episode 3 お化け屋敷に潜む悪意(1)
「遊園地のバイト?」
「はい。短期で時給も高いのでどうでしょう?」
夏本番とばかりに気温を上げる太陽に辟易しつつ、新たに祓い屋のメンバーとなったエアコンに癒やされていたささらは突然茶々から差し出された求人広告に首を傾げた。
『祓い屋ささら』は年中無休で金欠である。家賃の滞納をしては柊に怒鳴り込まれるのは日常茶飯事で、食費や光熱費等々もあって常にかつかつの生活をしている。
ささらは新聞配達やDVDのレンタルショップの店員などのバイトを掛け持ち、稀に来る祓い屋の仕事を受けてはいるが、時給も低く中々生活は安定しない。
更に言えば茶々は人間でもなく、化けたとしても戸籍が無いため仕事ができない。時々妖怪相手に情報を売り買いしている時もあるらしいが、手に入るものは精々果物などで勿論人間のお金など得られないのである。
「確かに時給高いね」
「期間はお盆休みの間の一週間弱ですし交通費も負担して下さるそうですから」
「あー……そうか、お盆か……」
少しやる気になっていたささらの気持ちが落ちかける。お盆は彼女にとって鬼門だ。あちらから帰ってきた死者の魂が大量にうろつき、この世とは思えない光景が広がるからである。普段は出来るだけお盆期間中は外に出ないようにしている。
しかしそれを我慢してもいいくらいには良い時給である。ささらはううむ、と少し悩むように唸り、そしてすぐに預金残高を思い出して結論を出した。
「まあ面接通るか分からないし、受けるだけ受けてみようかな」
「頑張って下さい! それにささら様は祓い屋なんですから、ちゃんと幽霊を見てもびびらないようにしっかり作り物のお化けで慣れて来て下さいね?」
「は? お化け?」
「はい! バイトは遊園地のお化け屋敷ですから!」
何の悪気もないかのようにあっさりと告げられたその言葉に、時給しか目に入っていなかったささらは手にした広告をひらりと床に落とした。
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「鬼怒田ささらさん……うーん、高校中退ねえ……」
なんだかんだ茶々に背中を押されてバイトの面接に来たささらは、履歴書片手に難しい顔をするお化け屋敷の担当者を見てつい萎縮するように身を竦めた。
面接に来た人間はささらの他にも十名ほどいるようで、勿論その全てが通るかどうかは分からない。いや、短い日数やお盆とはいえ通常のスタッフもいることを考えると恐らく何人かは削られるだろう。
そんな中で彼女は自分が一番落とされやすいのでは、と考えて唇を噛んだ。ささらは現在いくつもバイトを掛け持ちしているものの、その何十倍ものバイトの面接で落とされてきているのだ。
特に毎回ネックになるのが学歴である。高校中退という最終学歴がどうしても面接官の心証を悪くし、仮に面接が通っても時給はもれなく低くなる。
「今はフリーター?」
「は、はい! そんな感じで……」
本業は幽霊を祓っているなんてとても言えない。ささらがどもりながら頷くと、担当者の男は顎に手を当てながらじっとささらの顔を覗き込んだ。正確に言うと、その珍しい赤い目を。
「……ちなみにその目はカラコン?」
「いえ、生まれつきですけど……」
「へえ、生まれつきねえ」
じっと見られることに居心地の悪さを覚える。これは落ちた、とささらは小さくため息を吐いた。学歴の他に、この目が気持ち悪いと思われて断られることも多いのだ。
しかしささらの落胆とは裏腹に、男は徐々にその口角を上げて楽しそうに大きく頷いた。
「うんうん、いいね君。その目の不気味な感じがいいな!」
「はい?」
「その暗そうな感じも死んだら化けて出てきそうで大変よろしい! 鬼怒田君、明日からよろしく頼むよ」
「え……は、はい。よろしくお願いします……」
いやに上機嫌で履歴書に採用の判子を押した男を見て、ささらは喜んでいいのか怒ればいいのか分からずに引き攣った笑みを浮かべて頭を下げた。
そうしてささらは翌日から無事にお化け屋敷のアルバイトを始めた。時間は九時から十七時で、担当は女の幽霊である。
ささらの赤い目を気に入った担当者が「是非とも!」と幽霊役に推したのだが、彼女はただでさえびびりである為メイクを終えた自分の姿に悲鳴を上げるレベルである。更に常に暗い場所で一人待機して客の悲鳴を受けなければならず、本当に自分にできるだろうかと不安になってしまった。
