episode 9 もう一つの五年三組(1)
『数日前から行方不明になっている無々月小学校の児童達は未だに見つかっておりません。警察は何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いと、付近の防犯カメラの解析や住民への聞き込みを続けています――』
「物騒な世の中だね……」
テレビから聞こえてきたアナウンサーの声に、ささらはげんなりとして溜息を吐く。ニュースが次の話題に移っても今度はまた別の事件が報道されており、明るいニュースなど殆どありはしない。
「でも近頃はこうしてニュースで情報が得られるので楽ですよね。最近、妖怪の方でもSNSでコミュニティを作れたら楽だねって言ってるんですよ」
「……普通の妖怪って携帯とか持ってるの?」
「持っている人は持ってますよ。ただそんなに多くはないので、結局口コミがまだまだ主流ですけどね」
対面のソファでお茶を飲んでいた茶々の言葉に、ささらは色んな姿の妖怪が携帯をいじっているのを想像してなんとも言えない表情で首を傾げた。
「ちなみに最近の噂話だと……とある呪われたDVDを見るとその世界に取り込まれて元の世界に帰りたくなくなるとか、夜に鏡を見ると鏡の中の自分に引っ張り込まれて成り代わられるとか。あ、あととある店の前を通り過ぎると、巨大な日本人形に捕まって連れて行かれるとか……」
「……何かいくつか心当たりがあるんだけど」
DVDはクーちゃん、そして日本人形の店は間違いなくあの骨董屋だろう。
「ささら様も気を付けてくださいね。変な人や物に釣られて連れて行かれたりしないで下さいよ。くれぐれも! お金をくれるとか言われても着いて行ったら駄目ですからね!」
「茶々、流石に私だってただでお金くれるなんて人は怪しいと思うよ」
「じゃあ簡単に稼げるバイトがあるとか言われても信じたら駄目ですからね?」
「……う、うん。そうだね……」
「……ささら様、まさか既に」
「ち、違う! 話聞く前に柊さんが追い払ってくれたから!」
「柊様には感謝してもしきれませんね……」
「おい、ささら!」
ささらの弁解に茶々が呆れるように額を押さえた、その直後。突如事務所の扉が大きな音を立てて勢いよく開かれたかと思うと、ささらは思わず「は、はい!?」と声を上げながらソファから立ち上がった。
噂をすれば影。柊の話をしていたそんな時に呼ばれた為ささらはてっきり彼が来たのだと思ったのだが……よくよく今の声を思い出すと柊の声とはまったく違う、少し幼さを残した少年のものだった。
「ふん、やっぱり居やがったか。どーせ胡散臭い祓い屋は暇してると思ったぜ!」
「い、和泉谷君か……」
ささらが事務所の入り口を見ると、そこに立っていたのは小学生の男の子だった。仁王立ちで偉そうにふんぞり返っている彼は近所に住んでいる和泉谷浩という名前の少年である。
日に焼けた焦げ茶の短髪は毛先があちこちに跳ね回っており快活な印象を与える。見かけの通りに元気な少年だが……かなり生意気な所があり、いつもいつもささらは妙に上から目線で接されている。
「こら浩君! ささら様になんてこと言うの!」
「う……ちゃ、茶々姉ちゃん」
しかしそんな彼も決して頭が上がらない存在がいる。茶々が腰に手を当てて叱るように声を上げると、和泉谷はみるみるうちに強気な態度をしまい込んで大人しくなった。
「ほら、ささら様にごめんなさいは?」
「……ささら、ごめん」
「う、うん」
「はい、ちゃんと謝れましたね。いい子です」
不本意そうだがささらに謝った和泉谷を茶々が撫でると、途端にぽぽぽ、と彼の顔が真っ赤になった。
非常に分かりやすいが、この和泉谷少年は茶々のことが好きなようである。実年齢を考えずに見かけだけで見れば、小学生が中学生のお姉さんに淡い恋をしているように見えて非常に微笑ましい。
ささらが思わず表情を緩ませて見ていると、その視線に気づいたのか和泉谷は茶々に見えないようにささらを睨んだ。
「というか、今日平日なんだけど。和泉谷君学校は……?」
「ささらには関係ねーだろ!」
「浩君?」
「う……べ、別にさぼった訳じゃねえし! 今うちの学校休みなんだよ!」
「休み?」
「ニュースでもやってるだろ、俺のクラスで居なくなったやつらが居ていろいろ警察が調べてんだよ」
