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祓い屋(物理)の日常  作者: とど
一章
8/63

episode 4 記念すべき厄日


 その日、ささらは大層ご機嫌だった。


「茶々、準備できた?」

「はい、ばっちりです」


 そしてそれはささらだけではない。茶々もまたいつになく嬉しそうに時計を見上げ、そわそわと何度も時間を確認している。

 それもそのはず、今日はとうとう待ちに待ったケーキバイキングの日なのだから。茶々は色んな妖怪から店の情報を得て既に食べる順番まで考えているし、ささらに至っては張り切り過ぎて昨日の昼から何も食べていない。

 店は事務所からも駅からも離れた場所にあるということで浦原が車で事務所まで迎えに来てくれることになっている。そして二人が約束の時間を今か今かと待っていると、少し早いが事務所のインターホンが鳴った。


「はーい! 今開けま」

「よー、ささら! 元気か?」


 テンションの振り切れた元気な声を上げてささらが事務所の扉を開けようとすると、しかしそれよりも早く扉は外から勝手に開かれた。

 そして目の前に現れたのは、待ちに待った浦原ではなくささらの兄だった。めぐるはささらが目を瞬かせている間に有無を言わさずさっさと事務所の中に入ると、勢いよく扉を閉め更に勝手に鍵まで掛けてしまった。


「めぐ兄さん?」

「いやあ悪い、ちょっと色々あってな……」

「何かあったんですか? 顔色悪いですよ?」


 首を傾げた二人に、めぐるは言葉を濁して苦笑する。どこか疲れたように見える表情を浮かべた彼は、何故か一度背後を振り返り、そして真剣な顔で口を開いた。


「なあ……俺、何か憑いてないか」




   □ □ □ □ □ □ □




 事の発端は一週間ほど前まで遡る。仕事を終えためぐるが病院から出て駐車場へ向かっていると、どこからか強い視線を感じたのだ。

 しかし遅い時間の為か辺りを見回しても誰もいない。疲れていたし気のせいかとめぐるはその時はまるで気にも留めなかった。


「……?」


 だがそれが三日続けて、おまけに病院から家までずっとその視線を感じ続けていれば流石にめぐるも不審に思った。じっとりとした粘着質にも思える視線はいつも彼のすぐ側にあって、次第に肩や足も重く感じるようになって来た。そしてこれはもしや、と一週間経っても状況が変わらず我慢の限界に達しためぐるはその手のことに強い妹の元へと押しかけたのだ。



「で、どうだ……何かやばいもの憑いてないか?」

「そう言われても……何もないと思うけど」


 しかし頼みの綱のささらも困ったように首を捻るだけだ。元々多少は見える質のめぐるも自分に取り憑く幽霊の姿は確認できなかったが、彼よりも遙かに霊力の高いささらもお手上げの状態だった。


「ささら様、そもそも事務所には悪霊が入らないようにしてますからここに居ないだけでは?」

「あ、そういえばそうだった……兄さん、今も視線とか感じる?」

「いや……というか、いつも視線を感じるのは大体外だけなんだ。たまに病院の中でも見られてると思うこともあるけど、患者さんかもしれないしな」

「うーん……肩とか足も重いんだっけ。でも体に嫌な感じとかもないし、その視線とかでストレスを感じてるだけかも……ごめん、はっきり分からなくて」

「いや、ヤバいものが憑いてないって分かっただけで十分だ。俺はこの手のことはからっきしだからどうなってるのか全然分からなかったしな」


 少し見えるだけのめぐるでは普通の幽霊も質の悪い悪霊も判別ができない。質の悪い幽霊ならば側に居なくても人間に悪影響を及ぼし、黒い靄なんかが体に纏わり付いていることもあるのだ。


「何かあるか分からないし、とりあえず茶々のお守り持って行く?」

「ああ、頼む。……ところで、今からどこかに行く予定だったか?」

「はい、よく分かりましたね」

「ささらにしては妙に気合いの入った格好だし、茶々もそれ、お気に入りの着物と簪だろ。見れば分かるよ」

「正解。実はこれからケーキバイキングに行くんだ! 招待券くれた人がいて、一緒に食べに行くの」

「へえ、ケーキバイキング……ささらにとっては天国だな。一緒に行く人は友達か?」

「……友達、というか……なんというか」


 ささらは言葉に迷って言葉を濁した。浦原との関係は一言では説明しにくいのだ。交友関係の狭いささらの中ではかなり親しい部類に入るとは思うが、浦原の方がどう思っているのかは分からない。最初に出会った時の事件のことでささらに罪悪感を抱いて気に掛けてくれているだけかもしれない。――ささらが冤罪を掛けられそうになった、あの事件の所為で。


