episode 7 人外女子会(2)
「ささら様、一体どういうことですか!」
「桔梗が誘拐されたって本当なの!?」
「ちょ……千紗さん揺らさないで!」
ささらからの連絡を受けた茶々は血相を変えてあっという間にやって来た。そして彼女が連絡したのか大きなマスクを付けた千紗も一緒だ。勢いよく千紗に胸ぐらを掴まれて頭を揺らされたささらは、がんがん頭痛を覚えながらも何とか彼女の手を外して自分の見たことを説明し始めた。
桔梗が彼氏に殴られ、そして他の仲間らしき人間達によって車に乗せられてどこかへ連れ去られた。記憶を辿りながらささらがそう口にすると、茶々も千紗も揃って額を押さえて「だから言ったのに……」と項垂れる。
「あの子は……惚れるとすぐに警戒心無くすんだから……」
「それで慌てて自転車で車を追いかけたんだけど、流石に途中で見失って。でも向かってた方角的に、あっちは港しかないと思うんだけど……」
「港……目的も分かりませんし、倉庫が多くて探すのに苦労しそうですね。おまけに船なんて乗られたら追いつけなくなります」
「ささら! あなたどうにかできないの!?」
「ど、どうにかと言われましても……」
「霊能力者なんでしょ! 桔梗の霊力を追うとか……!」
「茶々ならともかく一度しか会ったことがない人の霊力を辿るなんて無理です! せめて何か縁が繋がっているものがないと……」
再び鬼気迫る千紗に頭を揺らされ掛け、ささらは逃げながら首を横に振った。そもそも彼女は霊力こそ莫大にあるが、その取り扱いについては基本的に攻撃方面にしか特化していないのだ。精々結婚指輪などの強い縁で繋がれているものの片側を所持していないと霊力で探すなんてとても無理だ。
「呪詛だったら……藁人形とか探すのは結構得意なんだけどな……」
「――なら、これなら探せる!?」
困った顔をしたささらに千紗が後頭部に手を回して何かを差し出して来る。何だろうとささらが覗き込むと、そこにあったのはいくつかの赤い花が付けられた小ぶりの髪飾りだった。
「……あれ? これ茶々が色違いで持ってたような。白い花のやつ」
「前に三人で一緒に買ったものなの!」
「うーん……大丈夫かな……」
確かに縁があると言えばあるが辿れるかどうかは分からない。そもそも桔梗がその髪飾りを所持していなければ意味がないのだ。
ささらは髪飾りを受け取るとそこから感じられる縁を必死で辿ろうとした。微かに感じられたそれは桔梗が連れ去られた方向と繋がっているように感じるものの、やはり決定的な繋がりではないのではっきりしない。
「ちょっとこれだけだと……」
「ささら様、こちらを」
「ん?」
困った顔をしたささらの前にずい、と白い花の髪飾りが差し出される。茶々が時々身につけているのを見たことがあるが、今日は付けていなかったはずである。
「た、たまたま持っていただけです! あの頭の軽いお馬鹿を探すのにちょっとは役に立つかも、なんて思ってなかったです!」
「そ、そっか……」
必死に捲し立てる茶々にささらは曖昧に笑って相槌を打った。とにかく髪飾りを受け取ったささらが先ほど同様に縁を辿ると、二つになった為か前よりもはっきりと繋がる先が見えた。
「向こうだ……!」
「早く行きましょう!」
ささらの示す方向へ走り出す。朝から新聞配達、その後のバイト、そして全力で自転車を漕いで車を追いかけた為ささらの体力は限界に近い。が、今はそんなことを気にする余裕などなかった。
桔梗の居場所が分かるのは自分だけだ、とささらは自らを奮い立たせて足を動かす。そして、海に近いとある建物の側に来たところで不意に「あ」と小さく声を上げた。
「あそこに居るの……桔梗さんの彼氏」
「どの男!?」
「ほら、あの手前側にいる短髪の……ってこっちに来る!」
