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祓い屋(物理)の日常  作者: とど
一章
11/63

episode 5 “神”の贄(3)


 その日の夜、柊の病室は異様な様相を呈していた。

 部屋の四方に塩を盛り、そして壁中に茶々が用意した札が所狭しとべたべた張られている。


「わたくしの札では神相手にどれだけ効果があるかは分かりませんが……」


 一面に張られた札を眺めて茶々が不安と疲れでため息を吐く。危うく腱鞘炎になりかけるくらい茶々には頑張ってもらった訳だが、これでも大丈夫と太鼓判を押せる状況ではない。既に柊は一度殺され掛けている。恐らく穏便には済まされないだろうことはささらにも茶々にも分かっているのだ。


「おい、ささら」

「柊さん、もう依頼は受けましたからね? 柊さんは安静にして……成功報酬のことでも考えていて下さい」

「……ったく、なんでこういう時は強情なんだお前は」


 ベッドに横になっている柊が若干睨むようにささらを見上げる。以前柊と共に子供の幽霊を助けようとした時もそうだったが、普段気が弱い彼女はこうと決めた時は頑なに自分の意志を曲げない。


「しょうがねえな……精々のんびり報酬のことを――ッ!?」

「柊さん!?」


 突如、呆れた表情を浮かべていた柊の顔が大きく歪んだ。


「ぐ、う、あああ……っ!」

「傷が、傷が痛むんですか!?」

「ささら様! 呪詛の匂いが強くなってます! 恐らく近くに――」


 コンコン、と窓の外から音が鳴ったのは、その時だった。


 痛みにもがき苦しむ柊に気を取られているうちに、“それ”は既に窓の外に居たのだ。外が暗いにも関わらずはっきりと認識できる真っ黒な大きな影。病室は三階だというのに当然のようにそこに揺らめく影は何度も何度も執拗に窓を叩く。

 影が窓を揺らす度に病室中に張られた札が大きく風を受けたように煽られる。窓を叩く音はどんどん強くなり――そして、とうとう窓にひびが入った。


「っ来る!」


 窓が大きく叩き割られた瞬間、全ての札が音を立てて破られた。そして同時に病室の中にむせ返るような血生臭い瘴気が広がり、外の真っ黒な影が病室の中に入ってきた。


 ずる、ずる。


 窓ガラスが割れたというのに病院内は妙に静まりかえっている。ただ、目の前の影が這いずり回る不気味な音だけが鼓膜を引っ掻くだけだ。

 まさしく蛇のような形をした影が首を持ち上げる。大きな口を開けた蛇はその顔をベッドの上の柊に狙いを定めると、長い体を床の上で這わせながら近付いてくる。


「さ、させない!」


 ささらと茶々は手元に残していた札を蛇に向かって投げつけた。しかしそれは蛇の体に触れた途端じゅ、と軽い音を立てて燃え、黒い炭になってぼろぼろと床に落ちてしまった。


「――邪魔ヲスルナ、我ガ贄ヲヨコセ」

「……贄?」

「泉ニ落トサレル者は全テ我ガ贄。泉ニ触レタソノ男モ我ガ贄に他ナラナイ」


 濁ったようなしゃがれた声は、その影の口から聞こえて来た。

 柊は御神体に触れたから祟られたのではなかったのか。柊が贄だというのなら、神主が泉に案内してわざわざ水に触れさせたのは初めから彼を生け贄に捧げるつもりだったということになる。


「……泉に落とされた人が生け贄ってことは、他にも」

「無論、コレマデ沢山ノ贄が捧ゲラレタ……我ヲ神ダト勘違イシタ愚カナ人間達にヨッテ」

「か、勘違い……?」

「元ハ只ノ妖ダッタ我ヲ神トシテ祀リ上ゲ、ゴ丁寧ニ贄マデ捧ゲル……愚カデナケレバ何ダ?」

「……ただの、あやかし」


 ささらは改めて目の前の真っ黒な影を見つめた。瘴気にまみれたそれは確かに神というには些か力が弱く、そして穢れを全身に纏っている。恐らく捧げられた人間を食してしまったことで穢れを取り込み、堕ちたのだろう。

 そして、同様にただの妖怪とも言いがたい。勘違いとはいえ神として祀られた為か、この妖怪は本当に神に近付いているのだ。信仰は馬鹿にならない。神として祀り上げられれば、人間だって妖怪だって怨霊だって、神になってしまうのだから。