「……あ」


 適切な言葉が見つからず言い淀んでいると再度インターホンが鳴った。今度こそ浦原だろうとささらが立ち上がると、すぐに茶々が「ちょっと待って下さい」と声を掛けた。


「めぐる様を追いかけている幽霊の可能性もあります。気をつけて下さい」

「あ、そっか」


 インターホンを押すくらい、力のない幽霊にだってできることだ。以前夜中にひたすらインターホンが鳴りまくるという事故物件の幽霊を除霊したのを思い出して、ささらは扉の外に霊の気配がないか確認しながら慎重に入り口の扉を開いた。


「はい、どちら様で――」

「死ね!」


 ささらはその瞬間、インターホンにカメラを付けるのをケチったことを心底後悔した。

 開いた扉の向こうから太陽の光を反射させて光る何かが見える。そしてそれはささらに向かって躊躇いなく一直線に突き進み、彼女の体に突き刺さろうとしていた。


「うわっ!?」

「ささら!」

「ささら様!」


 何も考える余裕などなかった。ただ反射的に、ささらは襲いかかってくるナイフを避けようと咄嗟に体を動かし、そして直後ナイフを持つ腕を殴りつけていた。

 ささらは運動神経が良い方ではないが、反射神経と逃げ足だけには自信がある。からんと軽い音を立ててナイフが転がったかと思うと、ナイフを持っていた人間――ささらと同じくらいに見える女が腕を押さえて膝を着いた。


「あっぶな……」

「ささら様! ご無事ですか!?」

「怪我は!? ……って、君は」


 茶々がささらに駆け寄り、めぐるはそんな二人を背に庇うようにナイフを持っていた女との間に立つ。しかし女の顔を見ためぐるは、そのどこか見覚えのある顔に驚いたように目を瞠った。


「確か、この前まで入院していた……」

「……めぐる先生」


 ゆらりと髪を揺らして女が顔を上げる。その女は、二週間ほど前までめぐるが勤める病院で入院していた患者だった。彼自身は担当ではなかったが、時々病院内で見かけることがあったのだ。


「確か、倉木さんだったか……なんでナイフなんて持って」

「……そいつが! そいつが悪いのよ! その女がめぐる先生をたぶらかすからっ!」

「た、たぶらかす……?」

「入院してる時も、それからもずっと先生を見てきたのに、私に振り向いてくれないのは全部あんたの所為よ!」


 女が金切り声を上げながらささらを強く睨み付ける。そして睨まれた当の本人は怖がるよりも困惑の気持ちの方が大きく、困ったように背中越しにめぐるを見上げた。


「視線って、この方のことだったんです?」

「多分……幽霊だとばっかり考えてて人間っていう発想がなかったよね……」

「はあ……あのな、倉木さん。何か勘違いしているようだが、こいつ……ささらは俺の妹だ」


 呆れ返った表情を浮かべためぐるがはっきりとそう言うが、倉木と呼ばれた女は叫ぶのを止めて「……知ってるわ」とどこか冷静になったような声で言った。


「ふふ……めぐる先生は私のこと全然知らないでしょうけど、私は先生のこと全部知ってるのよ。退院してすぐにあなたの地元にも行ったし、探偵にあなたのこと全て調べてもらったわ。……その女が妹って名乗っている癖に、先生とまったく血が繋がっていないことだって全部知ってる」

「……っ!」


 その瞬間、三人の顔色が変わった。めぐるは酷く険しい表情を浮かべ、茶々は倉木を射殺さんばかりに睨み付け、そしてささらは息が止まったかのように苦しげな顔をした。

 しかし彼女はどこか自慢げな表情すら浮かべて言葉を止めない。


「妹だって言って優しい先生に甘えて、あなた恥ずかしくないの? あなたのこと、先生が内心でどう思っているか分かってるんでしょ? ――嫌われてるのよ、憎まれてるの。当然よね、あなた人殺しだもん」

「……黙りなさい」

「何? 子供は引っ込んでなさい。……ねえ、先生。先生は優しいから言わないだけで、本当はこの女のこと憎くて仕方が無いのよね。だから私が代わりに殺して上げようと思ったの。そうしたらやっと、先生をこの女から解放して上げられる」

「いい加減に――っ!」

「黙れ、耳障りだ」


 茶々が倉木に掴み掛かろうと飛び出す寸前、冷えに冷えきった地を這うような低い声がその場を黙らせた。

 めぐるはしゃがみ込んでいる倉木の前に立つと、普段の彼からは想像もできないような蔑んだ視線で彼女を見下ろした。


「あんたが俺の全てを知ってるだと? 笑わせるなよ。お前はこれっぽっちも俺のことを知らない。俺の大事なものも、許せないことも何一つ分かっちゃいない。不愉快だ」

「せ、先生、でも、あの女が殺したのは先生の」

「黙れと言ったのが聞こえなかったのか。……一つ俺のこと教えてやるよ。俺が大っ嫌いなのはあんたみたいなやつのことだ。あんたが俺のこと何も知らないように、俺もあんたのことは何一つ知りたくないし、分かりたくもない」

