プロローグ
美しい青空、どこにでもあるような電車が走っている。その中で揺られている少女も、きっとどこにでも居るような少女。
新品であろう、ぴったりとした制服を身に纏い、ひざの上に鞄を置いて座る少女。その顔はなんとも期待に満ち溢れていた。隣に座るサラリーマンが横目で彼女を見る。含みのある視線ではなく、微笑ましいと思っているようだった。
彼女を知らない者から見ても、新入生であろうことは見て取れるのだ。
「わぁ!」
電車が軽く揺れ、少女の頭がサラリーマンの頭にぶつかる。ふわりと漂う、甘い香り。サラリーマンの視線に含みが生まれた。
「ご、ごめんなさい……えへへ」
少女はかわいらしく笑い、サラリーマンが軽く会釈する。こんなのは、どこにでもある光景だった。
少女の名は日晴 百々最。変わった苗字に変わった名前。それでも百々最はそれを気に入っていた。
年齢は16歳。高校1年生である。そして今日、晴れて入学を迎える。
周囲にとっては、ありふれた、経験した、なんてことないことだ。
本人にとっては、特別で、人生で一度きりの、大切な日だ。
電車が高い音を立てて止まる。空気が抜けたような音とともに扉が開く。
百々最の大きめに、一歩を踏み出した。
その瞬間のことだ。
空気が変わった。希望に溢れる穏やかな日差しが遮られ、百々最に影が落ちた。また、匂いも変わった。ガソリンと煙、そして炎を混ぜたような匂いだ。百々最はその方向に顔を向けた、そしてそのまま、硬直してしまう。恐竜が居る、いや、ドラゴンと言ったほうが正しいかもしれない。
この現代に置いてそんなものが居ないのは、百々最とて承知していた。それでも、目の前に居る怪物はドラゴンとしか言いようがなかった。
よく見れば、ドラゴンはなにかを咥えているように見える。人だ、顔つきから判断するに、自分と同じ年くらいだろう。しかし奇異とも言えるあの衣装はなんだ。コスプレ……に近い、まるで魔法少女のようで、だけれどもなぜか似合っている。百々最はそう思った。そして、それどころではないとも思った。
このまま行けば、ドラゴンが電車にぶつかる。どうする、私になにができる。百々最は考える。すぐになにもできないと悟る。
そう、自分が逃げるという選択肢を忘れて、ただ思考するために足を止めてしまっていた。
大きな音、耳に入ると同時に視界が揺れる。それだけではない、なにもかもを一瞬で黒に染め上げた。
音も聞こえない、目も見えない、感覚もない。あるのは、浮遊感だけだ。まるで星のない宇宙に居るかのように、呼吸もできず、温度も感じず、感覚という感覚すべてを奪われ、ただ暗闇の中に居る。
それを打ち破ったのは、声だ。聞くも綺麗な音色。
「そう……あなたも、エバなのね」
暗闇の中に、一筋の光が生まれる。星か、希望か、百々最にはわからない。
ただ、唯一わかるのは。
暖かい光だということ。
手を伸ばせば届くということ。
百々最は、選択を迫られている。
闇が希望か、光が絶望か。
光が希望か、闇が絶望か。
百々最は、その手を──。