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犯人は私です。  作者: 足尾 三
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ベージュの糸

わずか一週間。心休まる間も無く傷心に降りかかるのは幸か不幸か。

 どうでも良かった。過去に拘泥するなど馬鹿馬鹿しい。そう考えて、遠回りして避けていた道を歩く。いや、本当は分かっていた。どうでも良くなどない。しかし投げやりな自分を自分に演出するためだけに私はこうしてどうでも良いと銘打って目を瞑るフリをしている。結局私が考えうることは全て私のためなのだ。それに気づいて自己嫌悪しながら雨の中見つかるはずのないたま親子を探し歩いた。そもそも雨の日にたまを見たことがなかったのだから、どだいおかしな話だったのだ。天候すら現実逃避を許さない、許してくれないのだろうか。そういった不満は苛立ちになって、水溜りをローファーで踏み締めて歩くというかたちで現実に反映された。

 角を曲がり、佐々木さんの家が見える道まで来ると、ちょうど家の前に人影を見つけた。人影は傘をさしておらず、全身黒づくめでフードをかぶっていた。怪しいなと考えた自分がどれだけ呑気だったのか後悔しても遅い。人影はこちらに気づいたそぶりを見せたかと思うと、何かを捨てるような動きをし、突然こちらに駆け出したのだ。咄嗟のことで体がうまく動かず、傘を落とす。20メートルほどあったと思われる距離はもう目の前まで詰められていた。嫌な想像ばかりが脳裏を駆け巡り、その中に回想も現れてくる。これが走馬灯かと私はペタンと座り込んでしまった。幸か不幸か黒づくめの体当たりは空振り、勢い余って私の後方へ転がった。私は恐怖で体が縮こまり、まるで錆びたかのように少しずつしか体が動かない。怖い。後ろを振り向けば先ほどのようにすんでのところまで黒づくめは迫っていて、フードの下、ぎょろりと光る双眸が私を今度こそ殺さんと射抜くのではないかと恐怖の空想は瞬く間に広がり、足まで到達した。せっかく助かったものをふいにしようとしている。しかし耳は落ち着いて周囲の情報を読み取っていて、その中に走り去っていく足音も混じっていた。よくわからないが、事実は助かったことと、雨らは私を置きざりにしたくせに律儀に体温だけは奪い去っていったことのみだ。

 おそらく血の気を失い真っ青であろう私の頬に春の雨は温く感じられたが、恐怖から解放された心臓は全身に血を送らんと頭まで動悸を響かせており、体の芯から震える。5分ほどそうしていただろうか。先ほどの不審者の正体とその目的について考える余裕ができた頃。(後ろからきた通行人が広くない道でしゃがみ込んだ私に通りざま舌打ちをした。その会社帰りかと思われる心無い通行人がちょうど佐々木さんの家の前を通り過ぎようかというところで石にでもつまづいたのか転びそうになり、その原因を蹴るような仕草をするのが見えた。私はやっと立ち上がり、再び帰路に着く。先ほどの投げやり相まってさしたる意味なしと閉じた傘を脇に差し、ちょうど佐々木さん宅の前を通り過ぎようとした時、気づく。初めはただの打ち捨てられたゴミだと思ったが違った。前に一度見た時とはあまりに違う容姿に脳が認識しなかったのか、それともひねくれた私の脳味噌はその毛にあまりにも深く食い込んだ細い糸のようなものの両端を、その致命的な殺意の残滓を認識しまいとしたのか。すぐに抱き抱えられたら良かった。しかし先ほどから立て続けに私の精神はかき乱され続けていたのだ。私は毛をかき分けその糸が毛の下の肉に血を滲ませるほど食い込んでいるのを恐ろしいほど冷静に観察した。ふと目を覗き込むと横たわっていて上にある左目と目が合い、その黒く濡れた瞳孔の中にある淡く今にも消えんとする光が私を映す。ところで彼の死に際し、私を支配せしめていた感情は悲しみと憎しみと慈しみであった。しかし、おかしいが、私は今感動していた。今生命が目の前で刻一刻とその灯火を弱めている。今に消えてもおかしくないものが目の前にある。もしかすると私が見ているのは死した際の最後の瞬きの光なのかもしれなかった。儚さには一種の魔のようなものがいて私を虜にしてしまったのだ。

 たまこは苦しんでいる。私は私のせいだと考えた。私が今日気まぐれでここを通らなければこの子は今のこの生をじわりじわりと着実に奪われていくだけの苦を受けずに済んだのではないのか。私が通るのがもう少し早ければ、あるいはなけなしのプライド、体面のためを考えなければ少なくとも私の人通りが犯人の足を遠のけさせこの子は助けられたのかも。やっとのことでたまこを抱き抱え、濡れ鼠になりながら走る。考えれば考えるほど負の連鎖だと気づいた時。逆転の発想が生まれた。それは逆転では無かったが、そもそも私が普通では無かった。普通でないものが逆転して得られる結果が果たして普通が逆転したものと同じかどうか。結果を見れば明らかになるだろう。

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