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元はと言えば、勇者の剣は魔女を駆逐するための凶器として創られた。
鞘があって完全なモノになるのだけれど、今ここにない以上は不完全な状態で戦うことになる。
私たちが全力で戦ったとしても、結果は見えている。
女である私としては、奥さんが九人もいる旦那と戦いたくはない。無傷で帰すことなんて無理だから、後で恨まれるのは辛いのよね。
でも、元勇者であり英雄の矜持ってヤツが不戦敗を許さないのだろうね。それに、長年付き合って来た愛剣だろうし、ただ折ってお終いじゃなく思い切り戦って終わりにしたいんだろう。
「解ったわ。明日の早朝にここに来て。勝負するのに最適な場所へご案内するから。そこで再起不能にしてあげるわ」
「言ってろ! クソ魔女が! 明日早朝に――今日のように逃げるなよ!」
「逃げないわよー。あ、召喚陣の破壊に関しては黙っててね?」
緊張のきの字もなく人差し指を唇に当ててお願いする私に呆れてか、アレクは血走った流し目で一瞥すると転移して消えた。
天中の陽もすこし傾き、昼過ぎのぽかぽかとした陽気は北では珍しい。思いきり両腕を天に突き上げて伸びをすると家に戻る。
難問の解決が見えたことで、すこしだけ肩の荷が降ろせたとほっとしながら玄関に入って……そこで、私は硬直した。
なんと、見慣れない美青年が居間のソファで寛いでいたのだ。
「――え? えぇぇぇぇっ!? もしかして、リュー!?」
顔立ちと紅い瞳は間違いなくリュースだけれど、髪はアッシュブロンドに変わり、それが腰の辺りまで波打って伸び、190近い長身痩躯ながら発達した胸板としなやかな筋肉を備えた四肢を持つ美丈夫に変身していた。
どーして、こーなった!? ウチの儚げな美青年貴公子は、どこへ消えたの!?
「……やっぱり驚くよね? 僕も朝起きて吃驚したよ。鏡に映ったヤツが自分とは信じられなかったよ」
「こ、声まで……」
いつものすこし高めのテノールが、マジで声変わり後のテノールバリトンになっている! ああ、少年が青年になった時の、お母さんの心に湧く残念な気持ちって、これかぁ……。しくしく。
『アズ、顔がキモチワルイぞ……』
「なんだか、私の可愛い末弟が……どっか遠くへいっちゃったみたいで。嫁が九人もいるチャラ男な長男も、とうとう姉に反抗しはじめたしって言うか、ルード! さっき聞いた時は、こんなに変わってるって言わなかったじゃない!!」
『リューに黙っていてくれと言われていた。面白そうなんで黙っていただけだ』
がっくりと肩を落として独り言を呟く私を見て、横たわって毛づくろいをしていたルードはさっと立ち上がるとリュースの足元へと避難する。
そんな私たちを目を細めて眺めていたリュースは、脚を組んで腕組みをするとニヤリとほくそ笑んだ。
「アズも人のことは言えないだろう? 髪の色も目の色も変わってるよ?」
「へ?」
『なんだ、気づいてなかったのか? 帰ってきた時から変わっていたぞ』
はぁ!? ちょっ!
不穏なふたりの発言に、私はすぐに立ち上がると洗面所へ走った。
私が作った大きな横長の鏡が備え付けられているその前に立ち、唇をOの字に開けたままがく然とした。
「ちょっと! ナニコレ!? 誰? 誰よ! これ!! なんでもっと早く教えてくれなかったのーー!!」
鏡の向こうには、謎の女が映っていた。
そして、この色合いに見覚えがあった。あの暗闇に囚われている古の神だ。
私の頭部から黒い髪と瞳の色は消え失せ、代わりにシルバーブロンドの髪とゴールドの瞳に変化していた。
転化の兆しは感じていた。一度味わった感覚だったから、痛みが来ないのはそれほどの変化じゃないと思って確認はしてなかった。
――こう来るか!?
「色々と確認した方がいいよ? 僕も凄くおかしなことになってて、とにかく把握して自覚を促さないと始まらないって慌てたし」
くるっと後ろを振り返ってリュースを見つめ、すぐに顔を戻して鏡の中の自分を睨みつけた。
『何をそこまで驚いてる? いつも【偽装】で色合いなんぞ変えてるだろうが。リューのように、姿形まで変化したわけじゃないだろう』
「それとこれは違う! 私の自慢の黒い髪と目があぁぁ! 還る時に戻るかなぁ……」
私が【偽装】の際に望む色合いは、第一に目立たないことが先決だった。
髪も目も大陸ではありふれた色を選び、次に私の顔に似合うかどうかで決定する。だいたい若返ったとしても平たい顔民族の私に、派手な色合いはバランスが悪い。厚化粧でもしないと、髪色と釣り合いがとれないのは無理。
で、鏡の中の私だが、これに黒い三角帽子をかぶったら、まさに童話に出てくる老婆の魔女そっくりなのが泣ける。なまじ無精してストレートの髪をのばしていたのが仇になった。
「もっと小顔で切れ長なクールな目をしてたら、きっとこの髪も目も似合うんだろうなぁ。大体だ! リューは外見的変化だったのに、私にそれがちっともないって何!? ふざけるな!」
あー、こんな色に変化させるなら、顔も体型もビシッと変えてよぅ。女神様の力でできてるんだからさ、女神様みたいな――あ、それじゃ帰還したら困るな。これでいいか。
落胆してとぼとぼと自室で着替えに向かい、階下に戻ってリュースが淹れてくれたコーヒーを飲んで気を落ちつけた。
「それで、リューは何がどうしたの?」
淹れたての香りが心を沈めてくれる。コーヒーのお供は、ドライフルーツがたっぷり入ったパウンドケーキ。リリアに届けた残りだってことだけれど、美味しければなんでもいいわ。
「宝石を握って横になっても何も起こらないからどうしようかと悩んでたらさ、いきなり頭の中に魔力を注げって声がして、慌てて魔力を通したら――」
《転化》が始まってしまったんだそうだ。私と同じだな。
とにかく全身がきしんで痛くて死ぬかと思った。なんて物をよこすんだ! と怒り心頭で、それが耐えるための原動力になった。気が付いたら朝で、眠るに眠れなくて汗をかいたから流しにいくかと、身を起こしたところで恐慌状態に陥ったと。
「これだけ急に身体が変化すると、満足に動けなくなるんだって知ったよ。階段を降りるのも一苦労で、アズを探してたらルードとエンデが出かけたって言うし、弱ってたらエンデが回復みたいな術をかけてくれて妖精族の誰かに相談してみろって」
「へー、エンデはすぐに気づいたのかぁ……」
――だって、妖力がすごい勢いで溢れ出てるんだよ? 気づくさ。それよりも驚いたけどね。
「だからグリア様にお会いして、でもアズに事情を聞いたほうが早いって結論が出てさ。アズは外出してるって言ったら、その間に肉体の調整をするといいって提案されたんで、妖精族のナイトの方々と色々訓練してきた」
すこしだけ子供じみた話し口調が残っているせいか、声が変わってもリュースだと安堵する。でも、視線を向けるとそこには一端に育った男がいる。真っ当に育つと、こうなるのかーと感心したよ。
リュースはイケメンに変身してんのに、なんで私は老けて見える方向にいったんだ! せっかく若返って嬉しかったのに! うぎっ!




