episode 8 ワンダーランドはこちらです(2)
「ここは……」
「急に外に出たな」
一つ目のゲームをクリアしたささら達はその後扉の先へと進み、長い廊下を慎重に歩いていた。
真っ直ぐで何も無い廊下の奥には更に一つの扉があり、そしてそこを開けると目の前に広がったのは薄暗い町中の景色だった。
廃墟になっているらしいぼろぼろの建物が並び、視界を遮るようにしとしとと雨の振るその場所は他に人気はない。夢の中なので仕方が無いが、突如城の外に出てしまったようで不思議で不気味だ。
『やっと来たね! ここでは二つ目のゲームに挑戦してもらうよ!』
「あ……また声が」
どこに進めばいいのかとささらが辺りを見回していると、またしてもどこから聞こえているのか分からないあの声が耳に入って来た。
『二つ目のゲームは、シューティングでーす!』
その瞬間、ささら達の目の前にぽん、と音を立てて一つの木箱が出現した。
『木箱の中には銃が入ってるよ! 出てくる敵を全部やっつけたら君たちの勝ち! ただし、弾数は制限があるから適当に撃ってるとあっという間に尽きてやられちゃうよ! それじゃあスタート!』
「え、ちょっと」
まだ銃も取り出していない状態で開始の合図が叫ばれる。シューティングゲームなどゲームセンターでもやったことがないささらが戸惑っていると、途端にざわりと嫌な予感がした。
そしてその直後、柊が木箱から拳銃を取り出すと同時に、周囲の廃墟から次々と人が出て来たのだった。ふらりゆらりと左右に体を揺らしながらゆっくりとささら達を目指してやって来る彼らは土気色の肌をぼろぼろにし、所々体が崩れている。
「う、あ……」
「ひ……ぞ、ゾンビ……!」
「まさしくゲームだな」
ささらが彼ら――ゾンビにびびっている中、柊は拳銃を一つささらへ放り投げると「俺だってそんなに得意なもんでもないぞ……」と呟いて銃を構えた。
「ヘッドショットは技術的に無理だな。……少しでも当たる確率の高い体を狙った方が」
「ねえ、ねえ柊さんなんでそんなに冷静なんですか!?」
「こういう時に焦った方が死ぬ確率が上がるだけだ。――ささら! 来るぞ!」
「!?」
焦らない方がいいと言っても実際にできるかは別問題だ。ささらが震える手でどんどん近付いて来るゾンビに向かって銃を構えようとしたその時、気付かないうちに死角から接近されていた他のゾンビが彼女の持つ銃を叩き落とした。
「あ」
「ささら!」
彼女が気付いた時には銃は音を立てて地面に転がり、そして目の前に迫ったゾンビは丸腰になったささらに噛みつこうと大きく大きくその口を開き――。
「い、いやあああああっ!?」
その刹那、ゾンビは反射的に繰り出されたささらの右ストレートによって右頬を陥没させながら吹っ飛び、ごろごろと転がってから塵のように消え去ったのだった。
「お、お前のそれでも倒せるのか。まあゾンビも怪異みたいなもんだよな」
「いやーっ! なんかぐにゃってした! べたってしてましたよ!? 気持ち悪い!」
「気持ち悪いで済むんなら別にいいだろが」
ささらがゾンビを殴った手を払うように振り回していると、傍らで冷静に銃を撃つ柊が呆れたようにそう言った。
「おら、また来るぞ。ゾンビだから動きも遅いし、今度はお前の独壇場だろ。精々俺は楽させてもらう」
「く、来るなー!! いやああやっぱり怖いしこの感触気持ち悪い! 羽斬……誰か羽斬持って来て……!」
「無茶言うな」
ゾンビに素手で触れる感触が酷く気持ち悪い。ささらは泣きそうになりながら、それでも必死にどんどんやって来るゾンビを殴り続ける。ぎりぎりまで近付かれるリスクはあるが、それでも彼女の拳は一撃必殺だ。二人を襲おうとするゾンビは次々と霊力の込められたささらの手で塵になっていく。
