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祓い屋(物理)の日常  作者: とど
一章
1/63

episode 1 祓い屋ささら(1)


 じめじめと、体に纏わり付くような鬱陶しい雨が降っている。

 深夜、終電を降りた不健康そうな男はふらふらになる体を引きずって、傘を揺らしながらとぼとぼと帰路を歩いている。


「……あのクソ上司……今日こそ早く帰れると思ったのに直前に仕事押しつけやがって。ヅラだっていうのがばれて娘に幻滅されればいいんだ……」


 俯きながらぶつぶつと呪いの言葉を吐く男――鳴宮航なりみやわたるは今年二十六歳になった、とあるIT企業で働くサラリーマンである。艶の無い黒髪はしばらく散髪に行けていないせいで中途半端に伸び、眼鏡の掛けられた顔は疲労が滲み出ており今にも眠ってしまいそうなほど瞼が降りてきている。

 入社して四年目になる会社はブラックに近いグレーであり、最近は納品が近いということもあって終電の常連だ。そんな彼も明日はようやく久しぶりの休みが取れ、こうして雨の中暗い夜道を進んでいる。


 家に帰ったらとにかく寝る。そして明日になったら少しは部屋を片付けなければ……いややっぱりそのまま眠ろうか。

 ぼんやりとした思考のままでも足はちゃんと道を間違えずに鳴宮の家であるマンションへと向かう。駅から近く築十年以内、だが家賃は格安で両側は空き部屋という嘘みたいな好物件――まあ理由はあるのだが――が鳴宮の自宅だ。


「――ぁ」

「……なんだ?」


 雨にただでさえ低い体温を奪われながらあと少しで自宅に着くという時、鳴宮は雨音に紛れて微かな声を聞いた。女性の声に聞こえたそれに、鳴宮は一度足を止めて視線を彷徨かせた。

 こんな真夜中、それも雨の中で聞こえた女の声。鳴宮と同じように仕事が遅くなったのかもしれない。はたまたコンビニに行こうと外に出たのかもしれない。理由ならいくらだって考えられる。

 だというのに彼は無意識にその声に警戒心を抱いてしまっていた。辺りを見回しても誰も見つけることはできず、しかし確かに女の声は鳴宮の耳に届いた。そう、確かに耳元で女の声が――。

 ……耳元?


「……ぁぁあ」

「、なっ」


 全身がぞわりとした嫌な悪寒を感じた瞬間、再び彼の耳元で掠れた女の声が聞こえた。それだけではない、同時に彼の首に生暖かい吐息と冷たい手が絡みついて来たのだ。

 首を掴んだ手はどんどん強くなり鳴宮の首を絞める。その間にも首筋には生暖かい息が掛かり、濡れた髪のようなものがべとりと纏わり付く。


「っあああああ!」


 鳴宮はパニックに陥りながらも必死に首を絞める冷たい手を解こうとする。しかし力強い。女とは思えない力に気を失いそうになりながらも、彼は火事場の馬鹿力とでもいうようになんとか女の手を振り払った。

 そのまま逃げるように走り出す。落とした傘や鞄を拾う余裕などない。いつもならばすぐに着くはずの家が随分遠く感じる。


「うわっ!?」


 ようやくマンションの前まで来たところで濡れた地面に足を取られて転んでしまう。痛みを感じると同時に今までの疲労が一気に襲いかかって来て立つのも苦しい。


「……さない」


 なんとか立ち上がったその時、再び耳元で女の声がした。鳴宮は恐怖と走った苦しさでひゅうひゅうと息を漏らしながら、再び首を絞められるのを恐れて振り向きざまに思い切り腕を振り回した。


