第1話 実れ! 晴れ空の少女!
駅のホームで、電車の横転事故。死傷者、重傷者よりも軽傷者のほうが少ないという、悲劇の事故。それに巻き込まれにも関わらず、百々最は自室のベッドの上に転がっていた。
今日の記憶は、電車の中に居て、そこからほぼ途切れている。ただフラッシュバックする映像が、その後の出来事を物語っていた。
居るはずのない恐竜が現れ、光に手を伸ばすと──コスプレをした同年代の女の子と同じような格好をし、ドラゴンへ向かい戦う自分。
「うぅ~」
百々最は、ダボついた寝巻きのまま、ベッドの上をコロコロ転がった。元は父と母が使っていたベッドだ。今は海外出張で2人とも帰っては来ない、それだからこそ使えているベッドだ。
百々最は不安な事や悲しい事があると、すぐここに頼ってしまう。まだまだ自分は子供だな、いい加減卒業しなきゃ、そう思うがやめられない。
「夢じゃないんだよね……でも」
信じられなかった。非現実的だ。そりゃ、昔はそういうのに憧れた事もあった。魔法少女だとか、お姫様だとか、素敵でセクシーなドラゴンキラーだとか。最後のがおかしい事に百々最は気づいていない。彼女は少し抜けた所があるのだ。
しかし、現実がそうでない事は百々最とてわかっていた。いくら努力しても魔法は使えなくて、お姫様にはなれなくて、素敵でセクシーなドラゴンキラーになろうにもドラゴンが居ない。
だが百々最はなってしまった。魔法少女に似た力を持ってしまった。お姫様のようなドレスを身に纏って戦った。そしてドラゴンを蹴散らしてしまった。
素敵と呼べるほどしっかりはしていない。セクシーでもない。百々最は身長も低く、体の凹凸も少なく、顔立ちも幼く、垢抜けない。未だ中学生と呼ぶに相応しい見た目だ。
「…………」
素敵でセクシーの部分は気にせず、百々最は思案する。
あの子は誰だったのだろう。名前は? 年齢は? そもそも学生? 人間? そんな、わかるはずもない事を。
いつしか、考え疲れて百々最は眠ってしまった。
翌朝。目覚ましに起こされた百々最は絶句した。
「ふぁあ……──っ!?」
今日の日付を見てだ。百々最を起こしたスマートフォンが映し出すは4月7日。そう、入学式は今日だったのだ。
かくして、百々最は入学式に出られた。そもそも百々最は昨日、学校に連絡を入れていない。家に電話が掛かって来ない時点で何かおかしいと思わなくてはならない。でも百々最は気にしなかった、オールオッケーみたいな顔をして入学式を堪能した。
それから、百々最とクラスメイトになる各々と共に、彼女はこれから1年間、苦楽を共にする教室へ入った。クラスメイトの顔を見渡す、これから自己紹介が行われると言うのに、百々最は顔だけで覚えようとしている。記憶力は対して良くもないのに、だ。
「それじゃあ、これから三年間を共にする仲間達をよく覚える為に、個性的な自己紹介をお願いします」
無精ヒゲを生やした男が言った。担任教師だ。スーツがなんとも似合っていない、タンクトップとトランクス姿が似合うような男だ。家に帰ればビールを飲んだくれ、つまみをかじり、テレビを見てオナラをする。きっとそのような私生活を送っているに違いない、とクラスの何名かは思った。
百々最は個性的な自己紹介と言われ、何を話そうか考え込んでいる。
趣味について話そうか、昨日の事について話そうか。少しばかりの緊張が彼女の思考を鈍らせていた。思いつかない、まったくだ。
「雨揺 次吹です。これからよろしくお願いいたします」
「はい次、飯沼 悟志」
「飯沼悟志でっす、長所はスポーツ万能、短所は勉強です、みんなよろしく!」
そんな自己紹介が続いていく。クラスメイトの声もろくに聞けず、頭に入らず。ついに百々最の番が回ってきてしまった。
「じゃあ次。日晴、百々最さん」