ささらが先ほど見た桔梗を殴った男は誰かと話しながら彼女達の方へとやってくる。咄嗟に近くの倉庫の影に隠れると、近付いて来るにつれて少しずつ話し声が聞こえてくるようになった。
「――で、本当にあの女普通の人間じゃないのか?」
「ああ、証拠だって撮ってある。でかい狐の化け物だ」
「それはいい。海外のコレクターに日本の妖怪は高く売れるんだ」
「じゃあ仲介料は前に言ってた額で」
「毎度あり」
そんな会話を交わしながら通り過ぎていく男達に、茶々と千紗が今にも彼らに飛びかかろうと倉庫の影から出ようとする。
「お、落ち着いて二人とも!」
「何で止めるのよ!?」
「ささら様、手を離して下さい!」
「車に乗せた犯人は他にもいたし、ここで騒ぎを起こせば桔梗さんが余計に危険にさらされるかもしれない! いつ売られるかも分からないんだから桔梗さんを助けるのが先!」
ましてや茶々はそれほど腕が立つ訳でもないのだ。札などを使って霊や怪異を相手にすることはできるものの、人間の成人男性相手に大立ち回りなどできない。
ささらが必死に二人の腕を引き戻すと、「……確かに桔梗のことが先ね」と渋々大人しくなった。
とにかく今は桔梗を見つけなければならない。ささらは再び二つの髪飾りに意識を集中させ、その縁が繋がる先を目指して男達が入っていった潮風で錆びた建物へと向かった。
□ □ □ □ □ □ □
「……困りましたね」
「うん……」
人を避けるようにこっそりと移動し、順調に桔梗の居場所を探っていたささら達だった。……が、ここに来て一つの問題が発生していた。
彼女達の目の前には重厚な扉が立ちはだかっており、先へ進めなくなっていたのだ。
「鍵掛かってる……こうなったら力尽くで」
「千紗、流石にあなたでもこれは無理よ」
「大きな音を立てたら気付かれそうだしね……誰かがここに入るのを待ってこっそりついて行くとか……?」
「……あ、ちょっと待って下さい」
三人でどうしたものかと悩んでいると、不意に茶々が顔を上げて天井近くのある一点を見る。釣られてささらと千紗も見上げると、そこには小さな換気口があった。
「わたくしならあそこから入れます。向こう側に出て鍵を開けて来ます」
「大分狭そうだけど大丈夫?」
「ええ、何とかやってみせます!」
「茶々頑張って! 桔梗の為にも!」
「……別に桔梗の為ではないわよ! 妖怪が売られるなんて許せないだけ!」
「あ、うん……」
ぽん、と小さなタヌキに変身した茶々を千紗が抱え、換気口近くまで腕を伸ばす。そこから身軽にジャンプして換気口にしがみつくと、茶々は爪を立て器用にカバーを外してその中へ入っていった。
大きな尻尾が視界から消えていくと、ささらは少し呆れたような表情を浮かべて隣の千紗を振り返った。
「茶々はああ言ってたけど……桔梗さんのこと、すごく心配してますよね」
「いつも口喧嘩してるけど、茶々も桔梗のこと大好きなのよ。……それに私も、二人のことはとっても大切」
千紗が笑う。顔は大きなマスクで覆われているが、それでも十分に分かるくらい嬉しそうな笑みだった。
「……昔、私が怪異として生まれたばかりで全然他の人外と交流もなかった頃、初めて話しかけてくれたのがあの二人だったの」
『あんたが最近噂の口裂け女ってやつね。ま、人外同士よろしく』
『名前は? ……まだないの? だったわ私たちが付けてあげるわ』
『名前……そうねえ、口裂け女から取ってチサっていうのはどうかしら』
『ふうん。安直だけど、あんたにしては可愛い名前を考えたわね』
『あんたにしてはってどういう意味よ、この幼児体型化け狸』
『そのままの意味だけど? この男運最悪化け狐』
『……ふふ』
ばちばちと音が鳴りそうなほど睨み合っている二人に、千紗は生まれて初めて笑った。
