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秘密は静かに明らかに


 深夜1時。

 カジノを出た侯爵は懐中時計を手に、矢張り駄目だったかと思う。

 死体で見つかるエルピスを想像して胸が痛む。本来ならば、侯爵が行くべきだったのだ。パートナーのテストだってここまでのものを要求しないつもりだった。だが、侯爵は試してしまった。エルピスほど良い目をした人物には出会えてなかったからこそ期待してしまった。だから、その目に託してしまった。

 それなのに、と溜息と共に煙草の煙を侯爵は吐き出す。

 99回死んだという女は、今度はどんな死に方をしたのだろう。

 ……らしくもない。伯爵は鬱屈とした気分になる。


 そんな時だった。

 カツン、カツン、とヒールが地面を叩く音が聞こえた。

 侯爵は顔を上げて見る。

 赤いドレス、ブラウンの髪、翠の双眸。


「侯爵様」


 エルピスだった。エルピスは侯爵の前に立つと、黒い裏帳簿を差し出した。


「遅くなって申し訳ありません。例の裏帳簿です。フェイクはおそらくありましたが、間違いなくこれが正しいものです。侯爵様。どうせ私のことだから死体になって発見されると思っていたでしょう?」

「……正解だ。骸で発見されるかと思ったが、どうやってこれを手に入れた?」

「秘密です」


 笑顔でエルピスは言う。けれど特殊な技術か、若しくは──特別エレメンツを持っていないとセキュリティを突破することは難しい筈だ。侯爵はじろりとエルピスを見る。エルピスの衣服には乱れもなければ汚れもない。入っていったそのままの姿だ。


「……まぁいい。エルピス。良くやった」

「ありがとうございます。これで立派なパートナーですね」

「俺が上だがな。それを忘れるな。それよりお前、泊まる場所はないのだろう?」


 エルピスは困ったように頷く。そんなエルピスに侯爵は言う。


「これからはフェルリディナ・ド・シグナル公爵邸へ行く。そこで泊めて貰え」

「えっ……ちょっと待って下さい! 公爵様というと、侯爵様より上の爵位で」

「そうだ。一番上だ。だが気にするな」


 そう言うと運転手に命じて公衆電話で電話をかけ始めた。数回のやり取りのあと、戻ってきた老齢の運転手が「構わないそうです」と答えた。エルピスは震えた。まさか公爵邸に泊まることになるなんて。


「何だお前。慌てているのか」

「それはそうですよ。こんな私が公爵様の家など……」

「人の足を踏んだり他人の金を賭けてバカラで遊んだのとは思えん淑やかさだな」


 皮肉たっぷりに言うと侯爵はエルピスを乗せ、車で走り出した。街の中は、ぽつぽつと光が灯ってる。その明るさもエスピルには知らないものだ。知らないものだらけだなとエスピルは思う。

 公爵家に到着すると、その邸宅の規模にエルピスは圧倒された。立派な門戸と重厚なレンガ壁の佇まいは果たして立ち入っても悩むほどだ。車で通ろうとするすると、察したように門戸が開く。車を停めて降りると、警護の二人が頭を下げる。

 侯爵は堂々と石畳を歩き邸宅の扉をノックする。現れたのは「こんな遅くに……」とガウンを着た青年だ。年齢は二十代後半だろうか。眼鏡をかけて生真面目な印象を与えた。こんな深夜だからだろう。明らかに不機嫌そうだった。


「全く君は……まぁいい、中に入ってください」

「入るぞ、エルピス」

「お、お邪魔します……」


 緊張してギチギチした身体で中に入り、応接間に案内される。応接間はこざっぱりとしていて清潔感があった。見たこともない調度品の数々をきょろきょろ見ながらエルピスが座ると、そのソファの座り心地に驚かされる。


「落ち着けエルピス。馬鹿が更に馬鹿に見える」

「すみません。ただ、その……豪華で……」


 エルピスが謝罪するとシグナル公爵はエルピスを見た。敵意はない。どちらかと憐憫を含んだ瞳だった。


「……君、名前は?」

「エルピスです」


 そう告げると侯爵は煙草を吸ってニヤリと笑った。


「漸く見付けた俺の仕事の『パートナー』だ。見てくれは平凡だが、面白い」

「見付けたって……君の悪ふざけに善良な市民を振り回すなよ。……ああそれよりディ──」

「フェル。今はまだ黙っていろ」


 遮るように侯爵は言うと、フェルと愛称で呼ばれたシグナル公爵は深々と溜息をついた。


「……またですか侯爵。付き合わされる私の身にもなって下さい」

「俺がそういう趣味だとは分かっているだろう? それよりも例のものだ」


 そう言って侯爵は公爵へと例の、エルピスが奪ってきた裏帳簿を渡す。その中身を確認をした、公爵はふうと溜息を吐く。


「予想通りあのカジノは違法カジノでしたね。明日、検閲部と摘発部隊を送り込みます」

「ああ、そうしろ」


 公爵より下の爵位なのに侯爵は堂々としていて、まるで立場が正反対のように見えた。何か隠し事をしているのか。気になりはしたがエルピスがそれを尋ねることはしなかった。人には知られたくないことがある。エルピスがそうであるように。

