは言葉を失う。けれどそんなキョウを逃がすまいとエルピスはするりとキョウの手に指先を絡みつけて、その胸にしなだれかかり潤んだ瞳で見る。


「……キョウ様、早く貴方の肌に触れた────」

「エルピス準備はできた………………」 


 言いかけたと同時に、着衣室にディルが入ってくる。

 顔を真っ赤にして硬直するキョウに胸を寄せるエルピスは、ディルを見るなりパッと何事もなかったかのように離れた。


「はい。準備できました。お二人からも別人みたいだ……と……?」

「……キョウ」


 凍てつくように冷たく鋭い目でディルはキョウを見ていた。真っ赤になっていたキョウは真っ青になる。今のディルはキョウを海底に沈めんばかりの勢いだ。傍観していたクレイがやれやれというように溜息を吐く。

 コツ、コツ、とディルはキョウに近づく。


「キョウ」

「は、はい」

「……次はないぞ」


 台詞とは裏腹に、ディルは殊更優しく微笑む。笑顔が酷く怖い。キョウは無言でコクコクと頷く。けれどディルの腹の底に溜まった真っ黒な不機嫌は解消された訳では無いらしい。


「だがキョウ。喜べ。帰宅次第、兄としてお前を王立の第三量子課程の編入を打診してみるからな」

「ちょ! ちょっと待ってよ兄上! 第三量子課程って……あの……研究し過ぎで廃人製造機って言われる……」

「ああ。だがその困難を突破した学生は将来安泰だ。お前の好きな第二課程も学べるしな。──感謝しろ」


 天使の笑みを浮かべるディルに、クレイは「大人げない……」と溜息をつく。それをディルは鋭い視線で一瞥すると、エルピスの腕を引いて、いつもよりも上質な黒塗りの自動車に乗り込んだ。広い車内で、エルピスとディルは無言のままだった。

 ちらとエルピスはディルを見る。ディルの横顔は無表情にも見えたし、怒っているようにも見えた。どちらにせよ良い感情とはいえなかった。

 未成年であるキョウにあんなことをしたから怒ったのだろうか。


「あ、あの……ディル?」

 

 酷薄とした眼差しを向けられ、エルピスの心臓も氷りそうになる。室内は常温なのにこの空間だけ吹雪いているような感じがした。けれどエルピスはぐっと膝の上で拳を握って、重い口を開いた。※重々しいとは、威厳があるという意味です。


「怒っています……よね?」

「何故そう思う? 何故俺が不機嫌だと?」


 一番困るパターンだ。問いを問いで返すパターン。緊張する。エルピスは答えを間違えないよう慎重に答えた。


「ディルがこの上なく不機嫌に見えまして……その理由としましては、私がキョウ様が未成年に関わらず、必要以上に触れていたから……です」

 

 エルピスが答えると、長い溜息がディルから吐き出された。まずい。間違えたかとエルピスは焦る。このまだと仕事をこなせず死ぬことになる。ディルに迷惑をかけてしまう。心臓が早鐘を打つなか、ディルがようやく口を開いた。


「……どちらも中途半端に正解だ」

「機嫌は直りませんか……?」

「当然だ。悪いがお前と違ってそんな単純な脳を持っていない」


 会場についても結局ディルの不機嫌は分からないままだったが、仕事は仕事と割り切っているのだろう。ディルは会場に入るなり、小声でユリアス・ジョン・ロン侯爵がどこにいるか告げた。ブロンドにグリーンの双眸。甘い顔立ちをしていて女性を引きつける魅力があった。けれどディルほうがずっと美形だと、そう感じるのはディルの「パートナー」だからだろうか。