「この方は騙されて泉に触れただけです。帰って頂けないでしょうか」

「関係ナイ。ソノ男ハ我ガ贄。何処マデ逃ゲヨウガ我ノモノダ――」

「柊さんっ!」


 大きな蛇の体がバネのように飛び上がって柊に襲いかかる。ささらは咄嗟に柊を庇うように蛇の前に立ちはだかり、右手の拳を思い切り振りかぶった。


「えっ、」


 しかし、悪霊ならば一瞬で蒸発してしまうはずの一撃は胴体の堅い鱗にあっさりと阻まれた。それどころかささらの方が骨折してしまいそうな痛みを受け、思わず手を緩めた瞬間横殴りに飛んできた蛇の尾に吹き飛ばされる。

 彼女はそのまま背後の柊や彼に取り付けられていた病院の機器をも巻き込んで床に叩き付けられた。


「ささら様! よくも……っ!」

「茶々! 駄目!」


 怒りに震えた茶々はささらの制止を振り切って手に持つ札を蛇に投げる。しかしそれはあっさりと躱され、再度残っている札を手に取った所で茶々の体に蛇の尾が巻き付いた。


「く……ぅ」

「茶々!」

「オ前モ妖カ。愚カナ……力ノ違イヲマルデ分カッテイナイ。コノ小娘カラ殺シテシマオウカ」


 茶々は体に巻き付く尾を必死で引き剥がそうとするが、その拘束は緩むどころかどんどん強くなる。ぎりぎりと全身を締め上げられる度に茶々の口から苦悶の声が上がり、ささらは全身の痛みを堪えて茶々を助ける為に立ち上がろうとした。


 しかし、どうやって彼女を助ければいいというのか。

 いつも頼ってきた霊力を込めた拳は全くと言っていいほど効かなかった。茶々の札も一瞬にして消し炭になってしまった。今茶々を締め上げている尾は堅い鱗を纏っていて、とても素手でどうにかできると思えない。

 何一つ、打開策が思いつかなかった。


 このままでは茶々が死んでしまう。茶々だけではない、ささらも、柊もこの蛇に食われて終わりだ。

 あんなに大口を叩いておいてこの様なのか。どこにも突破口は無いのか。


 ――何か、何か何か、方法は。


 焦りで頭の中が真っ白になりかける。それでもこのまま殺されそうになっている茶々をただ見ている訳にはいかないと思ったその時、床についていたささらの右手に何かが触れた。吹き飛ばされた際に様々なものが散乱した床には、中身がばらまかれたささらの鞄もあった。

 財布、携帯、手帳……それから、短刀。


「!」 

「我ガ糧トナレ」


 蛇が茶々に向けて口を開ける。大きく大きく開かれたその口は茶々を丸呑みするのにも十分な大きさで、あっという間に彼女を飲み込もうと近付いて来た。

 その時、ささらは既に手に取った短刀を無我夢中で鞘から引き抜いていた。


 ――刹那、病室に一筋の光が通った。





「……え」


 何が起こったのか分からない茶々が床に落とされると同時に、彼女を捕まえていたはずの尾がずたずたに切り裂かれて床に転がった。


「ギャアァ!? ナ、ナンダ、オ前、何ヲ」

「……」


 尾を切られた痛みで蛇がのたうち回る。しかしその尾を切った人物――ささらは何も答えることなく、ただその赤い目に暗い光を灯して感情のない表情で蛇を見ていた。


「ヨクモ……殺シテヤル、殺シテヤル!」

「さ、ささら様! 危ない!」


 尾を失った蛇が瘴気を大量にまき散らしながらささらへその牙を剥いた。大きく口を開け、ささらの頭を噛み砕こうと鋭い牙が彼女に迫る。

 しかし、ささらはそれを怯えることもなく、悲鳴を上げるでもなくただただ静かに見ていた。


「――斬る」

「ア」


 直後聞こえた悲鳴は、たったそれだけだった。


 ささらに噛みつこうとした牙が、頭が、胴体が、鱗が、全てただの紙くずのように短刀に切り裂かれ、何もかもが原型を失って床に落ちた。纏わり付いていた瘴気すら切り裂かれて、霧が晴れたかのように病室内が明るくなった。


