episode 7 人外女子会(1)
ピンポーン、軽い音が事務所の入り口から聞こえてきた。
「はーい」
ささらは少し声を弾ませてソファから立ち上がり、意気揚々と事務所の扉を開けた。久しぶりの依頼人かもしれない。そう期待しながら扉の向こうに現れた人影を見上げると、そこには見たことのない程の美人の女性が上から見下ろすようにして立ちはだかっていた。
迫力のある派手な容貌の、二十代半ばといった女性。長く美しい金髪のその彼女は、大層偉そうに両腕を組んで無言でささらを見ている。
「……」
「……」
「あ、あのー……ご用件は」
「入るわよ。あの女、此処に居るんでしょう?」
「え」
ささらが困惑していると女性は勝手にずかずかと事務所に上がり込む。そして一通りぐるりと部屋の中を見回すと「みすぼらしい部屋ね。古くさいあの女にはお似合いだわ」と鼻で笑う。
確かに高級な調度品がある訳でもなくソファもテーブルも中古で安く買ったものだ。しかし突然やって来た見知らぬ人に馬鹿にされる謂われもなく、ささらは珍しく少し怒るように「ちょっと!」と女性の腕を掴んだ。しかしながら若干勢いが弱いのは彼女の性格上仕方が無い。
「い、いきなり来てなんなんですか……それにあの女って――」
「は? 桔梗!? 何であんたが此処に居るのよ!?」
「え?」
その時、キッチンの方から現れた茶々が女性を見つけると、途端にキッ、と目をつり上げて声を荒げた。
女性はそんな茶々の声に振り返り、怒る茶々に対しても余裕たっぷりで涼しい笑みを浮かべる。
「あら。久しぶりねえ、茶々」
□ □ □ □ □ □ □
「……あ、あの、お茶どうぞ」
ソファに座った女性にお茶を出しながら、ささらは彼女とそして反対側に座る茶々をこっそりと窺った。
女性は先ほどから変わらず自信満々の偉そうな態度で足を組んで茶々を見ており、そして茶々はというと普段の穏やかな雰囲気をかなぐり捨てて不機嫌全開でむすっと女性を睨み付けている。
茶々は一体どうしたのかとささらは内心首を傾けた。いつもならば客が来るとお茶だって茶々が率先して出すのだが、ひたすら女性を睨み付けて動かなかった為慌ててささらがキッチンに向かうことになった。……普段やらない所為で勝手が全然分からず、ささらはちゃんと茶々に教わって練習しておけばよかったと後悔した。
女性がささらの持ってきた茶に目を落とす。そしてゆっくりと口を付けるとそのままテーブルに戻した。
「まずい茶ねえ」
「す、すみませ」
「ちょっと桔梗! あんたせっかくささら様が淹れてくれたお茶に何文句付けてるのよ!?」
「まずいものをまずいと言って何が悪いの? ……それにしても茶々、あんた相変わらず時代遅れな格好ね」
「ふん! すぐ流行り廃れに乗っかる軽い頭をお持ちのあんたとは違うんですー!」
「おまけにいつまで経ってもちんちくりんの幼児体型。まったく成長しないんだから」
「わたくしはまだ桔梗と違って若いんですー! 成長だってこれからなの!」
「それ百年前にも同じこと言ってたわね」
「うるさい! あともう百年もすれば背だって伸びてスタイル抜群になるのよ! きっと!」
「叶わない夢を見て可愛そうに」
「きぃぃぃ!」
「あ、あの茶々……?」
桔梗と呼ばれた女性に今にも噛みつきそうなほど怒っている茶々。普段の丁寧な言葉遣いから思い切りかけ離れた言動に、ささらは酷く困惑しながら彼女を呼んだ。
すると途端に茶々ははっと我に返るように目を見開き、そして酷く気まずそうな表情でささらを窺った。
「さ、ささら様、これは何というか……」
「あら、この人間の前では随分と猫を被っているのね」
「あんたは黙ってて!」
「えっと……桔梗さん? その、桔梗さんと茶々はどういう」
「だたの腐れ縁よ。何百年単位だけど」
「何百年……じゃああなたも茶々と同じで妖怪とか……」