「エルピス」


 我に返って、はい、と答える。


「今日の俺はハインリッヒ・デ・ヴィヴィアン侯爵、お前ラズラ・フォン・レナーレ伯爵だ」

「今回は私にも姓があるんですね。何でですか?」

「お互い赤の他人として別個で動くからだ。危険を感じたら今回は多少エレメンツを使っていい」


 そう言うとディルは早速人々の輪に入っていった。入っていたというより歓迎されたというほが正しいだろう。なにせ侯爵なのだから。エルピスが与えられた称号は伯爵だが、それで十分だ。この身に纏うドレスや靴、仮面。それだけあれば戦える。実際、エルピスが会場に現れた瞬間、会場中の視線が集まっていた。今の自分はエルピスではない。「ラズラ・フォン・レナーレ」という美しい仮面をつけた女なのだ。

 エルピスは赤いドレスをひらひらと、美しい人魚のように揺らしながら早速、本命であるユリアス・ジョン・ロン侯爵の元へと向かった。ロン侯爵もエルピスがこちらに来ることを予期し、歓待する。エルピスは丁寧にお辞儀をする。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ラズラ・フォン・レナーレと申します。お会いできて光栄に思います」

「ああ、君があのレナーレ伯爵の令孫ですか。噂通り魅力的で美しい女性だ」

「ロン様こそ素敵なお方で、多くの女性の方が虜になるのも分かりますわ。そう──『虜』に」


 ぴくりとロン侯爵の眉が動く。エルピスは首を傾げ、白い首筋を露わにしながらロン侯爵の手につうと触れる。


「一部の女性達の間では、噂になっているのですよ? 勿論ひそひそ声で……蜂蜜より甘美な蜜があると」

「ほう……君もその蜜に吸い寄せられてきた……と言うことかな?」


 くすりとエルピスは赤い唇で笑う。


「私、こう見えて享楽主義なんですの。ねぇロン様……私も『虜』なってしまう蜜をくださらない? 私の友人が仰っていたの。天国を見られるって……ほんの少し分けてくださればいいの。お爺様は可愛い孫の為なら、幾らだって出して下さいますから。これからも……ね?」


 そう言うとロン侯爵はくつくつと笑った。けれど緑の双眸はまだ、許してくれないようだった。


「それは甘い提案だ……だがラズラ嬢。天国を見せてあげるにはまだ鍵が足りないようだ。勿論、貴女がその美しさを私に差し出してくれるなら、私がとびっきりの天国を見せてあげよう。悪い話しではないだろう? 優しく蜜の甘さを教えてあげますよ」

「あら、ロン様こそ甘い提案をなさるのね。けれど私、こういった経験は初めてで……それはこの唇からするのかしら? それとも優しく身体に埋めて?」


 そう沿えばロンはエルピスの手の甲に唇を落とし、甘く笑った。


「それはその時に教えて差し上げますよ……安心してください。私に身を任せれば」

「確かにロン様が導いて下さるなら安心致しますわ。……ああ、ごめんなさい。その前に少しだけ髪を整え直してきますわね」


 そうエルピスが告げると、ロンが耳元で低く囁く。


「……どうせこのあと乱れるのだから問題ないですよ」


 エルピスはそれに対し、蠱惑的に微笑んだ。


「──それでも女性はどんな時でも美しくありたいのです」


 至近距離で視線が合わさり、恋人のように甘く微笑み合う。

 エルピスは踵を返すと会場を後にして、パウダールームへと向かって頭を悩ませながら歩いていた。ロン侯爵が確実に、痲薬と痲薬バーと繋がっている証拠が欲しい。痲薬を経口摂取なのか注射なのかさえ分からなかった。ちょっとした言葉で揺さぶってみたのだが、こちらが罠にはめられたようだ。エルピスとて馬鹿ではない。ロン侯爵は、「エルピスとセックスする時に痲薬を使ってやる」、と言っているのだ。

 誘いを受けるふりをして、痲薬だけを押収する手立てもある。黒のエレメンツをうまく活用すれはそれは可能だ。ただどうやって使う? やはり意識を「無」くすのが一番か。ただそれだと麻薬所持だけで、大規模な痲薬バーとの関与が分からない。

 ディルに相談するか。

 それとも、ロン侯爵ともっと親密になるべきか──と考えている時だった。

 パウダールームの前で、くすくすと笑う女性の声と、それから──ディルの声が聞こえた。ただその声はいつもエルピスに向けられるようなものではない。まるで恋人に向けられるように甘く、優しい声だ。

