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魔女は、禁忌。
世界にあまねく災厄をもたらし、生きとし生ける者たちすべてに不幸を撒き散らす。
そう人々は口にする。
「魔女に会ったことあるの?」
「出会ったら、そん時にゃ死んでるも同然だ」
あなたはすでに会ってるわよ?
アタシ、魔女のアズ。今あなたの前にいるの。
「魔女って、何人くらいいるの? どこへ行けば会えるの?」
「もう……何人もいねぇだろう。俺が生まれてから見たってな話は聞かねぇし。どこって――会いたいのかよ!? お嬢ちゃん!」
出会ったら死んでるのに「魔女に出会った」と話して聞かせた人は、生きてるの? 死んでるの? 魔女よりそっちのほうが怖いわよ。
それに、私だけしか魔女はいないわよー。
「色々な国々を旅して、民話や童話を集めてまわってる学者なのよ。遺跡を巡ってみたり高位魔獣の話を聞いたり。魔女の話もその一つ」
「……やめときな、お嬢ちゃん。学者さんなのはスゲェが、魔女の話をすると魔女がやってくるかも知れねぇ。魔女は災厄だ」
酒場の夜は長い。陽が落ちたとたんにどっと労働者たちが溢れかえり、夕食という名のお酒とつまみがテーブルにのる。
薄暗い店内には7席の丸いテーブルが設えられ、様々な形の椅子がバラバラに置かれている。3人でテーブルを囲む者たちもいれば、あちこちから椅子を引っ張って来て8人で囲む者たちもいる。ただ、ジョッキーと皿の置き場所があればいいだけ。
やっすい麦酒と果実酒の匂いにまかれながら、私は赤ら顔の二人のオヤジさんを相手に話し込んでいた。世情やちょっとした魔物の被害の噂話をきっかけにして話しかけ、奢りのお酒を勧めながら色々な話題を差し込んでいく。
最初はこんな汚い酒場に妙齢の女一人で何をしに来たんだと、品定めと警戒の色が濃かったオジサンたちの視線も、色気もそっけもない女の話しっぷりと奢り酒の酔いに気安くなってゆく。
夜の酒場に女が一人で現れて男に声をかけるなんて、この世界じゃ娼婦くらいしかいない。ところが話してみたら学者だと自称した上に奢るとまで言うのだから、嫌な気はしないだろう。
お酒によって口が軽くなったあたりで、そろりと『魔女』を話題に出してみた。
途端に不機嫌になり口を重くした二人に、奢りの料理とたっぷりの少々お高い酒をふたたび勧める。酒精が脳と理性をとろとろと痺れさせ、重いながらも口を開かせてくれる。
質問しては反論せずに頷くだけにして話を引き出し、あいまにつまみのポルポル鳥の半身焼きを毟って食べた。
はっきり言う! 脂が落ちきって、ぱさついて美味くない!
「災厄って、魔女は何をしたの?」
「あいつらは、森を死なせ山を崩し泉を毒沼に変え……大きな街をいくつも死の荒れ地に変えた。ある時は魔獣の群れを誘い込んで放ち、ある時は街に死の病を流行らせ……大虐殺してまわった」
「――怖いわね」
自分の目で見たわけじゃないのに噂話を信じ込み、それが事実だって思い込む人の心理が怖い。
この世界に限ったことじゃない。あちらの世界にだって、こんなことはありふれていた。一つの事実が十の妄想に膨れ上がって、もの凄いスピードで世間を侵食してゆく。あたかもその十が真実であるかのように人々の間を流れ、国を越えて時の流れと共にやがてそれが常識になる。
尾ひれ背びれがつきなんて、上手い言い回しだと今更思う。
「魔女が大殺戮をした場所って、まだ残ってるの?」
「もう、大昔だ。山も川も形を変えて、人々も住む場所を移した。ただ、この国にゃ魔女の棲み処と伝えられてる絶望の大樹海があるからな……」
お伽噺の中の魔女を大の大人が今でも怖れているなんて、まるで時間の止まった呪いのようだ。
見たことも触ったこともないくせに、先祖代々その身の遺伝子に恐怖の代名詞とでも刻まれているかのよう。
もう充分。
さあ、家に帰ろう。
「お付き合いありがとね。支払っといたから後はゆっくり飲んでって。楽しかったわ、おやすみー」