「ええ、正解」
桔梗が色気たっぷりにさらりと綺麗な髪を払うと、その瞬間ぽん、と音を立ててその姿が消え失せた。そして代わりに現れたのは世にも美しい、誰もが魅了されてしまいそうな金の毛並みを持った九本の尾の狐だった。
「きゅ、九尾の狐……」
「ただの年増の狐ですよ」
「いつまで経ってもお子様の化け狸に言われたくないわね」
ぽん、と再び音を立てて桔梗は人間の女性の姿に戻る。改めて彼女を見ると、その容貌の美しさはやはりどこか人間離れした雰囲気を漂わせており、茶々と同じく何百年と生きてきたあやかしなのだな、と納得がいった。
「……ところで、結局何しに来たのよ」
「たまたまこっちに引っ越してきたからわざわざ様子を見に来て上げたのよ。ま、見る必要もないくらい変わってなかったけど……そういえば千紗はまだ来てないの? あの子、私があんたの所に行くって言ったら自分も行くって言ってたけど」
「え、千紗も来るの? そういうことは早く言ってよね」
お茶菓子あったかしら、と茶々が立ち上がってキッチンへ向かう。またしても知らない名前が出たことでささらが不思議そうにしていると、それを見た桔梗がにぃ、と蠱惑的な笑みを浮かべて「あなた、千紗に会ったことないの?」と尋ねて来た。
「はい、千紗さんという方には会ったことないですけど……その人も茶々の知り合いですか」
「ええ。わたしとあの子の妹分、って所ね。もうすぐ来るんじゃないかしら――って、噂をすれば」
桔梗の言葉に合わせるように、タイミングよくインターホンが鳴る。「ほら、出てきなさいよ」と桔梗に急かされるように背中を押されると、ささらは何も疑問に思うことなく立ち上がり、いそいそと出入り口へ向かいその扉を開けた。
「お待たせしまし」
「――私、綺麗?」
直後、聞こえて来たのは鈴を転がしたような女性の声だった。
ささらの目の前に現れたのは長い黒髪の背の高い女性。顔の半分に大きなマスクを付けたその女性は首を傾げて出会い頭にささらにそう問いかけてきた。
「へ? ……き、綺麗です」
「……これ、でも?」
マスクでよく分かりませんとは言えずに咄嗟に返答すると、女性は唯一しっかり見える目を弓なりに細めてゆっくりと顔を覆っていたマスクを外した。
その下には――耳に届くほど裂けた大きな口が。
「き、ぎゃあああああ!?」
「ささら様!? って、ストップストップ!!」
キッチンにまで届く大きな悲鳴を聞きつけた茶々が血相を変えて事務所の入り口まで走る。するとそこには、大きく裂けた口を持つ一人の女性と――そんな彼女に向かって悲鳴を上げながら殴りかかろうとしていたささらの姿があった。
茶々は今までにないほど俊敏な動きでささらの腕を掴むと、勢いに負けそうになりながら必死に「落ち着いて下さい!」と叫ぶ。
「茶々離して! 殺される!」
「今殺そうとしてるのはささら様の方です! わたくし達妖怪でもささら様の霊力はきついんですよ! 殴ったらただじゃすみません!」
「へえ、まさか逃げ出すんじゃなく逆に倒そうとするなんてね。ホラー映画なら主役になれるんじゃない?」
「桔梗も暢気なこと言ってないで止めなさい! ささら様! 千紗は無害ですから! ささら様に何もしませんから腕を下ろして下さい!」
「え……千紗って……この人が……?」
「……ふふ」
茶々の声にようやく振り上げていた腕の力を緩めると、ささらの目の前で立ち尽くしていた女が小さく笑った。その声にびびったささらが咄嗟に茶々の背後に隠れると、彼女――千紗は「驚かせてごめんなさい」とくすくす笑いながら軽く頭を下げた。
茶々の必死な説得によってようやくささらが落ち着きを取り戻すと、四人はソファに座り直した。ささらの隣には茶々が、茶々の目の前には桔梗が、そして……ささらの目の前、桔梗の隣には件の千紗と呼ばれた女性が腰を掛けた。
