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再臨

 朝からその日、ディルはそわそわしていた。

 らしくもなく珈琲をテーブルにぶちまけ、朝の執務中には誤った書類を量産し、昼になっても様子がおかしかった。

 幸いというべきか、一番見られたくない相手にはドレス選びに外出してもらっていたことか。

 見かねたクレイがディルへと言う。


「兄上……そんな世界を壊すような凶悪な顔をして、頓珍漢なことをするのはやめてください。ティーンでもないのに、たかが息抜き……という名目のデートでここまで緊張するなんて、とても命の駆け引きをする諜報役を担う方には見えないのですが……」

「……これが落ち着いていられるか」


 地を這うようなどす黒い声でディルはクレイへと言う。その金の目はぎらついていて獣のようだ。とてもデート前の人間の顔とは思えない、凶悪さだ。ディルがエルピスを息抜きという名のデートに誘ったのは五日前のこと。その五日間、ずっとディルは落ち着かないでいた。そこで来る当日。この有様だ。

 これがあの悪名高きディルケンス・ノヴァなのか。クレイは溜息を吐き出した。


「ほら、あと約束の時間までもう少しじゃないですか。夕方からでしょう? どこに行くんでしたっけ?」

「……ヴィーグラン通りにある、スウィンアンドローゼスだ」

「ああ、オペラバーですね。良いじゃないですか。ハウスだと入りにくいけどバーなら入りやすいし、歌の好きなエルピスさんにはぴったりの場所じゃないですか。……まさか兄上、貸し切ったりはしてないでしょうね?」

「しない。流石の俺でもオペラバーの楽しみ方くらいは分かる」

「それは安心しました」


 クレイはそう言うと、少々意地の悪い笑みを浮かべてディルへと問いを投げかける。


「しかし一体どういった風の吹き回しですか? エルピスさんと距離を置くと思ったのに、今度は近づいて。どんな心境の変化が?」


 それはノヴァーリス公爵がと心の中で思ったがディルは黙り込む。黙り込んだら口を開かせるのに苦労すると知っているクレイは溜息を吐き出して、それなら質問を変えましょう、と言った。


「いつ告白するんですか? エルピスさんが兄上を好きだと分かっている以上、どのタイミングで告白しても良いと思うのですが」

「…………分からん」

「は?」


 思わず気の抜けた声をクレイは上げる。ディルは何故か殺意交じりに言う。


「そんなもの分かるか……! ただ言えば良い話しじゃないだろう? 俺は……そういうのは……」


 分からない、と。見たことのない弱気なディルの姿に、クレイは苦笑いをする。


「ま、まぁそうですね……兄上、もしかして雑誌とかで研究」

「してない。ただこの俺が…………無様な告げ方をするのが嫌なだけだ」

「それならいいですが……あ、時間ですよ。早く行かないと。しかし何故城から一緒に出なかったのですか?」

「……デートと言えば待ち合わせするのが普通だとノヴァーリス公爵が」


 それ公爵に絶対からかわれていますよ、とクレイは思ったが言わずにいた。


「まぁ何はともあれいってらっしゃい」

「ああ」


 そう言うとディルはその場を立ち去った、残されたクレイは、


「本当に大丈夫なのか……?」


 と盛大に溜息を吐き出した。





***




 ヴィーグラン通りは小洒落た店が建ち並ぶ、少し狭い街道だ。ディルは約束した18時より少し前に、オペラバー「スウィンアンドローゼス」に立っていた。その間に数人の女性に声をかけられたが無視した。18時になってあたりを見ると、恋い焦がれた姿が見えた。清廉とした柔らかい白に、翠の緩いフリルがあしらわれたカクテルドレスを着たエルピスは──綺麗だった。化粧もエルピスらしい薄く、透明感があるもので、エルピスの魅力を最大限に引き出している。膝頭が出た足はすらりと白魚のように美しい。

 そんなエルピスに無表情で見惚れていると、ディルを見付けたエルピスが駆け寄ってくる。


「すみません、遅くなってしましました」

「いや…………」


 ディルは改めエルピスを見て、思ったことをそのまま言った。


「綺麗だな」

「えっあっ、そ、そうですか?」

「俺が嘘を言うとでも?」

「いえ……でも恥ずかしくて。ありがとうございます」


 微かに頬を染めるエルピスを見て、思わず顔が綻ぶ。

 