 反射的に見てしまう。あちらも、こちらに気付いたように見て、ディルの瞳が見開かれる。ディルは女を逃がすまいと背後に手をつき、女の方は笑顔でディルの首に両腕を回して甘えているようだった。それこそキスもできそうな距離だった。女は幸い二人が知り合いだと気付いていないようで、ディルの手に縋って「見つかっちゃったわ」と愛らしく笑う。

 反射的にエルピスが言う。


「あら、邪魔をしちゃってごめんなさい。少し化粧直しがしたかっただけなの。お二人とも、今度は気付かれないよう愉しんでくださいね」

「親切なのねぇ、ありがとう。でもお化粧なんて全然崩れていないのに、どうしてここに来たのかしら?」


 エルピスはぴたりを足を止め、優美に振り返った。


「愛する人の前では一番美しくありたいでしょう? もっと深い関係になりたいのなら、尚更……それでは」


 早足で逃げるようにエルピスは歩き出す。ディルと女性が触れ合った姿。甘い言葉を交わす姿。何より──あんなに甘い声。聞いたことがなかった。何故か、ショックを受けている。だが、それも全部「任務」の為だ。エルピスは気を引き締める。矢張りロン侯爵と会おう。こちらには黒のエレメンツがある。

 会場に戻るときらびやかな輝きが再びエルピスを迎え入れた。エルピスはロン伯爵のもとへと再び戻ると、おまたせ致しました、と笑顔で言った。ロン伯爵は機嫌が良さそうにエルピスの手を引くと、プライベートルームへと案内する。

 真っ暗なそこはそれなりの広さを持っているように見えた。


「ああすまない。今、明かりをつけるよ」

「ええ。お願い────ッ!」


 突然、激しい痛みが首の後ろを流れる。そのショックでエルピスはその場に崩れ落ちる。思考も手足も判然としない。ぱっと明かりがついたかと思えば、ロン侯爵の歪な笑顔が見える。背後に立っていた男が退き、パタン、と扉を閉める。ガチャリ、という鍵の音が聞こえた。


「な、にを……」

「電気を使った新しい形の銃だ。禁止されているがね。だが安心するといい。死んだりはしない」


 そう言うと力の入らないエルピスの身体を地面に転がす。ロン侯爵の手には注射器があった。その液体の量を指で弾きながら、ロン侯爵は問う。


「さて君は誰かの差し金かい?」

「ちが、う」


 否定するもロン侯爵は信じた様子はなかった。


「色仕掛けでやってくる国の諜報員はいたけれどね。だから念の為、毎回こんなふうにチェックしているんだ。その諜報員たちも今や麻薬漬けで娼婦のように稼いでもらっているけれど。……さて、君は誰の指示だい?」

「それ、は……いえな、い」


 言った瞬間、頬を殴られる。鈍痛にエルピスは顔を歪ませる。


「もう一度聞く。誰の指示で、何を探っている?」

「誰が、いう、もの──ッ!」


 喉元を床に押しつけられる。苦しい。けれど言うまいとエルピスは唇を強く噛む。

 そんな反抗的なエルピスの姿が、逆にロン侯爵の嗜虐銀を煽ったのだろう。

 ロン侯爵はエルピスの細腕へと足を踏み降ろした。


「──────ッ!」


 骨が折れる音に、絶叫しそうになるが、エルピスはその激痛すらも耐えた。

 大丈夫だ。この痛みなど99回の痛みよりもずっと容易い。

 エルピスはせめて痲薬を破壊しようと、力の入らない足を振り上げる。その爪先は力なくロン侯爵の手の甲に掠め、すぐに落ちた。ロン侯爵が舌打ちすると、一旦注射器を置いて、銅像を手に取った。それを振り上げ、エルピスの太股へと振り落とす。重たい衝撃と痛みに悲鳴を上げそうになる。