「あ、はい!」
百々最は勢いよく立ち上がり、胸を張り、腹に力を入れた。
頭の中は空っぽだった。きっと腹に込めた空気は頭の中にも入っていた。空気でパンパンの頭、風船の頭。そんなよくわからない事まで考え出してしまう始末。
咄嗟に百々最は「え、えっと、入学式を昨日だと間違えてしまいました!」と言い、頭を勢いよく下げた。誰も笑いすらしなかった。呆気に取られる教室、冷房が効きすぎているでは、と思うほどの寒気。当然だろう、ここに居る全員も百々最と同じように緊張しているのだから、笑えるはずもない。
ただ、一人だけオーバーリアクションの者が居た。百々最よりも身長は高く、髪も長く、百々最よりも先に、誰よりも先に自己紹介をした少女。悠然とした顔立ちから品が漂う、そんな少女。
口をわなわなと震わせ、立ち上がり、百々最に対して一直線に指をさしている。
雨揺次吹と自己紹介していた少女はすぐにハッとした顔になり、何事も無かったかのように着席した。それを見た百々最は、あぁ、やっちゃったんだ。そう思い顔を真っ赤に染めて着席した。
「ん、なんだ? 友達か?」
教師のその声に、誰も答えない。
あれよあれよという間に、放課後になってしまった。忙しなくあっという間に時間が過ぎてしまった。結果から言うと、百々最はあの状況から見事な逆転を果たした。持ち前の明るさで、あれを冗談と言い張り、おそらくは今日、最も友達を作れた。
その放課後の事である。
スマートフォンのアプリでお互いの連絡先を交換しているうちにすっかりと遅くなってしまい、その後道に迷った百々最は人気の無い、オレンジ色に染まる空間を歩いていた。
窓から見る外は、夕暮れで雲もあまり無いというのに、ポツポツと雨が降り始めていた。
視点を前方に戻すと、いつの間にか人が居た。長い髪を持つ女性に見える。スマートフォンを片手に、姿勢よく歩いている。
特徴的なスマートフォンだった。カエルのカバーを被せたスマートフォンで、とても使いにくそうだと思ったのを百々最は覚えている。
確かあれは……と記憶を巡らせる。答えはすぐに出てきた。
自己紹介の時に百々最に指をさした人物に違いない。
「えっと、えっと、あま、あま……雨揺さん!」
1秒、2秒……振り向かない。まるで百々最に気づいていないように、歩くテンポもまるで変わらない。
「雨揺さん、雨揺さん!」
早足で歩き、呼ぶ度に声を大きくし、ようやく彼女は振り向いた。
「何、かしら」
「あの、日晴百々最です。えっと、道に迷っちゃって」
「…………」
百々最もそんなに難しい事は言っていないつもりだ、それだと言うのに長い沈黙が訪れた。バカにしているだとか、絶句しているとかではない、百々最の顔を凝視して、何か考えを巡らせているような──。
「そう、ならそこを右に曲がって階段を降りたらいいわよ」
「あ、ありがとう……あの、雨揺さんは帰らないの?」
雨揺がその言葉を返そうとしたのか、一瞬口を開いて──すぐに硬直させた。
「……私はいいから、早く帰りなさい」
「え、うん……えっと」
「急いでるの」
返事も聞かず、雨揺は足早に消えた。
その時、百々最は気づいた。喉に引っかかっている、魚の骨が。昼に食べた給食の、煮付け魚の、骨が。
「よ~し」
こっそりつけちゃえ、百々最の顔から漏れた言葉はそんな感じだった。
足音を立てぬように、常に死角となる場所へ移り、百々最は尾行を開始した。
様子を見るに、雨揺何かを探しているようであった。無人の教室を見て周り、人気の少ないほうへと歩いてゆく。
そして、女子トイレに入り、次には男子トイレに。
「え!」