「なんだか機嫌良さそうですね。良かったです」

「……まぁ機嫌は悪くないな。入るか」


 そう言ってディルは扉を開くと、開店直後であるのにも関わらず客はそれなりにいた。このオペラバー「スウィンアンドローゼス」は人気店で、早い内に入店しておかないと客でいっぱいになって「Full」の看板がすぐに出てしまう。折角来たのに入店できないなど恥だ。

 ディルはカウンターで早速酒をオーダーする。年代物のウイスキーをロックで頼んで、エルピスに尋ねる。


「何がいい?」

「えーっと……」


 こういう場所が初めてなのだろう。緊張するエルピスに代わってディルはオーダーする。

 細いグラスに入ったピンク色のシャンパーニュは微発砲で、アロマや蜂蜜を感じさせる甘口のものだ。

 恐る恐るシャンパーニュを口にしたエルピスの表情が、ぱっと明るくなる。


「ディル。これすごく美味しいです。良い香りがして……ほんのり甘くて。これ、何てお酒なんですか?」

「スパークリングワインよりも上質なデュ・リュターヌ・シャンパーニュだな。デュは極甘という意味だ」

「上質……ってことは、お高いんじゃ……」


 ちらりと怯えるように見るエルピスの頭を撫でる。


「安心しろ。俺の頼んだ酒の五分の一の値段だ」

「……ディルといると金銭感覚がおかしくなります──って、あ」


 何かに気付いたようにエルピスが声を上げる。


「ディル、良いんですか? 今日、瞳の色を茶色にしか変えてないじゃないですか。白のエレメンツの気配が全然ないんですが……」

「別に良い。俺の素顔を知る者など、お前とクレイたち位しかいないからな。それに……」

「それに?」

「今夜は息抜きだが【デート】だろう? そんな日に偽りの姿でいたくない」


 ディルは酒を口にする。実際、「第一皇子のディルケンス・ノヴァ」の容姿を知る者は殆どいない。ディル自身も普段白のエレメンツばかりを使って任務をしているためか、最早これがデフォルトになりつつある。だからこうして白のエレメンツを解いて外出するのは随分久しぶりのことのように思えた。

 それを理解しているのか。エルピスは嬉しそうに言う。


「それじゃあ今日は普段のディルと一緒にいることになりますね。嬉しいです」

「……そうか。俺も気軽でいい」

「良かった。今日は盛大に息抜きしましょう。ディル、私違うお酒も飲んでみたいです」

 

 あっと言う間にシャンパーニュを飲み干したエルピスにディルは言う。


「お前、案外酒に強いんだな」

「ディルほどじゃありませんよ、きっと」


 ふと笑ってディルは酒を注文する。今度はオリジナルカクテルだ。受け取ったエルピスは不思議そうな顔をする。


「すごい……海色の層と翠色の層、それからミントがのっていて……なんかオシャレですね」

「おそらくブルーオーシャンのジャムとグリーンキュラソーを使っているんだろな。キュラソーはオレンジを原材料にしているから、すっきりした味わいが特徴的だ。甘いオーシャンジャムと合わさると、甘酸っぱい味になる」

「…………ディル、なんでそんなに詳しいんですか?」


 眉根を寄せるエルピスにディルは煙草をふかしながら答える。


「以前、偽札の関係者を取り押さえる為にバーテン役をしていたからな。それなりの知識が必要だった」

「へー……すごいですね。私には絶対できません」

「そういうお前は仕事となると、人が違ったように変わるがな」

「地味顔から美人とまで言われますからね。もっと美人に産まれたかったです」


 エルピスは苦笑する。そんなエルピスにディルはむっとする。


「駄目だ。お前はそれでいい」

「それでいいって……ディルは変わっていますね。でも気遣い、嬉しいです。ありがとうございます」

「気遣いなどでは──」


 言いかけた瞬間、小型通信機に連絡が入る。ディルは舌打ちして「少し待っていろ」と言うと、店の奥まった場所で応答した。何でもこの前捕まえた連続殺人鬼の処遇に関するものだった。ディルは「斬首しろ」とだけ言うと通信を切った。こんな些末なことでエルピスとの大事な時間が削られるなど、不愉快この上なかった。エルピスは壁際に立って、今度は違うシャンパーニュを呑んでいた。ディルが声をかけようとすると、2人組の若い男がカウンターからエルピスを見て話していた。