「ニュースって、もしかしてさっきの小学生が数日前から行方不明っていう……」
「そうだ。それで、俺が暇そうな祓い屋に依頼を持ってきてやったんだよ」
和泉谷は得意げに鼻を鳴らすと、先ほどまでささらが座っていたソファにどかりと腰を下ろした。
「居なくなったやつらを探してほしいんだ」
「……うーん、探すって言ってもね。今警察の人が必死に捜索してるんじゃないの?」
「その警察が見つけてくれねえから依頼してるんだよ。俺の勘だとあれはお化けの仕業に決まってる!」
「そう断言されても」
「浩君、せっかくだけどささら様はこれから他の依頼があるの」
「え……お前依頼とか来るの!?」
「この子ホントに失礼なんだけど……」
目を見開いて本当に驚いている様子の和泉谷に、ささらは疲れたように肩を落とした。そもそも今ささらがバイトに行かずに事務所に待機しているのは、これから約束していた依頼人と会うためなのである。
「……あ、インターホンが」
そろそろ約束の時間だと思っていると扉の方から足音が聞こえてきた。
「ささら様、お願いします」
「ああうん、そうだよね……」
頑なに動く様子のない茶々に苦笑してささらが入り口に向かう。そして扉を開けると、そこには喜色満面と言っていいほど輝かしい表情を浮かべた女性が立っていた。
「たぬちゃーん! あ、ささらちゃん」
「……どうも、美守さん」
あらかじめ連絡を貰っていた依頼人――浦原は勢いよく飛びつこうとして直前に踏み止まる。案の定、といった様子でソファに座る茶々が「行かなくてよかった」と安堵していた。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞ入ってください」
「はーい。……さて、滝野さんもこちらへ」
「は、はい……」
浦原が事務所に入ると、更にその後ろから一人の男性が身を縮めるようにして着いてくる。年齢は六十歳くらい、頭が少し寂しいおどおどした男だった。
滝野、と呼ばれた彼はささらを見ると「こんな子供が……?」と小さく呟いて眉間に皺を寄せる。しかしすぐに浦原が咎めるような視線を向けると慌てた様子でささらから目を反らした。
「警察からの依頼と聞いているんですけど……」
「ええ。それで、こちらの滝野さんがその事件の関係者――」
「あれ? 校長だ」
「え?」
ここからは仕事だ。茶々に促されて渋々帰ろうとしていた和泉谷だったが、依頼人の男の顔を見て目を瞬かせた。そして滝野も、同じく少年に気づくと少しだけ考えるように視線を上に投げてから「君は……確か、和泉谷君」と口にした。
「あの、校長って言いましたけど……」
「あ、ああ。私はこの子の通う小学校の校長をしています。和泉谷君、どうしてここに。生徒は皆自宅待機のはずですが」
「そんなの守ってるやつほとんど居ないよ。皆どっか遊びに行ってるし」
「そ、そうですか……」
指摘されても全く悪びれもなく開き直った少年だが、校長は怒ることも諭すこともしない。そんな余裕など全くない様子でソファに座ると警戒するようにきょろきょろと事務所の中を見回していた。
「……初めまして、鬼怒田ささらと言います。祓い屋をやってます」
「助手の茶々です」
「助手って、まだ中学生くらいじゃないか。そんな子供が助手なんて……君、学校には行ってるのか。親御さんは――」
「茶々姉ちゃんを馬鹿にするな!」
「い、いやしかし……」
「お言葉ですが、わたくしはこんな見た目ですが成人済みですので」
「え……」
「何か問題でもございますか?」
にっこりと圧力のある笑みを浮かべた茶々に、滝野はぽかんと口を開く。しかしそれよりも驚いて――むしろショックを受けた顔をしていたのは茶々を庇ったはずの和泉谷の方だった。
「い、いえ、ありません」
「だそうです。それでは浦原様、依頼の話をしていただきたいのですが」
「ええ……。と言っても、二人ともニュースであらかた話は知ってるんじゃないかしら」
「ニュース……って、まさか依頼は」
「この方が校長をしている無々月小学校、そこで数日前から五年三組の三人の児童が行方不明になっている。その子達を早急に見つけてほしいの」
先ほど断ったばかりの依頼に驚くささら達とは裏腹に、和泉谷は「なんだよそれ俺の依頼じゃん!」と大きく声を上げた。
