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 後から一分ほどで第一会場が埋まったときいた。どうだろうか。本当に第一会場で一番の先頭にあるだろうか?そうでなかったら死んだも同然だ。もう良いや。あとはどうにとでもなれ。のーとなーれ、やまーとなーれの精神である。南無妙法蓮華経、妙法蓮華経。


 しかし、書いたものが話題になってくれるのを想像してしまうのは物書きの性だ。私は一生「小説書き」になれないのは自覚している。そもそも自分の話は、本当に「おはなし」になっているのかすら自信がない。「お放し」ではあるが。

 そもそも話を投げた後でいくら悩んだとて何が出きるわけでもない。五時だ辻、いや、誤字脱字の修正ならばともかく。


 後は祈るしかない。何に祈るかと言えば「書き出しの神」である。書き出しの神といえば夏目漱石である。一度『吾輩は猫である』を読んでみるといい。一言目の


『吾輩は猫である、名前はまだない』


で引き込まれること。なんと素晴らしいことか。『こころ』、も素晴らしいものである。あんな文豪には憧れや尊敬を越えて崇敬の念を抱くのだ。あそこまでかけるようになりたい、と。不可能に見えるがしかし、どうせ生きるならあれを目標にしたいのだ。何にもしないで無理だと言うのは誰でもできる。


 というわけで夏目漱石を祀り、祈るのだ。祭壇は簡素なものであるが、手作りした木の祠にも似たもので、毎週木曜日にお参りすると決めている。儀式は簡単で、線香が燃え尽きるまでの間に、夏目漱石の作品をあらさがししながら読むことである。夏目漱石は自分の作品が褒められるより、悪いところを言ってもらいたがったというからであるとともに、こうやって見る目を鍛えるのも目的の一つである。大体学校の授業でこういうものは素晴らしいのだと刷り込むのがおかしいのであって、小説に貴賤はないのだ。私の話は小説とはいいがたいと思うのだが。


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