「……」

「さ、ささら様……」


 蛇は瘴気と共に消滅し、床に倒れたままの柊から血生臭い呪詛の匂いも消えている。脅威は去ったのだ。もう柊は無事で、茶々もささらも殺されることはない。

 けれど、茶々は短刀を握りしめたまま立ち尽くしているささらに、どうしても近付くことができなかった。


「……斬らなきゃ、斬って、斬って斬って斬って……」


 近付けば一瞬であの蛇と同じ末路を迎えると、確信があったからだ。

 ぶつぶつと呟く彼女が、ゆっくりと振り返る。虚ろな目が腰を抜かした茶々を捉え、そしてふらつきながら彼女の元へと歩み寄る。


「ささら様……」

「――おい待て、ささら」


 その時、茶々とささらの間に一人の男が立ちふさがった。


「お前、一体どうしたんだ」

「柊様、下がって下さい! ささら様が持つ刀は、感情を暴走させるんです! 今のささら様は敵を斬ることしか考えられません!」

「はあ!? ……ったく、しょうがねえな」


 柊は一つため息を吐く。どうにも緊張感のない彼に茶々の方がはらはらしていると、柊は脇腹を押さえながら重たい体を引き摺ってささらに一歩近付いた。

 瞬間、ささらが柊に短刀を向けた。


「斬る……」

「ささら……お前、なんでそんな危ねえ刀をわざわざ抜いた」 

「斬らなきゃ」

「何の為に斬ろうとしてんだって聞いてんだ」


 柊の問いかけに、短刀を振り上げようとしていたささらの腕がぴたりと止まった。


「何の為……私は、斬って……柊さんと、茶々を守る為に斬って」

「そうかよ。……俺は無事だ。嬢ちゃんも生きてる。ささら、てめえが守ったおかげでな」

「……私が、守った」

「おう」


 赤い目が揺らめく。それと同時に、力の入らなくなった手から短刀が滑り落ちた。

 からん、と音を立てて刀が床に落ちると同時に、ささらもまた崩れ落ちるように倒れかけ、咄嗟に柊が受け止めた。


「いっ……ったく、怪我人に世話焼かせんな」




   □ □ □ □ □ □ □




「――もしもし……え、誰だって……? 自分が殺した男のことも忘れたんですか? 神主と結託して俺を生け贄をしたっていうのに……はは、酷い話ですよね。わざわざ無関係の人間を村へ呼び寄せて生け贄にするなんて……。痛かったんですよ? 蛇に飲み込まれて、牙で噛み砕かれて、酸で溶かされて……苦しくて怖くて痛くて……痛くて痛くて痛くて痛くてああああああ……はは、生きながら食べられました。

 本当に、酷いですよね。こんな酷いことをしたあなたが憎い。憎い憎いにくい……殺したい。だから――蛇神様にお願いしたんです。次の生け贄は、絶対にあなたにして下さいって……はは、嬉しいですか? 生け贄を捧げるほど信仰している神様なんでしょう? ご自分が生け贄になるなんて光栄でしかない、そうでしょう? ……止めてくれ? 何をおっしゃっているのやら。一体今まで何人の人間が生け贄にされてそう思ったんでしょうかね。でもあなたは止めなかったんでしょう? あなたも是非味わってみるといいですよ。生きたまま飲み込まれて噛み砕かれて溶かされる恐怖を。

 ――てめえも同じ目に遭って報いを受けろ」







 ピ、と通話を切る音が聞こえると、ささらはなんとも言えない表情で目の前のベッドで電話を掛けていた男を見た。


「柊さん、よくやりますね……わざわざノイズ加工まで入れて」

「やるなら徹底的に、だ」


 柊はにやりと笑うと、スマホを布団の上に放り投げた。

 あの蛇を倒して、翌日の夕方のことである。吹き飛ばされたささらに巻き込まれてベッドから落ちた際に傷口が開いてしまった柊は医者に怒られながら治療を受け、そして改めて安静にしているようにと病室に戻った途端、彼は件の通話を始めた。


「依頼の屋敷は明らかに人に売るような物件じゃなかったし、わざわざそんな物件を村に来て見積もりしろ、なんて言う時点であの神主とグルだろうっていうのは想像が付いた。そもそもあの依頼人胡散臭かったしな」