「君もささらちゃんに依頼しに来たの?」
「そうだぜ! けどこいつさっき断りやがって……」
「それはこっちの先約があったからだけど……というか美守さん、警察が動いてるんですよね? どうして祓い屋に依頼なんか」
「実は……」
浦原の話によると、行方不明になった五年三組の三人は居なくなる前の放課後、夜の学校にこっそりと侵入しようという話をしていたというのだ。
そしてその日の夜、実際に近辺の監視カメラの映像から少年達が門をよじ登って小学校へ入っていく姿が確認された。
「……けれど、そこから先に彼らの映像は一切残っていなかったわ。正門や裏門の監視カメラは勿論のこと、通学路にも全く。徹底的に調べたけど……警察としては、まだ校内のどこかにいるしかないという結論になったの」
「けど、見つかってないんですよね」
「ええ。そこまで広い学校ではないのに、大所帯で捜索してもまったく手がかりはなし。……それで、もしかして“こちら”の領域の事件ではないかと思った上司が居てね」
「え……警察ってそういうもの信じるんですか」
「警察の一部では昔から密かに霊能力者の手を借りていることもあったらしいの。……ささらちゃん、あなたの実家も。鬼怒田の名前は警察では割と知られていたわ」
「!? ……そう、なんですか」
不意に出された名前にささらの体が強張る。無意識に、彼女は膝の上で両手を強く握りしめていた。
「色んな方面から捜査はしていて、ささらちゃん達への依頼もそのうちの一つなの。だから実際に霊的なものが原因かは分からないんだけど……」
「と、とにかく! 幽霊でも妖怪でもなんでもいいんです! 早く事件を解決しないと……」
「そうですよね、早く子供達を見つけてあげないと」
汗を掻いてしきりにハンカチで拭う仕草をしている滝野に、ささらは子供達のことが心配で仕方がないのだろうと頷く。
「……どうだか」
「浩君?」
「なんでもない」
しかしそんな滝野の姿を、和泉谷は大人びた冷めた視線で見ていた。
「ちなみに、何か心霊現象に心当たりとかは……」
「あ、ありません!」
「小学校が立つ前に何か潰したとか」
「一応調べておいたけど、学校を建てる前は更地だったみたい。けど、その学校自体は一度火事で焼けてしまって立て直されてるわね」
「……その時の被害状況は」
「二つあったうちの一つの校舎がまるまる全焼、それから……一クラスの生徒と担任が逃げ遅れて全員亡くなってる」
浦原がそう言った瞬間、その場の全員の視線がひたすら汗を流す滝野へ向いた。
「……あのー、明らかにそれ怪しくないですか」
「そ、そうですかね……」
心当たりなどないと言っておきながら、まず思い当たりそうなことを言わなかった。茶々がこっそりと「ささら様、この方怪しいです」と耳打ちして来るのにささらは小さく頷いた。
「どうして最初に言わなかったんですか」
「か、火事があったのは何十年も前ですし、それから今まで何もなかったので関係ないと……」
「……なるほど」
筋は通っている。しかし今回の事件がささら達の分野の事件だったすれば、その火事は重要な話になって来る可能性が高い。
「その火事のこと、詳しく聞かせてください」
「詳しくと言われても……四十年近く前のことです。授業中に原因不明の火事が起こって、当時木造だった校舎はあっという間に燃えました。そして、一番出口から遠かった三階の奥のクラス……五年三組が火事に気付かず、逃げ遅れてしまったと」
「五年三組って」
「俺のクラスだ!」
そして、行方不明になった生徒も同じクラスだ。
「ますますその事件が関係してそうですね」
「美守さん、ちなみに警察は夜は捜索してますか?」
「一応、現場検証の意味で三人が消えたとされる時間帯に学校で捜査したけど何も」
「そうですか……ともかく、もしこちら側の問題なら実際に行ってみないとなんとも言えませんね」
「それじゃあ、依頼は受けてくれるのね」
「はい」
ささらの得意分野は祓い屋の名の通り除霊だ。人探しは専門外だが、とにかくやってみるしかない。もし子供達が今も学校のどこかに閉じ込められているとすれば、早くしなければ手遅れになってしまう。
「なら早速今日お願いできる?」
「分かってます。準備がありますし……彼らが消えた時間と同じ頃に」
「ささら様、札の準備はしておきます」