『じゃあ改めてよろしくね、千紗』
「あの二人が私をただの口裂け女じゃなくて、千紗にしてくれたの」
「……そうだったんですか」
「だから、あの二人を傷つける人は誰であっても許さない」
千紗が再び笑う。……しかしその笑みは先ほどの柔らかな微笑みではなく、どこか寒気がしそうな壮絶な冷笑だった。思わずささらも両腕を擦ってしまう。
口裂け女に目を付けられたあの桔梗の恋人は、果たして生きて帰れるだろうか。まあ自業自得であるし同情の余地もないが。
「あ」
その場の温度まで下がったと錯覚してしまいそうになったその時、目の前の扉から鍵が回される音が聞こえ、そして扉が開かれた。
「……お待たせしました」
そうして扉の向こうから顔を出したのは、人型に戻った――体や髪のあちこちに埃や蜘蛛の巣を引っ付けて酷く不機嫌そうな茶々だった。
□ □ □ □ □ □ □
「やあ化け狐、気分はどうだ」
「……」
酷く楽しげに話しかけて来た男――つい数時間前まで心底惚れ込んでいた恋人を前にして、桔梗は手足を縛られて苦々しい表情で黙り込んでいた。
今度こそ、と思ったのだ。彼は今までの男とは違う、誠実で自分を大事にしてくれる人間だと信じていた。しかし結局、桔梗はこの男にとってただの“商品”でしかなかったのだ。
茶々や千紗の言葉が頭を過ぎり唇を噛む。どうしていつもこうなるのだ。どうして自分だけがこんな目に遭わなくてはいけないのだ。ぐるぐると思考は巡り、桔梗は男を睨み付けた。
「……なんで、こんなこと」
「何で? 決まってるだろうが。そもそもお前、いくら美人でも人間が化け物を好きになるなんて本当に思ってたのか?」
「だ、誰が化け物よ!」
「お前だよ。最初は見た目がいいだけが取り柄の馬鹿だと思ったけど、まさか化け物だったとはな。知った時点で逃げ出さなかっただけありがたいと思えよ」
桔梗の怒りに満ちた顔を鼻で笑った男は、そのまま彼女の腹に思い切り蹴りを入れた。抵抗もできずに蹴られた桔梗はごろごろと床を転がり、痛みに呻きながらも何とか顔を上げる。
「お前、俺のこと大好きなんだろ? だったら俺の役に立てることを喜んだらどうだ?」
「……こんなことして、絶対に、ただじゃ、すませないんだから!」
「はっ、もうすぐ海の向こうに売られるっていうのに強気だな。どうただでは済ませないんだ? 口先で言ってないでやってみ――」
ぺらぺらと調子よさげに喋っていた男の声が不意に途切れた瞬間、彼は側の壁に釘付けにされていた。
何が起こったのか分からない。そう言いたげに目を白黒させていた男は、ふと顔を横に向けて「ひ、」と小さく悲鳴を上げた。
彼の肩、その服を的確に縫い付けていた物の正体は――包丁だった。
「許さない……」
何もかもを呪ってしまいそうなおどろおどろしい女性の声。それはいつの間にか開かれていた扉の向こうから聞こえてくる。
片手に包丁、片手に大きな鋏を持ったその女は大きなマスクで顔を覆い、ぶつぶつと呪いの言葉を吐きながら着実に男に近付いてくる。
「く、来るな!」
慌てて逃げようとして縫い止められていた服を引きちぎろうとするが、その瞬間女の手にあった包丁が顔すれすれに飛んで来て背後の壁に刺さった。もはや悲鳴も出ず、そして逃げることもできずに近付いてくる女を待つことしかできない。
「……私、綺麗?」
「は……?」
「わたし、きれい?」
触れてしまいそうなほど側まで近付いた女が問いかける。そして、答えなければ殺すとばかりに聞き返した途端に鋏を振り上げられる。
「ひ……き、綺麗です! とても綺麗です!」
「――これでも?」
そして、吐息が聞こえそうなほどの距離の女が、そのマスクをゆっくりと外した。