「ひっ、」


 そこにいたのは、雨に濡れた一人の女だった。

 長い黒髪がべったりと顔に貼り付き白いワンピースのようなものに身を包んでいる。その肌は青白いなんて表現では足りないくらいの白で、腕は枯れ木のように痩せ細っている。

 そして極めつけに、その女は――ワンピースの裾の下に、足がなかった。


「ゆるさない」

「ひ、ひえあああああああっ!?」


 そう言った女の目がぎょろりと鳴宮を捉えた瞬間、彼は人生で一番情けない声を上げながら逃げ出し全力でマンションの自室に飛び込んだ。




   □ □ □ □ □ □ □




「た、ただいまぁ……」


 早朝、新聞配達を終えて帰宅した鬼怒田きぬたささらは大きな欠伸をしながら二度寝をしようと寝室の扉を開けた。肩までの黒髪は若干乱れ、珍しい色である赤い瞳は今にも閉じそうに半眼になっている。

 ひたすら自転車を漕いで疲れた足が重い。彼女はそのまま床に敷いた布団に倒れ込もうとしたが、その直前に布団の片隅が不自然に盛り上がっているのに気付いた。

 ぺらりと掛け布団を捲るとそこには彼女の想像通り、茶色の毛並みのタヌキが丸まってくうくうと寝息を立てている。


「茶々、朝だよ」

「……か……さま……はっ、ささら様!」

「おはよう、茶々が寝坊なんて珍しいね」


 小さな寝言を零していたタヌキ、茶々はぱちりと目を覚ますとささらを見て文字通り飛び上がった。


「申し訳ありません、すぐに朝食の準備を」

「ううん、ごめん。ちょっとこれから寝るから」

「分かりました。今日は確かもう他のアルバイトはありませんよね?」

「うん」

「なら起こさないようにしますね。ゆっくり眠ってください」


 今まで眠っていた茶々に代わるようにささらが布団を被って目を閉じる。そして数秒も経たないうち眠ってしまった彼女を見ながら、茶々は「ささら様、おやすみなさい」と言ってから手を合わせた。

 刹那、茶々の小さな体がぽん、と音を立ててその姿を変貌させた。丸く小さな毛玉は人間の形になり、ぴんと立った耳やふんわりとした尻尾は消え失せる。

 そうして現れたのは、まだあどけなさが残る十代の女の子だった。茶色の長い髪を後ろで一つの三つ編みにし、着物の上に割烹着を来た古風な少女だ。


「よし、まずは洗濯から!」


 そう言った少女、もといタヌキから人に化けた茶々はいそいそと寝室を出て行った。






 ささらが眠りについてから数時間後、気持ちよく安眠していた彼女を現実に引き上げたのは一本の電話だった。

 ピピピ、と単調な電子音がひたすら枕元で響き渡る。ささらは唸りながら手探りで二つ折りのガラケーを探り当てるとむにゃむにゃと寝ぼけながらも通話ボタンを押した。


「もしもし……」

「ささら? 俺だけど」

「う……ん……」

「おーい」


 再び夢の中へ旅立とうとしたささらを大きな声が引き戻す。なんとか目を開けて体を起こすと、彼女はまだ若干頭を前後に揺らしながらも意識を覚醒させようと電話に意識を集中させた。


「ささら、聞こえてるか?」

「……めぐ兄さん」

「そうそう。今日仕事は?」

「休み……ひっさしぶりに休みで」

「よかった暇だな。今から依頼人連れていくから頼むなー」

「だから一日寝ようかと……は?」

「それじゃあ十分ぐらいで着くから」


 ツーツー、と通話が打ち切られた無情な音を聞きながら、ささらは寝起きで回らない頭で今し方言われた言葉を反芻して見せた。


「依頼人……十分……十分!?」


 冷静にその言葉を理解したささらは勢いよく布団から飛び出す。しかし起き抜けの体はそれに着いていけずに思い切り転び大きな音を立てて床に額を打ち付けた。


「ささら様、どうしました!?」

「茶々、依頼! 十分後に来るってめぐ兄さんが!」

「はあ!? ……あの人はいつもいつも!」


 ばたばたと寝室へやって来た茶々が怒りながらささらを立ち上がらせて「とにかく身支度を! あとはこっちでやっておきますから!」と三つ編みを揺らしながら走り去っていく。