「あ……ああぁ……」
「きゃああ!!」
しかし人間同じことをずっと繰り返していれば割と慣れて来るものである。ウィッグで長くなった前髪の隙間から赤い目をぎらりと光らせ、力のない声を出しながら縋るように手を伸ばせば若い女性は悲鳴を上げ隣の男性にしがみついて逃げるように去って行った。
ささらとしては今まで除霊して来て怖かった幽霊を参考にしてみたのだが、まさか今までの経験がこんな風に生きるとは思ってもみなかった。
現在バイト三日目、先ほど昼休憩を終えたばかりの為まだ元気な方だ。初日は慣れない仕事と、他の幽霊やお化け屋敷の仕掛けにびびって疲労困憊だったが、三日目ともなれば大分勝手が分かるようになり暗いお化け屋敷の中もすいすい歩けるようになった。
……ちなみに、お化け屋敷の中にあちこち潜んでいる“モノ”や、怖がりながら進む子供達の後ろにぴったりとくっつく帰省中のお爺さんなどは見なかったことにしている。後者はともかく前者は除霊してもいいのだが、害の無い浮遊霊など一々除霊していてはキリが無い。
「あ、また来る……」
誰も来ない間出来るだけ色々なものと目を合わせないようにしていると、少ししてまた新たな客が来たようで足音が聞こえて来た。こっそりと待機場所に控え、そして客が通り過ぎたのを見計らって物音を立て、ゆらりとよろめきながら呻き声を上げた。
「うあ……あ、あぁ……っ」
「……」
悲鳴は上がらない。それどころかまるで驚いた様子もなく、通り過ぎた客はくるりと踵を返してささらとじい、と見つめた。
正直勘弁して欲しいのはこういう客である。怖がるでもなくさっさと通り過ぎるでもなく、どんなクオリティだろうとまじまじとお化け役を見てくる人間がここ三日間だけでも数人居たのだ。おずおずと待機場所に戻る訳にもいかず、しかし客に触れてはいけないので必要以上に近づけない。どうしていいのか分からないので本当に止めて欲しかった。
「ささら様、中々様になっていますね」
「……へ?」
聞き慣れたその声に、ささらは薄暗く髪の毛が覆って視界の悪い中で改めて目の前の客を見つめた。
十代半ばの若い女の子。長い髪は三つ編みになっていて、暑かったからかいつもの着物ではなく浴衣を着てにこにこと微笑んでいる。
「茶々!? どうしてここに」
「ささら様がどんな風にバイトしてるのか気になってつい来ちゃいました。すごいメイクですね、一瞬分かりませんでした」
「う、うん。他のスタッフの人がやってくれて……ところで、茶々」
「はい?」
「ここの入場料結構高かったと思うんだけど……」
「そうですね、人間料金は高いですよね。でも妖怪は料金表になかったので」
「すごい屁理屈……」
含むように笑みを深めた茶々を見てささらは片手で額を押さえる。どうやら何処からか小さい姿でこっそりと入って来たらしい。
「気をつけてよ? 下手に誰かに見つかって保健所送りになんてされたら大変なんだから」
「分かってますよ。ささら様の姿も無事に見ることができましたしそろそろ帰って買い物と夕飯の支度をしておきます。何が食べたいですか?」
「安くてお腹にたまるもの」
「はいはい、考えておきま――」
「鬼怒田さん大変だ!」
それじゃあ、と茶々がお化け屋敷の先へ進もうとしたその時だった。突然裏の通路から一緒にバイトを始めたスタッフの男が血相を変えてささらの元へとやって来たのだ。
「どうかしましたか……?」
「この先で人が頭から血を流して倒れてる」
「え」
「階段から落ちたみたいで……死んでるかもしれない」
「死……」
「とにかく来てくれ、みんな集まってるから!」
驚いているささらの腕を掴んだ男は早足で歩き始め、たたらを踏みそうになりながらささらも何とか足を動かした。
「ささら様……」
後ろから着いてくる茶々の少し心配そうな声を聞きながら、ささらは薄暗い空間を転ばないようにと慎重に足を進めた。拓けた墓地のような場所に着き、そしてそこを通り過ぎると不意に通路が狭くなり、目の前に階段が現れる。
階段は暗いお化け屋敷の中でも危険がないようにと他の場所よりもライトが多い。しかし足下を照らすぼんやりとしたオレンジの光は不気味で――そして階段の一番下、そのライトに照らされるように一人の女が俯せになって倒れていた。
「ひっ、……」
「だ、誰か早く救急車を!」
「はい!」