一方で柊の拳銃は多少距離を取って安全に攻撃はできるが、一度当たったくらいではゾンビは何事も無かったかのように近付いてくる。しばらくすると、柊がささらの隙を埋めるように銃で牽制したりフォローをし、そしてささらが止めを刺すという一連の行動が流れ作業のようになって来た。その間も相変わらずささらは引き攣った悲鳴を上げ続けているが。
『何それずるいよ! シューティングって言ったのに殴るなんて反則だよ!』
ゾンビの数が目に見えて減って来た頃、どこからかクーちゃんのそんな怒ったような声が響いて来る。
「何言ってんだ。今時のシューティングゲームは銃以外も使うだろ。爆弾とかナイフとか」
『え? そうなの?』
「大体銃を使うのに指で引き金引くだろ。ということは少なくとも手を攻撃手段に用いることは何の問題もないはずだ」
『な、なるほど……』
「柊さんそれは極論なのでは……?」
柊の言いくるめに妙に納得してしまったらしい着ぐるみの文句が止む。かと思えばすぐに気を取り直したかのように『ふふん、だとしてもこいつは倒せるかな?』と自信満々な声が聞こえ、そしてささらと柊の目の前に突然上から大きな塊が降ってきた。
それは数多のゾンビが融合したかのような、いくつもの手といくつもの足と、そしていくつもの顔を持った恐ろしく醜悪な塊だった。
「ひ、」
『ふふ、怖いでしょ? おぞましいでしょ? こいつは今までのやつらとは桁違いのとびっきりやばいやつだよ! 一度捕まったら全部食べられるまで離れな――』
「ひいやああああっ! 近付かないでえええ!」
『え?』
楽しげに説明していた声を掻き消す勢いで、目の前の存在に精神が耐えられなくなったささらが渾身の霊力を込めてそれをぶん殴った。
元々塊になっていて球体のような形をしていた物体は、その一撃で真っ二つになったように抉られ、そしていくつもある顔が何重にも断末魔を上げながら殆ど一瞬で消え去ってしまった。
「お見事」
沈黙が支配した数秒後、ぱちぱちと暢気な音を立てながら思わず柊が拍手した。
「流石霊力物理特化だな。霊力が物理とか意味分からんが」
「怖かった……めちゃくちゃ怖かった……! 絶対に夢に出る……」
「安心しろ。もう夢の中だ」
「何一つ安心できないですけど!?」
『……ちょ、ちょっと!? ホントに君何なの!? おかしいでしょどういうことなの!?』
「どういうことと言われても……」
「どう考えても夢に取り込む相手間違えたな」
『……とにかく! 二つ目のゲームもクリアだけど……次はこう簡単には行かないからね! 覚悟するといいよ!』
「さっきも同じこと言ってたな」
『うるさい!』
ぶつ、と声が途切れる音が聞こえると「案外チョロそうだな」と柊がぽつりと呟いた。
「あんまり相手を挑発しないで下さいよ……ここがあの子の作った夢の中ってことは、あの子は私たちをいくらでも危険に陥らせることができるんですから」
「今の所ゲームだとか言って即座に殺しには掛かって来ないがな」
「それもよく分からないんですが、多分遊んでいるんでしょうね。あの子の気が変わらないうちに次に行きましょう」
いつ気まぐれでゲームなんて投げ捨てて問答無用で来られるか分かったものではない。ささらはもう周りに敵が居ないことを確認すると、いつの間にか現れていた廃墟には似つかわしくない立派な扉に手を掛けた。
□ □ □ □ □ □ □
『三つ目のゲームは……友情破壊ゲームでーす!』
「友情、破壊?」
ささら達が次に訪れた場所は、一つ目のゲームの最後の部屋に少し似ていた。
大きな部屋は入り口と出口の部分だけしか足場がなく、それ以外の床は二階分ほど下の方に見える。
先ほどの部屋と違うのは綱渡りの綱はなく、足場以外の場所には足場と同じ高さに目の粗い金網が敷き詰められていること。そしてもう一つ、その金網のしたにはワニのような、はたまた恐竜のような……大きな生物が口から涎を垂らしながらささら達の方を見ているということだった。
