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聖人が授けた聖文ってのは、なに?
なんだか重要な書らしいから見せて欲しいんだけれど、隠し場所を聞き出す前に魔術師長は息を引き取った。
【森羅万象】を使えば内容はともかく、在り処くらいは示してくれるだろう。でも、きっと私はこの場で昏倒する。瀕死とはいえまだ生きている敵の前で意識を失うわけにはいかないし、何よりもこんな汚物の上に倒れ伏すなんて考えたくもない。
仕方なく産廃の上から降りて、着替えたばかりの豪華な衣装を自分の肉から流れ出る血で汚し、苦痛に呻き悶える宰相を覗き込んだ。
「ねぇ、聖人からもらった聖文って、なに? どこにあるの?」
このまま放置すれば、いずれは失血死間違いなしなのに、でっぷり太った宰相は脂汗を垂らしながら歯を食いしばり嗤っていた。
「魔女ななな、などに……ハァヒィ……はな、話すわけはないだろうがっ!」
「そう? じゃ、しかたないか。まだ血は巡ってるだろうからたっぷり奪わせていただくわ」
私はゆるゆると右手の指先に魔力を集め、あえて宰相に理解できるように充血し切った目の前から血に濡れた頭に置いた。
宰相の頭部に私の五本の指が埋もれてゆく。ゆっくりと、じわじわと。
「な、なっ、何を!! ぎぃっ、がっぎぃいいいいいいぃぃっ!!」
何をって、OSが否と答えるなら、ハードディスクに直接訊くしかないじゃない。
私だってこんな非人道的な方法は使いたくない。でもさー、自分たちだって他者に同じことをしてきたんだ。やった限りは、やられる場合だってあるんだと理解してるだろうし?
まるで豆腐に突っ込むがごとく何の抵抗も感じないまま頭蓋を越して、本当に柔らかい脳に触れる。
出血はしないし、薄皮一枚傷ついてはいない。頭蓋骨だって罅一つ入ってないはず。でも、宰相様は感じてるでしょうよ。私の指の腹が脳の表面を撫で、侵入しやすそうな点を探しているのを。
まずは海馬に向かい、新しめな記憶を探る。
あえて痛覚も意識も生かしたままだから、さまざまな反応が宰相を襲っているらしい。傷や失血はないのに、異物が挟まるだけで何かが遮断されて誤作動を起こしている。激痛だったり痙攣だったり、いきなり大量の涙を流したり弛緩したり。
私はそんなことなどお構いなしで、ただ彼の記憶を漁る。
巨大な金庫の中身を掴んでは外に撒き散らして排除し、残った重要書類を覗き見るように。
嫌悪感? 忌避感? なにそれ? って感じだわよ。
外科医でもない私が、人の頭に手を突っ込んで脳みそを淡々とした心持ちで弄ってる。そんな自分を客観的に観察して、と思い描いてみても何も感じない。
一般人より抵抗感がないのは、ラットやモルモットを使っていたからかなー?
「えーっと聖文、聖文っと……聖人様の……あった! 神の御言葉がぁ!? まあ、いいや。隠し場所は――」
ずっぷりと埋もれた手を一気に引き戻し、見えない何かがこびり付いたかのように思わず振り払う。ただただ生理的嫌悪からくる反応だ。
見下ろせば、細く息をつく屍が横たわっている。
まだ、完全な死をくれてやるつもりはない。
「あんたたちは輪廻の渦に還れず、力の塊としてこの世界の維持のために消耗されるだけのための存在になるわ。あんたたちが聖人だ神の遣いだと崇めたヤツの仕業なんだから、ありがたく思いながら消滅してもらわないとね」
神や女神はすでに存在しない。輪廻や転生なんて装置は稼働してないのだから、天上のどこかに積み上げられるだけか、世界という空間に擦り潰されてエネルギーに変換されるか、だ。
知らなかった、とは言わせない。騙されていたんだ、なんて言い訳はすでに意味がない。
運命を左右する神はいなくなり、残るは己が手で選んだ道しか残っていない。
「あんたたち人族は、もともと簒奪者が勝手に創った、『信心』っていう原動力の生産装置でしかないんだ。神は、あんたたちを慈しみ愛すために生かしてきたんだじゃない。だから、そこをあの外道に狙われた」
神にとっての生産装置は、外道にとっては実験室に置かれた実験装置であり材料にしか見えなかったらしい。
はじめは家主に隠れてこそこそと実験してたんだろう。その内、家主までも実験材料に使って消してしまうと、こっそりと入れ代わった。装置たちにはオーナーの不在を偽装して唆し、権利を任された代理として何食わぬ顔で。
「すぐに、聖人様もあんたたちの側に送ってあげるから、文句があるならその時にでも好きなだけ糾弾したらいいわ」
また、どこからか轟音と震動が届く。
それらが収まった時、私は宰相を浮かせて待機させると詠唱を始めた。
「地の底に滾る灼熱よ 顕現し、この場のすべてを焼き尽して清めよ 【業火の精王】」
詠唱に応えて炎の巨人が現れ、天井を突き破る。灼熱と暴風が辺りを溶かし、瓦礫を塵に、塵を粒子に変えてゆく。
私は宰相共々張った障壁ごとぽっかりと天井に開けられた大穴から飛び出すと、王城に向かった。
夜の闇の中、地震紛いの揺れの後に突如として立ち上った巨大な火柱が、灯りを落とした城下を照らす。家から転げ出て、聖堂や王城を見上げる人々の目に、荒れ狂う炎の巨人が映っているだろう。
神の断罪か魔獣の襲撃か。どちらなのかと悩み恐れるだろう。
半壊した聖堂を後にして、瀕死の宰相を主のもとにお届けする。丁度、避難の最中だったらしい国王は、なんと城の物見台で近衛と聖職者に囲まれて立っていた。
階下で騒動が起こった場合、国王を含めた王族は空から逃げるんだそうな。どうやって? って、もちろん魔術師たちが総出で飛行術を使ってお運びするらしい。
「パレスト国王様、忠実なる家臣をお届けにまいりましたわ。ご返答如何によっては、死出のお供になることでしょうが」
イーフリートを避けて、王城の端で固まっていた国王一行に宰相殿を投げ渡す。
障壁を抜けて落下した宰相は、近衛のひとりにぶつかって共に転がった。一瞬にして上がる悲鳴と怒号に、私はにんまり嗤う。
「な、何奴!!」
「最後の魔女にして『森羅万象の魔女』アズ」