女を挟んで向こう側の通路にも何人かの人間が集まっている。その中の一人が慌てて走り出すのを見ながら、ささらは口元を押さえて階段の下を恐る恐る見続けた。
倒れている女は頭から血を流しぴくりとも動かない。その彼女が生きているのかもう手遅れなのか、ささらには遠目から見てもすぐに判別することが出来た。
何しろ倒れ伏した女の頭上には、全く同じ姿をした頭から血を流した女がぼんやりとして浮いていたのだから。
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あれからお化け屋敷は急遽閉鎖となり、化粧を落としたささらは他のスタッフ達と一緒に控え室の中に待機していた。あの場に居合わせた茶々もまた、心配そうに彼女に付き添っている。
「あの、警察の方がいらっしゃったんですけど……」
「失礼します」
そんな中、スタッフの女性に連れられて控え室の中に二人の男女が入ってきた。一人は貫禄のある厳つい顔をした五十代くらいの男性、そしてもう一人は怜悧でクールな印象の若い女性だった。二人は揃って右手に警察手帳を持ち、厳しい目線で関係者を見回し――。
「え」
そして女性警官はとある一人に目をやった所でその険しい表情を崩した。どこかぽかんとしたような顔で小さく呟いた彼女は視線の先にいる少女、茶々を凝視し、そして凝視された彼女はびくっ、と肩を揺らして椅子から腰を上げた。
「た、」
「た?」
「たぬちゃーん!!」
「きゃああー!?」
突如鼻息荒く自分に迫って来た女に、茶々は悲鳴を上げながらささらの背中に隠れようとする。が、それよりも女が茶々に力強く抱きつく方が遙かに早かった。
「たぬちゃん久しぶりー! 相変わらず可愛い……」
「さ、ささら様助けて下さい!!」
「……美守さん、茶々が嫌がってるので離してあげて下さい」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられた茶々が必死に手を伸ばしてささらに助けを求める。そしてささらの声に反応して女が少し力を緩めた瞬間、すぐさま茶々は飛び退くように身を離して今度こそささらの背中にしがみついた。
「うう……ささら様ぁ」
「茶々、泣かないの」
「だってあの人怖い……」
泣きつく茶々をささらが頭を撫でながら慰める。普段とは真逆の立場である。
「ささらちゃんも久しぶり。元気だった?」
「ええ、まあ……美守さんは相変わらずですね」
「だってたぬちゃん可愛いんだもん。お姉さんの所においでー」
「行きません!」
「うぉっほん!」
ささらを挟んで攻防を繰り広げていた二人にその場の空気が緩み掛けたその時、男性警官のわざとらしいほどの大きさの咳払いが響いた。
「浦原、知り合いだかなんだか知らんが仕事中だ。わきまえろ」
「……すみません」
「全く……改めて、捜査一課の草薙だ」
「浦原です」
男性警官――草薙に苦言を呈された途端に、浦原と名乗った女はまるでスイッチが入ったかのように態度を切り替える。一瞬にしてふやけた表情を戻した彼女を間近で見たささらは、相変わらず公私の切り替えがすごいと妙に感心してしまった。
浦原美守は、数年前にとある事件で出会った女刑事である。それ以降はしばらく接点が無かったのだが、一年ほど前に再会してからは時折事務所を訪れてはささらを気に掛けてくれている。
……だが、たまたま事務所を訪れたタイミングで茶々が変身した瞬間を目撃してしまい、本性がタヌキであることがばれてしまったのである。元々可愛い可愛いと茶々を気に入っていた美守はタヌキの姿もいたく気に入ってしまい……ひたすら頭や尻尾やらを撫で回してしまった結果、毎度顔を合わせる度に茶々から逃げられている。
「それで被害者ですが……亡くなったのは赤城鈴さんという女性ですね」
「はい、俺の彼女で……」
うなだれるように俯いていた一人の男性が軽く片手を上げた。
福田と名乗ったその彼は、被害者の恋人で一緒に遊園地に来ていたのだという。
「一緒にお化け屋敷に入ったんですけどあの階段の少し前ではぐれてしまって、仕方が無いから先に外に出て待つことにしたんです。けど少ししたら突然中から彼女の悲鳴が聞こえて来て、それで出口に居たスタッフさんと一緒に中に入ったら、彼女が……」
「そうでしたか」
「倒れた彼女を見たら何も考えられなくなって、怖くて近付くこともできませんでした。それから他の人が集まって来て、救急車を呼んで……俺が、俺が早く彼女に駆け寄って応急処置をしたら助かったかもしれないのに」