「なぁ、あの子かわいくね? 清楚っていうか、最近いないタイプでさ」

「分かる! ああいう、さりげなく綺麗な子。癒やされるわ」

「お前、声かけてこいよ」

「何だか敷居が高いっつーか、触れたら汚れちまう気すんだよな。白百合みたいで」

「あー、それは分かるわ」


 その会話を聞いてディルは心の中で思う。この男2人、良い目をしているじゃないか、と。だが残念なことにエルピスはディルのものだ。エルピスはディルに気付くと、「おかえりなさい」と花が綻ぶように笑う。


「どういった内容だったんですか?」

「連続殺人鬼の話だ。レイプ犯でもある。首を刎ねておけと言っておいた」

「……相変わらず容赦がないですね」


 呆れたようにエルピスは笑う。その時、支配人が焦ったように舞台に上がった。ピアノやチェロといった楽器を担当する面々も驚いている。


「申し訳ありません。歌い手が熱で倒れ、今夜の公演は中止させて頂くことになりました」


 その言葉にブーイングが起こる。支配人は汗を拭いながら謝罪する。


「楽しみにして下さったお客様には申し訳ないのですが──」

「待て」


 ディルが支配人の声を止める。その言葉に視線が集中する。隣にいるエルピスが何気なく逃げようとしていたが、ディルはしっかりその手を掴んだ。


「歌い手がいれば問題ないのだろう?」

「え、あ、はい……ですが、そのような方は」

「ここにいる」


 会場がどよめく。ディルは最高に悪い顔をして、「なぁエルピス」とエルピスを見た。エルピスは泣きそうな、それでいて怒り出しそうな顔をしていた。けれどそんな顔も愛おしい。ディルはエルピスに耳打ちする。


「ほら、いつものように【演じて】みろ。今夜のお前は──最高の【歌姫】だ」


 ディルはエルピスの背をそっと押す。舞台の前まできたエルピスは仕方ないと溜息をついたあと、翠の目で支配人を真っ直ぐに見詰めた。


「歌わせてください。大丈夫。──この会場中の人を満足させますから」


 エルピスは白百合とは全く違った、薔薇のような微笑みを浮かべる。その挑発の言葉に会場は盛り上がる。

 その瞳の強さと、急に生まれ出た艶やかさに気圧された支配人は「それでは」と会場をエルピスに委ねた。

 エルピスの目がディルを見る。

 その目は、もう「ただの娘」ではない。誰よりも艶やかな【歌姫】だ。

 楽器隊が戸惑うように小声で話す。振り返ったエルピスは、幾つもの舞台を経験してきたかのように微笑む。


「安心して下さい。私の歌を聴いていれば、自然と指は動きますから」


 そう言うとピアノ担当には簡単な出だしの伴奏だけ伝え、エルピスはマイクの前に立つ。

 す、と息を吸い込む。その双眸が、深く輝く。ピアノの音が、鳴る。

 エルピスの唇から、言葉のない、美しく伸びやかな音が奏でられる。

 誰かが息を呑む。エルピスはただの音を、まるで言語があるかのように、紡いでいく。

 弦楽器隊が自然と音色を付け始める。まるで、エルピスの歌の魔法にかけられたように、落ち着いた旋律でエルピスの歌声に寄り添う。エルピスの歌う歌は、まさに「歌」だった。音以外、必要としない歌。会場中の人々は静まり返り、エルピスの歌に心を捉えられていた。

 高音部も低音部も、不思議なくらい自然と、滑らかで尖るところがない。

 まるで時が止められた世界で、美しいエルピスの歌声だけが秒針のように動いている。不思議な空間に、閉じ込められている。いや、呼び込まれているといったほうが正しいだろう。エルピスの歌は、やがて高く高くのぼり──静かに降り立った。