百々最は思わず声を出してしまった。彼女は探しものをしていたのではない、他に目撃者が居ないか確認して、男子トイレに忍び込もうとしていたのだ。変態さんだ、凛々しい顔をしているけど変態さんだ。そうとしか思えなかった。今日出会ったばかりのクラスメイトを尾行するのも、変態的所業であるが彼女はやはり気づいていない。
「あなた! 早く逃げなさいって言ったわよね!」
雨揺の怒声に百々最は背筋を震わせた。
言われていない。百々最はそんな事は言われていない。帰りなさいとは言われた、逃げなさいは言われていない。だがそれにも気づかぬ程切迫している。
男子トイレの中から、見るも奇妙な怪物が現れたのだ。四足歩行の、脂肪をたっぷりと蓄えた人。体は確かに人間だ、だが顔がおかしい。
人間の顔には、2つの目と、1つの鼻と、1つの口があり、さらに耳が2つあるものだ。だがそれら全てが口だった。目の位置には2つの口、鼻の位置にも1つの口。顔のありとあらゆるパーツが口となっていた。
怪物から立ち込める空気がおぞましく、百々最はその場にへたり込んでしまう。
「私が時間を稼ぐわ、だからさっさと逃げなさい!」
雨揺は臆さない。こんなものは見慣れている、と言わんばかりの姿だ。
「ウェザーフルーツ! レイン!」
その姿が、雨揺の構えと共に変わった。雨揺が光り輝く、正確に言うのであれば、雨揺の周囲に光の雫が幾度と零れ落ちる。より一層強くなる光、その中から現れたのは──青を基調としたドレス、輝く髪、お姫様のようで、魔法少女のようで、童話の中に存在する、憧れの存在。
「ウェザープリンセス──レイングレープ!」
自己紹介だろうか、考える間も無くスプラッタ。憧れの存在がスプラッタを演出していた。刃など付いているようは見えない形状の剣を持ち、化け物を斬り刻む。執拗に斬る、これでもかというくらいに斬る。血が飛び散る、真っ赤な血だ。レイングレープとなった雨揺の顔を、服を、真っ赤に染めていく。それでもやめない。過剰とも言える攻撃。
「ひ、ぃ」
声を漏らすのがやっとであった。逃げる事なんて出来ない、足が震えて動かない。もう声も出ない、頭に文字が浮かばない。
だがその目は捉えている、百々最に迫る、もう1つの影に。それはまったく同じ姿をした化け物。大きく開かれた口は、もう百々最の眼前まで。
死ぬ。
刹那、百々最が考えられたのはそこまでであった。それ以外の思考はなにもできず、体も依然と動かないまま。
思わず目を瞑ってしまう。逃げるにしろ、目は開かなくてはいけない。だがそこまで頭が回らない、固く、固く閉ざしたまま。
真っ暗な目蓋の裏がなにかに包まれた。
「日晴さん! 私は手が塞がっているわ、だからあなたがやるのよ!」
透き通る音色。
「ウェザーフルーツ、叫べばわかるわ! あなたは一度、やっている!」
フラッシュバックする。記憶が鮮明に彩られ、小さな光が集い、青空となる。
瞳の中の青空を、呼吸へと帰し、百々最は叫んだ。
「ウェザーフルーツ! ピーチ!」
桃の形をした空が目の前に現れた。それはまるで、空間を桃の形に切り裂いたようであった。そう形容するしかないものだ。
続く言葉もそこにある、百々最は最初からそれを知っている様な、今始めて見つけた様な、不思議な感覚を唱える。
「ウェザープリンセス──サニーピーチ!」
夕暮れの校舎、夜を纏い始めた空も。
茜色に染め上げられた廊下も。
目の前に広がる惨劇も。
それら全てを百々最が変えた。
そして百々最の全てが変わった。
桃色の髪、青い空の様な瞳。お姫様の様な、魔法少女の様なドレス。蘇る記憶、あの時、サニーピーチが何を成したのか。その感覚を、その方法を。
百々最、否──サニーピーチが手を掲げた瞬間、全ての異常が消え去る。化け物の顔をしていた者の顔が、穏やかに眠る人間の顔へと変わる。
此処から始まる、そんな予感がしていた。
雨揺次吹の、ある者達の、日晴百々最の戦いが。