『ルールは簡単、その金網の上を歩いてゴールまで辿り着けばOK! ただしその金網はよわよわだから一人が上を歩くと簡単に全部壊れちゃうよ!』
「……つまり、ここを通れるのは一人だけってことか」
『一度に二人で行こうとしたらその時点ですぐに金網が外れて下に真っ逆さま! 怪獣君のご飯になっちゃうよ! ――さあ、どっちが生きたまま食い千切られちゃうかな?』
酷く酷く楽しげな声に吐き気がした。ささらは真っ青な顔色で金網の下で舌なめずりをしている怪獣を見た後、そして恐る恐る隣に立つ柊を見上げた。
柊は無言でじっと怪獣を見ており、ささらの視線に気付いた様子はない。
柊を見捨てることなどできない。それができるのなら以前の蛇が襲ってきた時にとっくに諦めている。だから、ささらに柊を犠牲にするという選択肢は存在しない。
ならどうするか。二つの選択肢のうち一つが消えたのだが、自ずと答えは決まってくる。
「……ひ、柊さん。先に」
「先に行け」
「……は?」
「俺は後から行く」
「な、何言ってるんですか! 私が行ったら柊さんが――」
「聞こえなかったのか。俺は後から行くと言ったんだ」
柊の言葉に、ささらははっとして彼を見た。
「……本当にちゃんと来ますか?」
「行くっつってんだろうが。まだ家賃滞納してるやつがいるのに死ねるか」
「……ふっ、じゃあ柊さんがずっと死なないように、家賃滞納しなくちゃ行けませんね」
「そこはそうじゃねえよ払え」
割と本気でドスの利いた声を出されたささらは、「す、すみません払える分は頑張ります!」と叫んでから金網の前に来た。そして再度柊を振り返ると、意を決して足を金網の上へと一歩踏み出した。
「うわっ!?」
『よわよわだって言ったでしょ? 早く行かないと一人目でも落ちちゃうかもよ?』
ぐらぐらと揺れる不安定な足場は本当にいつ崩れてもおかしくないと思わせる。ささらは慌ててよろめいた足を前に進め、下で自分が落ちてくるのを待っている怪獣の姿を視界に入れないようにして向こう岸の足場まで必死に足を動かした。
そして、ささらが何とか出口の前まで辿り付いたその時、狙ったかのようにぐらついた金網が完全に崩れ落ち、渡る手段は完全に断たれてしまった。
「ぎりぎり……」
『はは、おめでとう! 君はゲームクリアだよ! あっちの彼を犠牲にして生き残ってよかったね!』
「……」
『自分が死にたくなかったんだからしょうがないよね? でもまだこの部屋からは出られないよ。彼が怪獣君に食い散らかされて消化されるのをちゃんと見ないと駄目だからね』
「……柊さんは死にませんよ」
『何を言ってるの? 君が彼を犠牲にしたんだからもう彼はこっちに来ることなんて』
「――そうだな。少なくとも、こいつに食べられることはない」
『え?』
クマの意識がささらから柊に映ったその時、部屋の中で銃声が響き渡った。
そして、いつ落ちてくるかと柊を待ち構えていた怪獣がその瞬間濁った声を上げながらその大きな体を揺らした。
銃声、銃声、銃声、銃声、リロード、銃声、銃声――
『ちょ、ちょっと、ちょっと待った!!』
「こいつが死ぬまで待て」
『なんでそんなの持ってるの! ずるいよ!』
「普通武器が残ってたら持って行くだろ、持ち込み禁止なんて聞いてないが」
『だって持って来るなんて思わないもん!』
柊が手にしていたのは先ほどの二つ目のゲームの時に使用した拳銃だ。おまけにゾンビの大半はささらがぶん殴って倒してしまった為、手元に残った銃弾の数がかなり多い。容赦も躊躇もなく一方的に怪獣を撃ち続けていると、流石に耐えきれなくなったようにぐらりと大きな体を傾け、そして地響きのような音を立てて倒れてしまった。
暫し本当に動かなくなったか確認した後、柊は怪獣の居る下の床へと慎重に降り、そして「最初の綱も持ってくれば楽だったな」と口にしながら何とか怪獣を足場にしてささらの居る出口の床へとよじ登ったのだった。