「それであの脅し文句ですか……」

「実際あの蛇はもういねえし生け贄になることなんてないがな……ま、精々いつ生け贄にされるかと怯えて暮らせばいい」


 は、と鼻で笑ってそう言った柊に、ささらは前に茶々も同じようなことしてたな、と少々呆れ混じりにため息を吐いた。


「何にせよ、匿名で通報したからあの村にもそのうち警察が来る。今まで生け贄になった人達もあの泉の中から何かしら痕跡が見つかるだろう。そうしたらあの村の連中も言い逃れができない」

「今まであの村が怪しまれなかったのは、柊さんの時みたいに村で直接泉に沈めなかったからでしょうしね」


 村を訪れた人間が何人も行方不明になれば当然怪しまれる。しかし村から自宅へ帰った後に襲われたとなると、村の関与を考えるのは難しいだろう。だからこそ今まで現代社会で生け贄を捧げても警察に怪しまれなかったのだ。


「それにしても……柊さん、昨日の今日で元気ですね」

「お前も怪我したくせにバイト行ってるだろうが」

「生活が懸かってるので……あ、柊さん! 成功報酬!」

「覚えてやがったか」

「え、踏み倒す気だったんですか!?」

「冗談だ。……ささら、今回は助かった。それに、無理をさせて悪かった」


 柊はささらに向かって大きく頭を下げた。それを見た彼女は慌てて「顔を上げて下さい!」と声を上げるが、柊はしばらく顔を上げることはなかった。


「……流石に死ぬかと思った。だから本当に感謝しているし、お前にも嬢ちゃんにも怪我させてしまったのは悪かったと思ってる」

「そんな、怪我は大したことないですし、茶々も柊さんが無事で本当によかったって言ってましたから! それに私は祓い屋として依頼を受けたんです。だから依頼をこなすのは当然のことですから!」

「……そうだったな。流石は俺の贔屓にしている祓い屋だ。じゃあ報酬だが、何がいい」

「え、私が決めていいんですか」

「普通はそっちが決めるもんだろうが」

「そういえばそうですね。柊さんだといつも家賃払えないならとっとと除霊しろ、って事故物件に放り込まれてたので……。じゃあ、今滞納してる先々月分……と、良ければ先月分の家賃をチャラに……」

「いいぞ」

「え、自分で言っておいてあれですけどいいんですか? 先月分も?」

「お前は俺をなんだと思ってんだ。お前が命賭けた仕事の報酬を値切ろうとなんてするかよ」

「あ、ありがとうございます! これでしばらくは取り立てに来られない……」

「しばらく経ったら滞納する気満々なのやめろ」


 あはは、とささらが誤魔化すように笑うと、柊は「それで誤魔化されるやつ居ねえからな」と呆れたように軽く彼女を睨んだ。


「……それじゃあ、そろそろ面会時間も終わるので帰りますね」

「ああ。……待て、ささら」

「? 何かありましたか」

「……退院したら、どっか飲みに行くか」

「え?」

「前に言ってたろ、二十歳になったんだし酒飲んでみたいって。……せっかく土産に買ってきたのは駄目になったからな」

「土産? ……あ」


 何のことだろうかと首を傾げたささらだったが、すぐに思い出した。最初にあの蛇に柊が襲われた時、柊が持っていた酒の瓶が割れたのだ。

 あの酒は自分の為だったのか納得した彼女は、柊の提案に嬉しそうに頷いた。


「是非行きたいです!」

「分かった。退院したら連絡する」

「はい、それでは」


 ささらは会釈をして軽い足取りで病室を出て行く。あからさまに感情が態度に出るささらの後ろ姿を見送った柊は、扉が完全に閉められると、先ほどの自分の言葉を思い返して静かになった病室で一人ぽつりと呟いた。


「二十歳か……あいつも随分成長したもんだ」


 身長や体つきは殆ど変わらない。だが三年前、初めて柊と出会った頃の彼女は今にも潰れてしまいそうなほど小さく見えた。

 けれど三年経って、彼女は見違えるほど変わった。泣き虫で怖がりな所は変わらずとも、恐ろしいと思うものにも立ち向かう強さが生まれた。笑顔が増えた。他人を信じられなかった彼女が、他人を守る為に頑張れるようになった。


「……本当に、変わったな」


 柊は自身も気付かぬうちに、自然と笑みを浮かべていた。



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