「うん、お願い」
「ささら、俺も行くぞ!」
話がまとまり、早速準備を……というところで、今まで黙って話を聞いていた和泉谷が突然立ち上がった。
「え、行くって」
「もちろん夜の学校だ! 俺だって依頼しようとしたんだからな! 依頼人が同行してもいいだろ!」
やる気に満ちたその表情は一歩も引かぬとばかりにささらを見つめる。しかしそれに困ったささらはどうしたものかと眉を顰め、そして助けを求めるように茶々に視線をやった。
「浩君、ここはわたくし達に任せて、ね?」
「いやだ!」
「危険かもしれないんです」
「だったら俺が茶々姉ちゃんを守る! だから」
「駄目です。これは――わたくし達の領域ですから」
その瞬間、優しく諭していた茶々の雰囲気ががらりと変わった。
穏やかで優しかった雰囲気が、どこか寒々しくも思える冷えたものに。それを感じ取ったのか、今まで騒いでいた和泉谷もびくりと肩を揺らしてどこか怯えるように茶々を見上げる。
「茶々、姉ちゃん……」
「浩君はわたくし達が戻るまで、ちゃんと家にいること。……分かりましたか」
「……はい」
「よくできました。浩君はいい子ですね」
再び茶々の纏う雰囲気が元に戻る。その直後、頭を撫でられた和泉谷は力が抜けたように床に座り込んでしまっていた。
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「そろそろ時間よ」
日もすっかり落ちて肌寒い午後七時。ささらと茶々、そして依頼人の滝野とそれに付き添う浦原が無々月小学校の前に立っていた。
準備はしっかり整えている。茶々は札をすぐに取り出せるようにしており、そしてささらは首にかかるお守りと共に、念のためにと羽斬まで持ってきた。「それ持って行くんですか!?」と茶々には驚愕され、そして使えば我を失う危険性もあるが、以前の蛇のようなものが予想外に出てきた時に無いと困るのだ。
……先日の夢の中でどうしても欲しかったという記憶が鮮明に残っている、ということもある。
夜の学校はどうにも怖い。一切明かりはなく、普段賑やかな場所がこれほどまでに静まりかえっていると不気味にしか感じない。美守と茶々は平然としているが、ささらはびくびくと不安げに校舎を見上げ、そして滝野は忙しなく周囲を見回して体を震わせている。
「そ、それじゃあ行きましょうか……」
自分でも怖がっていると分かる声でそう言って、ささらは緊張しながら一度立て直された校舎の昇降口へと一歩足を踏み入れた。
「……」
「ど、どうですか……?」
「特に、何も感じませんが……」
校舎の中は冷たい静寂で満たされている。そこには子供の声も物音も、まして幽霊の声すらも聞こえて来ない。
「とりあえず、五年三組の教室に行って」
「茶々姉ちゃん!!」
「……え?」
四人が靴を履き替えて校内を歩き出そうとしたその瞬間、背後から少年の声が響いた。
「い、和泉谷君!?」
「何でここに……」
走って来たのか、ぜえぜえと荒い息を吐きながら昇降口に飛び込んで来たのは和泉谷少年だった。先ほど茶々に止められたというのに学校まで来てしまった彼に、茶々は少々怒った表情を見せて少年に近づいていった。
「浩君、約束しましたよね。ちゃんと家にいるって」
「う、うん……だけど」
「これは遊びではないんです。いい子ですから――」
「……嫌だ。帰らない! だって、あいつら全然見つからなくて、沢山の人が探してるのにどこにも居なくて……もし茶々姉ちゃん達までそうなったら!」
「……」
「悪い子でもいいから、俺も一緒に――」
彼がそう言いかけたその瞬間――大きく開かれていた昇降口の戸が一斉に音を立ててぴしゃりと閉まった。
「え……っ!?」
「ささら様!」
誰も触れていなかった戸が完全に閉まると、途端に密閉された空間に冷気のような風が通り抜ける。
ささらも茶々も、この空間の空気が一変したのを感じ取った。
――キーンコーンカーンコーン。
「……チャイム」
「こ、こんな時間に鳴るはずが」
無機質なチャイムの音が校内に響く。そしてそのすぐ後、チャイムが流れたスピーカーから、ジジ、と小さな雑音が聞こえた。
『――皆さん、おはようございます。今日は五年三組に新しいお友達が来ました。和泉谷浩君です。皆、仲良くしてあげましょう――』