――そこにあったのは、今にも男を飲み込んでしまいそうなほど大きな大きな裂けた口が。
「「ぎ、ぎゃああああああ!」」
「……桔梗、怪我は?」
「ちょっと蹴られたけど平気」
そんなホラー映画さながらの光景が繰り広げられる中、すたすたと部屋の中に入った茶々は縛られている桔梗の手足を解放して何事もないかのように無事を確認している。
そしてささらはというと……自分が迫られている訳でもないのに男と一緒に千紗にびびり異口同音に悲鳴を上げてしまっていた。
「……にしても、あんた何その汚い格好は」
「うるさい! これはあんたの所為でこうなったんだから!」
「茶々、さっきは桔梗の為じゃないって言ってたくせに」
「ぐ……」
ぐったりと気絶した男を放置して側にやって来た千紗の声に茶々が言葉を詰まらせる。
「と、とにかく無事ならさっさとここから出るわよ! わたくしまで売られそうになったらごめんですからね!」
「……ふん、お子様狸に需要なんてないと思うけどね」
「何ですって?」
「二人とも落ち着いて……」
「桔梗も茶々も、ホントに仲良しなんだから……それじゃあ三人は先に帰ってね。私はちょっとやることがあるから」
千紗がひらひらと片手を振って気絶した男を小脇に抱える。それを見て色々と察した三人が「ああ……」となんとも言えない相槌を打つと、千紗は大層楽しげににっこりと大きな口を歪ませた。
「旦那様と約束してるから殺したりはしないわ。……殺したりは、ね?」
その男がその後どうなったかは、彼女しか知らない。
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「また来て上げたわよ」
「い、いらっしゃいませ……」
後日、相変わらずの上から目線で事務所にやって来た桔梗は、見覚えのある紫の髪飾りを付けていた。
「何しに来たのよ。大した用も無いのにささら様の仕事場に来ないでよね」
「あら、せっかくとっておきの菓子折持ってきたっていうのにいらないのね」
「ありがとうございます! 頂きます!」
「ささら様……」
平伏しそうな勢いで高級そうな菓子折を受け取ったささらに、茶々は頭痛を覚えるように米神に手をやった。
「……この前のお礼よ。私を見つけてくれたのはあんただったって聞いたから。お陰で助かったわ、ありがとう」
「いえ、桔梗さんが無事でよかったです」
「これに懲りたら精々男を見る目を養いなさいよ」
「……男、ねえ。はあ、もうしばらく男はいいわ。世の中あんなやつばっかりだと思うと恋する気もなくなる」
「あんたが酷い男ばっかり引き当ててるだけだと思うけどね……」
「まあまあ、恋愛だけが人生じゃないですし。ほら、桔梗さんには千紗さんも茶々もいるじゃないですか」
「ふん……まあそうね。仕方が無いからたまには遊んで上げてもいいわよ。ささら、あんたもね」
「え? ありがとうございます」
「あんたはささら様の教育によろしくないので結構よ!」
「教育って……子供じゃないんだけど」
「ささらー茶々ー、差し入れ持ってきたぞー」
茶々がささらを守るように両手を広げた所で、不意に勢いよく事務所の扉が開かれた。
「……あ、いい男」
「え?」
そうして差し入れらしき紙袋を持って現れためぐるを見た途端、桔梗が獲物を狙うような目になった。
「ん? 来客中だったか。悪いな」
「いえいえ、はじめまして私桔梗と申します――」
「……しばらく男はいいって何だったんだろ」
「ささら様、教育に悪いので見てはいけませんよ」
あまりの変わり身の早さに、ささらはめぐるに詰め寄る桔梗を見て乾いた笑みを浮かべた。
……ちなみにその後すぐさま交際を申し込んであっさり振られた桔梗は「何でいい男は靡かないのよ!!」と叫びながら項垂れ、茶々にけらけらと笑われたのであった。