「これで俺もゲームクリアだな。それじゃあ次行くか」
『……ルール追加! 物を持ち出すのは禁止! その拳銃も置いていかなきゃ駄目だからね!』
「そりゃあ残念だ」
柊は肩を竦めると右手に持った拳銃を床に放り投げる。軽い音を立てて落ちたそれに、既に銃弾は入っていなかった。
□ □ □ □ □ □ □
大きな扉を開くと、そこは見る者に非常に分かりやすい玉座の間だった。
「……待っていたよ」
赤い絨毯の引かれた先にある大きな玉座。そこに座って不機嫌そうに肩肘を付いているのは、最初に目にした王冠を被った継ぎ接ぎのクマの着ぐるみだった。
「これから最後のゲームを行うよ。最後のゲームは……君の愛するものを殺してもらうよ!」
「え?」
玉座に座っていた着ぐるみが立ち上がる。そしてにたにたと不気味な笑みを浮かべ……そしていつの間にか持っていたナイフをささら達の前に転がした。
「今からここに君が思い描く愛するものが現れる。それをそのナイフで刺す……もちろんぐっさりとね? それができれば君の勝ちだ。あと、これを行うのはそっちの女の子だけ。そっちの男は何をしでかすか分からないからね! 何か手を出そうとした時点でゲーム失格、人間風船みたいにパーン! だからね!」
今までことで懲りたのかルールをしっかりと伝えるクマに、ささらは足下に落ちているナイフを見つめて「私が、愛するものをこれで」と小さく呟いた。
「ささら、所詮は夢だ。誰だろうとナイフでぶっ刺そうが死なん」
「それはどうだろうね? 君たちが無事に夢から覚めても、他に犠牲者が出てるかもね? それは起きてからのお楽しみだけど」
「……」
ささらは無言でナイフを拾い上げた。クマの言うことは本当なのか、それともただささら達を惑わす為のはったりなのか。着ぐるみの表情を窺ってもそれは読み取ることはできない。
「ふふふ、そろそろ思いついたかな? 心に嘘は付けないから憎んでる人間を想像しても無駄だよ。それじゃあ……ゲーム、スタート!」
クマが可愛らしく右手を上げたその直後、突如クマの体がぐにゃりと形を変えた。一度まん丸な影になったそれは少しずつ形を変えてゆき、段々と人の形に近付いて行く。
その影が女性の姿を取ったその瞬間、ささらは不意に何かを思いついたかのように「あ、」と小さく声を上げた。
そして女性の影は……何故か再び形を崩したかと思うと小さな台形のような形となり、そしてその姿を完璧に表した。
「「は?」」
柊がぽかんと口を開ける。そこにあったのは――何の変哲もない、ごくありふれたプリンだった。
そして同じく声を上げたのはそのプリンに変化した張本人、クーちゃんである。自分の姿にどうしてこうなったのかと困惑していると、突如目の前に現れた大きな影がプリンを覆い隠した。
「……頂きます!」
「ひ、」
ナイフをまるでスプーンのように持ったささらが勢いよくプリンにその刃を突き立てようとしていたのだ。いきなり自分を食べようとする大きな存在を目の前にしたクーちゃんは「た、助けてー!!」と悲鳴を上げながら皿の上から逃げ出した。
「ま、待って! 走ったり戦ったりしてお腹空いてるの!」
「夢の中だからお腹なんて空かないよー!?」
ぴょんぴょん跳ねて逃げるプリンと、ナイフ片手にそれを追いかけるささら。どたばたと走り回る彼らを眺めた柊は、冷静に「愛するもの、じゃなくて愛する人、って言うべきだったな」とどうでもよさそうに呟いた。
「捕まえ、た!」
「うわああ!?」
とうとう追いついたささらのナイフが柔らかいプリンに突き刺さる。その瞬間ぽん、と音を立ててプリンが消えた。
そうして再び継ぎ接ぎのクマが現れ……るかと思いきや、そうではなかった。ささらの目に入ってきたのは、豚のような体と象のような少し長い鼻を持った、そんな動物だったのだ。
「え?」
「う……う……うわあああああん!!」
そしてその動物は、その姿になるやいなや突如大声を上げて泣き出してしまった。