「せっかくの休みが……」


 しかしささらに断る余地などない。茶々の後ろ姿を見送ったささらは、疲れたようにため息を吐きながら箪笥の引き出しを開けて身支度を始めた。




   □ □ □ □ □ □ □




「よう茶々、久しぶりだな」

「……めぐる様、依頼ならば事前に連絡してくださいと何度言ったら分かるんですか」

「悪い悪い。でも仕方ないだろ? 大体こういうのは緊急なんだからさ」


 そして本当に十分後、その男はやって来た。寝起きで慌てて身支度をして既に疲れてしまったささらは、若干寝癖の残る髪を気にしながら目の前にいる二人の男に視線をやった。

 客人は二人。一人は長身痩躯のひょろりとした黒髪短髪の男で、彼は先ほどささらに電話をしてきた張本人である。

 鬼怒田めぐる。ささらの七つ年の離れた兄であり、そして若いながらも将来を期待されている新人医師である。


「……あの、先輩」

「ああ悪い。鳴宮、こいつは俺の妹のささら。ささら、こっちは大学の時後輩だった鳴宮航だ。で、今回の依頼人」


 そしてもう一人、めぐると一緒にやって来たのは眼鏡を掛けた顔色の悪い男だった。梅雨で湿気も多く気温も高いというのに暑苦しいタートルネックのセーターを着ている鳴宮に、ささらは少しおどおどしながら頭を下げる。


「は、はじめまして……祓い屋、ささらです」

「はぁ? 祓い屋?」

「ひぃっ、すみません、でも、そうなんです……」


 鳴宮の不審そうな声にささらが大きく肩を揺らす。あからさまにうさんくさいと表情で訴えている鳴宮に彼女が身を縮めていると、助け船を出すようにめぐるが「まあまあ」と口を開いた。


「鳴宮、そんなに怖い顔すんなって。こいつ結構人見知りなんだよ」

「でも、祓い屋とか明らかに怪しすぎるじゃないですか」

「その怪しいのに頼らなくちゃいけない事態なんだろ。とにかく、ささらのことは俺が保証するから」

「……その、祓い屋っていうのは幽霊を退治したりできるのか」

「ええっと……はい、一応……」

「一応?」

「で、できます! 大丈夫です!」


 めぐるに宥められても若干疑わしげな表情を残したままの鳴宮に、ささらはひたすらこくこくと頷くことしかできない。



 鬼怒田ささらは“祓い屋”である。

 主に幽霊や妖怪、怪異を退治し、依頼人を守るのが仕事である。二十歳になったばかりの彼女はかれこれ三年程細々とこの仕事をしており、めぐるも時々ただの病気や怪我ではないと判断した――要は呪詛や悪霊の仕業――患者をささらに紹介している。


