毎日ゲームを遊ぶ理由
特別教室棟の三階。
放課後になると、そこは多くの文化部の活動場所となる。
僕が所属している文芸部もその一つだ。
日誌を担任に提出してから渡り廊下を通って特別教室棟へ。
階段を上って部室に近づくと、部屋の窓から光が漏れていた。
既に部室に人がいるようだが、それが誰なのかは確認しなくても僕は察していた。
文芸部の部員は三年生が一人、二年生が二人、そこに一年生の僕を加えて計四人。
但し、二年生の二人は部誌作りの時期しか顔を見せないレアキャラクター。
よって、今部室の中にいるのは三年の先輩に間違いない、はず。
先輩の存在に浮つきかけた心を落ち着かせてから扉に手をかける。
そして一気に開き切ると、そこにはタバコを吸いながら読書を嗜んでいる先輩の姿があった。
「……こんにちは、先輩」
「ん? あぁ、君か」
僕が声を掛けると、先輩はタバコを人差し指と中指で挟んで口から離す。
その動きは出来る上司といった感じでなかなか様になっている。
だが、先輩は漆黒の長髪に黒縁メガネと完全に文学少女な出で立ちで、見た目に反さず真面目で頭脳明晰、男勝りな口調を除けば理想的な女性だ。
そんな彼女が校内でタバコを吸うという悪行に手を染めるとは信じられなかった。
「君も一本やるかい?」
先輩を叱るべきか葛藤する僕に差し出されるタバコのパッケージ。
その箱の表面を見てみると、小さい頃に何度も見た犬のキャラクターが描かれていた。
……これは、タバコの形をしたラムネ菓子だ。
改めて先輩の持つタバコに目をやると、そこからは火も煙も出ていない。
ちゃんと見ればすぐわかっただろうに、どれだけ僕は焦っていたんだろうか。
「いただきます」
箱から一本抜き取ってから近くの椅子に座る。
先輩の斜め隣の椅子、僕の定位置となっている場所だ。
いつもと同じ場所に座ることで幾分か気持ちが和らいでくる。
そもそも、これほどまでに焦ったのには理由がある。
先輩はお菓子が好きなのか、部活には必ずお菓子を持参してくる。
しかし、読書中の手を汚さないため、小分けされたお菓子、とりわけ飴を持ってくることが多かった。
なのにいきなりタバコ型菓子なんか持ってくるものだから、意表を突かれる形になったのだ。
いつもお菓子を分けてくれることには内心感謝しているが、このようなドッキリは心臓に悪いから金輪際辞めてほしいところだ。
そんな言い訳を心の中でしつつ、鞄からスマホを取り出す。
電源を入れてホームに置かれたアイコンをタップすると、長いローディングの後にタイトル画面が表示される。
数年前から遊び続けているソシャゲだ。
「今日は部室に来るのが遅かったな」
ログインボーナスを受け取っていると、先輩が話しかけてきた。
「日直の仕事があったんですよ」
「そうか。サボらなかったんだな」
「……はい?」
先輩の口から『サボり』という言葉が出るとは思わなかった。
タバコの件といい、今日は意外な一面に驚かされることが多い。
「君には日直の仕事をするかしないか、その選択肢があったはずだ。なら、なぜ君は真面目に仕事をこなした?」
言葉の真意を尋ねる前に質問を重ねられた。
そして、僕に向けられたのは試すような鋭い視線。
……これは、部活動だ。
先輩は時たま常識に疑問を呈するような発言をする。
それに僕が返事をすると、先輩が持論を被せてくる。
その討論のような会話を部活動の一環として、先輩は楽しんでいるふしがある。
僕は気持ちを部活モードに切り替えて、先輩に言葉を返す。
「サボったら先生に叱られるから、ですね」
「そうだ。罰によって『サボる』という選択肢が無くなった」
僕の回答に先輩は満足そうな笑みを浮かべる。
「他にも選択肢を減らす方法がある」
そう言って、手に持ったタバコ型菓子を僕のスマホに向けてくる。
「君がやっているゲームだ。ゲームとは本来好きな時に遊ぶものだが、君たちはソシャゲを毎日のように遊んでいる。それは何故か?」
「……ログインボーナスや期間限定イベントがあるから、でしょうか」
「その通り。毎日何らかの報酬を与えることによって『今日は遊ばない』という選択肢を頭から消し去っているんだ」
どうやら先輩の期待する答えを返してしまったらしい。
……この流れはあまり良くない。
どう反論しようか悩む僕に、先輩はトドメとばかりに言葉を発した。
「人生は選択の連続で、人は自分で道を選ぶことが出来る。なのに、他人から与えられた罰や褒美によって選択肢は狭められ、思考を誘導される。それは虚しいことだと思わないか?」
先輩は僕の目をしっかりと見つめて問いかける。
この質問には気軽に「そうですね」と答えてはいけない。
それは僕の存在が虚しいと認めることになり、すなわち負けを意味するからだ。
だから、ここで切り返さないといけない。
「逆、ではないでしょうか」
「……逆?」
僕の反撃が意外だったのか、先輩は訝しむ表情をする。
「褒美や罰を与えることだって選択の一つだと思うんです。ソシャゲは別にログインボーナスを配らなくてもいいし、限定イベントを開催しなくてもいい。だけど、それをしないとユーザーが離れてしまうから、褒美をばらまいているんです」
ここで一度区切ってみたが、先輩から反論は来ない。
この勢いを逃すまいと、畳み掛けるように持論をぶつける。
「『自分』は褒美や罰を受けるかどうか選択できますが、『他人』は少しでも思考を誘導できるように褒美や罰を与えざるを得ない。……さて、本当に虚しいのはどちらでしょうか?」
「……むぅ」
先輩は悔しそうに口をつぐむ。
自分でも屁理屈な論理展開だと思うが、これは正論をぶつけ合うものではない。
相手が言い返せなければ勝ちなのだ。
僕が勝利の余韻に浸っていると、先輩は「例えば」と重い口を開いた。
「……ログインボーナスが無かったとしても君はそのゲームを毎日遊ぶのか?」
「遊ぶと思います」
「何故だ?」
真剣な表情で聞いてくる先輩に、僕も真面目な顔で答える。
「好きだから、ですね」
その言葉を聞いて、先輩は椅子に背中を預けて天井を見上げる。
タバコの煙を吐くように息を吐いてから、僕の顔を見て言った。
「明日からお菓子を持ってくるのを止めることにするよ」
「……それはどういう意味ですか?」
僕の問いに、先輩は薄笑いを浮かべて言葉を返した。
「私も、このゲームが好きなんだよ」
そう告げてから読書に戻る先輩の顔は、少し赤らんでいて。
言葉の意味に気付いた僕も、きっと同じような顔をしていた。