「おう! ご馳走様だ! 気をつけて帰れよ!」
気のいいオジサンたちは出入口に向かう私を、手を上げて見送ってくれた。大きな声に他の席で飲んでいた男たちが視線を上げ、何やらよくないことを囁きあっている。
私は素早く外へ出ると、羽織ったマントのフードをかぶって【迷彩】を展開して足早に近くの路地へ入った。
出てきたばかりの酒場から数人の男が派手な足音を立てて飛び出してくると、低い声であっちだそっちだと言い合いながら走って消えた。もちろん私の姿を捜してこの路地を覗いていったが、闇の中で行使している【迷彩】を見破られることはなかった。
「王都とは言っても、やっぱり深夜は物騒ねぇ」
ここは、私の住む樹海があるグランバトロの王都。その城下町の一番外側に広がる平民街の酒場通り。
私はそこに、魔女に関する情報収集に来ていた。
真っ昼間に街中で聞いて回るのは、いらない疑いをもたれてしまう。いくら学者を装ってみても、禁忌にさわる話題は理性が働いている内は嫌われる。姿を晒してそんなことをすれば、買い物すら来れなくなる。
だから、夜を選んだ。薄暗がりの中で、お酒と女であることを使えば警戒心も薄れるだろうと。
まぁ、代わりにあんな連中の興味を引いてしまうけどね。
「魔女は禁忌かぁ……。いやんなっちゃうわね」
この分じゃ、他の国へ行っても同じだろうな。
小さな呟きをこぼしながら路地をいくつか曲がって、人気のない廃屋の中に滑り込んだ。
床も壁も屋根もところどころ板が剥がれ落ちて月明かりがスポットライトのように差し込む中、裏口らしい小さなドアに指先をあてて素早く円を描く。
「【転移】」
一瞬の内に、我が家の玄関に立っている。
そして、私が現れたと同時に室内の照明がいっせいに点った。
――おかえり。ずいぶんと飲んだみたいだね? 首尾は?
「上々と言いたいところだけど、それを認めちゃうのもなんだか悔しい」
棲み処とその周りを整理して、自衛できる程度には魔法や魔術の訓練をした。そんな日々も日常になり、そろそろ外に目を向けようと思い立ち、まずは現在の『魔女についての認識』を確かめることから始めることにした。
だって歴代魔女たちの記憶では、最後の魔女は悪の権化として始末されたんだよ。でも、それからすでに何百年も経っているし、その間に魔女は復活していない。
では、現在は? と疑問に思ってもおかしくないよね?
誤解が解けて魔女は善人として敬われてるなら、大手振って私は魔女だと名乗って歩けるし、復讐だの何だのってことは考えずにすむ。対して、相変わらず魔女悪人説が定着してるなら魔女であることは隠さなくちゃならないし、言動に気をつけないとならない。
だから、とりあえずは最初に王都に出てみたんですが、残念な結果となりました。
――僕はここから動けないから、人間世界の情報はわからないんだ。ごめんね……。
「お家君は今のままでいいのよ! 何もない私にこれだけの生活環境を提供してくれてるんだし!」
――でも、これは女神様との約束だからね。
女神様との約束かぁ。
その女神様は、すでにこの世界から消えてしまった。それを知ってか知らずか、お家君は律儀に約束を守っている。もう女神様は存在しないのだから自由になっていいんだと、お家君に教えてあげたほうがいいのかなぁ。
そんなことを考えながらキッチンに入り、水の出る魔道具に触れて冷たい水をコップに注ぐと一気に飲み干した。
手の平サイズの楕円の黒い石に、よーく目を凝らすと水の魔法陣が描かれている。それにちょっと魔力を流し込むと、まるで水道のように水が溢れ出す。いや、水道から出る水よりも安全で美味しい水だ。
火も同じような石に陣が刻まれていて、魔力の伝導がよい細長い石を接着して火をつける。あとは私が知っている形の五徳を作って備え付けた。
それにしても不思議。
努力して習ったり身につけていないのに、なんの抵抗もなく魔法や魔術を行使して、魔道具や剣や魔物なんかに納得している私がいる。
私はいったい、誰なんだろう。