 しん、と静まり返った後──会場は拍手の嵐に襲われた。


 人々はすっかりエルピスの歌声に酔いしれ、アンコールを叫び、熱狂していた。

 楽器隊も立ち上がり、賞賛の拍手を送る。

 支配人は信じられないといったように、ぽかんとしていた。それから我に返ったようにエルピスへと駆け寄った。


「き、きみッ! 是非このバーの専属歌手になってくれないか!? 言葉にできないほど、凄まじい才能だ……ッ!」


 すっかり「普通の娘」に戻ったエルピスは支配人の熱い誘いに苦笑する。


「申し訳ありません。他に大事な仕事があるので……」

「それと大事なパートナーがな」


 ディルはエルピスと目を合わせ、笑った。


「ディル、酷いですよ。急にあんな無茶を言い出すなんて」

「無茶じゃないだろう? お前が今までやってきたことだ。それがお前のある種の天職だし──お前の歌がいかに素晴らしいか見せつけてやりたかっただけだ」


 ディルがそう言うと、エルピスは苦笑する。


「有り難いような、有り難くないような……でも良かったです。歌詞のない歌で誤魔化すことができて。ピアノの伴奏から静かに入ってもらった甲斐がありました。最初が落ち着いた曲調で静けさがあれば、盛り上がる部分が歌詞がなくとも、盛り上がりますからね」

「策士だな。だが良い歌だった」

 

 素直にディルがそう言えば、エルピスは照れたようにはにかむ。その時、ふっと2人の間を裂くように身なりの良い、青年が入ってきた。ディルはすぐにその人物が「サティスファーグ・デ・スピリッツ公爵」であると気付く。アッシュグレイの髪をした、端正な顔立ちをした青年だ。まだ確か21才と聞くが、多くの若い女性がスピリッツ公爵に夢中になっているらしい。誰に対してもレディーファースト。1人を特別扱いしないから「憧れの皇子様」のような存在になっているのだろう。ただその分、男性の反感を食っているらしいが。