「……違う違う違う違う!! 私は先生のこと全部分かってる! 優しい先生はそんなこと言わない! あの女に言わされてるだけなんでしょ!?」


 倉木の右手が、背後に転がっていたナイフを掴んだ。そしてそれにめぐるが気付いた時には、彼女はもう立ち上がって彼の背後にいるささらに向かって凶器を振り上げていたのだ。


「殺してやる、殺して殺して、先生を解放して上げ――」




「させると、思うの?」


 ナイフを振り下ろそうとした手が、背後からあっという間に捻り上げられた。


「あ……美守さん!」

「全く、非番の警察官に仕事させないでよね」


 背後から倉木を押さえたのは、呆れの中にどこか冷たさを含んだ表情の浦原だった。彼女はあっという間にナイフを落とさせると俯せに倉木を組み敷き、「銃刀法違反及び傷害未遂の現行犯で逮捕する」と背中に回させた手に手錠を掛けた。


「ささらちゃんもたぬちゃんも怪我はない? そっちのあなたも」

「はい……美守さん、助かりました」

「離せ離せ離せえええっ!!」

「あーはいはい、パトカー呼んであるからそれまで大人しくしてなさいね」


 じたばたと暴れようとする倉木を浦原があっさりとあしらう。流石は現役警察官というべきかその動きは洗練されている。浦原があらかじめ通報していた為、その後驚くほど早くパトカーが到着し、倉木は両側から押さえられてパトカーに乗せられた。

 しかし、彼女は最後までささらを睨むのを止めなかった。




「さて、改めて……」


 他の警官と軽く話をしていた浦原が三人に近付く。真面目な顔をした彼女は、そして次の瞬間、にっこりと笑って茶々に飛びついたのだった。


「たぬちゃーん!」

「ひゃ……だから止めて下さいっていつも言ってるじゃないですか!」

「たぬちゃんが可愛いからしょうがないっていつも言ってるよね?」

「セクハラで訴えますよ!?」


「……あー、ささら。彼女は?」

「えっと……今日約束してた浦原美守さん。警察官で……見れば分かるけど茶々が大好き」


 茶々に抱きつく浦原をめぐるが微妙な表情で見ていると、会話が聞こえたのか茶々を離した浦原がめぐるに軽く会釈をした。

 

「初めまして、ささらちゃんとたぬちゃんの友達です」

「と、友達……」

「よかったな、向こうは友達らしいぞ?」

「……うん」


 つい先ほどまで命を狙われて強張っていたささらの表情がその一言で緩んだ。口にした本人はあまり気にした様子もなく、逆にめぐるを見上げて「それで彼は? ささらちゃんの彼氏?」とささらに問いかけた。


「彼氏って……この前言ったじゃないですか、いないって」

「兄ですよ。初めまして、鬼怒田めぐるです。ささらと茶々がお世話になってます」

「お兄さん……ああ」


 「成程、この人が」と浦原は呟くように小さな声を出して頷いた。


「うちの大事な妹を守って下さってありがとうございました」

「いえいえ、市民を守るのが警察ですから当然のことです」


 にこやかに話すめぐるに先ほどの剣幕はどこにもない。ささらの頭にぽん、と手をおいて穏やかな表情を浮かべる兄を見上げ、彼女はどこかむず痒いような喜びがじわじわと胸に広がっていく感覚を覚えた。


「ささら様、ちゃんと聞きました? 大事な妹ですって」

「……うん」


 続いて茶々にまで微笑ましそうに頭を撫でられる。ささらよりも背が低いため背伸びをして撫でている様は妹のようなのに、その慈愛の表情は姉や母のようにも思えた。


 殺されそうになって怖かった。恨まれて、憎悪をいっぱいに浴びて恐ろしくて仕方が無かった。けれど……めぐるが、茶々が、浦原が、そんなささらを安心させるように笑ってくれた。それを見たら、心の中の不安や恐れが安堵で塗りつぶされるような感じがした。


 安心して、気が抜けた。そしてささらは――。




「お腹、空いた……」


 ぐううううううう、と凄まじい腹の音を鳴らして、彼女はか細い声を上げながら両手で腹を押さえた。


「ささら、お前な……ホントに気が抜けるやつだ」

「だって昨日のお昼から何も食べてない……」

「わたくしもお腹空きましたし、浦原様、早くケーキバイキング行きませんか? ささら様が大変です」

「……えーと、ささらちゃん? 残念なお知らせなんだけど、これから事情聴取ってものがあってね?」

「え」

「そんな絶望的な声出されてもどうしようもないんだけど……バイキングは、延期です」

「……」

「さ、ささら様ー!!」


 ぱた、と静かに倒れたささらを見て茶々が血相を変えて駆け寄る。めぐるはそんな妹を見ながら「せめて途中でコンビニ寄れますか? じゃないと事情聴取どころじゃないですよ」と浦原に交渉することにした。


 なお、道中のコンビニの弁当コーナーが一気に品薄になったのは余談である。



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