「ッ、ぁ、……ッ!」

「これでもう動かないだろう。喚きもしない、気が強い女だ」


 ふんと興醒めしたようにロン侯爵は言う。


「だが痛みには強くとも、快楽には耐えられんだろう。今に発情した雌犬のように腰を振るさ」


 琥珀色の液体が垂れる注射器が、目の前にかざされる

 エルピスは目を見開き、動こうとするが、弛緩した身体では身動きひとつ取れなかった。頭も判然とせず、エレメンツさえ編めない

 注射針が、エルピスの白い腕にすっと入っていく。体内に注入され、針が引き抜かれた瞬間、ドクン、と。心臓が大きく跳ね上がった。銃で曖昧だった思考が、甘く溶けていく。熱い。疼く。もどかしい。渇く。欲しい。誰か。抱きしめて。寂しい。熱くして欲しい。もっと欲しい。

 意味の無い言葉の羅列。理性をどろどろにするように、エルピスの意思は曖昧になる。

 

 その感覚に、エルピスの99回の思考が過る。

 自由を奪われた身体、意思なき意思、剥奪された──心。


 気付けば、はくはくと、喘ぐように唇が動いていた。

 ロン侯爵がシャツを脱ぎながら「何だ?」と訝しげに言う。

 エルピスは絞り出すように言った。



「──【無】く、せ。この男の、自由、を……!」


 

 瞬間、ロン侯爵の身体は床に転がり、全く身動きが取れなくなる。何が起こったのか分からないのだろう。ロン侯爵は必死に立ち上がったり手を動かそうとするが無駄だった。エルピスは熱い息を漏らしながら思い出す。自分が「実験」されていた記憶を。頭が混乱している。熱い。ここは何処だ。今は何回目だ。

 誰か。

 誰か。

 誰か、来て。

 誰か、来て、助けて。

 どうか。

 どうか──お願いだから。



 助けて。



「──エルピスッ!」


 扉を吹き飛ばして轟風と共にディルが入ってくる。一目見て、何が起こったのか分かったのだろう。控えていた警備兵は扉の前にいた男達とロン侯爵を取り押さえる。ディルはエルピスを抱き起こして、注射と、注射痕を見付け舌打ちする。あの愛人から情報は十分に引き出せた。だが、その所為で手遅れになった。

 国の諜報としての正義の天秤は、優先事項として合っているのだろ。だが、怒りが止まらない。犯人たちだけではない。自分に対してでもだ。

 エルピスの頬は殴られたのか、腫れて青くなっていた。腕は変形し内出血が起きて、骨が折れているのが分かる。太股は酷い打撲による鬱血も。そして身体の中にはドラッグがあり──侯爵は犯そうとしていた。

 それでもエルピスはあの状況でエレメンツを暴走させることなく、必死にコントロールして使った。

 ドラッグの影響で息を乱すエルピスの身体を抱く。


「エルピス……安心しろ。家に戻るからな」


 痛々しい頬を撫でながら、ディルは優しくそう語りかけた。





***





 しんと静まり返った港。水深が深いそこは埠頭の光を僅かに映すだけで深い闇が続いている。

 車の後部座席に乗せられていたロン侯爵は、エレメンツの効果は失っているものの、手足を頑丈な縄で繋がれ拘束されていた。

 真っ直ぐに立たされたロン侯爵は凄まじいディルの蹴りを腹に浴びて水の中に落ちた。生命線の首の縄で繋がれ、まだ溺れていないロン侯爵は、どうにか浮き上がろうと必死に身体をくねらせていた。その様子を見て、ディルは満面の笑みを浮かべる。