 

「エルピスさん。今日一日このとんでもない侯爵につれ回されて疲れたでしょう? 右手に進んだ先の角を曲がってすぐの部屋が客室になっています。どうぞ今夜はそちらでお休みになって下さい」


 シグナル公爵は優しい声音で言う、エルピスは「ありがとうございます」と言って席を辞した。




***




 エルピスが去った室内でルディナ侯爵とフェルリディナ・ド・シグナル公爵は向かい合っていた。侯爵が再び煙草を吸おうとしたところで「あまり室内で吸わないで下さい」とやや神経質気味に言う。小さく舌打ちして煙草を仕舞う。


「フェル。さっきは言わなかったが、その裏帳簿を見付けたのは俺ではない。エルピスだ」

「……何ですって?」


 フェルの声が尖る。だがいつもの冗談や嘘ではないようだった。見落としか。フェルはもう一度、裏帳簿を見直す。だが何度見てもこれが正しい裏帳簿だった。金融の知識がないと区別できないものだ。フェルと呼ばれた公爵はルディナ侯爵を見た。


「侯爵……いえ……『ディル』。これは異様なことですよ。特別なエレメンツを持っているとしか考えられない」

「そうだな……だが、あいつが奴隷商人に売られそうになっていた事は事実だ。そして確かにお前の言うように、あいつが強靭なエレメンツを持っているのも確かだが──齟齬が出る」


 エレメンツは一部の人間を除き、神エルから贈られる能力だ。

 エレメンツは一人一つと決まっている。だがその大多数が弱く、戦うには足りない。エレメンツには四つある。火、水、風、土。そして何十年か、何百年かに一人だけ、神エルの寵児といわれる「神子みこ」が産まれる。

 その神子は四大元素を操り、更に五つ目のエレメンツを持つという。

『ディル』は言う。


「……エルピスは神子なのかもしれないな」

「ですが神子はその時代に一人と……」

「イレギュラーもあるだろう。だが……不思議なのはエルピスが神子だったとして、矢張りどうして奴隷商人を攻撃しなかったのかが気になる。神子の扱うエレメンツは自由自在だ。コントロールなんて容易い」


 そこで『ディル』は沈黙のあと、口を開く。


「……明日、あいつのエレメンツを調べてみるか」

「それが良いでしょう。しかし、『ディル』? まだこんな子供じみた遊びを続ける気ですか?」

 

 呆れたように言う公爵に『ディル』は言う。


「まさか。もう飽きた。長引いても面白くない。それにエルピスには、この目を見られてしまったからな」


 瞬きした瞬間『ディル』の黄金色になる。だが次に瞬きすると、それは深いブラウンへ変わる。

 公爵は長い溜息を吐き出した。


「それは良かった。毎回毎回、『違う人物』で現れるのは迷惑ですから」

「俺は俺が愉快であれば良い。お前の事な知らん」

「最低な性格ですね。付き合ってしまう私もお人好しの馬鹿者ですが」


 深く溜息を吐くシグナル公爵に『ディル』は笑った。




***




 翌日、カジュアルなドレスと化粧を薄く施させたエルピスを連れて、侯爵は車に乗り込んだ。

 こうして薄化粧で見るとエルピスは素朴で、悪く言えば面白みのない顔をしていた。美人でもなければ不細工でもない。どこにでもいる町娘、といった感じだ。


「侯爵様。今日は何をするんですか?」


 昨夜与えた仕事で、また新たに仕事を与えられるのだと思っているようだった。『侯爵』は淡々と答えた。


「黙れ」

「理不尽ですね」

「静かにしていろ」


 それだけでエルピスは押し黙る。その代わりに窓の外の風景を眺めているようだった、こういう時は割と従順なのに、カジノで見た時は大胆で、挑戦的だ。全くつかみ所の無い女だ。

 これから行くのは大聖堂だ。水鏡に手を浸すだけで、その者のエレメンツが分かる水鏡の間だ。神子であるならば、四つの光ともう一つの色が現れる。

 長い間ストリートチルドレンだったというエルピスは恐らく、大聖堂にそんなものが設けられているとは知らない。だからこそ何も言わずに連れてきたのだ。車が大聖堂前で停まる。手を取ろうとすると、エルピスは躊躇っていた。けれどそっと、手を取ると、エルピスと共に歩き出した。そのエルピスの手は凍ったように冷たかった。

 真っ白な大聖堂の廊下は長く、エルピスはその間何も言わなかった。ただ歩くにつれ、その顔色が悪くなっていく。


「……どうした?」


 思わず声をかけてしまう。エルピスは静かに首を振った。

 やがて光が差し込む水鏡の間へと辿り着く。他の人々の儀を見て理解したのだろう。エルピスは蒼白として、身体が震えていた。明らかに恐怖していた。尋常じゃない怯え方だ。だが、確かめなければならないことだ。エルピスへと言う。