「酷いよー! 君たち大人でしょ! ならちゃんとゲームしてよ! 卑怯な手使わないでよー!」
「え、えっと、ごめんなさい……?」
「せっかくボクが楽しい夢見せて上げたのに! 大人げないよホントに!」
「は? どこか楽しい夢だって?」
「楽しいでしょ! 人間はホラー映画とか好きで見るんでしょ! 怪談話だって面白がって聞くんでしょ! だったら楽しいはずだもん!」
わあわあ泣きながら喚く動物に、結局何が何だか分からないとささらと柊は顔を見合わせた。そして、おもむろに柊が「おい」とその動物の頭をがしりと掴んで顔を近づける。
「お前の正体、目的、やろうとしたこと、洗いざらい吐いてもらおうか」
「う、わああああんこわいよー!」
柊の凶悪な表情と低い声に、泣き止んで落ち着くまでかなりの時間が掛かった。
□ □ □ □ □ □ □
「……ボクは、獏だよ」
「バク?」
「うん、獏のクー」
ささらも必死で慰めてようやく落ち着いた所で、彼はそう名乗った。
「獏っていうと、確か夢を食べるとかいう……」
「うん、ボクの主食は夢だよ。こうやって人に夢を見せて、それでご飯を食べるんだ」
「人の夢を勝手に食ってるのか」
「どうせ人間は夢なんて起きたら大抵忘れるんだからボクが貰ったっていいでしょ」
獏――クーはふてくされたような表情でふい、と柊から顔を逸らした。
「でも……最近の人間は忙しくてあんまり寝てくれないからご飯が少ないんだ。おまけに睡眠の質も悪いから夢食べても美味しくないし」
「それで、強制的に夢を見せたってこと?」
「うん、機械に詳しい友達と一緒にDVD作ったんだ。わざわざ夢を食べる人間を探さなくてもDVDを置いておけば色んな人が見て夢に入ってくれるし、楽しい夢を見続ければそのうち進んで寝てくれるかなって思って」
「何度も死にそうになって楽しいはずがないだろ」
「実際には死なないよ? 夢から覚めるだけだもん。でもそれ言ったらスリルがないでしょ?」
「……はあ」
ささらはゆるゆるとした会話に気が抜けて座り込んだ。あんなに必死で生き延びようとして、色々と覚悟までしたのにあれは一体何だったんだ、と。
まあしかし、結果オーライと言えばそうである。ささらはあまり納得した様子のないクーの顔を見て、諭すように口を開いた。
「あのね、クーちゃん」
「何?」
「人間が見て楽しい夢はね、もっと別のことがいっぱいあると思うよ」
「例えば?」
「例えば……そうだなあ」
□ □ □ □ □ □ □
「いらっしゃいませ……あ」
「げ、妹……」
「だから妹じゃなくてささらですって」
後日、いつものようにレンタルショップでバイトをしていたささらの元に来店したのは、仕事帰りらしいよれたスーツ姿の鳴宮だった。
「今日は早いんですね」
「ノー残業デーとか言って定時に強制的に帰らされる日もあるんだよ。……明日の仕事考えたくねえ……今日できなかった分が増えるじゃねえか……」
「……お疲れ様です」
相変わらずの社畜らしい鳴宮の様子に、ささらは苦笑しながら頭を下げた。
「……あんたここで働いてんだよな。何かおすすめないか? テレビとかも見る時間ないから全然話題作とか分からないんだよ」
「えーと……ちなみに見たいジャンルは?」
「癒やし系」
途轍もなく切実な声だった。
この人映画なんか見る前に寝た方がいいんじゃないか、と思ったところで、ささらはふといいことを思いついてカウンターの下からとあるDVDを取り出した。
「これなんかおすすめですよ。……まあ店の商品ではないんですけど」
「は?」
「とにかく癒やされてよく眠れることを保証します」
ささらが差し出したDVDのパッケージには『温泉旅行はいかがですか?』というタイトルが柔らかい字体で書かれていた。
※効能:温泉に入ってゆったり、美味しい料理とふかふかの布団で眠れる夢が見られます。