「ロン侯爵、気分はどうだ? 冷たくて気持ちいいだろう?」

「そ、そんな、た、助けてください!」

「……気持ちがいいだろう?」


 すっと目が細められる。その刃の瞳に侯爵はこくこくと頷く。良い子だ、とディルは微笑む。


「さて侯爵……単刀直入に聞く。俺は無駄が嫌いだからな。カヘンのバーはどこにある?」

「そ、それは」

「死にたいらしい。さっさと沈めろ」


 そう言って生命線のロープを切ろうとする男に向かって、待ってください! と侯爵は叫ぶ。


「ウェーガーズ通りの地下カジノです。そのバッグヤードにあります……!」

「良い子だ。俺は良い子が好きだ。お前の他にドラッグバーに関わっているのは?」

「え……でも、そんな、ことは……」


 ロン侯爵は躊躇う。ディルは煙草を取り出して、火をつけた。


「そういえばロン侯爵。知っているか?」

「え?」


 ふう、とディルは煙草の煙を吐き出す。


「この海岸付近はウィッチップス・シャークというサメが棲んでいてな。そいつらは少しずつ少しずつ人間の肉を食べるんだ。まずは手足、そして睾丸、臓器、目玉、最後に脳……水深が深くなるにつれ残酷になっていくらしい。怖い話だ。ああ、今侯爵の真下に生息するな」


 ぞっとしたのだろう。ロン侯爵は慌てて声を上げた。


「ジェームズ伯爵と、リンティント侯爵です! 三人で考えたバーです!」

「そうか。ちゃんと話してくれて良かった」


 ディルはそう言うと警備隊にすぐに二人の身元をおさえるよう告げる。一人残ったディルは大ばさみを手に、ロン侯爵を見下ろしていた。その目に感情は無い。何を考えているか分からない。


「さてと……ここからは質問タイムだ。全問正解したら助けてやらんこともない」

「へ?」


 ふわりとディルは優しく微笑む。


「お前は俺のパートナーに何をした? 何をしようとした?」


 優しいのに目は冷たい。その目の奥にある氷った闇が怖い。侯爵は震えながら答える。


「……痲薬を注入しました」

「それで?」


 促す声はまるで一つ一つ、冷たい冥界に下としていくようだ。

 ロン侯爵は水の寒さでは無い、もっと恐ろしい何かに震えていた。


「……殴りました」

「そうか。他にもあるだろう?」


 本当はディルは知っている。けれどこうして罪状を言わせている。

 何故ならここに「審判」はあるのだから。

 この罪状の読み上げは──ディルの、慈悲だ。


 ディルは微笑みながら、侯爵の言葉を待つ。


「腕の、骨を、折りました」

「他には?」

「脚も、殴打しました」

「良いペースだ。他には?」

「……そ、その……犯そうと、しました……」

「成る程」


 ディルは煙草をもみ消して言う。


「──それで? 他には?」

「え?」


 思わず声を上げる侯爵に殊更優しくディルはもう一度問いを繰り返す。


「他にもあるだろう? ほら、考えろ」

「ええっと……それは、えっと……」


 答えが出てこないといったロン侯爵に、ディルは鋭い目で見下ろした。


「──君にはがっかりだ。禁止されている電気銃を撃っただろう? 私のパートナーに。銃痕で分かった。あれが禁止されているのは、死に至る可能性があるからだ」


 その声は鋭利だった。ディルは大ばさみを手に縄へと歩く。


「残念。不正解だ」


 ディルは明るい声で言うと、縄へ鋏の刃をかまえる。


「ちょっと、おまちください……! そっ、そもそもこんなの間違っているッ、こんなの、法律違反──」

「私刑法というものを知っているか?」


 突然の言葉にロン侯爵は戸惑う。ディルは大ばさみに力を入れていく。みちみちと、じっくりと切っていく。


「この国で唯一、法律を通さず制裁を行う法律だ」

「だっ、だがその権限は、王室しか」

「ある。──俺にはな」


 バチン、と縄が切られる。

 必死に抵抗しようとするロン侯爵は、見上げたその時、金の双眸を見た。


 まさか、と思う。

 金の瞳。神子の瞳。その瞳を持つ美しい青年は──……


 ディルは冷たく見据えたまま、海に呑まれていく男へと言った。


「俺はこの国の第一皇子ディルケンス・ノヴァ。その目に焼き付けて──死ね」







ここまでお読み下さってありがとうございました。

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