四人中、三人が人外である。ささらは妙な肩身の狭さを覚えて思わず体を縮めるようにした。
「はじめまして、千紗と言います。茶々と桔梗の友達で――口裂け女やってます」
「さ、ささらです……あ、あの、めちゃくちゃ驚いた挙げ句殴りかかろうとしてすみませんでした……」
「いいのよ。私もついいつもの癖でやっちゃったから」
ささらはうろうろと視線を泳がせた後、ゆっくり顔を上げる。テーブル越しに目の前に居る女性はにこにこ微笑みながらも……その口は相変わらず大きく裂けており、なかなかすぐには慣れずに怖い。
「あ、この口怖いわよね。ごめんなさい、すぐにマスクするから」
「い、いいえ! そのままで大丈夫です!」
「え? でも」
「マスクしてるとお茶菓子食べにくいですし……ほら、せっかく茶々が千紗さんの為に用意したものなので」
「……」
「美味しいですよこの最中、是非食べてみてください」
ささらそう言うと、千紗はきょとんと目を瞬かせた。目だけで見れば普通に可愛い人だなあとささらが内心考えていると、不意に千紗が吐息を漏らすように小さく笑った。
「茶々から色々話を聞いてたけど……あなた面白い子ね」
「え、普通だと思いますけど……」
「普通の子は怪異に殴りかかって来ないと思うけど」
「す、すみません。びっくりしてつい」
「つい、で反撃する辺りささら様ですよね。……って、なんで桔梗まで食べてんのよ! あんたの分なんて無いんだから!」
「ちゃんと四つ用意しておいて何言ってるんだか。美味しいわねこれ。千紗も食べなさいよ」
「……うん」
おずおずと最中を手に取った千紗がその大きな口を開ける。普通の人間では開かない辺りまでがばっと開いた口に最中を一口で放り込むと、もぐもぐと咀嚼した千紗が嬉しそうに頬を染めた。
「幸せ……」
「まったくこの子は、お手軽に幸せになれるんだから」
「旦那様にも食べさせて上げたい……これどこで売ってるの?」
「実は近所の個人商店で……って、え? 旦那様……?」
「うん。私、結婚してるの……人間の旦那様と」
ささらはぽかんと口を開け、そして千紗をまじまじと見つめた。つい先ほどまでびびっていたが今はそれどころではない。ささらは今告げられた言葉を再度繰り返すようにぶつぶつ呟いた。
「結婚……人間の、旦那様……」
「とっても素敵な人なの! ねえねえ聞いてくれる?」
「あー……また始まったわね、千紗の惚気」
「累計何百回目かしら……」
興奮して少し幼くなった口調のまま、千紗はテーブルに手を着いてささらの方に身を乗り出した。そしてそんな彼女を様子を見た茶々と桔梗は、額に手を置いて少々疲れたようにため息を吐く。
「どんな方なんですか?」
「もーすっごくかっこよくて優しくてね、文句の付け所がないくらい! 最初に出会ったのは私がいつものように道ばたで『私綺麗?』って聞いてた時なんだけど……綺麗ですねって言ってくれて、おまけにその後マスク外したらなんて言ったと思う!?」
「さ、さあ……?」
「『チャーミングな口ですね。マスクで隠すなんてもったいない』って! もう言われた瞬間恋に落ちちゃったわ! それから何度も何度も会う度にそう言ってくれて……十回目に会った時にね『毎朝綺麗だねって言いたいので一緒に暮らしませんか?』って!!」
「……すごく、いい人と巡り会えたんですね」
ささらは何と言っていいのか分からずにとりあえずそれだけ口にした。最初に掛けた言葉からして彼女の夫は心臓が強すぎる。
きゃー、と恥ずかしそうに頬に手を置く姿は可愛らしい女性そのものだ。……一部分だけ慣れればの話だが。
「ホントに、何度聞いてもあんたの夫すごいわね……」
「一度でいいから見てみたいんだけど……」
「駄目よ! だって二人とも会ったら絶対に好きなっちゃうもの!」
「ならないわよ別に。……なんたって私も、人間の彼氏できたんだから」