「わたくしはささら様の助手の茶々と申します。……それで、鳴宮様。ご依頼は」

「あ、ああ……」


 ささらの隣にいる茶々が話を促すと、鳴宮はまだ十代半ばにしか見えない彼女を訝しげに見た後、一度確認するようにめぐるに視線をやってから重々しく口を開いた。


「昨日の夜中……家に帰ろうとしたら、急に、変な女に襲われて」


 鳴宮は昨夜の恐怖に彩られた体験をぽつりぽつりと語った。思い出すだけで怖気が立ち、あの生暖かい息や首に纏わり付く冷たい手の感覚が今にも蘇ってきそうだった。

 昨夜突然見知らぬ女に首を絞められたこと、『ゆるさない』と言って鳴宮を追いかけた女の足が無かったこと。


「……それで、大学の時によく“こういう相談”を受けてたって話に聞いた先輩に相談することにしたんだ」


 寒気を覚えながらそれらを言い終えると、彼は緊張したように息を呑んでからセーターの首元を引き下げた。

 そこにはあまりにも生々しい真っ赤な手形がくっきりと付けられており、思わずささらは小さく悲鳴を上げて後ろに仰け反った。


「なるほど、確かに生身の人間が付けたにしては不自然な痣ですね」

「ああ。まるで真っ赤なペンキで付けられたみたいだろ」

「……おい、あんた祓い屋とかなんだろ。なんで一番びびってるんだよ」

「す、すみませんつい……」


 本当に大丈夫かこいつ、と鳴宮の目が訴えている。


「……えっと、ちなみにその女の人に心当たりは……?」

「ない。あんなヤバいやつ知ってたらすぐに分かる」

「なら、他に心当たりは……たとえば、最近心霊スポットに行ったとか、怪しそうなものに触ったとか」

「仕事が忙しくてそんなところ行くわけが……いや待て、でもな……」

「鳴宮様、何か心当たりが?」

「関係があるかは分からないが……俺が借りてる部屋、事故物件だったらしい」

「事故物件?」

「えっ、なんだお前、そんな部屋にわざわざ住んでんの!?」

「駅に近いし格安だったんでつい……」


 隣で驚くめぐるに、鳴宮は少しばつの悪そうな表情を浮かべた。元々幽霊など信じる質ではなく、おまけに仕事が忙しくてどうせ家には寝に帰るだけだと思い、ならば事故物件でもなんでも構わないと決めてしまったのだ。


「だが、三年暮らしても今までなんとも無かったから関係ないと思う。むしろ部屋までは追って来なかったし」

「部屋までは来なかった、と。……とにかく、事情は分かりました。その女の人を、除霊すればいいんですね」

「ああ」

「分かりました。それじゃあ依頼を承ります。依頼料ですが、十万円になります」

「……は?」


 さらりと告げられた金額に、鳴宮の声が地を這った。わなわなと怒りに震える彼を見て、目の前に居たささらが思わず小さく悲鳴を上げながら身を竦ませる。


「じゅ、十万!? ふざけんなぼったくりじゃねえか!」

「ひ、ち、違います、正当な金額です……」

「はあ!? 足下見んな! 祓い屋とかうさんくさいとは思ってたがやっぱり詐欺じゃないか!」

「詐欺じゃないです!」

「詐欺師が詐欺だって言う訳ないだろ!」

「ううう、こっちだって除霊は怖いし体張るし生活だって掛かってるんですよぉ! 先々月の家賃がまだ払えてないんですよ!!」

「家賃とか俺が知るか!」

「ですよね!?」


 半泣きになりながらも折れないささらと、やっぱりこういうやつらは怪しいと思ったんだ、と怒る鳴宮。そしてそんな二人を眺めながら茶々とめぐるはアイコンタクトを交わして肩を竦めた。


「ささら様、落ち着いて下さい。ほら、もう二十歳なんですから子供みたいに泣かないで下さいよ」

「だ、だって……久しぶりの依頼なのに、これが駄目だったらまたひいらぎさんが殴り込みに来る……!」

「はいはい。あの人は怖いですからね。ほらティッシュで顔拭いて下さい」


「鳴宮、お前もちょっと落ち着けって」

「……先輩。疑いたくないですけど、上手いこと身内の金稼ぎに利用してとんずらしようとしてませんか」

「とんでもない。あいつの兄である俺を信用しにくいのは分かるが、ひとまず騙された気で……っていうのもあれだな」

「騙されたくないです」

「だよなあ。……けどま、あいつはびびりだけど本物だよ。お前を殺そうとした女を十分除霊する力がある」

「……」


 めぐるがささらを見るのに釣られて鳴宮も彼女に目をやる。怯えながらティッシュで顔を拭いている女はまったく頼りがいがなく、逆にあの幽霊に殺されてしまいそうなほど貧弱に見える。


「……あの、鳴宮、さん」


 しかし、ようやく呼吸が落ち着き顔を上げた彼女は、両手を膝の上で強く握りしめながら思ったよりもしっかりとした顔で彼を見上げた。


「確かに、信じられないかもしれません。けど、仕事はちゃんとやります。鳴宮さんにもう危害が及ばないように、女性の幽霊はきっちり除霊します。だから……十万円でお願いします」

「最後で台無しなんだが」


 真剣な表情で訴えるささらに信じてみようかと傾き掛けた心が無心になった。


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