福田は消え入りそうな声でそこまで言うと口を噤み再び俯く。そして続いて彼の隣に座って居た男性スタッフが「俺が一緒に中に入りました」と片手を上げた。
「俺は出口に立ってました。お客さん同士が出会わないように一組ずつ時間をおいて入場してもらっているので、お客さんが出て来たのを入り口の方に伝えたりアンケートを渡したりしてました。
それでこの福田さんが途中で彼女とはぐれたと一人で出てきて彼女を待っていたんですけど……そうしたら中から女の人の悲鳴が聞こえて、福田さんはそれが彼女の声だと分かったらしく何があったのかと血相を変えて出口からお化け屋敷の方へ入って行きました」
「なるほど、福田さんの証言と一致しますね。他の方は――」
浦原に促されて他のスタッフも順番に自分の状況を話し始める。殆どの人は裏方で仕事をしていたりささら同様にお化け役をしていたらしく、特別気になるような話は無かった。
「では隣の方」
そして茶々が簡潔にただ客として来たという話を終えると、とうとう次はささらの番になった。
「鬼怒田ささらと言います。私は幽霊の役で、ずっと担当の場所で待機してお客さんを驚かせてました」
「担当の場所はどこですか」
「あの階段より少し前なんですけど……ここです」
スタッフ用に渡された屋敷内の図で自分の居た場所を指し示す。
「福田さん達の姿は見ましたか」
「はい」
浦原の言葉にささらはしっかりと頷いた。暗かったので茶々同様によく見なければ分からなかったが、茶々の前に脅かした男女がちょうど福田と亡くなった赤城鈴だったのだ。あと数時間もすればすっかり忘れていただろうが、あまり時間が経っていなかった為何とか覚えていた。
「あのー、ちょっといいですか」
と、ささらが話し終えると同時にスタッフの女性がどこか訝しげな表情を浮かべながら声を上げる。
「なんでこんな色々聞いてるんですか? ……こう言ったらあれですけどただの事故でしょ?」
「そうですよ、それなのにこんな風にスタッフ一人一人に話を聞いて。まるで――」
「殺人事件のようだ、と?」
すると、今まで浦原に任せて黙っていた草薙がようやく口を開いた。鋭く威圧的な視線と声を向けられて、文句を言おうとしたスタッフが言葉を飲み込む。
「い、いやなんていうか……」
「確かに被害者は階段から足を滑らせて転げ落ち、全身や頭を打って亡くなった。事故のように見えるが……そうではない」
「え?」
「報告によると、事故で足を滑らせたにしては落ち方が不自然だという鑑定結果が出た。階段の血痕の位置や怪我の箇所、倒れていた場所。まるで、思い切り背後から突き飛ばされたかのような痕跡が残っている」
「そ、それじゃあ鈴は、誰かに殺されたって言うのか!?」
「その可能性が高いと推測されます」
福田が拳を震わせながら叫ぶと、周囲は騒然として皆お互いに顔を見合わせては困惑の表情を浮かべた。事故ではない、誰かが悪意を持って人を殺したのだ。そう考えるとぞっとして、ささらは寒気を誤魔化すように両腕を擦った。
「福田さん、赤城さんとはどこではぐれたんですか?」
「……あの階段の少し前の、女のお化けが出てすぐ彼女が怖がっちゃって俺の手を振り払ってどこかへ行ってしまったんです」
「図で見ると……ちょうど鬼怒田さんが担当していた辺りだな。鬼怒田さん、お二人の姿は先ほど見たと言いましたが、二人以外の人間は見ましたか」
「いえ、次のお客さん……この子が来るまでは誰も見かけませんでした」
「……そうですか」
草薙は険しい表情を更に強めると、スタッフの配置が書かれた図を睨むように見つめた。
「……階段付近は驚かせて怪我をさせない為にスタッフはいない。一番近いのが階段よりも少し前に居る鬼怒田さんで、彼女は他の人間を見ていない。ここは一本道だから通れば必ず気付くだろう。
悲鳴が聞こえた時に外に居た恋人の福田さんに犯行は不可能。そして他のスタッフも、鬼怒田さんに姿を見せずに階段へ行くのは不可能」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「つまり」
顔色の悪い茶々が制止の声を上げるも草薙は意に介さない。そして草薙は椅子から立ち上がると、ずかずかと音を立ててささらを見下ろすようにして目の前に立った。
「鬼怒田ささらさん。あなたにしか犯行が行えないということになります」