「はじめまして、素敵なレディ。僕はサティスファーグ・デ・スピリッツ公爵。先程の歌、とても美しかったです」


 スピリッツ公爵はエルピスの手を取ってキスをする。何となく不愉快さを覚えてディルは眉根を寄せる。


「レディ。貴女の名前は?」

「エルピス、です……」

「エルピス。素敵な名前だ。また君の歌、聞かせてほしいな。いつもここで?」

「いえ、私、別に仕事があるので……」


 そう言うとスピリッツ公爵は眉尻を下げて笑う。


「困ったな。僕は君に興味があるんだけど……おや、そこにいるのは友人かい?」


 今気付きましたというように、わざとらしくスピリッツ公爵はディルに向かって言う。安い挑発だ。ディルは微笑む。


「ええ、友人というより仕事上のパートナーですね」

「そうか。折角の美形なんだ。見た感じ、君に興味がある女性は多そうだ。他の女性と楽しむの?」


 案に「自分はエルピスと楽しむ」と言っている。ディルは微笑みを崩さないまま言った。


「いえ、公爵様。大きなプロジェクトを終えたばかりなので。彼女を放ってはおけません」

「あはは、安心するといいよ。彼女はちゃんと僕が見ているから」

「公爵様にそんなお手を煩わせることなどできません。公爵様こそ良いのですか? 公爵様にお近づきになりたい女性は沢山いますよ?」


 その言葉の攻防の内に、スピリッツ公爵の手がエルピスの腰に回り、引き寄せる。そしてエルピスの耳元で笑う。


「分からないかな? 僕は彼女の声が聞きたいんだ。歌声以外の色んな声が、ね」


 その笑顔に、ディルの苛立ちは一気に上昇した。

 追い打ちをかけるようにスピリッツ公爵が尋ねてくる。


「そういえば君の名前を聞いていなかったね。何て言うんだい?」

「…………」

「言えないのかい? ああ、もしかして立派な貴族なのかな?」

「…………」

「それとも、一生懸命働いてここに来た労働階級の人間かな? ここはそれなりに高いからね。彼女の為にお金を貯めるのも大変だっただろう?」


 明らか低い爵位か、労働階級かを狙っての発言。スピリッツ公爵は自分に楯突いて、身の程知らずめ、とでも言いたいのだろう。

 ディルは頭の中にあるカードを考えた。

 けれど、どれも白のエレメンツを使っていない今、効力が無い。

 公爵より上。

 そんなカードは、1つだけだ

 ディルはどうしたらこのいけ好かない男を打倒てきるか考えていた。いつの間にか周囲の視線が集中していた。

 煙草をつける。ディルは吸い込んで吐き出す。そのディルの目の鋭さにスピリッツ公爵はたじろぐ。

 けれど恐れ知らずのスピリッツ公爵は言う。


「なぁ、この娘は私が可愛がるから──虫ケラ同然の君は、尻尾巻いて去ってくれないか?」





 もう、いいか。





 完全にエルピスのことになると、ディルは感情のコントロールができなかった。

 ディルの意図に気付いたのだろう。エルピスが必死で口パクで「駄目」だとか「我慢して」「落ち着いて」など言う。

 ディルはそんなエルピスに、にっこりと笑った。

 最上級の笑みで。

 ディルは口を開く。




「私の名前は──ディルケンス・ノヴァ。この国の第一皇子だ」




 言ってしまったというようにエルピスが頭を抱えるのが見えた。

 けれど周囲の反応hは驚愕というよりも、嘲笑だった。スピリッツ公爵もぽかんとしたあと、声を上げて笑った。

 スピリッツ公爵が腹を抱えて笑う。反面、エルピスは顔面蒼白だった。


「いや、面白い冗談ですね~! 我が国の第一皇子ディルケンス・ノヴァ様の名を出すなど!」


 悪意に笑いに塗れる中、ディルはスピリッツ公爵からエルピスを奪うと微笑のまま言った。


「いえ、これが冗談じゃないんですよねぇ」


 邪悪。

 穏やかな微笑の下に蠢く邪悪に、スピリッツ公爵は気付かない。

 ただ感性が鋭い楽器隊は、得体の知れない恐怖を感じたのだろう。すぐさま立ち去っていた。

 スピリッツ公爵はディルを嘲笑しながら指さした。


「冗談じゃ亡いなら証明して頂きませんか、殿下? 殿下なら国中に証明できるでしょう?」


 その言葉でまたこの場でディルは大きな嘲笑を浴びる。「馬鹿じゃない?」「身の程知らず」「逃げ道なんて無いぞ」と悪辣とした言葉が飛び交う。

 流石にエルピスも怒りを覚えたのだろう。黒のエレメンツが手の平から滲み出す。けれどエルピスの肩を抱くと、ディルは言った。


「分かりました。それでは明日の昼間12時。国営放送をご覧下さい。あ、必ずですよ」


 その言葉に、ぴしりと、悪意の空気が割れる。

 ディルは満面の笑みで、まるで歌い出すかのように言った。


「この国の第一皇子である私、ディルケンス・ノヴァが挨拶すると約束しましょう」


 ディルの和やかな、余裕在る言葉に一斉に場の空気が凍る。


「あ、それと」


 付け足すようにディルは言う。

 悪辣とした微笑を浮かべて


「約束の対価としてですが──王族への侮辱ということで、嘲笑した者全員、断頭台にお招きしましょう。安心して下さい。写映球で全員の容姿は記録しましたから。あっ、でも皆さんの言う通り、私が殿下じゃなかったら、タチの悪い冗談で済むんですけどね」