「お前のエレメンツを聞いていなかった。見せろ。ここならどのエレメンツかも、その力の大きさかも分かる」


 水を手の中に浸すだけ。それなのにエルピスは足を退かせてく。何故だ。


「力の、大きさ……」

「エルピス。早くしろ」


 いつもだったらこんな言葉で、渋々ながらもエルピスは従う。それなのに今は悪魔でもみたかのように恐怖していた。エルピス、と声をかけるとつまずいたエルピスがそのまま倒れこんでしまう。


「いやだ。いやです。ごめんなさい。これだけは、いやなんです……」


 初めて出たエルピスの否定。その目には薄らと涙が浮かんでいる。どうしてこんなに恐れるのか。聖堂にいた他の人々の視線が集中する。エルピスはがくがくと震え、逃げ場のない子どものように涙をぼろぼろと流し始めた。

 侯爵は仕方なく「シグナル公爵」の名を借りて神官達に伝わるように叫ぶ。


「シグナル公爵の名において告ぐ! ここにいる人間全てを追い出せ! お前達もだ!」


 その剣幕と鋭いその声に怯えた神官たちは、慌ててその場にいた民と共に水鏡の間へと出ていく。誰もいなくなった水鏡の間はしんとしていた。だがエルピスの怯えが消えた訳ではなかった。苛立つ。

 侯爵は人を追い出した水鏡の間で、エルピスの腕を掴んで無理矢理引きずる。エルピスは暴れる。


「──いやだ、やだ、やめてください、おねがいします、いやだ、いやだ!」


 強い拒絶に胸に痛みを覚えるが、エルピスの手を無理矢理──水に浸した。


 瞬間、ぶわり、と。

 澄んでいた水は呪いのように漆黒に濁っていく。


 水面が激しく震え始める。神殿そのものが揺れる。水が沸騰するように大きく波打っていく。

 漆黒の水が、あちこちに球体を作って浮遊していく。黒い球体は稲妻を纏いながら、やがて巨大な漆黒の球体を生成する。

 駄目だ、嫌だ、とエルピスが言う。


 けれどその球体は慈悲無く激しく弾け飛び──黒い色彩と稲妻を残して 真っ白だったら神殿を染めた。

 その黒は真っ白な壁を熱をもって溶かしていき、どろりと黒い泥を垂れ流していく。


 

 これは、と侯爵は言葉を失う。

 しゃがみこんだエルピスは震える声で、独り嘆きのような言葉を続ける。


「やっぱり、駄目だったんだ。やっぱり私の力は、99回目と変わらない……私はまた【魔女】になってしまうんだ……! 運命は同じで、あんな惨い力も失われていなかったんだ。どうしよう。どうしよう、また同じことを繰り返してしまうかもしれない。101回目もまた……地獄に引き戻され、私は、滅ぼして、やっぱり、いやだいやだ……ッ」

「エルピス!」


 エルピスの肩を掴んで揺さぶれば、エルピスは我に返ったように目を見開き、聖堂内を黒く汚す水を見た。

 青ざめた顔でエルピスは、ぜえぜえ、と苦しげに息をしていた。

 それでもどうにか息を整えると、エルピスは力なく笑う。


「……お見苦しい所を見せてすみません……見ての通りです。私のエレメンツは黒。……『無』の力です」

「……黒だと? 聞いたこともないが……お前は神子なのか? 四大元素はどうした?」


 エルピスは首を振る。


「私は神子ではありません。ただ、黒のエレメンツを持つ──異端者です」

「そうか……」


 だからこんなにもエルピスは恐れていたのか。黒という異質さ、その莫大な力も。それを人々に見られたくなかった。危害を加えたくなかった。エルピスは「普通の人間」でありたかったのだ。侯爵は奥歯を噛み締めて立ち上がると、黒く濁った水へと浸した。

 途端に、眩い四大元素の光が真っ黒だった透明な水へと戻していく。やがてその中央に生まれた輝く真っ白な光が、輝きと共に神殿内全てを包みこんで、かつて「有」ったかのように美しく戻した。

 エルピスはそれを神様の業のように見ていた。侯爵は笑う。


「エルピス。お前が特別だというなら、俺も特別だ。俺は四大元素と白の──「有」の力を持つ神子だ。数十年か、数百年か、いずれにせよ突発的にしか現れない、世界でたった一人の、神エルに愛されし存在だ」

「神子、様……?」

「ああ、そうだ。お前が唯一であるように俺もまた唯一無二なんだ」


 それと、と。侯爵は言う。


「人払いしてあるから丁度良い。お前が今まで呼んでいたノブレス・デ・ルディナ侯爵は嘘だ。架空の人物に過ぎない」

「えっ」


 エルピスの反応に笑ってしまう。

 かつて『侯爵』の仮面を被っていた男は、仮面を取る。 


 滑らかなダークブラウンの髪、月のような双眸、美しい顔。

 その青年は微笑と共に告げた。



「俺はこの国の第一皇子、ディルケンス・ノヴァだ」



 静謐が華やかに、打ち破られる。

 エルピスが見た瞳は、出会った時と同じ満月色だった。

 金の瞳──神子の象徴で。





ここまでお読み下さってありがとうございました。

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Twitter→@matsuri_jiji

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