「は?」
「え?」
ふふん、と桔梗が自慢するように胸を張ると、途端に茶々と千紗が真顔になった。その反応にささらが不思議そうに二人を見ていると、みるみるうちに茶々達の眉間に皺が寄る。
「あんたに彼氏……」
「な、何よ。何か文句でも」
「桔梗大丈夫? 騙されてない? お金貢がされてない?」
「失礼ね! そんな訳ないでしょ!」
「だって……あんた、今までろくな男に当たったことないでしょうが」
「……」
桔梗が押し黙る。茶々はそんな彼女を見ながら、今までの桔梗の恋愛遍歴を思い出していた。
何股も掛けられたり暴力を振るわれたりヒモだったり……茶々の知る限りまともな男がまったく居なかったのは確かである。それもこれも、桔梗が異様に惚れっぽいのも原因のひとつだ。
「しかも人間って」
「こ、今回こそ大丈夫よ! 彼、すごく優しくて手を上げられたことなんてないし、狐の姿を見ても受け入れてくれて……それに浮気なんてしない、お前だけだって言ってくれたのよ!」
「浮気してる人は正直に言わないと思うんですが……」
「何よあんたまで!」
思わずささらが口を挟むと、桔梗は毛を逆立てるように――実際に狐の姿ならそうなっていただろう――怒った。そして茶々はささらの隣でうんうんと同意するように頷いている。
「精々ましな相手だといいけど……」
「会ったこともないのにさっきから……! 大体、千紗はともかく茶々! ろくに経験もないあんたにだけは文句言われたくないわよ! 人の彼氏に文句付ける前にあんたもさっさと男作りなさいよ!」
「今はささら様のお世話がわたくしの生きがいなので結構」
「はん、そうやって余裕こいてるとあっという間に行き遅れるのよ。そうなったら大いに笑ってやるわ」
茶々達が行き遅れと言われる年齢はどのくらいなのかと思ったささらだったが、流石に尋ねることはしなかった。
それよりも、とささらは窺うように隣の茶々にもの言いたげに視線を送る。
「……茶々、私のことは気にしなくていいから。何なら妖怪の合コンとか行っても」
「行きません!!」
その二人の姿は、まるでシングルマザーと再婚に気を遣う娘にも似ていた。
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数日後、ささらはレンタルショップのバイトを終えて自宅へ帰ろうと自転車置き場まで来ていた。
今日は新聞配達の後にフルタイムで入っていた為大いに疲れが溜まって眠い。事故を起こさないようにゆっくり帰ろうと自転車を漕ぎ始めようとしたところ、ふと視界の端に気になる金色を見つけて足を止めた。
「あ……あれは」
通りを挟んで向こう側、そこに居たのは先日事務所を訪れた桔梗だった。勿論人の姿をした彼女は、うっとりした様子で隣の男性の腕に手を絡めて並んで歩いている所だ。
あれが噂の、推定ろくでもない彼氏か。とかなり酷いことを考えながら桔梗の隣の男性を観察する。どこにでもいるような、さほど特徴もない普通の人に見える。絶世の美女である桔梗と並ぶとどうにも見劣りしてしまうのは仕方が無い。
ささらはそこまで見て視線を外した。とにかく眠いのだ。帰って布団にダイブする幸せな光景を想像しながら、再び自転車のペダルに足を掛けた。
――が、またしてもその足は動きを止めた。
「え」
最後にもう一度だけ桔梗を視界に入れた瞬間、彼女は隣の男に頭を殴られて地面に倒れ込んでいたのだ。
そしてすぐに、彼女たちの側に一台の車がやってくる。彼氏は車から出てきた男と共に倒れた桔梗を素早く車に乗せ、そしてあっという間に車で走り去って行ってしまった。
「……ほ、ホントにろくでもない男じゃん!!」
それどころではないのに思わずそう叫んでしまったささらは、慌てて茶々に連絡を入れる為に自宅の固定電話へとコールした。