 とはいいつつ、とディルはくすくす笑いながら続ける。

 この余裕たっぷりの王の威厳に、スピリッツ公爵は「まさか本当に」と震える。

 だがディルはそんな震え声は無視をした。代わりに、実に爽やかな声で言った。


「王族の私は慈悲深い。処刑の際に泣いて地面に頭をこすりつけ謝罪するなら、まぁ、赦しを考えましょう。それでは皆さん──明日の12時に」


 行こうか、とディルはにこにこしながら店を去った。

 外に出てすぐ慌てたのはエルピスだった。


「ディル! あんなこと言って大丈夫なんですか!? これまで隠してきた素顔が──」

「大丈夫ではないな」

「なら、なんで」


 ディルはエルピスを見る。そしてその手をとって、口づけをした。突然のディルの行動に理解が追いつかないでいるエルピスに、ディルはふっと笑って言う。


「いつかは明かさねばならなかったことだ。それにあいつら全員、断頭台に送れると思ったら痛快だ。精々無様な姿で命乞いしてくれるだろう」

「い、いや、でも素顔を晒すことで危ないんじゃ……」

「ああ、俺は第一皇子だからな。俺が完治し力を持つことで、困る奴らが命を狙いに来るだろうが、俺は神子だ。問題ない。それに諜報など白のエレメンツで事足りる。今までより少し面倒が増えるだけだ」


 今まで「病床についている」という嘘をついていたのは暗殺に何度も来られたら面倒なのと、白のエレメンツを使わないでも外出できるという2点だったからだ。だが面倒であってもその2つ我慢するだけで、エルピスに近寄る虫を追い払うことなら構わない。


「それより……」


 ディルは自らの失態に苦々しい顔を浮かべる。


「折角のデー……息抜きがこんな形になって悪かった」


 謝罪すれば隣にいるエルピスがくすくすと笑う。


「いいえ。ディルといると、良い意味でも悪い意味でも飽きないです。それに実というと、今日、ディルがちゃんと自分の名前を言ったのは、爽快でした。爽快でしたし、今日デートしたのは偽りの誰かじゃなくて、ちゃんとディルなんだと思ったら嬉しくて」

「デート」


 聞き逃しそうになった単語を口にすれば、エルピスの顔はみるみる内に赤くなった。


「す、すみません、勝手にデートだなんて思い込んで……! ディルにとっては息抜きでしたね」

「……別にデートでもいい。とんだ初デートだったがな」


 その言葉にエルピスは笑う。本当ですね、と言って。

 ディルはそんなエルピスの頭を撫でると、つられるようにして微笑み、「殿下」の住む城へと帰っていった。





***





 朝7時。国営放送で「本日12時から王室より報告があります。重要な発表となりますので国民の皆様は放映球、若しくは放映板よりご確認下さい」というのが音声で流れてきてクレイはぼんやりしながら聞いていた。厳密に言えば昨晩の激務により聞き流していた。その為、昼になったとき「おや?」と思った。


「……兄上、何故皇位正装など着ているのですか……?」


 長らく見なかったディルの皇位正装──深紅の正装に金の国章、金で刻まれた国紋に右の肩にかけた漆黒のマントと黒いブーツを見て、まだ昨夜の執務で頭が回らないクレイは首を傾げる。ディルは姿見の前で改めてチェックすると──クレイに向かってにやりと笑った。

 一気にクレイは覚醒する。

 この邪悪な笑みを浮かべる時は駄目だ。何か兄上がとんでもないことを起こす時だ、と思っていたら。


 国営放送開始まで10秒を告げる音が鳴り始めた。クレイはまさかと思い真っ青になる。


「あ、兄上、お待ちください!」


 止めようとした瞬間、土のエレメンツで道を塞がれる。神子によって創られた土壁は叩いても火のエレメンツを使ってもびくともしない。兄上、と背後に聞きながらディルは金の瞳を細めて、笑う。勿論、金の瞳は切り札。まだ隠すべきだ。瞳の色は茶色に戻す。だが。




「──さぁ、第一皇子ディルケンス・ノヴァの、再臨だ」




 フットマンが扉を開く。その先にある青空と民衆達を見下ろし、不適に笑う。

 愉快な宴の始まりだ。

 ディルは湧き上がった国民の歓声を前に──「ディルケンス・ノヴァ」の復活を高らかに告げた。

 色とりどりの花弁が吹き上がり、風に凪がれていく。



 ディルは小さく笑う。

 さて、あの公爵はちゃんと断頭台に来るのかな?







ここまでお読み下さってありがとうございました。

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